第12話 ナイトの使命

「――それで、つまりさ、ニセの恋人を演じて欲しいって話だったんだけど」

「なぁんだ、どうせそんなところだと思いましたよっ。ラノベによくある話ですよねー」


 藤谷ふじたにさんの電撃的な発言から三十分ばかり後。ちょっと行くところがあるからと言って早めに部室を後にした彼女と入れ替わりで、クラス委員の用事を終えて部室に来たチカと、俺は二人で顔を突き合わせている。


 美少女作家の誘いの内容は簡潔なものだった。明日の土曜日、草薙くさなぎ出版のとあるレーベルの編集者と会う約束をしてしまったが、その編集者というのがどうも二人きりでは会いたくない相手なので、彼氏役として俺にも同席してほしいというのだ。


『……自分じゃ言いづらいんだけど、その人ね、私を作家っていうより女子として見てるみたいで』


 とは、つい三十分前の藤谷さんの言。だから、ウソでも彼氏がいるのを見せて、相手がヘンなことを考える前に出鼻をくじいておきたい、というのが彼女の説明だった。

 もちろん、俺が後輩にこの話を聞かせているのは、去り際の彼女から「チカちゃんには話していいよ」と言われた上でのことだ。


「でも、ホントにそんなことあるんですねぇ。編集者が色目使ってくるとか。美少女作家もラクじゃないですねー」


 パイプ椅子にすとんと腰掛け、ここにいない彼女に同情するようにチカが嘆息する。


「いやまあ、滅多にないことだと思うって言ってたよ。実際、同じ草薙でも、レギオン文庫の担当さんはメッチャいい人らしいし」

「だったらその人に同席してもらえばよくないですか?」

「俺に言われても。ホラ、編集者って作家以上に忙しいらしいし、そんなこと頼めないんじゃないの」

「あぁ、その点、ボッチのレンレンだったらいつでもヒマしてますもんねー」

「レンレン言うな。……否定はしないけど」


 とどのつまり、俺って都合のいい相手ってことなんだろうか。

 ここは落ち込むところなのか、それでも休日に彼女と会えるだけでも身に余る光栄と思うべきなんだろうか……なんて思ったところで、「でもなー」と長机に頬杖をついたチカの声。


「どうかなー、肝心の彼氏役がこのザコ犬じゃなー。いかにも噛ませ犬って顔してますもんね」

「言い方。別にそれも否定はしないけどさあ」

「こんなのを彼氏として前に出したら、かえって相手も『コイツからならNTRねとれる』とか思っちゃうかもですよ?」

「寝取っ……お前、冗談でも言っていいことと悪いことってのがさぁ!」


 その生々しい響きに思わず声を上げてしまうと、後輩は「まぁまぁ」と片手で軽く俺をいさめて。


「でも、ナナセさんが警戒してるのは、究極そういうことでしょ?」


 マジメな顔でさらっと言ってくるので、俺はどきりとして息を呑んだ。

 俺が「まぁ……」と言葉にならない言葉で返していると、チカは俺の目を見てさらに続けてくる。


「しっかりナイトになってあげてくださいよ。それとも私が代わりに行ってあげましょうか?」

「……いや、それには及ばないけどさ」

「じゃ、せいぜい頑張ってください。いつもみたいなダサダサの私服で行っちゃダメですよ。ホラ、例のコーチジャケットにスキニーパンツなら、まあそれなりには見えますから。去年のコーデなのはバレバレですけど」


 ウイルス禍の休校で時間を持て余していた頃、コイツにあれこれ口を出されながらファッション通販サイトで服を買ってみた記憶が蘇る。あのジャケットとズボン、クローゼットのどこにあったかな……。


「……だから、オシャレっぽい格好すんの恥ずかしいんだって」

「ナナセさんに恥をかかせたいなら、どーぞ陰キャコーデで行ってください。その時は私とレンレンの仲もそれまでですけどねー」

「服一つでそこまで!?」

「髪の毛も、ワックスがムリでもせめて寝癖はゼッタイ直すこと。あと、靴紐ちゃんと結び直すんですよ。いっつもヨレヨレなんですから」


 続けざまに畳み掛けられ、今は上履きと知りつつ自分の足元を見てしまった。女子ってそんなとこまで観察してるの?


「……てか、なに、随分と激励してくれるじゃん」


 俺が目を上げて言うと、チカは「何を今さら」という目になって、


「だから、私は応援するって言ってるじゃないですか。頑張って私をナナセさんの親戚にしてください」


 と、この前も聞いた爆弾発言を投げ込んでくる。それだけで血流が速くなるのは避けられなかったが、コイツにいじり倒されるのもシャクなので、なんとか頭を突っ込みモードに切り替えて俺は言い返した。


「いや、だから、五親等の姻族いんぞくって親族じゃないじゃん」

「知りませんよ、民法の決まりなんて。レンレンのお嫁さんなら私の妹みたいなもんでしょ?」

「なんでお前が姉役なんだよ。歳下だろーが」


 そこで、チカはふうっと小さく息を吐いて、椅子を引いて立ち上がり、マスク越しにニヤニヤ笑いを浮かべながら俺に歩み寄ってきた。 


「まあ、姻族がどうとか、チェリー野郎の妄想はさておくとしてー」

「いや、その妄想、もっぱらお前発だからね?」

「マジレスするとね、脈はあると思いますよ。だって、少なくとも悪しからず思ってる相手にしか、そんなお願いしないでしょ?」


 突っ込みを流して差し込まれた女子の意見に、俺の意識はびくりと張り詰める。

 脳裏をよぎるのは、先程俺がその誘いを承諾した際の、「よかった」と安心しきったような彼女の笑顔。


「どーんと頑張ってこい、ですよ。ウソでもお互い恋人のつもりで振る舞ってれば、ひょっとしたらホントの気持ちが芽生えちゃうかもしれないですよ?」

「……あ、あぁ、うん」


 意味のある言葉が出てこなくなるほどの緊張が、今頃になって俺の全身を襲っていた。



***



 そして、もはや日課となった夜の作品送りと、藤谷さんからの感想のメッセージ、そして「明日はよろしくね♪」という胸躍るようなやりとりを経て、翌日――。

 約束の朝十時の五分前、口から心臓が飛び出しそうになる緊張と戦いながら、俺は待ち合わせの飯田橋いいだばし駅西口前に立っていた。昨年オープンしたばかりという新駅舎には、休日ということもあって多くの人の出入りがある。

 スマホのインカメラを鏡がわりに、もう何度も整えた髪とマスクの角度を念入りにチェックする。頼れる後輩に言われた通り、ただ一揃いのオシャレコーデをクローゼットから引っ張り出し、寝癖も徹底的に直して、靴紐も固く結び直してきたけど……それでも、俺が彼女の隣に立つなんてあまりに恐れ多い気がして、心の震えが止まらなかった。


 と、そこで、「私も着いたよー」とラインの通知。

 反射的に駅舎を振り返ると、そこには人の波の中でも見間違うはずのない、煌めくような美貌の藤谷さんの姿があった。向こうも俺に気付いたようで、軽く手を振りながら、足早にこちらへ向かってくる。

 女性声優の服装とかでたまに見かけるような、フリルのついた純白のブラウスに、ふわりと裾の広がったハイウェストの黒スカート。あまりにも可憐なその私服姿に、俺の思考はフリーズして、彼女がすぐ目の前までやって来てもまだ呼吸の一つもできなかった。


「おはよー、尾上おがみくんっ。……どうしたの、メデューサにでも遭遇した?」


 彼女のマスク越しのクスクス笑いとシトラス系の香りに、やっとのことで石化から戻り、俺は「オハヨウ」と裏返った声で彼女に応える。


「そんなに緊張しなくてもー。あ、私の格好、何かヘンだった?」


 自分の服装をチラチラ見下ろすような仕草をする彼女。いや、ヘンだったかもしれないと本気で思ってるんじゃないことくらい、俺にもわかるわけで……。


「……いや、ちょっと、その私服の攻撃力が高すぎて……」


 硬直しきった姿勢のまま俺が言うと、彼女はふふっと嬉しそうに笑った。


「よかったっ。ちゃんと彼氏と会う格好に見えるでしょ?」


 その場でくるっとターンしてみせた美少女作家の一言に、俺は完全に言葉を奪われて「あっはい……」としか答えることができなかった。

 彼女と並んで歩きだしてからも、その可愛らしすぎるコーディネートにチラチラと目をやらずにはいられない。道行く人達もみんな彼女を気にしているようで、俺なんかが隣にいるのは申し訳なくもなるけど。

 この服装って、何年か前にネットで流行った、いわゆるナントカを殺す服ってやつだろうか……。聞いてみたいけど、さすがにそんな言葉を彼女の耳に入れる訳にはいかないよな、と俺が思っていた矢先、


「本来、『童貞を殺す服』っていうのは、こういう服装を指して言ってたんだけどねー」


 マスクの奥の美少女の口から、俺が躊躇した単語がさらっと発せられ、俺は「へっ!?」と変な声を上げてしまった。


「あれっ、尾上くん知らない?」

「いっ、いえ、知ってますけども……」

「なんかねー、少し後になってから、露出度の高いセーターとか、全然方向性がちがう服まで『童貞を殺す服』って言われるようになっちゃって。『壁ドン』と同じく、本来の意味とズレて広まっちゃってそうな現状をねー、物書きとしては憂慮してるわけですよ」


 彼女が歩きながら軽く胸を張ると、ハイウェストの上の膨らみが強調されて、俺は慌てて目をそらした。


「は、はぁ……」


 そんな生返事を返す余裕しかなかったが、まあ、彼女の言いたいことはわかる。ムダに露出度を高めたストレートなエロスより、こういう清楚なフェティシズムの方がずっと……。

 いやいや、藤谷さんを前にして何を考えてるんだ、と俺が一人で首を横に振っていると、横から「ところでー」と彼女の甘い声が飛んできた。


「服装の他に何か気付くことはないのかね? ワトソン君」

「え?」


 問われて目をやった先で、彼女はわかりやすく自分の黒髪を指でつまんで撫ぜている。艶やかなロングヘアーが、陽の光を反射してラメでも入ったかのように輝いていた。


「あー……えっと……髪が違う?」

「どう違うでしょう」

「……ゴメン、わかんない」


 正直に申告すると、彼女はそれでもなぜか楽しそうに声を弾ませてくる。


「正解は、ちょっと美容院で髪を軽くしてもらった、でした。そういうのがひと目でわからないようじゃ、本物の彼女はできないぞー」

「……わかってるって」


 口をとがらせて答えたところで、あれ、と思い至った。

 昨日の彼女が部室を早めに後にしたのは、その美容院のため? ……今日のためにわざわざ?


「あ、あのお店だ」


 俺の思考を断ち切るように、彼女は赤信号の向こうの喫茶店を指差した。そこが例の編集者との待ち合わせ場所らしい。


「尾上くん、しっかり守ってね?」

「……ぜ、善処します」


 ニコリと上目遣いで見上げられ、俺はそう答えるのが精一杯だった。

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