少女は追う。

春ノ宮 はる

第1話 少女は追う。

 人いきれの中、走ろうにも走れなくて、もどかしさだけが募っていく。

 一方向に押し寄せる人の波に逆らう人影が、私のほかに一つ。人々のやけに高い肩の隙間から、時折彼女はその姿をちらつかせる。

 近づいているようにも思えるし、ここのところずっと距離が変わらないような気だってする。

 彼女は道を開けてもらいながら悠々と歩いているのに、私はというと、ぶつかってはよろめき、またぶつかってというのを繰り返しながら、押し出されるようにその後を追っている。

 道の両脇には似たような色合いの屋台が隙間なく並んでいる。その屋根からぶら下げられた赤提灯。頭上を横断するように架けられた太い綱も、これまた真っ赤だ。

 何を理由に彼女を追っているんだろうという疑問が湧いたのは、いったいどれほど前のことだっただろうか。

 そもそも、いつからこうしているのかも、私は思い出せないでいる。

 ただ、ここで立ち止まったり他の人に流されるように引き返したりしたら、もう彼女に追い付くことは絶対にできない。二度と会うことはできない。そんな確信だけが私の中にれっきとしてたたずんでいる。

 別にもう会えなくていいなんて割り切れてしまったら、どれだけ楽なんだろう。

 彼女のことなんて何も知らないつもりなのに、時折何の前触れもなく、彼女のいつかの仕草が脳裏にちらつく。

 所在なさを紛らわすような指のうねりはなんだか艶っぽくて、ペットボトルに口をつける姿は不思議と加虐心を刺激し、すこし悪い夏の寝相は反対に守ってあげたくなる。

 ただ、私と彼女の世界には音という音が何一つないのだ。思い出されるそんな心象も、すぐに人ごみの音に乱されてかき消されてしまう。

 気づいたら、そうして何日も何日も歩いていて、空が明滅を繰り返し、月の形もぐるぐる巡った。

 けれどあるとき、人の流れがぴたりと止まった。

 流れだけでなく、周りの人間は、まるで神様から生命として生きる権利を奪われたみたいに静止している。

 気づくと、彼女の姿を見失っていた。急いで張りぼて人形の間を縫うように進むと、その人ごみの終わりはすぐに見えてきた。

 本当にいつぶりかわからない。もう、何千年も彼女を追って歩いていたのかもしれない。

 人いきれを脱して開けた視界を満たすのは、きれいな花々だった。色とりどりの花が互いに絡み合っては結びつき、どこまでも続き、どこまでも高い壁をつくっていた。

 ゆっくりと歩み寄って、濃い紅色の花びらに触れる。

 やはり、少しだけ温かかった。

 この向こうで彼女も同じことをしているだろうと、わけもなく確信した。

 体を大の字に開け広げて、以前彼女に抱きついたときみたいに、そのまま花の壁に飛び込んだ。それはただ垂直に立ちはだかったままで、私に包まれるでもなく、私を包み込むでもなく、ただ変わらずにそこにあり続けた。

 何年も何百年も私はそうして考え続けて、やっと口から出せた言葉は、どうしようもなく月並みで、でも、確かに私が彼女に届けたいと思い続けてきた言葉だった。


「会いたいって、今も思ってるからね」


 花の壁の向こうからは、ただ、さらさらと水の流れる音だけが聞こえている。

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