第19話 緊張のティータイム
「はいっ、こちらが私のお世話になってるお
レポーターか何かのような調子で彼女が指し示したのは、閑静な住宅街の中に建つ、緑に囲まれた洋風の邸宅だった。
「……綺麗な家だね」
「おじさんが代々のお金持ちらしいからねー。本家はもっと大きくて、おばさんも最初はビックリしたって」
「ふぅん……」
口ぶりからすると、彼女と血が繋がっているのはおばさんの方らしい。表札の名字も「黒川」で、
いずれにしても、庶民育ちの俺には縁がない世界だなぁ……と思っていると、彼女の鳴らした優雅なチャイムに続いて、静かに玄関扉の開く音。
はぁい、と柔らかな声で出迎えてくれたのは、明るい茶髪を上品にウェーブさせ、花柄の不織布マスクで口元を覆った細身の女性だった。
「よくいらしたわね、
こちらの意識を柔らかく包み込んでくるような声の雰囲気は、姪っ子と共通のようにも思える。漢字はわからないが、麗子とか礼子といった上品な字が似合いそうな人だった。
「はっはい、お邪魔します……!」
緊張に声を上ずらせながら、俺は藤谷さんに促されて玄関を上がった。
事前にチカからうるさく言われた内容を思い出し、脱いだ靴をきっちりと揃える。来客用のスリッパも高級品に見えて、俺なんかが履くのは申し訳ない気持ちすらした。
「どうぞ、洗面台使ってね」
おばさんに示されて見れば、うがい用のコップまで来客用があるらしかった。
恐縮しながらマスクを外し、手洗いとうがいを済ませる。続いて藤谷さんがうがいをする時には、空気を読んで廊下で耳を塞いだけど、普段知らない美少女の日常を垣間見ているようで心臓がバクバク鳴るのは抑えられなかった。
「どしたの、幻聴でも聴こえる?」
後ろからトントンと肩をつつかれ、びくっとして振り向くと、ノーマスクの藤谷さんの楽しそうな笑顔があった。
「……そ、そうそう、誰かが俺の頭の中をジャックしててさ」
「それはぜひジャックしたいねー。小説のアイデアいっぱい盗みたい」
「盗むほどのモノは入ってないって……」
そんなやりとりを交わしつつ、彼女に案内されるがまま、カチコチの足取りでリビングへと向かう。
明るい陽光の差し込む窓辺のテーブルには、純白のクロスが敷かれ、おばさんの手によってティーセットやスコーンの皿が並べられていた。
おばさんに「どうぞ」と促され、俺はほとんどロボットみたいな動きで、藤谷さんの隣の椅子に収まった。椅子の座り心地もふかふかで、これだけで幾らするんだろうかと考えてしまう。
「正式なスタイルだとサンドイッチやケーキもお出しするんだけど、今日は略式で勘弁してちょうだいね?」
重そうなティーポットを器用に片手で持ち、慣れた感じで紅茶を注ぎながら、おばさんが柔らかな空気で微笑みかけてくる。俺は裏返りっぱなしの声で「いえ、それだけでも勿体ないほどで……!」とか何とか言うことしかできなかった。
藤谷さんは当然ながら余裕といった感じで、おばさんと俺の様子を見て笑みを浮かべている。彼女と一緒にいるだけでも俺には一杯一杯なのに、その保護者の前で、見るからに高級そのもののティーセットに囲まれる緊張感は、とても先日の編集者との対面どころじゃなかった。調子に乗って彼女をイナカの子扱いしていたバチが当たったかな……。
「さあ、焼きたてのスコーンを召し上がれ。ジャムとクロテッドクリームをたっぷり付けてね」
「はっ、はははい」
ちょっとした罰ゲームじゃないのかと思いながら、俺はおばさんと藤谷さんを交互に見やり、恐る恐る自分の皿にスコーンを取った。赤いジャムと白いクリームは、既に一人ぶんの容器に入れられて各自の前に置かれている――この容器一つ取っても高いんだろうなあ。
藤谷さんがスコーンを素手でさくっと上下二つに割るのを見て、俺もその通りにすると、
「このスコーンの割れ目、『オオカミの口』って言うんだよ」
と、彼女は明るく声を弾ませた。
「へ、へぇ?」
「だから、尾上くんにピッタリだねって、おばさんと話してたの」
「そ、そうなんだ……」
緊張に飲まれきった俺の頭では、気の利いた返事なんて何も出てこない。
見よう見真似でジャムとクリームをスコーンに塗りつけ、口に運ぶ。熱さの残るそれは間違いなく美味しかったが、今の脳の容量で、自分がその味を何割理解できているのかは全くわからなかった。
「どう、お口に合うかしら?」
「はっはい、たた大変美味しゅうございます……あっ」
自分がスコーンのかけらを皿の上にボロボロと落としてしまっていることに気付いて、たちまち恥ずかしさの波が押し寄せてくるが、
「気にしない、気にしない。スコーンはどんな紳士が食べてもそうなるものだから」
おばさんは柔らかな声のまま、さらっとそう言ってくれた。
「そそ、そうなんですか」
「そうよー。だから、ティータイムのマナーとしては、自分のお皿の上はどんなに汚しちゃってもオーケー」
「……べ、勉強になります……」
とはいえ、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしいわけで。
続いて、これまた二人の見よう見真似で紅茶にミルクを注ぎ、おっかなびっくりカップを口に運ぶ。やっぱり、ただ温かくて美味しいということを認識するので精一杯だった。
「尾上くんは、七瀬とは前からネットで仲良くしてくれてたとか?」
カップを置いたタイミングでおばさんに尋ねられ、俺は「いえっ」と反射的に声を裏返らせた。……当たり前なんだけど、彼女の名前が呼び捨てにされているのを聞くと、自分が呼んでいるわけでもないのに無駄にドキっとするな……。
「かの……ナナセさんが転校してきてからの、えー、付き合いです、はい」
三人称の意味で「彼女」と言いかけて、それも恥ずかしかったのでナナセ呼びに切り替えた。これならまあ、俺の中ではペンネームの名字を呼んでいるだけだし……。
藤谷さんはニコニコ笑いながら優雅にカップに口をつけている。……なんだよもう、俺一人にこんな思いをさせて……。
「こんな時期の転校で、学校に馴染めるか心配もあったんだけどね」
と、おばさんは優しい目で俺を見て言った。
「この子の部屋から、なんだか楽しそうな話し声がよく聴こえてくるの。てっきり出版社の方とお話してるのかなって思ったら、あなたなんですってね。いいお付き合いをさせてもらってるんだなって、私も喜んでたところなのよ」
「はっ、はぁ……。恐縮です……」
今さら本当は彼氏じゃないなんて言えず、俺がただただ縮こまっていると、
「尾上くんは、七瀬のどこを好きになってくれたの?」
「はいっ!?」
おばさんの口からさりげなく発せられたのは核爆発級の質問。藤谷さんがたまにやる攻撃と似ているが、さすがに威力が段違いだった。
慌てて本人を見れば、演技なのか何なのか、頬を
「あー、あの……可愛くて、優しいところですかね……」
いまや俺の脳内はクロテッドクリームのように真っ白で、きっと顔はジャムのように真っ赤に違いなかった――ほら、混乱しすぎて全然上手いこと言えてないじゃないか。
「それだけー? もうちょっと語彙のレベル上げてほしいな」
と横から言ってくるのは、誰あろう俺をこの状況に連れ込んだ美少女作家本人である。俺は口元を覆って「えぇぇ……」と唸りながら、
「その……清楚にして純真可憐な佇まいに反して……俺なんかにも友好的な態度で接してくれるところですとか……。作家業にも真剣に向き合ってて、小説の話となると目を輝かせるところですとか……」
自分は一体何を言わされているんだ、と思いながら発言を繋いでいると、おばさんがクスクスと笑って「もういいわよ」とストップをかけてくれた。
「尾上くんは本当にこの子を大事にしてくれてるのね。よかったわ」
「ま、まぁ……」
さっきから顔が熱くなりすぎて、もう手で扇ぐのも限界だった。
おばさんは本気で嬉しそうにしているし、藤谷さんは恥ずかしそうな表情を繕いながらいつもの弄びモードの目をしているし……。俺にこんな思いをさせるために連れてきたんだとしたら、小悪魔にも程があるんじゃないの?
おばさんが紅茶のおかわりを注いでくれたので、それをゆっくり飲み干して緊張を鎮めていると、ふいに美少女の一言。
「ねえ、せっかくだから、私の部屋も見てく? 小説のお話もしたいしー」
「へっ!? はっ、はい」
完全にペースを握られた俺には、判断力も決定権もないに等しかった。
おばさんもおばさんで、特にその提案を咎めるでもなく、カップを手にゆったりと微笑を浮かべている。
「ヘンなことしちゃだめよー、まだ高校生なんだから」
「ししし、しませんよっ!」
俺が声を上げると、おばさんは藤谷さんがいつもするようにクスリと笑って、
「五分に一回、様子見に行きますからねー」
と、冗談か何かわからないことを言ってくるのだった。
「なぁにそれ。そっちが束縛系の彼氏みたいじゃない」
藤谷さんは笑いながら言って、音もなくソーサーにカップを置き、「ご馳走さまでした」と行儀よく挨拶している。
自分の皿の上をできる限り片付けて、俺も同じ言葉を繰り返すと、彼女は早速とばかりに言ってきた。
「じゃあ、行きましょ? 美少女作家のお部屋公開タイムだよー」
ふふっと笑う彼女に、俺は何も言えず頷くしかなかった。
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