第20話 告白しないの?

 緊張のティータイムをなんとか乗り切ったのも束の間、降って湧いた次のクエスト。まあ、藤谷ふじたにさんの居候先に招かれるとなった時点で、そういう可能性を少しも想定していなかったと言えばウソになるけど……。


「『散らかってるけど』なんて言わないよー。ちゃんと片付けておいたからっ」


 マスクの下で楽しげに声を弾ませて、彼女は一階の奥に位置するその部屋の引き戸をからりと開ける。いざなわれるがまま覗き込んだその部屋は、意外にも畳張りの和室だった。


「ホラ、入って入って?」

「お、お邪魔します……」


 靴下に穴とか空いてないよなーとヒヤヒヤしながら、部屋の前にスリッパを揃え、彼女に続いてその部屋に足を踏み入れる。扉の開いた瞬間から感じていた真新しい畳の匂いの中に、彼女の甘い香りが交ざっているようで、緊張でクラッとなる意識を俺は必死に引きとどめた。


尾上おがみくん、なーんか拍子抜けって顔してる」

「へ?」

「まあ、元は持て余してた和室だからねー」


 そう、そうなのだ。よく、ラブコメなんかだと、初めて訪れた女子の部屋の衝撃が印象的に描かれていたりするけど……。

 結論から言うと、彼女の居室の印象は、まあ、そこまででもなく。だからこそ俺は正気を失わずにいられたのかもしれない。


「ピンク一色の内装とか、ぬいぐるみの置かれたベッドとか期待してた?」

「い、いや……。でも……和室は意外だったかも」


 一周遅れくらいのコメントを今さら口に出しながら、俺は控えめに視線を巡らせる。

 壁際の鏡台の横には、広めの文机ふづくえに、クッションの柔らかそうな座椅子。机上にはノートパソコンや教科書の他、もはや見慣れた『オルフェウスの楽園』の新品が何冊も積んであった。あれがウワサに聞く著者献本ってやつか……。

 就寝の場所が見当たらないけど、布団は押入れの中だろうか。いやいや、俺は何を考えて――。

 と、一人で首を横に振っていると、ふいに彼女は俺のすぐ前に立ち、すいっと顔を覗き込んできた。


「実家の部屋はもっと私の世界だから、いつかそっちにも来てほしいなっ」

「へ、へぇえっ!?」


 リビングまで響きそうな声が思わず出てしまい、俺は慌ててマスクの上から口元を押さえた。藤谷さんは余裕の調子でくすっと笑って、鏡台のフチに貼られた写真を手で示す。


「ホラ、これ。実家の私の部屋だよー」


 言われて目をやれば、確かにファンシーな内装の部屋が写っていた。この和室よりは狭いけど、そちらにはピンクのシーツのベッドもあるし、前の学校の制服らしきブレザーも壁に掛けてあるし……。

 本人に見せられたとはいえ、いけないものを覗き見てしまったような気分がして、俺は咄嗟に意識の奥底から突っ込みモードを引っ張り出した。


「……てか、なんで部屋の写真。普通は家族や友達の写真でしょ」

「んー? 大事な故郷を忘れたくないからねー」

「なら町並みとかの写真でいいんじゃ……」


 その会話によってギリギリ平常心を保っていると、からりと静かに引き戸の開く音。


「すごい声がしたけど、七瀬ななせったら、尾上くんに変なイタズラしてないでしょうね?」


 そう言いながら顔を覗かせたおばさんに、俺は否定も肯定もできず、「だだ、大丈夫です」と裏返った返事を返すことしかできなかった。


「なぁに、おばさん、ほんとに五分置きに来る気?」


 藤谷さんが苦笑するのに対して、おばさんは「いやねぇ、ちょっとしたジョークよ」と顔の前で上品に手を振った。


「若い二人の時間をおジャマはしないわよ。でも、大学に上がるまでは、そういうことはダメですからね?」

「ななな、何もしませんって!」

「ならよろしい、ごゆっくりー」


 どこか俺達を弄ぶような笑みを残して、おばさんは再び戸を閉めて廊下を戻っていった。俺はふうっと息を吐き、例によって真っ赤になっていそうな顔を手で扇ぐ。


「なかなかコメディのセンスがあるおばさんだね……」

「私とは大違いでしょ?」

「……いや、キミも割とそういうとこあるよ?」


 俺が言うと、彼女は「そう?」とどこまで本気かわからない調子で首をかしげてから、壁に立てかけてあった小振りのちゃぶ台を広げ、それを挟んで向き合う形で二人分の座布団を敷いていた。


「ほら、またおばさん入ってくるかもしれないから、マジメに小説の話してなきゃっ」


 綺麗な正座で座った彼女に手招きされ、俺は少し迷ってから、ままよ、とばかりに同じく正座で腰を下ろす。足が痺れてしまったら、その時はその時か……。

 と、そこで、大学ノートとペンを広げる彼女の肩越しに、文机の上の写真立てがふと目に入った。

 少し目をこらすと、写っているのは小さな女の子と優しそうな女性であることがわかる。おばさんとは別の人なのは確かだった。


「……あの写真って、お母さん?」


 俺が問うと、彼女はハッと顔を上げて、文机を振り返り、「……うん」と控えめに頷くだけだった。

 あれ、と俺は引っかかるものを感じる。いつもの彼女のキャラだったら、どんなに素敵な母親であるかを嬉々として語ってきそうなものなのに……。

 ……もしかして、実家の親とはあまり関係がよくないんだろうか。だから大学進学を待たずに上京を……?


「――ねぇ、レンくん」


 美少女の唐突な名前呼びが、俺の意識を強引に引き戻した。


「っ!? な、なんで名前!?」

「彼氏と彼女だからでーす」

「……だから、それはウソじゃん」


 一応そこだけ声をひそめてみるが、彼女はにこりと笑うだけだった。

 ドキドキ半分、呆れ半分で、俺は外に聞こえない声量のまま言う。


「ていうか、マジでずっとその設定で通すつもり?」

「いいじゃん、いつかホントになるかもしれないんだし」

「っ……! だ、だから、そういうことはさ、冗談で言うことじゃないって……!」


 俺が必死になればなるほど、目の前の彼女はかえって余裕の笑みになっていくようで。正直、不公平にも程があるんだけど……。


「まあ、正規の告白は、いつかちゃんと尾上くんからしてもらうとしてー」

「いや、しませんよ!?」

「しないの? ……そんなにハッキリ言い切られると、さすがの私もちょっと傷つくなー」


 露骨すぎる上目遣いに、弄ばれていると知りながらも俺は必死でフォローに回ってしまう。


「い、いや、ちがう、今のは、今はまだそういう予定はないって話で……!」

「私ってそんなに魅力ないかな?」

「いやいや、あるから! ありすぎるから!」


 ぶんぶんと手を振りながら、俺は自分があからさまな誘導尋問に掛かってしまっていることに気付く。

 もう好きにしてくれ、と諦めて肩を下げたところへ、マスク越しの笑顔。


「ふふっ、ありがと。私も大好きだよ」

「へあっ!?」

「……尾上くんの小説が」

「ちょっと、ずるいだろ、そこで倒置法は!」


 俺の叫びをくすくす笑いで受け流し、彼女は白い手の上でくるりとペンを回転させた。


「さて、レンレンをからかって遊ぶのはこれくらいにしましてー」

「キミさぁ、俺に恨みでもあるわけ?」

「まさか。ずっと感謝してるよ」


 彼女がふいに真面目なトーンになるので、俺は思わず突っ込みの言葉を飲み込んでしまう。いや、ずっとも何も、知り合ってからまだ一ヶ月も経ってないんだけど……。


「だから、尾上くんに相談したかったのは本当なんだよね。キミのアイデアの幅広さって、私にはない武器だから」


 美少女作家はマジ顔でそんなことを言ってくるが、俺なんてせいぜい器用貧乏という形容がいいとこなのは、自分が一番よく知っている。


「それも買いかぶりだって」

「買いかぶってないよ。だって私は、その作風の広さを見込んでキミに声をかけたんだもん」

「……いや、時系列がおかしいって。俺の作品の中身を見たのは、話すようになってからじゃん」


 俺が的確に突っ込むと、彼女は「そうだね」と微笑んでから、何も書かれていないノートのページにペンをぱたりと倒して言った。


「……正直言うとね。オルフェウスの続きを書くのは、あんまり気乗りしてないんだ」

「え……?」


 それは意外な一言だった。だが、彼女のくりっとした瞳には、今は冗談の色は浮かんでいない。


「……なんで?」

「だって、あのお話は、あれで綺麗に完結してるんだもん。最後、ケントが生きてるのか死んだのかは、読者の解釈にゆだねたいし……。続編を書くってなったら、少なくともそこをハッキリさせなきゃいけなくなるでしょ?」


 作者に言われて、俺は作品のラストシーンを思い返した。

 新人類でありながら人のために戦った主人公・ケントは、最後の強敵を倒した後、ヒロイン達と夢を語らいながら穏やかに目を閉じる。彼がその命を燃やし尽くして永遠の眠りに就いたのか、それとも夢を抱いて生きていく決意を新たにしたのかは、どちらとも取れるような終わり方になっていた。


「……それって、ナナセ先生の中ではどうなってるの」

「今言ったでしょー、読者の解釈にゆだねるって。だから言いませんっ」


 その時だけ可愛く声を弾ませてから、彼女はそっと白紙のノートに視線を落とした。


「こないだ、担当さんにもその話したんだ。そしたら、続刊がギリギリ行けるだけの売上は立ってるのに、出さないのはもったいないって。結構厳しめに叱られちゃった」

「……そうなんだ」


 作家とレーベルの間に働く力学を、聞きかじり程度にしか知らない俺には、なんとも口の挟みようがない。……しかし、仮にも大賞受賞作で、チカも天才と称賛するあの作品でさえ、続刊の可能性は「ギリギリ」だなんて……。

 業界の厳しさを改めて噛み締める俺の前で、彼女は続けた。


「そこまで言うなら、続刊を断念して新作の企画に切り替える方向性もないわけじゃないけど、レーベルの会議を通すのは難しくなるよ……って」

「……」


 思った以上にガチめの相談に、俺はすぐには返す言葉を見つけられなかった。

 力になりたいと言った気持ちにウソはないけど、ワナビ崩れの俺にこんな話をされても、具体的に何ができるというのか……。

 ……と、そこで、彼女が再び視線を上げ、俺をまっすぐ見てきた。


「そこで、キミの知恵をお借りしたいのだよ、尾上くん」

「俺の?」


 俺のオウム返しに、美少女作家はこくりと頷く。

 星空を映したようなその瞳には、冗談でも何でもない、真面目な光が宿っているように見えた。

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