第13話 虹星彩波の価値
店内にはゆったりとした音楽が流れていて、客層はスーツが半分、私服が半分という感じだった。このあたりは出版社が多いらしいから、その関係の人がよく利用するんだろうか。
「……あの人」
彼女が小声で告げてくる。その視線の先、窓際のテーブル席に陣取ってタブレット型のパソコンに目を落としているのは、長髪を後ろにくくり、黒い不織布マスクで口元を隠した、私服姿の若い男性だった。
編集者と言うから、もっと歳上のビジネスマンを想像していたけど。服装も何だかチャラチャラしていて、編集者というよりバンドマンか何かじゃないかと思わせる……なんて言うと、真面目なバンドマンに失礼だろうか。
「
明るいトーンで藤谷さんが声をかけると、その男性はタブレットから顔を上げ、「おお、ナナセちゃん」と彼女の全身に視線を上下させて――
「なんや、今日はエライ可愛い格好……」
関西っぽいイントネーションでそこまで言ったところで、彼女の後ろに俺がいるのに気付いたのか、露骨に「んん?」と怪訝そうな目を向けてきた。
「ナナセちゃん、そちらは?」
「同級生の
緊張を感じさせない彼女の言葉に続いて、俺は「どうも」と軽く頭を下げる。堀井という男性は姿勢を正しもせず、じっと眉をひそめて俺を見返してくるだけだった。
「……まあ、とりあえず座ってや」
彼の声には明らかに「興を削がれた」という色が出ていたが、あくまで笑みを崩さない藤谷さんの手前、俺は居心地の悪さを押し込めてひとまず彼女の隣に腰を下ろした。
店員さんがオーダーを取りに来たので、彼女はレモンティー、俺はホットコーヒーを注文する。多分こういうお店のコーヒーって相当美味しいのだろうけど、この分だと味を楽しむどころじゃなさそうだ。
「ナナセちゃんさぁ」
案の定というか、店員さんが離れて早々、堀井氏はねっとりした声で彼女に切り出していた。
「出版のハナシすんのに、部外者さんを連れてきちゃうのはなー。もっとプロ意識持たんとあかんで?」
もちろん、彼は俺のほうには目もくれない。今の発言と態度だけで、俺の中でもハッキリ、この男性が「イヤなヤツ」フォルダに入ることが確定した。
「部外者じゃありません。彼は、私が身を置く文芸部の部長さんで……」
物怖じした様子もなく彼女は言う。いや、キミは部員じゃないんだからそれはウソじゃん、と思ったが、チラリと俺を見てくる彼女の目に「合わせて」と書いてあったので、何も言わなかった。
「……そして、私の特別な人です」
演技なのか、僅かに恥じらう素振りも交えて彼女が言い切る。俺がドキッとする間もなく、堀井氏は「特別なヒトぉ?」とオウム返しし、じろじろと俺の顔を見てきた。
「そんで、キミは何か実績あるん?」
「……いえ、何も……」
「なんや、アマチュアさんか。ほなええわ」
そう言ったきり、彼は再び俺から目をそむけ、無造作にマスクを外してコーヒーをすする。その口元には薄いあごひげが蓄えられているのが見えた。
店員さんが俺達の飲み物を持ってきたが、とても今は口をつける気にならない。
俺がワナビ崩れなのは事実だからいいけど……。「ナナセちゃん」なんて馴れ馴れしい呼び方といい、藤谷さんのことまで普通に侮っているような態度には、正直、苛立ちを抑えられなかった。
その彼女が再びチラッと俺に顔を向けてくる。その目が「ゴメンね」と言っているようで、こちらも心が痛んだ。
「ナナセちゃんさあ、自分のブランド価値ってどこにあると思ってる?」
と、椅子に置いたカバンから「禁煙飴」と書かれた袋を取り出しながら、堀井氏が藤谷さんに舐めるような視線を向ける。
「……いえ、私にはそんな、ブランド的な価値なんてまだ」
「謙遜せんといてや」
個包装を剥いて飴をひとつ口に放り込み、彼は軽く腕を組んで続けた。
「ナナセちゃんの価値は若さと性別やろ。特に現役JKって属性は最強の武器やで。まあ、それも今年限りやけど、そのアイデンティティがある内に使い倒さんとソンやん?」
思わず耳を疑うほど失礼な発言だったが、俺が口を挟むわけにもいかなかった。編集者という立場は強いのだろうし、こんな人とでも我慢して付き合わなければならないと彼女が思っているのなら……。
「なんなら、どんどん顔出しもして、読者にアピールしていかんと。このご時世、作家もアイドル売りの時代やで」
「……えぇ、まぁ」
困ったような目で苦笑する藤谷さんの姿を見ていると、俺の胸もキリキリと締め付けられるようだった。
そりゃあ、彼女が素顔を出してアピールすれば売上は伸びるかもしれないけど、そんな、作品自体には何の価値もないような言い方をしなくたっていいじゃないか。
ぎりっと奥歯を噛む俺には目もくれず、堀井氏はさらに言葉を並べる。
「で、ウチのレーベルでナナセちゃんの新作を出したとしてやで。そうやってJK作家の看板で売り出そうかって時に、異性交遊なんか発覚してみ? 釣れるはずだった客も釣れんくなるで」
そこで流石に彼女の中でも何かが切れたのか、美少女作家はキッとした目を編集者に向けて、「私はっ」と硬い声を張った。
「私は、作品の中身で勝負したいと思ってますから」
近くの席の客がチラチラとこちらを見てくる。堀井氏は飴を数秒ほど口の中で転がしていたかと思うと、「ナナセちゃんさぁ」と何度目かの馴れ馴れしい呼び方で言った。
「キミレベルの作品を書ける人なんかさぁ、プロ・アマ含めて何人おると思う?」
「……それは」
「そういうことやから、ブランドイメージの低下に繋がりかねん色恋沙汰とか、やめといた方が身のためやで。付き合うならもっと、色々勉強させてもらえる相手にしとき」
堀井氏はそこで俺を一瞥して、はん、と見下した笑いを投げてきた。
あぁ、そうか、コイツの魂胆は……。仕事にかこつけて自分がモーションをかけようとしていた美少女作家が、予想に反して男を連れてきたのが面白くなくて、こんな侮辱で意趣返ししてるってことなのか。
藤谷さんの白い手が膝の上で震えている。それを見た瞬間、黙っていられなくなって、俺は思わず口を開いていた。
「高校生が高校生と付き合って何が悪いんですか。ロリコンの大人と付き合うより健全じゃないすか」
「ロリっ……!?」
勢いに任せた俺の言葉に、堀井氏は少しむせ返ってから、ごほんと咳払いして言い返してきた。
「いやな、まだまだ駆け出しの立場やのに、真剣に創作に打ち込まんと遊び呆けるのがよくないって言うねん。レギオンの担当さんだって、知ったら止めるで」
ウソつけ、アンタこそが彼女と遊ぶ気満々だったくせに。
「彼女は遊び呆けてませんよ。放課後はマジメに書店さんに営業してますし、俺とだってほとんど小説の話しかしませんし」
それ以外の彼女の日常のことなんて知らないが、こうなればハッタリを貫くしかない。
「堀井さんの方こそ、仕事でここに来てるんじゃないんすか。そんなにヘラヘラしてていいんですか」
内心では血の気が引くほど緊張しながら、それでも勇気を振り絞って言い切ると、彼は眉間に皺を寄せ、がりがりと口の中の飴を噛み砕いてから、つまらなそうな顔で大きく息を吐いた。
「もうええわ、シラけたわ。ナナセちゃん、企画の話はまた今度にさせてや。俺もヒマじゃないねん」
えっ、と藤谷さんが顔を上げるのをもう見もせず、彼はタブレットをしまって席を立つ。大人の矜持なのか何なのか、伝票だけはしっかり取り上げていった。……いや、まあ、どうせ会社の経費なんだろうけど。
会計を済ませて足早に店を出ていくその背中を、俺が席から振り返って呆然と見ていると、ふいにジャケットの袖が横からくいくいと引っ張られた。
びくっとして顔を向けると、藤谷さんは苦笑と安堵の入り混じったような目の色で俺を見つめている。
「……とまあ、ああいう方でね。困ってたの」
ふうっと息をついて、彼女は湯気を手のひらで受けるように、自分の前のティーカップにそっと両手を添えた。
「前に契約のことで
「……大変っすね、美少女作家も」
適切なコメントが見つからないままに俺が言うと、マスクの下でくすっと笑みが漏れた。
「そうだよ。私が美少女じゃなかったらきっと声なんて掛けてこなかったよ、あの人」
「そこは謙遜しないんだ」
俺も笑って、コーヒーカップに手を伸ばす。指の先がまだ微かに震えていた。
テーブル席の片側に並んで二人という変な配置のまま、彼女と俺は示し合わせたように同時にマスクを外し、飲み物に口をつける。まだ温かさの残ったコーヒーが、少し調子を取り戻させてくれたような気がして、俺は思い切って言ってみた。
「俺は価値あると思うけどな、ナナセ先生の作品」
「えっ?」
「キミがその……美少女じゃなくても」
言いながらどんどん顔が熱くなっていくのを感じ、俺は慌ててマスクを付け直す。
彼女は赤い唇でふふっと笑って、自分の顔を指差し、「そんなのわかんないよ?」と楽しそうに声を弾ませた。
「尾上くんだって、私が美少女だって知った上で読んだんだから」
「……まあ、うん」
その笑顔の威力に俺が口ごもっていると、「でも、ありがと」と澄んだ声が降ってくる。
「私のことで怒ってくれて、嬉しかった」
「……いや、お役に立てれば……何より……」
胸の鼓動が高鳴りすぎて、せっかくのノーマスクの笑顔をまともに見ることもできずにいると、
「ねっ、まだ時間ある?」
と、ふわりと俺の意識を掴んでくる彼女の声。
「へっ!?」
「思ったより早く終わっちゃったし、ちょっとくらい遊んでいこうよ。せっかく可愛い服着て街に出てきたのに、これだけで帰っちゃうなんてもったいないもん」
童貞を殺せるコーディネートを見せびらかすように、彼女が小さく胸を張る。その反則的な可愛さと、核兵器級の誘いに、俺の意識はホワイトアウトしそうになるが――
「街に出る……って」
脳内のどこかで突っ込みモードが勝手に起動し、俺は反射的に口を開いていた。
「え?」
「いや、その言い方。なんか、藤谷さんって本当、イナカの子なんだなって思って」
コンマ数秒置いて、彼女は朱みの差した頬をぷくっと膨らませる。
「むう、バカにしてるな? じゃあ、都会育ちのレンレンくんがエスコートしてよ」
「えぇ?」
「チカちゃんに助けを求めるのはナシねー」
美少女が微笑みとともに突きつけてきたのは、嫌味な編集者との対話なんかよりもよっぽど荷が重い難題だった。
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