第24話 陽キャとの遭遇
結論から言うと、
なぜって、教室で俺がその話を遠巻きに聞いていたことは、彼女も認識していないはずがなく。
「
その日の放課後に部室を訪れた彼女が、俺とチカにその話を振ってこないはずがないのである。
「よかったら、二人も――」
来る?という誘いの言葉を彼女が言い切りもしない内に、チカが「ハイハイハイ、行きますっ!」と飛びつくように返事をしていた。
その勢いにびくっとした目の色を見せてから、彼女は「チカちゃんは二冊目だね」とマスク越しの笑顔で言い、俺にも視線を向けてくる。
「どしたー、
「……いや、こんな枯れ木でよければ、喜んで行かせてもらうけど。なんかさぁ」
キミに誘われない内にサプライズで突撃しようかと思ったのに、と俺が正直に吐露すると、美少女作家はくすりと笑って指先を向けてきた。
「私を出し抜こうなんて十年早いんだぞー」
「はい。おっしゃる通りです」
いつものように余裕の笑みを含んだ彼女の目には、昨夜、俺の袖を掴んできた時の切ない色は、もうどこにも見当たらない。
手玉に取られてばかりだなぁ……と俺が自分の情けなさに苦笑したところで、後輩が彼女の前に身を乗り出して言う。
「ていうか、ナナセさんっ、遂にクラスの皆さんにペンネーム明かしちゃったんですか?」
「うん? よく知ってるね」
「もう学校中に広まってますよっ、ナナセさんが
チカが告げると、彼女は僅かに目を丸くして、「あらぁ」と上品な婦人のような声を作っていた。
……それについては、正直、なんだかなぁ、と思う。
彼女の話題に群がるミーハー達の何パーセントが、その名前を事前に知っていて、作品を手に取ったことがあるというのか。……まあ、俺だって、本人と出会うまでは受賞作の存在も知らなかったんだから、人のことは言えないけど。
「おや? 何かな少年、そのつまらなそうな顔は」
目ざとく水を向けてくる藤谷さんに、チカが横から「面白くないんですよ、コイツ」と解説口調で割り込む。
「教室でただひとりナナセさんのペンネームを知ってるっていう、唯一のアドバンテージが失われちゃったもんだから。あーあ、『クラスで一番可愛いあの子の秘密を俺だけが知っている』なんて、今時のラブコメみたいな都合のいい状況はそうそう続くもんじゃありませんねー」
「ラブコメって、お前さぁ!」
俺が動転して声を上げると、問題のヒロインは後輩の横で「んー?」と優しく笑って。
「クラスで自分だけ美少女作家と夜な夜な話す仲で、自分だけ映画デートして、自分だけティータイムにご招待されて、今も自分だけ放課後の時間を共有してて、この主人公くんはまだ物足りないのかな?」
「いっ、いや……! 十分、主人公ムーブさせてもらってると思います、はい……」
彼女にイベントを数え上げられるたびに顔面が熱くなって、俺は顔をうつむけるのに必死だった。……なんだか最近、謎の敬語が板についてきたような気がするな……。
「しっかりしろですよ、センパイ。ここはむしろ、クラスの人達の前で、自分だけナナセさんと仲いいところを見せつけてやるくらいじゃないとっ」
頼れる後輩はそんなことを言って励ましてくるが、むしろ俺にとってはその陽キャ達との距離感こそが課題なのは、コイツだって知らないわけじゃあるまいに。
目の前の美少女が、朝の教室で嬉々として彼らを誘っていたのを思い返し、俺は嘆息する。
「……チカさぁ、当日
「なーに言ってんですか、ヘタレ犬が。てかムリですよ、三年生の顔なんか全員は覚えてないですし」
チカの呆れ顔と合わせるように、藤谷さんは「ほんと、尾上くんはシャイなんだから」と、ワガママな子供をあやすような目を向けてきた。
「みんな、話してみるといい人ばかりだよ?」
「それはさぁ、相手が美少女転校生だからじゃん。俺なんかキョーミも持たれてないって」
俺は経験則から事実を述べたつもりだったが、彼女は聞く耳持たずという感じで、小さく肩をすくめている。
「ねぇ、チカちゃん。小説サイト時代の尾上くんって、もっと誰にでもフレンドリーだったでしょ?」
「んーまぁ、フレンドリーっていうか、色んな作者さんに節操なく絡みまくってましたねー。自力で読者相手に勝負する力がなかったんで」
「そうかなぁ。尾上くんの作品、私は大好きだけどなー」
本筋と逸れた部分でしっかり謎のベタ褒めを炸裂させつつ、美少女は俺にまっすぐな目を向けてきた。
「ネットの中では、それだけ多くの人と仲良く交流できてたんだからさ。リアルでも同じようにしたらいいだけだよ?」
直前の「大好き」発言に心臓をバクバクさせたまま、俺は喉の奥から言葉を引っ張り出す。
「いや、それは、少なくとも物書きっていう共通点があったからだし……」
「クラスの皆とだって、同い年で同じ学校に通ってるって共通点があるでしょ?」
思いもよらない角度から正論めいた言葉を差し込まれ、はぁ、と返事にならない返事が口から漏れる。
「……やっぱ、キミって変わってるよ」
「変わってないよ。私は尾上くんに、もっと中身相応の自信を持ってほしいだけー」
「だから、大した中身じゃないんだって……」
助けを求めるようにチラリと目をやれば、後輩はどっちの肩を持てばといった感じで、俺と彼女の間で視線をウロウロさせていた。……彼女の言葉を否定もしたくないし、さりとて一緒になって俺を持ち上げたくもないんだな。
「そうそう、中身といえばさっ」
俺を動揺させてばかりの美少女作家が、ぱんっと手を叩いて話題を変える。
「新作のアイデア、また思いつく限り聴かせてよ。そろそろ会議に回す内容詰めなきゃいけないからー」
マイペースだなぁと思いながらも、びっしり字の埋まった昨日のノートを思い出して、俺は問い返した。
「やっぱ、オルフェウスの続刊じゃなく新作で行くつもり?」
「うん、だって、アイデアおばけの尾上先生が付いてたら無敵だもんっ」
少しも嫌味を感じさせない明るさで彼女が声を弾ませたとき、チカがワンテンポ遅れて「えっ!?」と驚いた声を上げていた。
「ナナセさん、オルフェウスの続きは書かないんですかっ!? だってだって、続刊行けるくらいの売上はあるでしょ!?」
「……担当さんもそう言ってくれるけど、でも、あのラストは私の中で大事にしたいからさ。ちょっと無謀だけど、新作に賭けてみるつもり」
愛読者の前でそう言い切った彼女の口調には、どっちつかずの迷いの色はもうなかった。あれから彼女自身も真剣に考えたんだろう。
新作だと会議を通すのは難しくなると担当には言われたらしいが、それでも、ケントの物語に蛇足を付けたくないというのが彼女の気持ちなんだな……。
「えー、えぇえー、まだまだ続き書けそうじゃないですかぁ……! あっでも、新作は新作で読みたいしなぁ……なんとか両方、両方出す道はないんですかっ……!?」
と、しつこく作者に取りすがる後輩の姿を横目に、俺は彼女の顔を見返し、緊張を振り切って口を開く。
「俺なんかの知恵でよければ……絞れる限り絞ってみる」
「うんっ。嬉しい!」
ぱあっと目を輝かせる彼女を前に、後輩も流石に「このザコ犬の知恵なんて」とかなんとか茶化してくる余地はないようだった。
***
それから、彼女の新作企画についてラインのメッセージや通話で話すのが、俺の新たな日課になった。彼女が放課後に時間を取れる日は、もちろん部室でチカも交えて話した。
あの『オルフェウスの楽園』を上回る作品の構想なんて、俺みたいなワナビ崩れがいくら考えたところで、そうそう出てくるものではないけど……。それでも、俺が思いつきで述べるアイデアの一つ一つに、彼女は本気で感心したような反応をくれ、いつものベタ褒め攻撃も織り交ぜて俺をドキドキさせてきた。
きっと全てが本心ではないのだろうなと思いながらも、彼女とのそんな時間が嬉しくて。受験勉強だっておろそかにはできないのに、ついつい寝ても覚めても彼女の新作案のことばかり考えてしまう。
……そんなことをしていると、サイン会のある祝日まではあっという間だった。
「うーん、やっぱり服に中身が負けてますねぇ」
「うるっさいな。お前がこれがいいって言ったんじゃん」
サイン会の行われる大型書店を目指して、新宿の雑踏を歩く俺とチカ。いくらなんでも三回連続で同じ服はまずいと思って、事前にコイツに付き合ってもらい、ハーフタートルネックのニットにサーモカーディガンとかいう秋コーデになけなしの貯金をはたいた俺なのだったが……。
「あぁ、恥ずかしっ。大体オシャレすること自体が俺のキャラじゃないんだよ」
「心配しなくても、周りはだーれもセンパイのことなんか見てませんよ」
かくいうチカ自身は、小柄な体型に似合うオーバーオールに、何と呼ぶのかも知らない小さめのジャケットをさらっと着こなして、すっかり今時のJKっぽい空気を纏っているのだからズルいものである。コイツ本当に文芸部員か?
「周りは見なくてもさぁ、あの子は見るじゃん」
「だからマトモな服着るんでしょ? わかりきったこと言ってないで、ナナセさんに気の利いた言葉を掛けるイメトレでもしててくださいよっ」
後輩に言われるがまま、俺はサイン会での美少女作家の姿を想像しながら交差点を渡る。……気の利いた言葉といっても、毎日のように話している彼女に、今さら何を……。
「あっ、ここですよ、ここ。突入ーっ」
目的の大型書店に辿り着き、後輩は小さく拳を突き上げて、微塵のためらいもなく店内に入っていく。
手のひらに高速で「人」の字を書きなぐりながら、明るく開放的なそのフロアに俺も足を踏み入れたとき、
「あれっ、尾上じゃん」
奥の方から歩いてきた数人連れの女の子達の一人が、ふいに声を掛けてきた。
瞬間、ぞくっと悪寒が走り、俺は反射的に足を止めて相手の顔を見返す。
「ほんとだ。尾上も
恐れていた事態が、ここまでダイレクトに――。
そこにあったのは、事務的な用件以外でほとんど会話したこともない、クラスの陽キャ女子達の姿だった。
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