5. いきなりの真実

第23話 逃げるわけない

『それでそれで? おばさんにクリームティーでもてなしてもらって、それからどうしたんです?』


 スマホから響くのは世話焼きな後輩の声。ニタニタと笑みを浮かべる姿が目の前に見えるようだ。

 藤谷ふじたにさんと駅で別れてから二時間ばかり。帰宅後、夕食も早々に自室に引っ込み、チカに今日の顛末をラインの通話で報告している俺である。

 ちなみに、この後輩がイギリスもののラノベで得たトリビアによれば、あの略式ティータイムはクリームティーと呼ぶらしい。スコーンに付けるクロテッドクリームの存在感がその由来なんだとか。


「そのあとは、ちょっと彼女の部屋で小説の話とかしてたんだけどさ」

『ナナセさんのお部屋訪問っ!? うっわー、ずっるー! ザコ犬のくせにっ』

「言うと思った」

『どんなお部屋でした!? やっぱりピンク一色の内装でベッドの上にぬいぐるみとか!?』

「女子の部屋のイメージって世の中にそれしかないの?」


 お前の部屋がまず全然そんなんじゃないだろ、と内心突っ込みつつ、俺は見てきたままを後輩に語った。もちろん、母親との写真立ての話なんかは伏せて、部屋の感じについてだけだけど。


『はぇー、和室ですかっ。ナナセさん、着物着てお茶とかててるの似合いそうですもんねー』

「やめろよ、想像しちゃうじゃん」

『でもベッドがないのはなー。男子的には困りどころっていうか、ご愁傷さまって感じですね』

「は? 何が?」

『だってこう、自然に隣に座ってからのー、雰囲気作って勢いでなだれ込む、とか出来ないじゃないですかっ』

「はぁあ!? 何言ってんの!? おばさん居るのに何もするわけねーじゃん!」


 自分の突っ込みで余計にリアルに光景を想像してしまい、俺はぶんぶんと首を振って妄想を頭から追い出す。チカが「それって、おばさん居なかったら――」とか何とか言ってくるのを「黙れっ」と遮って、俺はチェアに身を沈め、強引に話を切り替えた。


「つーか、お前さ。あの子に俺の前のペンネームのこと言った?」

『はぇ? アレンのことですか?』


 そう、と肯定するが早いか、「いやいやいや」と演技じみた声が耳に届いた。


『考えてもみてくださいよ。そんな厨二炸裂のダサダサネーム、私がナナセさんのお耳に入れるわけないじゃないですかっ』

「……だよなあ」


 俺が毒舌に突っ込まなかったことに調子を崩したのか、後輩は「ですよぉ」とよくわからない相槌を打ってから、「それで?」と追撃してくる。


『巨人戦記のオープニング曲をもじって紅蓮ぐれんのアロー、それをアナグラムにして自分の本名と絡めて紅狼くろうアレンとかいう、十年後に思い出したら悶絶して憤死しそうな若気の至りネームがどうかしたんですか?』

「十年も要らないな、今聞いても死にそうだし。……いや、なんか、あの子が知ってたんだよね、その名前」


 その名を呼ばれた瞬間の衝撃を思い返しながら言うと、「うっわぁ……」と本気で憐れむようなチカの声。


『黒歴史バレですか。恥っずかし……』

「まあ、それは作品送ってる時点で今さらなんだけど」

『いや、ホント、ナナセさんもクソザコナメクジの落選作を毎晩読まされるなんて苦行によく耐えましたよね』

「せめて犬にしてくれ」

『あっ、そうか、今日のティータイムってその解放記念パーティーだったんじゃ?』

「そうか、じゃねーから」


 俺が苦笑したところで、後輩はふと思いついたように言ってきた。


『ってか、センパイの作品読んだ後なんだから、タイトルで検索すればいくらでも痕跡なんて辿れるじゃないですか』

「……やっぱ、そういうことだよなぁ」

『あーあ、怖いですねー、デジタルタトゥーって。だからもっとマトモなペンネームにしろって言ったんですよ』


 そんな声に混ざって、通話越しにカチャカチャとパソコンのキーボードを叩く音。ややあって、「ほらぁ」とチカは続けた。


『いっぱい出てきますよ、アレンの作品の読了ツイート。みんなベタ褒めしててマジ草なんですけど』

「勘弁してくれよ」


 スマホの向こうのニヤニヤ笑いが脳裏をよぎって、俺は深く息をついた。

 ……まあ、あれだけ手広く作者仲間と交流していたんだから、作品の感想ツイートなんか今でも無数に残っているはずで。あの美少女作家の頭脳と行動力をもってすれば、作品のタイトルからツイートの痕跡を辿って俺のペンネームに行き着くくらいはどうってことないだろう。

 小説サイトの退会と同時にTwitterのアカウントも消してしまって、アレン自身の痛いツイートが残っていないのが、せめてもの救いか……。

 そんなことを俺が口に出して言うと、チカは心の底からという感じで「それですよ」と同意を示してきた。


『あの頃のアレンときたら、誰彼構わず推敲しますだのアドバイスしますだの。鏡を見て言えって感じですよねー』

「うるっせーな、いいじゃん、もう足洗ったんだから」

『あれっ、センパイなんでまだ生きてるんですか? 私だったら恥ずかしくて自害してますよ』

「だから、アレンは消えたじゃん。次に何か書く時は読者向けに専念するし」

『ほんとですかぁ? じゃあ早く書いてくださいよ。ナナセさんと釣り合う作家になれなんて無謀なことは言わないんで、せめてマグレで一冊くらい引っかかるようにー』

「……いつかな、いつか」


 それから、「お風呂行ってきまーす」というチカとの通話を終えて、俺はスマホをベッドに放り出し、ふうっと息を吐いた。

 チェアに背中を預けて目を閉じれば、別れ際の美少女作家の、「いなくなったらダメだよ」という切ない声が蘇る。

 ……どういう経緯で俺のペンネームを知ったのかはともかく、俺がサイトを退会したこと自体は前から言ってるわけで……。彼女のあの表情は、俺に「消えグセ」みたいなものがあると思って、それがリアルでも発動するのを恐れて……?

 と、そこで、スマホの画面がひとりでに点灯し、ラインのメッセージの受信を告げた。取り上げてみると、画面には「Nanase」の可憐な自撮りアイコンに並んで、絵文字を散りばめた彼女のメッセージ。


『今日はありがとう♪

 おばさんも喜んでたよ。

 またお招きするから、逃げないでねー』


 イタズラっぽい声が聴こえてくるようなテキストに続いて、アニメキャラのスタンプがウインクしてくる。


「……逃げるわけないじゃん」


 誰に聞かせるでもなく、そんな言葉が口をついて出た。



***



 翌日、学校では美少女作家を巡ってちょっとした動きがあった。朝のホームルームが始まる前の教室で、陽キャの女子達がきゃいきゃいと彼女を囲み、何やらスマホの画面を見せていたのだ。


「これこれ、二年の子が見つけたんだって。これって七瀬ななせちゃんじゃん?」


 テンション高く発せられるその声を自分の席から聞いて、俺はヒヤリとした。先日の外出時の写真が鍵アカで出回っていたのに続いて、また彼女のプライベートを隠し撮りしたような何かが……?

 だが、陽キャ達の楽しそうな声には、どうもそういう後ろめたさは感じられない。男子も混ざってスマホを覗き込み、彼らは口々にこんなことを言っていた。


「何これ? あっ、七瀬ちゃんの地元の新聞?」

「『最年少受賞の喜び語る』……すっげ、マジで有名人じゃん」

「わぁ、前の学校の制服もカワイイー」

「ナナセイロハ……っていうの? 作家としての名前」


 どうやら、皆が見ているのは、彼女の受賞を伝える地元紙のネット版か何からしい。

 俺が陰キャ仲間の稲本いなもとと二人、どちらからともなく示し合わせるようにして遠くから様子をうかがっていると、藤谷さんは特に困った素振りも見せず、「とうとうバレちゃったかー」と陽キャ達に向かって明るく答えていた。


「県内だけの新聞だから、見つからないと思ってたんだけどねっ。でも、このタイミングでちょうどよかった」


 もはや見慣れた、胸の前で可愛く両手を合わせる仕草。何がちょうどよかったのだろう、と思った矢先、


「今度の祝日、新宿の本屋さんでサイン会やるんだ。よかったら皆も遊びに来て?」


 彼女の口から告げられた内容に、陽キャ達はたちまち盛り上がった。


「サイン会!? すごっ、芸能人みたい」

「行く行く! どこの本屋さんであるの?」


 問われるがままに、書店名や日時を答える彼女の姿をぼうっと眺めていると、ふいに「チャンスじゃん」と稲本の声。


「え、何が?」

「ペンネームがわかったんだから、作品読んでお近付きになるチャンスじゃね?」

「いやー、俺はさ……」


 サイン会どころか手にサインをもらったこともあるし、つい昨日もティータイムに招かれていた、なんて言うわけにもいかず。


「そっちこそ、その手使わないの」


 俺が聞き返すと、彼はマスク越しに得意げな表情を浮かべて、


「俺はいいよ。実はさ、例の同じ塾の子と、今度一緒に勉強する約束したんだよね」


 と、狩りの手柄を誇るように、黒縁メガネの奥の目を輝かせて言ったのだった。


「へぇー。頑張ってんじゃん」

「おうよ。クリスマスまでには、もしかしたら……なんて思ってるから」

「浮かれすぎて受験落ちるなよ」


 わかってるって、と胸を張る級友の姿は、なぜか俺にも元気をくれるようだった。

 彼は彼で自分の物語を進めているのか。俺も俺の物語を少しは動かさないと。

 ひとまずは、そのサイン会にも、自分から顔を出してみようか――。

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