第18話 まさかのご招待
『私のおばさん、イギリス帰りでね。おもてなしが好きな人なの』
「でも、なんで俺なんかを……」
居候先とはいえ、彼女の住まいへのまさかのご招待。嬉しさ半分、当惑半分で俺が訊くと、スマホ越しにふふっと笑う声がした。
『決まってるじゃん。
美少女の可憐な声が、昼休みにクラスの女子に告げていたフレーズを繰り返す。俺は「う……」と変な声を出しながらデスクチェアの背もたれに身を預け、「ナナセ先生さぁ」とかろうじて切り返しを試みた。
「そういう冗談、直接言ってくれるのは嬉しいけど、他の人にまで聞かせるものじゃないって」
『おや。キミは私と特別な仲だと思われたら困るのかな?』
「っ……! 俺がっていうか、周りがさぁ。実際、あの子達も反応に困ってたじゃん」
陽キャ達の歯切れ悪い声を思い出しながら、俺が嘆息するように言うと、
『ホラ。興味がないように見えて、ちゃんと人のこと見てる。やっぱり尾上くんは優しい人だよ』
と、彼女は澄んだ声で、謎の褒め殺しを発動させてくる。
「いや……。そのへん敏感なのは、捕食者から逃げるための本能っていうか……」
『尾上くんは捕食する側でしょ? オオカミだもん』
彼女のクスクス笑いに、俺も思わず苦笑が漏れた。
ちょうど空気が緩んだところで、今かな、と思って切り出してみる。
「ところで、ナナセ先生、実はさ……」
『んー? 長編が昨日で終わっちゃった話?』
ふわっとした声で先手を取られ、「は、はい」と上ずった声が出た。
「よ……よくわかるね」
『もうすぐって言ってたじゃない。それでそれで、新作はいつ読ませてくれるのかなー』
「……それは、まあ、またいつか……」
チカ相手だったら「三年後くらいには」とか適当に流すところだけど……。彼女にそんなことを言えば、卒業後も関係が続くことを期待しているみたいで、とても言い出せなかった。
『そっかー。じゃあ、かわりに尾上くんの話してよ』
まるで最初からそう言うことを決めていたかのように、彼女はさらっとそのセリフを差し込んでくる。
「俺の?」
『うん、小説を書くようになった切っ掛けとか。やっぱり昔から文章書くの好きだった?』
「……まあ、嫌いではなかったっていうか……」
気付けば彼女のペースに乗せられ、述懐を始めてしまっている俺だった。
「作文とかは結構得意だったし……。小学生の頃、なんか区のコンクールで賞もらってさ」
『それが尾上先生の初の受賞体験ってわけですねー』
「……初も何も、俺が賞と名のつくものをもらったのなんて、それと高一の時の読書感想文くらいだって。わかってて言ってんじゃん」
俺が口を尖らせると、スマホの向こうの彼女はそれが見えているかのように「いやいや」と笑みを交えて言う。
『これから色んな文学賞を総
「……藤谷さんってさぁ、もしかしなくても割とヘンな人?」
『んー? 私は至極真っ当な高校生作家だよ。レンレンの才能に気付かない人達のほうがズレてるんだよ』
「……そんな褒め殺しされても、何も出ませんって……」
嫌味とかいう次元を通り越したベタ褒めに、いつものごとく顔が熱くなる。
それから、藤谷さんに問われるがまま、俺は過去の創作遍歴をあれこれと白状させられた。最初はバトル物のラノベに影響されて自分の作品を書き始めたこと、中学の文芸部の仲間と電子書籍を出したりしてみたこと、その頃から小説投稿サイトで活動し始めたこと、商業デビューを目指すようになるまでそれほど時間はかからなかったこと……。
そうしたエピソードの全ては、結局のところ「でも一度も書籍化できずに終わった」というオチに帰結してしまうので、俺にとっては気持ちのいい話でもないのだけど。
それでも、ころころと楽しそうに声を弾ませる彼女が相手なら、つい色々と喋ってしまう自分がいた。
『尾上くんなら、サイトの作者さん達の間でも人気者だったんだろうねー』
「……いやいや、俺のどこを見てそう思うの。そりゃ、交流は手広くやってたほうだけどさ……」
何十人、何百人、もしかしたら千人を超える作者仲間と、入れ代わり立ち代わり感想のコメントを送り合っては互いを励まし合っていた日々。……それでも、俺がサイトを退会してしまった今、ネット上でさえ付き合いの残った相手なんて一人もいない。
結局、俺という作者のことを本当に好きだった人なんか、数えるほどしか居なかったんだろう。俺だって一人一人をしっかり見てたわけじゃないから、文句を言う筋合いはないけど……。
――というような意味のことを、俺が
『そんなことないよ。尾上くんはきっと、色んな人の希望になってたと思うよ』
そんな下界の話とは無縁のはずのプロ作家様は、しっとりと優しい声でそう言ってくるのだった。
「……だからさ、キミは俺のこと買いかぶりすぎなんだって」
相変わらず、どうして彼女がそこまで俺を持ち上げてくるのかはサッパリわからないけど――
それでも、長編のストックが尽きても彼女と話せる時間が続くことは、嬉しくないはずがなかった。
***
そして、約束の日曜日――。
メトロと私鉄を乗り継いで俺が降り立ったのは、東京二十三区の西寄りに位置する、いわゆる高級住宅街として知られるエリアの最寄り駅だった。
三時のティータイムへの招待なので、昼食は自宅で済ませてきている。念入りに歯磨きをして、寝癖を直し、この前と同じオシャレ服に袖を通して、靴紐も念のため結び直してきた。……二回続けて同じ服なのは恥ずかしいけど、無いものは無いんだから仕方がない。
ちなみに、今回の誘いの件をチカに話すと、生意気な後輩は「ずーるーいー!」とひとしきりわめいた後、最後は「私のためにも頑張ってください!」と親指を立ててきたのだった。
別にアイツのためってことはないけど、色々と背中を押してくれたからには、少しでもいい思い出話を持ち帰ってやらないと……。
「やっほー、尾上くん。乗り換え迷わなかった?」
明るく声を弾ませて、待ち合わせの駅北口に現れた藤谷さんは、白いニットにチェック柄のロングスカートという装いだった。ファッションのことなんて微塵もわからない俺にも、先日のナントカを殺すコーディネートとはまた異なる上品さがひと目で伝わる。
例によって「マ、マアネ」とオウムのような声しか出せない俺に、彼女はマスク越しに「来てくれてありがとっ」と反則級の笑顔を向けてきた。
ひとまず、「この前と同じ服ってどうなの?」なんて言われなかったことに安堵しながら、俺は彼女に先導されて通りを歩き出す。都心と違って、人や車はそれほど多くはなかった。
「……あのさ、昨日のカラオケってどうだったの」
気になっていたことを尋ねると、彼女は「第一声がそれー?」と、あくまで楽しそうな声色を保ったまま言う。
「尾上くん、キミは好きな作家の新作を見せられて、まず『昨日の食事って何でしたか』って聞くのかね?」
「……いや、それは、作品について何かコメントすると思うけど」
「じゃあコメントしたまえよー」
ふわっとしたニットを纏った腕を広げて、美少女作家が俺と目を合わせる。俺はハッと気付いて、熱くなる顔を扇ぎながら「あー」と声にならない声を絞り出した。
「その……大変上品で可愛らしいと思います」
「服がー? 中身がー?」
「っ……!」
ここで「両方!」とでも叫んでしまえる勇気があればよかったのに、と俺が自分を呪っていると、彼女はそれを見透かしたようにクスクスと楽しそうに笑っていた。
イチョウ並木に彩られた道を歩きながら、彼女はふいに俺の先程の質問に答えてくる。
「カラオケねー、楽しいといえば楽しかったよ。皆いい人だからねー」
「……そうなんだ」
自分でもよくわからない焦燥を覚えかけたところで、すかさず彼女の口から「でも」という一言。
「私はやっぱり、尾上くんと小説の話ができるのが一番楽しいかなっ」
「そっ……!」
そんな冗談をまた……なんて言うに言えないほど、笑みを含んだ彼女の目はまっすぐ俺に向けられていた。
「……まあ」
その瞳に操られるように、俺は思い切って口を開く。
「クラスの人らは、顔の可愛い藤谷さんしか見てないのかもしれないけど……俺はナナセ先生の内面を見てるからさ」
顔から火が出るような思いで言い切ると、彼女は「わぁ、嬉しいっ」と胸の前で手を打ち合わせた。
「やっぱりレンくんは、私の一番の理解者だねー」
「ちょっ、まっ!?」
いきなりの名前呼びに、俺が声を裏返らせると、
「んー? 一文の中に名字呼びとナナセ呼びが混在してたから、それに免じてレンレンを半分にしてあげたんだよ?」
ぴんと人差し指を立てて、いつもの弄びモードで楽しそうに彼女は笑っている。
「いや、その理屈はおかしいって! ていうか、さっきのは、クラスの連中と俺とでは見てる側面が違うっていう、そういうレトリック的なアレだから……!」
「こらー、『連中』なんて言葉使わないの。おばさんには私の彼氏ってことで話してるんだからね?」
まだ名前呼びの件での応酬が終わらない内から、それにもまさる爆弾が投げ込まれた。
「はぁあぁ!? なんで!?」
「いやー、こないだの
「ナナセ先生さぁ……それ、『つい』じゃなくて、わざとやってんでしょ……」
呆れた声を作って突っ込みを入れるくらいしか、この動揺を抑えるすべはなかった。
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