クリスマスの予定はボドゲを遊ぶだけのはずでした

くれは

今日の俺は勝っている

かどくんて二十四日空いてる?」


 年末の授業も最終日目前、年内最後のボドゲ部(仮)カッコカリの活動をした帰り道、大須だいすさんが突然そんなことを言い出した。


「え、二十四……?」


 質問の意図が掴めなくて、隣を歩く大須さんを見下ろした。大須さんは真っ直ぐに前を向いて、唇は引き結ばれて、どちらかと言えば不機嫌そう──いや、何か怒ってるように見える。


「空いてる?」


 大須さんが表情と同じ、不機嫌さをにじませた声でもう一度俺に問いかけてくる。俺はわけがわからないまま慌てて口を開く。


「いや、その日は……バイト入れちゃってて」


 そう、バイトだ。二十四日は休みたい人が多いから、シフトを入れるととても有り難がられる。こういうのは結果的に得点行動だと思ってバイトを入れていたけど──いや、だって、まさかこんなことになるなんて思ってもいなかったから。

 これ予定が空いてたらどうなってたんだろう、一体どういう流れなんだ、と混乱しながら大須さんの様子を伺う。


「じゃあ、二十五日は?」


 大須さんはやっぱりどこか不機嫌そうで、俺の方を見ようとしない。

 ひょっとして、これは俺のプレイミスプレミだろうか。クリスマスの流れだった? 予定空けておかないといけなかった? もしかして俺から声かけないといけなかった? このプレミ取り戻せるやつ?

 急激な展開に頭がついていかなくて、俺はもう聞かれたことにそのまま答えるしかできなくなっていた。


「二十五は……昼過ぎまでバイトで、その後なら……」

「わかった、ありがと」


 大須さんは大きな溜息を挟んでから、言葉を続けた。


「兄さんに伝えておく」


 ああ、いか・・さん絡みか、と思って一気に冷静になれた。


「いかさんに言われて俺の予定を確認したってこと?」

「自分でやってって言ったんだけど、ついでだろって言われて。連絡先知ってるんだよね? なんで自分で聞かないかな」


 そう言って、大須さんは唇を尖らせた。

 ボドゲ会でお世話になっているいかさんは、俺にとっては良い人だし良いボドゲ仲間なんだけど、どうにも実の兄妹だとそういうものでもないらしい。いかさんは大須さんに対して容赦がないし、大須さんはいかさんに対して冷たい態度を取りがちだ。

 それでこんなことを頼まれて、だから不機嫌だったのか、とその理由が知れてほっとする。それと同時にさっきまでの自分の混乱を思い出して恥ずかしくなる。

 表情に出てないと良いなと思いながらマフラーを引っ張って口元を覆って、今度はいかさんの思考を想像する。まあ多分ボドゲ関連の何かだとは思うんだけど、なんでこんなまどろっこしいことするかな、大須さんが言う通りに直接聞いてくれたら良いのに。それに今回のこれはかなり心臓に悪かった。

 大須さんの溜息につられたように、俺も溜息をつく。


「まあ、いかさんから連絡が来たら意図もわかるかな」

「角くんからも、もうわたしを巻き込まないでって言ってくれる?」


 まだちょっと不機嫌そうな大須さんに言われて、それについては概ね同意できたので、頷いておいた。




 その後いかさんから連絡は来たけど、なんでわざわざ大須さんを経由したかの理由は知れないまま、俺は二十五日にいかさんとボドゲを遊ぶことになった。いかさんの家──それはつまり大須さんの家でもあるんだけど、そこにお邪魔することになる。

 後からこれを言うと言い訳みたいだけど、俺はいかさんに確かにそう聞いていた。メッセージのやりとりだって残っているから、嘘じゃないし幻でもない。

 とにかく俺はそのつもりで、前日はバイトの後に林檎とホットケーキミックスでタルトタタン風のケーキを焼いて、冷蔵庫に入れておいた。

 クリスマスに会うのだから何も渡さないのも不自然だろうと言い訳をして、でもあんまり大袈裟なものを渡すのも違うだろうと悩みに悩んで、小さな赤いガラスのリンゴが飾られたチャームを買ってプレゼント用に綺麗に包んでもらってもいた。

 それらを持っていかさんの家──つまりは大須さんの家を訪れたら、玄関には大須さんが現れて「兄さんから聞いてる」と俺をいかさんの部屋に通してくれた。いかさんはいなくて、どういう状況だと思ったら、当の本人からメッセージが届いた。

 部屋の入り口に突っ立ったまま、そのメッセージを確認する。


 ──ごめん、会場ここです。来る前に俺の部屋からボドゲ持ってきてもらえますか。るるには伝えてあります。


 そして、ボドゲの名前が二つ送られてくる。正しい会場の場所も。その会場は、前にもお邪魔したことがあるところで、いかさんの大学の先輩の一人暮らしの部屋だ。この人は同好の士というか、平ったく言うならボドゲをたくさん持っている。特に時間のかかるゲーム重ゲーが好きな人、だったはず。

 ともかく状況はわかったので、俺はすぐにいかさんに返信をした。


 ──わかりました

 ──ボドゲ探して、すぐに行きます


 いかさんから、すぐに返信がくる。


 ──今ちょうど重ゲー始まって

 ──時間かかるから、急がなくて良いです。

 ──ごゆっくり。


「兄さんから?」


 大須さんに声をかけられて、俺はスマホをコートのポケットにすとんと落とすと、マフラーを外して頷いた。


「場所、ここじゃないって今きた」


 俺の言葉に、大須さんは何度か瞬きをして首を傾けた。


「角くん、ボードゲームを取りにきたんだよね?」

「え、いや、結果的にはそうなんだけど。そもそもここでボドゲ遊ぶって話で」

「兄さんは前から、大学の先輩のところって言ってたけど。昨日から明日まで、クリスマスはずっとボドゲするんだって」


 話の噛み合わなさに、俺は黙って考え込んでしまう。大須さんの話だと、いかさんは最初からこの家で遊ぶ予定じゃなかったってことだ。もちろん、いかさんが俺との連絡でうっかりしてたって可能性もあるけど──でも、何かおかしい気がする。


「外寒かったよね。お茶くらい飲んでいったら? 紅茶淹れるよ」


 その声にはっと顔を上げたら、大須さんが部屋を出て行こうとしていた。


「あ、待って。これ、お土産」


 慌てて呼び止めて、手にしていたタルトタタン風ケーキが入った箱を差し出すと、大須さんは足を止めて、ケーキの箱と俺の顔とを何度か見比べた。


「兄さんへのお土産じゃないの?」


 その顔は、これが自分へのものだなんてこれっぽっちも考えていなさそうで──いつもの大須さんらしいといえばらしいけど。あまりに何も伝わっていないのもちょっと悔しい。


「林檎のケーキ。大須さんが林檎が好きだって言ってたからで、だから、大須さんに食べてもらえると嬉しい、んだけど」


 大須さんは何度も瞬きをしながら俺の表情を上目遣いに見上げてくる。警戒しながら餌を取りにきた猫のように、おずおずと両手を伸ばして、俺の手からケーキの箱を受け取った。




 俺が作ったタルトタタン風ケーキを一口分、大須さんはフォークで切り出して口に入れて幸せそうな顔をする。それを紅茶で流し込んで「美味しい」と漏れた声が聞こえて、俺は詰めていた息をほっと吐いた。

 頼まれたボドゲを探して持っていかないと、と思ってはいるのだけれど、大須さんが紅茶を淹れて持ってきてしまった。用意してもらったものに手をつけないのは良くないからと自分に言い聞かせて、こうして大須さんと並んでお茶を飲んでいる。

 湯気の立つマグカップを冷たくかじかんだ指先で包むと、じんじんと温まる。


「角くんも大変だね、兄さんの使いっ走りで」


 大須さんはそう言って、もう一口。ほろりと苦いカラメルの味を思い出して、俺も自分のケーキをフォークで突つく。


「別に、大変だとは思ってないけど。むしろ、こんな風にいない間に部屋に入ってボドゲ棚を見ても良いなんて、信頼されてるんだろうし」


 俺の言葉に納得がいかないのか、大須さんは不服そうに唇を尖らせた。


「角くんは、嫌なら断っても良いと思う。兄さん、割と人使い荒いから」

「嫌じゃないから大丈夫だよ。それに、いかさんが容赦ないのは大須さんに対してだけだから」


 そう、ボドゲ会のいかさんは、理不尽に頼み事をしたり無茶を言ったりする人じゃない。大須さん相手だと、やっぱり家族の距離感だからなんだろうな、と思う。

 だからもしかしたら、今日のこれだって、俺がいかさんにとって家族の距離感に近くなっているって、そういうことなのかもしれない。

 そんなことを考えて紅茶を一口飲んで、やっぱり飲み込めない違和感が残る。それにしたって、今回の頼み事はおかしい。


「大須さん、今日はいかさんに何を頼まれてたの?」

「え、角くんがボードゲームを取りにくるから家にいて部屋にあげてくれって」

「それ頼まれたのいつ?」

「いつだったかな……角くんが二十五日の午後なら空いてるって伝えて、その後くらいだったと思うけど」

「それをすぐに引き受けた?」

「まあ、特に予定もなかったし」


 そう、そもそもが最初から違和感だらけだった。わざわざ大須さんを経由して聞かれた日程。会場の伝え間違え。遊ぶボドゲには困らないと思うのに、頼まれたボドゲの運搬。ずっと前から決まっていた大須さんの今日の予定。

 会話中に突然黙り込んで長考を始めてしまった俺を見て、大須さんは不思議そうに首を傾けていた。けどすぐに、ケーキを一口含んで他の全部がどうでも良くなるくらい幸せそうな顔でふふっと笑った。

 その表情を見て、頭の中で全部が噛み合ってしまった。要するに、今のこの光景は、その違和感が積み上がった結果だ。

 俺はまんまと手土産にケーキなんか持って、プレゼントまで用意して、のこのことここまでやってきてしまった。最初から会場がここじゃないと思っていたら、ケーキなんか焼かなかったと思う。プレゼントだって、大須さんに予定を聞かれたせいで思い付いたもので、会うことになると知ってたから買ったもので。もし当日に「ボドゲを持ってきてくれ」って突然頼まれていたらこうはなっていなかった。

 つまりは、そういうことなんだと思う。

 それでもやっぱり意図はわからなくて、困惑は収まらない。俺のこの行動がいかさんにとって何か利のあるものなんだろうか。じゃなければ、からかわれてるのか、面白がられてるのか、それとも──どれだけ考えても答えはわかりそうになかった。

 意図はわからなくても勝利点がそこにぶら下がっているのも事実で、誘導されている気がして悔しくはあるけど、だからといってここまできて投了するのはあまりに悪手すぎる。

 結局俺は長考の果てに、その誘導に乗っかり続けることを選んだ。それに、せっかく用意したプレゼント、渡したいし。


「大須さん」


 俺の声に、大須さんはフォークを手にしたまま首を傾けた。俺はリュックから綺麗にラッピングされたそれを出して──手のひらに乗せてしまえる小さな包みの、小さなリボンの端をちょっと引っ張って形を整えてから、大須さんに差し出した。


「クリスマスに、手ぶらで来るのもどうかと思って」

「え、でも」

「あの、ほんとたいしたものじゃないし、高価たかいものでもないし」

「わたし、何も用意してないから」

「気にしないで。あの、本当に……クリスマスだから、と思っただけで」


 大須さんはしばらく、差し出された餌を注意深く観察する猫の顔をしていたけど、最後には受け取ってくれた。


「角くんにはもらってばっかりなのに……わたし何も考えてなくて。ごめん。今度何かお礼するから」

「ほんと気にしないで。みんな勝手にしたことだから」


 包みを開けた大須さんが中のチャームを見て「可愛い」と漏らした声を聞いて、その表情を見て、今日はもうこれで勝ちだな、と思ったのだった。




 紅茶を飲み終えて、頼まれていたボドゲを探し出して、コートを着てマフラーを巻いて、大須さんに見送られて、大須さんの家を出る。本当の会場に向かいながら、いかさんにメッセージを送信する。


 ──人をボドゲの駒みたいに動かさないでください


 返事は割とすぐに送られてきた。


 ──駒だとは思ってないですよ。あえて言うなら議論系だと思いますね。


 意味は多分伝わったんだと思う。伝わった上でこの返答だ、きっと。

 いかさんが、正体隠匿系の議論ゲームで敵に回った時の口振りを思い出す。立ち回りがまるっきり、そのまんまじゃないか。

 なんて返そうかと迷っている間に、さらにメッセージが届く。


 ──ボドゲなくてもなんとかなるので、遅くなるようなら無理に来なくても大丈夫です。明日もやってるんで、明日でも。

 ──今日はごゆっくり。


 いかさんが意図的だというのはわかったけど、でもやっぱり意図はわからない。なんでこんな面倒なことをと吐いた溜息が白い。


 ──もう出ました

 ──ボドゲ持って向かってます


 後は返事も見ずにスマホをポケットにすとんと落とす。空気の冷たさにマフラーを巻き直して口元を隠す。

 誘導自体は不本意なものではあったけど、その結果が不本意だったわけじゃない。誘導とか意図だとかそんなの全部がどうでも良くなるくらい、今日の俺はもう勝っている。

 大須さんが言ってくれた「ありがとう」という声と表情を思い返しながら、俺はマフラーを引っ張って鼻の頭まで隠した。

 到着までに、表情が落ち着いていると良いなと思いながら。






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