第26話 また支えて?
招かれざる客……と思わず呼びたくなるその人物達が現れたのは、サイン会に並ぶ人の波が一旦落ち着き、エアポケットのような
俺とチカが遠巻きに眺める前で、眼鏡にチェックシャツの若い男性と、同じく眼鏡をかけた太った男性が、二人揃ってサイン会のスペースにやって来る。ちょうど列が途切れていたので、店員さんはスムーズに一人目の男性を美少女作家の前に通した。
彼女の前に本を置くやいなや、眼鏡をくいっと持ち上げてチェックシャツの男性が発した言葉は、オタク特有の妙に甲高い響きをもって俺の耳にも微かに届いた。
「ボクら、レギオン文庫の創刊の頃から読んでるんですけど、ここ数年は露骨に質が落ちましたよね。あなたの作品も、これが大賞?って驚愕しちゃいましたよ。編集者の入れ替わりで色々と甘くなってるんですかね」
それは耳を疑うような言葉だった。聞き間違いかと思ったが、隣のチカも俺と一緒に眉をひそめていること、そして
それでも笑顔を保って何かしら答え、彼女はサインを書き始めたが、その最中にも男性のマシンガントークは止まらなかった。
「大体、現代ファンタジーの割にリアリティないですよね、今時『新人類』って。内容も別の作品の寄せ集めみたいな話だし、主人公もヒロインもどこかで見たようなキャラばっかりだし。新型ウイルスに乗っかったタイムリーさが受賞の理由ですかね? もっとオリジナリティ出していかないと、この業界では生き残れないですよ」
知ったような言葉を並べる男性の振る舞いに、俺は震える拳を握り締める。
ふと見れば、さっきまで彼女のそばに控えていたはずの編集者らしき男性は、今はこの場を離れているようだった。ヤツらはそのタイミングを待っていたのか……?
「ありがとうございます。肝に命じて頑張りますねっ」
あくまで笑みを絶やさず答える彼女の声が、俺の心をぎゅっと締め付けてくる。チカが服の袖を引いてきた。
「センパイ、我慢ですよ」
「……わかってる」
しかし、一人目の男性が「せいぜい頑張ってくださいよ」とか何とか言って彼女の前を離れた後、続いて歩み出た肥満体型の男性は、開口一番からもっと辛辣な批判を彼女に浴びせ始めた。
「あのね、この手のラノベを二千冊読んだ自分から言わせてもらえば、
美少女作家の細い眉が、ぴくっと吊り上がるのが遠目にも見えた。
「軽々しくウイルス禍に便乗するのもそうですけどね、軽い気持ちで人を死なせる創作者にロクなのは居ないんですよ。流行りの漫画にしたって、とりあえず雑に感情移入させたキャラをあっさり殺してお涙頂戴するだけの簡単なお仕事になっちゃってますよね。若い作者さんにはそういう道に行ってほしくないんだよなぁ。人生経験が足りないから、『死』ってものの価値を軽く見積もっちゃうんですよ」
そこまで聞いて、サインを書いていた手がぴたりと止まる。さらに何か言おうとした男性の言葉を遮るように、彼女は声を上げていた。
「私はっ、ちゃんと命と向き合って……!」
「うっわ、マジギレですか。もしかして図星でした?」
くくっとあざ笑う太った男性に続いて、列を離れたもう一人の男性も「ダメですよ、プロ作家さんが読者の前で怒ってちゃ」と彼女に煽りの言葉を浴びせている。
涙を飲み込む彼女の表情を見た瞬間、怒りの火花が弾けて、気付けば俺は後輩の静止を振り切って駆け出していた。チカが「せめて男女セットでっ」とか言いながら追いかけてくる。
「ちょっと、あんたら、そんな言い方ないだろ!」
衝動に突き動かされるままに叫んで、男性達と彼女の間に割って入ると、彼らは「は?」と怪訝そうな目を向けてきた。
「何あんた、虹星氏の仲間?」
「えっ、何、彼氏とか?」
考えなしに乱入してしまった気恥ずかしさが今さら襲ってくるのを気合で退け、勢いのままに俺は言った。
「彼氏じゃないけど……彼女の一番のファンだよ」
背後から「
太った男性の「ナイト気取りかよ」という発言と合わせて、周囲の客達のざわめきが耳を叩く。やってしまった、という羞恥の波がたちまち押し寄せてくる中、例のスーツ姿の男性が、店員さんと連れ立って足早に近付いてくるのが見えた。
「どうされましたか?」
誰にともなく発せられる店員さんの声に、太った男性も引き際を悟ったのか、サイン本を卓上から取り上げて。
「くくっ。せいぜいJKブランドがある内に二冊目出させてもらえたらいいですね」
そんな捨て台詞を残して、お仲間と共にその場を立ち去った――かと思いきや、彼女の前から離れてからも、聞こえよがしに二人でまだ話している。
「サイト時代は鳴かず飛ばずだったくせに、のぼせ上がっちゃってまぁ」
「お情け受賞でいい気になってんだよ。あー、俺も美少女に生まれたかったわ」
アイツらっ、と俺が激情に駆られて追いかけようとしたところで、「ダメですって!」とチカが横から口を出す。構わず駆け出そうとすると、机から乗り出した美少女の手が、ぱしっと俺の手首を掴んできた。
「藤谷さん――」
「いいの、もう」
スーツの男性や店員さん、それに集まってきた野次馬達が見ている中、彼女はそっと手を離して、涙を懸命に抑えた顔で言う。
「……さっきのは、私が未熟だったの。あんな批判くらい笑って流せなきゃ、プロ失格だよ」
「そんなこと言ったって、アイツら……」
「本当にいいの。……怒ってくれて、ありがとう」
その響きに、先日の
あの時だって、俺が無駄に声を上げなければ、嫌々ながらでも彼のレーベルとの付き合いは続いていたかもしれないわけで……。彼女はあれでよかったと言うけど、新人作家にとって得がたいチャンスが一つ失われてしまったのは事実なわけで……。
と、そこで、店員さんが「お騒がせしました」と野次馬達をとりなす中、スーツの男性が俺達のそばに歩み寄ってくる。彼女がすかさず「ごめんなさい」と彼に頭を下げるのを見て、俺も一緒になって謝りかけると、男性は穏やかな声で「いえ」と遮ってきた。
「とんでもない。私の方こそ申し訳ありません。もっとちゃんと見ていれば……」
男性の言葉は彼女と俺の両方に向けられているようだった。彼女がすかさず言葉を返す。
「あの人達、
「いや、しかし、ああいうことが無いように同行してるわけですから。いやはや、申し訳ない……」
そこで、男性は改めて俺とチカの方を見ると、「
「それで、お二人は……?」
「私の大事な人と、その後輩ちゃんです」
俺達が名乗るより早く、美少女作家がはっきりした声で告げる。
俺が「ちょっ」と声を上げようとすると、彼女はいつもの弄ぶような笑みを流し目に乗せてきた。……ウソだろ、今の今までアンチにやられて泣きそうだったんじゃないのかよ。
「いや、その、彼氏とかじゃないんですけどね……」
言い訳のように俺が述べると、菊池氏はマスク越しに破顔一笑し、優しい目で言った。
「学生作家の虹星先生には、何より学生としての本分が大事ですから。良い仲間がいるのはいいことですよ」
温かい人柄が伝わってくるようなその言葉に、俺は彼女が以前言っていた、レギオン文庫の担当編集さんはとてもいい人――という話を思い出す。
あの堀井とかいうヤツとは大違いじゃん、と思っていると、菊池氏は「どうかしましたか?」と問うてきた。
「いえ……前に会った編集者の人と大違いだったんで」
「あぁ、堀井が失礼なことを言ってしまったのも、あなたでしたか。弊社の者がご迷惑をおかけしました」
「いえっ、そんな、菊池さんが謝ることじゃ!」
俺が恐縮しきって声を上げたところで、店員さんが「あのー」と遠慮がちに割り込んでくる。喧騒の去った店内では、次のサインを待っているらしき客達が、遠巻きにこちらの様子をうかがっていた。
「あっ! ごめんなさい、すぐにっ」
美少女作家が店員さんと客達に頭を下げて着席し直す傍ら、俺とチカ、それに菊池氏は、誰からともなく少し離れた位置に移動した。
店員さんの案内でサイン会が再開する中、菊池氏が周りに聞こえない声量でそっと言ってくる。
「……虹星先生が落ち込むことがあったら、支えてあげてくださいね」
「え?」
反射的に見返すと、彼は真面目な表情を俺だけに向けて続けてきた。
「我々は所詮、先生方とは
「はぁ……」
「その距離を間違えると堀井のようにもなる……。線引きをしなければならないんです」
「まあ、それは……わかりますけど……」
よろしく頼みますよ、と、柔らかさの中にガチの真剣さを感じさせる声で述べて、最後にチカにも会釈し、彼は担当作家のそばへと戻っていく。
俺は後輩と顔を見合わせてから、少し呆然とした気持ちのまま、サイン会の続きを眺めた。その後もぽつぽつと訪れる客達に、笑顔を作って対応する彼女の姿は、先程のアンチの声などもう完全に忘れ去っているように見えた。
サイン会の時間が終わり、菊池氏が店員さん達と一緒に片付けに回る中で、その手伝いをやんわり断られた藤谷さんは、名残惜しそうに撤収の現場を見やりながら俺達の前にやって来た。
お疲れさま、と声を掛けると、彼女は「さっきはありがとう」と満面の笑みで返してくる。チカにも同じように感謝を述べてから、あんなトラブルがあったことなんてウソのように、美少女はふわっとした声で俺に尋ねた。
「菊池さんと、なんのお話してたの?」
「……キミが落ち込むことがあったら支えてくれ、って。あの人にまで買いかぶられちゃったよ」
俺が苦笑しながら答えると、彼女は数秒考え込んでから、恐らくはマスクの下で、ふっと口元を
「そうだね。私の身に何かあったら……その時は、また支えてほしいな」
「『また』?」
どういう意味だろう、と思ったところで、彼女は菊池氏に呼ばれ、「はぁい」と小走りにそちらへ向かっていった。
編集者と一緒に店の人達と何か話している彼女の姿を遠巻きに眺めていると、ふと、一つの考えが俺の脳裏をかすめた。
先程の菊池氏の言葉。あれは――ビジネスパーソンとして担当作家に非情な宣告をしなければならない運命を悟っているような、そんな響きじゃなかっただろうか。
「……センパイ」
「ん?」
俺の思考を読んででもいるかのように、後輩が横から言ってくる。
「ナナセさんのナイトになれるのは、センパイだけですよ」
恥ずかしさを感じるのも忘れて、俺は「わかってるって」と頷いた。
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