第17話 どういう関係?

 藤谷ふじたにさんの進路を知ることになった翌日の火曜日。この日も彼女はいつも通りの可愛さで、いつも通りに朝から多くのクラスメイトに囲まれていたが、俺の方ではいつもと違うことがあった。

 昨日の彼女との話で、都内の大学を志望校とすることを宿命づけられたのも、重大な変化といえば変化だけど。それ以上に俺にとって重要なのは、彼女に毎晩送っていた過去の長編のストックが、ついに昨日で尽きてしまったということ。

 彼女は昨夜もラインのメッセージで謎のベタ褒め感想をくれていたが、そのやりとりの中で、俺はとうとう「長編はこれで最後」と言い出すことができなかった。

 先日の書店で、「これからも毎日お話させてね」と言ってきた言葉にウソはないと信じたいけど……。それでもやっぱり、作品を送る日課がなくなると、彼女との繋がりが一つ切れてしまうようで。


(今夜までに話せるかな……)


 そんなことを考えながら、昼休み、「ボッチの隠れ家」と自ら名付けた階段上のスペースに、紙パックのコーヒーを片手に一人腰を下ろしている俺である。

 三年生の教室から少し離れた、屋上へ向かう折れ階段を上がった先の扉の前。漫画やラノベのように屋上が出入り自由なんてことはなく、扉は施錠されているので、わざわざこんなところを訪れる生徒はいない。

 部室棟まで行くまでもない、ちょっとした休み時間の隠れ家にはもってこいの場所なのだった……が。


「あっ、七瀬ななせちゃん、居た居た!」

「ちょっと探しちゃったよー」


 女子達のそんな声が階下から聞こえて、俺は思わずギクリと息を呑んだ。

 この廊下に人通りがあること自体珍しいのに。いや、それよりも今、「ナナセちゃん」と言ったか……?

 直後、ぱたぱたと早足に近付いてくる二人分の足音に続いて、ふふっと笑って彼女らに応答する声。


「ちょっと、校内を探検してみたくて」


 鈴のようなその声の主は、誰あろう藤谷さんに他ならなかった。


「やだ、七瀬ちゃん面白いー」

「いつでもウチらが案内したげるって。……それより、ちょっといい?」


 こっちはクラスの陽キャ女子達だろうか、聞き覚えのある声だった。

 盗み聞きはよくないよなと思いながらも、今さら姿を見せるわけにもいかず、俺は息を潜めて彼女達の言葉を聴いていることしかできない。不可抗力なのに悪いことをしているようで、心臓の鼓動が速くなるのがわかった。


「実はさー……ヨソの学校の子が、七瀬ちゃんが男子と一緒にいるとこ見たってかぎアカで言ってるんだけど……」

「これって、尾上おがみじゃない?」


 自分の名前が出たので俺は一際ドキリとした。女子の一人が藤谷さんにスマホの画面を見せているんだろうか。

 額に冷や汗が伝うのを感じた瞬間、階下からは、意外なほど明るい彼女の声が聴こえた。


「うん。ちょっと用事があったから、尾上くんにお願いして付き合ってもらってたの」

「……やっぱ、そうなんだ」

「七瀬ちゃん、尾上と……」


 女子達の声はやや戸惑っているようだった。美少女転校生が思った以上に素直に事実を認めたので、向こうも呆気にとられたんだろうか。

 俺はといえば、彼女の言葉に何かを感じる余裕もなく、ただただ動揺と申し訳なさで嫌な汗が止まらなかった。

 この広い東京で知り合いに見つかるなんて偶然があるわけない、なんてタカをくくっていたけど、まさか他校の生徒にまで彼女の存在が知られていたなんて。ちょっと、彼女の人気とSNS社会の怖さを舐めていたかもしれない。

 高校生の鍵アカで話題になるだけならまだしも、もし彼女のペンネームと俺との写真が紐付いてネットで拡散されてしまったら……。それこそ、あの堀井ほりいという編集者が言っていたように、虹星ななせ彩波いろはのブランドイメージの低下に繋がりかねないんじゃ……。


「いや、全然、詮索とかじゃないんだけどさ。ホラ、七瀬ちゃんと尾上って意外な組み合わせじゃん? どういう関係なのかなーって思って」


 一人で戦々恐々としている俺の耳に、陽キャ女子のそんな声が響いた。

 これじゃ本当に盗み聞きじゃないか、と思うが、彼女がどう答えるのか気にせずにはいられない。

 ……すると、数秒と置かず、ふわりふわりと弾む声で彼女が言い切ったのは、心臓が止まるような一言だった。


「尾上くんは大切な人だよ。貴重な創作仲間だもん」


 もとい、止まるどころか、さらに変な方向にバクンと心臓が跳ねる。

 大切な人……。第三者の前でも、彼女は俺のことをそんなふうに……。


「そうなんだ。まあ、そっち方面は、ウチらにはあんまりわかんないけどさ……」


 どこか歯切れの悪いクラスメイトの声を階下に聴きながら、バクバクと鳴り続ける左胸を俺が片手で押さえていると、


「それより、七瀬ちゃん」


 もう一人の女子が、やや強引に本題らしきものを口にした。


「ちょっと遅くなっちゃったけど、歓迎会そろそろやりたいなって。みんな楽しみにしてるからさ」

「そうそう。七瀬ちゃんとカラオケ行きたーい」


 さっきまでの戸惑いがウソのように、陽キャ達は揃って明るい声を作る。

 その話まだ生きてたんだ、と俺が思った直後には、藤谷さんも澄んだ声で「そうだねー」と応じていた。


「ごめんね、前から誘ってくれてるのに、私の都合でお待たせしちゃってて」

「全然、全然。じゃあさ、今週の土曜って空いてる?」

「えっと……うん、いいよ。その日はちょうど予定もないから」

「よかった! じゃあ皆にも伝えとくね!」


 当たり前だろうけど、藤谷さんが二人と交わす言葉には、不承不承といった響きは一切感じられなかった。

 ……やっぱり彼女も、陽キャに囲まれてカラオケに行ったら楽しいんだろうか。文句を付ける筋合いはないのに、なんだか微妙な気持ちになる。

 と、その時、


「あのさ……尾上も呼んだほうがいい感じ?」


 女子の一人がそんなことを言い出したので、俺は反射的に「は?」と声が出そうになるのを押さえるのに必死だった。

 なに? 俺を誘うとかいう選択肢、この子達の中にあるの!?


「どうだろ、来てくれるかな。声はかけてみるね」


 という藤谷さんの声に、陽キャ達は納得した様子で「おっけー」だの「また詳細はラインするね」だのと答えている。


「ありがと、よろしくねっ。……それじゃ私、探検がてら、あっちのお手洗いに寄っていくからー」


 藤谷さんが言うと、女子達は「うん」とか「よろしく」とか言って、教室のほうへ戻って行ったらしかった。コミュりょくの高い人種ほど、去り際もわきまえているんだろうか。

 あとは、ここに居たことを彼女に悟られないように、俺もコッソリ教室に戻らないと……と考えを巡らせた瞬間、


「……さて」


 階下から一人で呟く美少女の声が聞こえたかと思うと、ぱん、ぱん、と手を打つ音が続き、


佐助さすけ、おるかね?」


 この場所に届くか届かないかくらいの声で彼女がそんなことを言うので、今度こそ心臓が口から飛び出しそうになった。

 えっ、まさか、最初から俺がここに居るのをわかって……!?

 返事を待つ様子もなく、彼女の静かな足音が一段また一段と階段を上がってくる。俺は観念して腰を上げ、突っ込みモードに流れを委ねた。


「ははっ、おやかた様……とでも言えばいいやつ?」

「あっ、やっぱりそこに居た。侮れないなー、チカちゃんの情報」


 俺が上から顔を覗かせるやいなや、彼女は歩調を早め、トントンと嬉しそうに階段を上ってくるのだった。

 マスク越しにふふっと笑って、彼女は俺が今まで座っていた場所のすぐ隣に腰を下ろす。狭い空間を占める甘い匂いに緊張しながらも、俺は可能な限り距離を取って彼女の横に座り直した。


「……今のさぁ、俺がここに居なかったらメッチャ恥ずかしいやつじゃないの?」

「んー? まあ、自分の創作物を何万人もの人に読まれる恥ずかしさと比べたら、なんでもないよ」

「そういうもんですかね……」


 やっとのことで呼吸を整えている俺とは対照的に、彼女はいつも通りの余裕の調子で声を弾ませる。


「でもよかった、尾上くんがここに居てくれて。今日は放課後、また編集さんと打ち合わせに行かなきゃだからさ」

「……まさか、堀井さんじゃないよね」

「ちがうちがう、レギオン文庫の担当さんだよ。安心して?」


 横から明るい笑みを向けられ、俺は人形のように頷いてから、「あの、ゴメン」と切り出した。


「なにがー?」

「いや、盗み聞きする気はなかったんだけど、さっきの話、バッチリ聴いちゃってたからさ……」


 気まずさを隠さずに言うと、彼女はくすっと笑って、


「正直だねー、尾上くんは。それでどうする?」


 と、声をひそめて尋ねてきた。


「私、人付き合い的にはカラオケ行っとかなきゃって感じなんだけど……。尾上くんも来る?」


 優しく問う彼女の声は、どこか、俺がどう答えるのか知っているようでもあった。

 彼女の美声を聴いてみたい思いはあるけど……。それ以上に、クラスの陽キャ達の前で、アニソンか何かを歌わされる自分の姿を想像すると寒気がする。


「いや、まあ、俺はいいよ……。俺が仲良くしたいのはキミだけだからさ」


 無意識に言い切ってしまってから、その発言のあまりの恥ずかしさに気付き、俺は「いや、その」と口ごもりながら自分の顔を両手で必死に扇ぐ。彼女のクスクスと笑う声が鼓膜をくすぐった。


「ほんと正直だねー。上で誰か聞いてたらどうするの?」

「……ここより上って、屋上じゃん」

しのびが潜んでるかもしれないよ?」


 それから、「じゃあ、あの子達には不参加で伝えておくね」と言うのに続いて、彼女はふっと息を吐き、僅かに背中を丸めて俺の目を覗き込んでくる。


「でもねー。自分で思ってるほど、世界は自分を拒絶してないものだよ?」


 ふいに人生をさとすかのような彼女の発言。俺が「それは……」と言いかけたところで、陰キャの情けない言い訳を遮るように、美少女作家はさらに続けてきた。


「チカちゃんから聞いたんだけどさ。尾上くんだって、小説サイト時代は色んな人と仲良くしてたんじゃないの?」

「まあ……」


 確かに、作者同士の交流を手広くやっていたのは否定しないけど。

 ……ていうか、アイツ、俺の過去やら、この場所の存在やら、手当たり次第に彼女にバラしてるな?


「……でも、そこはさ、ネットとリアルは別じゃん」

「そうかな? 私の実体験だけどね、ネットで優しい人はリアルでも優しいものだよ」

「……へえ」


 生返事しか返せなかったのは、ネットの友人とリアルで顔を合わせる彼女の姿を想像してしまったからだった。

 ひょっとしてそれは男性だったり……。彼氏なんか居たことないと何度も言われているのに、それでも気になってしまう。

 ……と、そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、彼女は「そんなわけで、土曜日はカラオケになっちゃったわけだけどー」と口ずさむように言ってから、改めて俺の目を見てきた。


「口直し、っていうと皆には悪いけどね。尾上くんがよかったら、日曜日、また時間をくれない?」


 また、という響きに、この前の彼女との思い出がパッと脳裏に蘇る。たちまち全身の血流が熱くなり、俺はパチパチと瞬きを繰り返した。


「いいけど……今度は誰と会ったらいいの」


 緊張を飛ばすために冗談を言ったつもりだったが、彼女は意外にも、そのままにっこりと笑って、


「私のおばさん。ティータイムにご招待したいってー」


 と、思いもよらない内容を告げてきたのだった。……なんで!?

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