最期の言葉

きと

最期の言葉

 これまで私に関わってくれた全ての人へ


 この手紙を読んでいるということは、私はもう死んでいるということでしょう。

 ……映画や漫画まんがでよく見る文言もんごんだったので真似まねてみましたが、少し恥ずかしいですね。

 さて、この手紙はいわゆる遺書というものになります。

 お世話になった皆様には、まずは感謝を。

 私の家族へ。いつも楽しい時間とたくさんの幸せをくれましたね。これから先、私はいなくなりますが、強い心を持ったみんななら、大丈夫でしょう。お葬式そうしきの時には、泣き過ぎないように。子供たちは、お母さんの言うことをちゃんと聞くんだよ。妻へ。一人にさせてごめん。でも、いつまでも愛しています。ありがとう。

 職場の皆様へ。いつも楽しく働かせていただきました。プロジェクトを中途半端な時期に抜けてしまうことになるのは、心苦しいです。私のデスクの机の中に、計画書もあるのでそれをもとに進めていただければと思います。大変なこともありましたが、定年までここに居たいな、と思える素敵な職場でした。ありがとうございました。

 私の友人たちへ。いつもこんな私によくしてくれてましたね。小学生の頃からの付き合いの人も社会人の頃からの付き合いの人も、付き合いの長さなど関係なく深い楽しい時間を一緒に過ごすことができました。時には、私のことを思い出して、お酒でも飲んでください。ありがとう。


 さて、これを読んでいる人が一番気にしていることをそろそろ書こうかと思います。

 私が、自殺した理由についてです。

 正直なところ、私が自殺した理由は、特にないのです。

 しいいて理由を挙げるとすれば、なんとなく「もう死んでもいいかな」と思ったからでしょう。

 特にいじめられていたとか、心の悩みを抱えていたとか、そういうことはありません。

 本当に理由を隠しているとかではなく、なんとなく「もういいか」と思ってしまったのです。

 なんとなく流していた音楽を止めるように。

 目的の番組を見終わって、ただ付けていたテレビを消すように。

 生きるということに対して、「ああ、もういいかな」と思ったのです。

 このもういいかなという想いは、ずっと前から抱えていました。

 今までが幸せではなかったというわけでもありません。

 私は、はたから見れば幸せと言える人物に見えるでしょうし、私自身も幸せでした。

 でも、心の中では、何か満たされない気持ちを抱えていました。

 受験に成功した時も

 結婚した時も。

 子供が生まれた時も。

 なんといえばいいのか、言葉が正しいのか分かりませんが、「だからなんだ?」という気持ちがありました。

 心の中にぽっかりと穴が開いているかのように、いくら幸せを感じていたとしても、私が満たされることはありませんでした。

 この先も、この感情と向き合うこと。

 もしかしたら、そのことにただ疲れてしまっただけかもしれません。

 でも、それでは説明がつかない気もします。

 説明しろ、と言われると、この想いは難しいものです。

 とにかく惰性だせいで続けてきたものを「もういいか」となんとなく辞めることと同じように、生きることを止めただけとしか、言いようがありません。


 ……納得できないと思う方かたくさんいるのは、重々じゅうじゅう承知です。

 ですが、これが私が自ら命を絶った理由になります。

 最後に、皆さんにお願いがあります。

 身勝手だと思われるでしょうが、どうかお聞きください。

 どうか、どうか、自殺などしないでください。

 幸せを幸せと感じる心を無くさないでください。

 どちらも私には、できませんでした。

 ですが、あなたが今感じている気持ちを誰かにさせたくないなら、必ず必要になると思います。

 私に対して言いたいことはたくさんあると思います。

 それは、皆さんがこの後いずれあの世に来た時に私に直接ぶつけて欲しいです。


 最後に、これまで私に関わってくれた全ての人へ。

 ごめんなさい。そして、ありがとうございました。

 これが、私の最期の言葉です。

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