第27話 勝負の時

 サイン会の日からも、俺と藤谷ふじたにさんは毎晩のように新作の企画について話した。それまでと比べて、メッセージだけでなく通話で話せる日の割合も増え、その時間も日に日に長くなってきたような気がした。

 彼女の中で俺への思いが強まったのだろうか――なんて、身の程知らずな妄想を勝手に膨らませると後が辛いだろうから、あくまで新作案を纏めるために必要だからそうしているんだろうと思っておくことにする。……いや、そうは言っても、彼女の声を聴ける時間が長くなって、俺の方は舞い上がるような気持ちには違いないんだけど。


「アンチの人はあんなこと言ってたけどさ……俺はナナセ先生の作品、命が軽いとは思わないよ」


 ある夜、俺が通話でそう言うと、彼女は一言一言を噛みしめるような声で、「生きることにも、死ぬことにも、一つ一つに意味があるから」と答えてきた。それはきっと彼女の実体験からの言葉であり、創作においても大事にしたいことなんだろうと思う。

 だから俺は、そんな彼女が魂を懸けるに値しそうなコンセプトとして、こんなことを提案してみた。


「安易かもしれないけど、バトルロイヤルものってどうかな」

『バトルロイヤル?』

「そう。と言っても、軽々しく人が死んでいくデスゲーム系じゃなくて、もっとキミの文才を活かせる重厚なやつ。一人一人が救いたい誰かの命を背負って戦うとか、主人公が命と命の二者択一を迫られるとかさ」

『……』


 あれ、イマイチだったかな、と思って、続けざまに「それか、不死の存在と人間が心を通わせる話とか」と第二案を出すと、彼女は「うーん」と優しく唸って。


『その二つだったら前者かな。……ありがと、私のために真剣に考えてくれて。やっぱり尾上おがみくんと話せてよかった』


 と、普段と違うしっとりした声で、俺の身には余る感謝を述べてきたのだった。


「そんな、俺なんか大したこと――」

『大したことあるよ。尾上くんとお話してるとね、自分の世界がどんどん広がっていく感じなの。重めのバトルロイヤルかー……その路線でもっと詰めてみよ?』


 こうして、虹星ななせ彩波いろはの新作案は、この着想をもとに練り上げていくことになった。ワナビ崩れの自分が、曲がりなりにも彼女の創作に貢献できている現実が嬉しかった。



 もう一つ、サイン会の日を境に変わったこととして、学校の廊下や教室でも、彼女は少しだけ大っぴらに俺と言葉を交わすようになった。それまでは俺が色々言われるからと思ってセーブしてくれていたらしいが、なんだかんだで陽キャ達にも「公認」されてしまったので、もう大丈夫だと思ったとか何とか。

 陰キャ仲間の稲本いなもとなんかは目を丸くして、「尾上、マジであの作戦決行したの」なんて聞いてくるし、陽キャ達の俺を見る目もなんだか変わったような気がするし。

 ……それでも、昨日のテレビがどうとか、他の作家の新刊がどうとか、人前では当たり障りのない会話しかしないので、まさか彼女と俺が毎晩ラインで話しているなんてクラスの誰も思っていないだろう。


「じゃあ、尾上くんもまた明日ねー」


 放課後、他の皆に対してと同じように、俺にも笑顔で手を振ってくる彼女だが――そのあと、彼女が人目を迂回して部室棟に来るのを俺は知っていたりして、彼女も去り際にこっそり流し目を向けてきたりして。

 そんな、隠し事を楽しんでいるような彼女の表情が、これまた反則級に可愛くて、俺は緩んだ口元をマスクで隠せる時代で本当によかったと思った。



***



 そして、サイン会から一週間と少しが経った金曜日。

 昼休みが半分ほど過ぎた頃、俺のスマホに突如届いたのは、美少女作家からの呼び出しのメッセージ。もはや網膜に焼き付いた「Nanase」の自撮りアイコンの横に、「隠れ家にて待つ」という謎に時代じみた文面が踊っている。

 教室で稲本とのダブルボッチ飯を終えたばかりだった俺は、彼への断りも早々に、取るもの取りあえずその場所へと向かった。

 少し前まで俺とチカしか知らなかったはずの階段上のスペースには、藤谷さんがスマホを片手に腰掛け、スカートから伸びる細い足を待合室の子供のようにぷらぷらとさせていた。


「来たか、佐助さすけ。よくあの暗号がわかったのう」


 俺と顔を合わせるやいなや、謎の殿様語で言ってくる彼女だったが、笑顔、仕草、声の可愛さと口調が全然合っていない。


「いや、ここをボッチの隠れ家って名付けたのは俺だし……」


 ひとまず小声で突っ込みを入れつつ、俺は可能な限りの距離を空けて彼女の隣に腰を下ろした。空間に立ち込めるシトラスの香りは、何度体験してもやっぱりドキドキする。


「水くさいのう、もっとちこう寄れよー」


 そう言ってずいっと距離を詰めてこようとする彼女を、俺は両手を突き出して触れずに押しとどめ、マスクの中ではぁっと息を吐いてから尋ねた。


「それで、おやかた様のご用向きは?」

「うん、実は、さっき菊池きくちさんから連絡があってねー」


 ハシゴを外すようにさらっと現代語に戻って、彼女が機嫌よく告げたのは、あの誠実そうな担当編集の名前だった。


「今日の夕方が空いたからって、急遽、打ち合わせの時間取ってくれることになったの」

「……ってことは」


 彼女の新作企画はもう、いつでも編集者に見せられる段階まで仕上がっている。次の菊池氏との打ち合わせの時が、いよいよ彼にそれをぶつける勝負の場になることは、俺も既に聞いてわかっていた。


「うん。勝負してくるね」


 こくりと頷いた彼女の瞳には、いつもながら緊張の色は全く感じられない。それどころか、思いもよらず早くにその機会を得られたことを、心から嬉しがっているように見えた。


「頑張って。あの企画なら通るって」


 彼女と対照的に、緊張に飲まれきった意識でその言葉を口にしながら、あれっ、と俺は思った。……その予定を伝えるためだけに、わざわざ時間を割いてくれたんだろうか?


「ありがとっ。……このことは、ちゃんと目を見て伝えたかったから」


 聞く前から俺の疑問に答え、彼女は言葉通りに俺の目をじっと見つめてくる。バクバクと鳴るこの胸を、俺が彼女の前で押さえるのはもう何度目になるだろうか。


「私も、この企画ならきっと通せる自信あるの。尾上くんがこんなに助けてくれたんだもん」

「……俺は、口しか出してないけど」


 乾いた喉を生唾で湿らせて言葉を絞り出すと、彼女はふふっと笑って、両手で自分自身を抱き締める仕草とともに、


「これが片付いたら、手も出しちゃう?」


 と、とんでもない冗談を流し目で飛ばしてきた。


「いやっ、まさか……!」


 思わず声を上げそうになったのを必死に抑え、俺はちぎれるような勢いで首を横に振る。その狼狽うろたえぶりがツボに入ったのか、彼女はマスクの上から口元を押さえて笑っていた。

 ややあって、美少女作家は再び俺と目を合わせ、弾む声で告げてくる。


「二冊目が出せたら、あとがきに尾上くんへの謝辞も書くからねっ」

「いやいや、そんな、恐れ多いって……」


 俺なんか、彼女に求められるがままに、思いついたことを口にしていただけなのに。

 ――でも。


「……でも、さ」


 俺が思わず呟いたのは、彼女と一緒に考えてきた企画が、いよいよ作品になるかもしれないのか、と今さらの実感が湧いてきたからだった。


「正直、ワクワクはするよな。なんていうか、微力ながらさ、俺もキミと一緒に戦ってるみたいで」

「でしょっ?」


 満面の笑みで俺の手を取ろうとしてくる彼女の手を、寸前のところで引いてかわす。むう、と彼女がマスクの下で頬を膨らませるのが目に入った瞬間、俺は一つのことを思いついた。

 ……いや、でも。さすがにそれは攻めすぎか?


「どしたのー?」


 手を避けられたことよりも、俺の逡巡する表情が気になったのか、彼女がすかさず顔を覗き込んで訊いてくる。

 ……そうか、この思いつきは彼女の想定外なんだ。だったら……。


「……あの、さ」


 先日チカに言われたばかりの、緊張を抑える手のひらのツボを自分で押しながら、俺は意を決して口を開いた。

 そうだ、これまで彼女に誘われてばかりなんだから、一度くらい。一度くらい、こっちから勇気を出して言ってみるべきじゃないか。


「それ、俺も一緒に行っていいかな」

「えっ?」


 一瞬、彼女の瞳が虚を突かれた色に染まる。しまった、ダメなやつだったか!?


「いや、その、菊池さんのとこまで付いてくって意味じゃなくて。迷惑にならないように、どっか近くで待ってるからさ。それでその……」


 言い訳なんだか何なんだか、自分でもよくわからない言葉を並べる俺の慌てた姿が、彼女の黒い瞳に映っている。


「打ち合わせの結果をさ、ちょっとでも早く……直接聞けたらいいなとか、思っちゃったりして……」


 最後はほとんど干からびたような声で言うと、彼女はぱちぱちと二度ほど瞬きしたあと、ぱっと表情を喜び一色に染めた。


「嬉しいっ! ほんとにいいの!?」


 黄色い声とともに伸びた柔らかい両手が、今度こそ俺の手を包むように握ってくる。避ける余裕なんてあるはずなかった。


「はっ、はいっ」

「じゃあ、おばさんに、今夜は尾上くんと外で食べてくるからーって言っとくねっ」

「はい!?」

「だって、菊池さんとのお話の後ってなったら、もう六時とか七時とかになっちゃうじゃん」

「いや、でも……」


 そんな、夕食の誘いなんて大それたことまで考えてたつもりは、決してないのだけど……!


「尾上くんは大丈夫?」

「まあ、それは……」

「じゃあ決まりねっ。わぁーい、なに奢ってあげよっかー」

「いや、自分で出すよ!?」


 反射的に答えながら俺は気付く。あれっ、結局また彼女のペースにハマってるじゃないか。最初に小説を送らされた時から何も変わっていない……!

 予鈴に急かされ、彼女と二人で足早に階段を下りるさなか、俺は小さく溜息をついてみせる。


「結局、キミのこと出し抜けないんだよなぁ」

「十年早いって言ってるでしょ?」


 くるっと振り返って俺を指差し、楽しそうに笑うその姿に――俺はふやけ切った頭で、こんなに幸せならもう何でもいいや、と思った。

 ……先日の菊池氏の、どこか非情な結末を知っているかのような態度のことなんて、全く思い出しもせず。

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