第6話 緊張の通話

『さっそく全部読んだよ! 面白かった!』


 虹星ななせ彩波いろはこと藤谷ふじたにさんからのラインを見て、俺はしばし机とベッドの間に立ち尽くす。

 ……正直、美少女とのラインのドキドキ感以上に、このメッセージは俺にとってショックなものでしかなかった。

 気付かない内に風呂で三時間くらい過ごしてしまったのかと一瞬思ったが、スマホの時刻表示は何度見ても二十一時を少し回ったところ。小説をメールで送ったのは二十時過ぎくらいだったはずで……。文庫二冊分はあるあの長編を、こんな短時間でまともに読めるわけが……。


「……なに? まさかキミはそういう人なの?」


 誰に聞こえるわけでもない独り言を発して、俺はデスクチェアに腰を沈めた。

 とりあえず、既読を付けてしまった以上は何か返さなければと思い、「流石にウソでしょ」と打って送る。それ以外のリアクションなんて陰キャの俺には思いつかなかった。

 小説サイト時代にもよく居たなあ、まともにこっちの作品を読みもしないで、お返し目当てで適当にポイントを投げてくる作者達が……。まさかあの彼女がそんなことをするとも思えないけど、いくらなんでも、こんな速さで全部読めるわけないし……。

 結局、俺の小説を読みたいなんていうのは本心じゃなかったのかな……と、俺が若干の失望をも感じながら天井を仰いでいると、サイレントモードに戻し忘れたスマホからメッセージの着信音。


『ひどーい、私を信じてないの?』


 という文字に、アニメキャラの女の子が腰に手を当ててプンプンと怒るスタンプ。いや、信じてないのって言われても、信じられないことを言ってるのはキミのほうなわけで……。

 俺がスマホに指を走らせ、「だってこんな速さで読めるわけないじゃん」と打とうとしたところで、突如、ラインの画面が通話の着信を告げるものに変わり、独特の着信メロディが鳴り始めた。


「っ!?」


 慌ててスマホを取り落としそうになる。いきなりのことにバクバクと鳴る胸を押さえて、数秒ためらってから、俺は応答ボタンを押してスマホを耳に当てた。


「も、もしもし!?」

『ひっどいなー、尾上おがみくん。私はショックだぞー』


 俺の裏返った「もしもし」に被さって、ころころと鈴の音のような声がスマホ越しに聴こえてくる。ショックだと言いながらも、美少女の声はやっぱりどこか楽しそうに弾んでいるように思えた。

 声の調子を整える余裕もないまま、俺は喉の奥から必死に言葉を絞り出す。


「……だ、だってさあ、いくら藤谷さんがプロ作家でもさ」

『あっ、ひどい事その二だ。ナナセでいいって言ってるのに』

「……いやいや、呼べないって。文字ならともかく、会話だと下の名前で呼んでるみたいだろ」

『だから、それでいいって言ってるんだよ?』


 まだ直接素顔を見たこともない彼女が、通話の向こうでくすくすと微笑むのが見えるようだった。


『あのねー、尾上くん、私がキミのことからかってると思ってるでしょ?』

「いや、だって、こんな、一時間足らずで二十万字なんか読めるわけないじゃん」


 俺の正論を遮るように、ふふっと耳をくすぐるような美少女の笑いが響く。


『ちゃんと楽しませてもらってるよー、キミの作品。三人のメインキャラのそれぞれに、過去と向き合う物語があって……最初は互いを敵と思ってた三人が、戦いの中で信頼しあっていく展開、アツかったよね』

「え……」

『ヒロインの子が、ずっと自分の力を怖がってたのに、その力で仲間を助けたいって思うようになる流れも萌えたなー。主人公がずっと彼女に寄り添って、ためらいなく戦う姿を見せてたからだよね』


 立て板に水のような彼女の言葉に、俺は心臓を鷲掴みにされたような衝撃を感じて絶句していた。なんで、なんで彼女は、そんなに詳しく俺の小説の内容を……。


『あとあと、終盤で記憶を取り戻した主人公が、力に目覚めた子を助けてあげるところも――』

「ちょっと、待って待って、待って」


 すらすらと語り続ける彼女の言葉を、俺は思わず遮ってしまった。


「まさか、キミ、マジでラストまで読んだの!?」

『だからそう言ってるじゃん』

「どうやって!?」

『どうやって、って。パソコンの画面に映して、じっくりと』

「ウッソだろ……」


 どう考えても「じっくり」読めるような時間じゃないんだけど……。いや、でも、こんなに詳しい感想は、ちゃんと読んでなければ語れないわけで……。


『尾上くぅん。私に何か言うことがあるんじゃないのかな?』


 どこか俺を弄ぶような一言が、スマホ越しにまっすぐ鼓膜を叩く。


「……わかった、負けた、負けたよ。疑ったのはゴメン」


 まだどこか半信半疑の気持ちを抱えたまま、それでも俺が謝ると、彼女はふふんと笑って「よろしい」と言ってきた。


「……あのさ、一応言い訳させてほしいんだけど」

『ふむ、聴きましょう』

「だからさ、小説サイトとかだと、適当なこと言ってくるのがいっぱいいるんだよ。読みもしないで『面白かったです、よかったら自分の作品も読んでください』とかさ」

『私をそんな人達と一緒にしてるの?』


 彼女のさらっとした一言が、さくりと俺の心に突き刺さる。


「ゴメンゴメン、もうしないから」

『でも、そっかー、やっぱり小説サイトで書いてるんだ。なんてペンネーム?』


 特に機嫌を悪くしたふうもなく、彼女は明るく弾んだ声のまま尋ねてきた。


「……いや、昔はちょっとやってた時期もあったけど、もうアカウント消しちゃったんだよ」

『もったいなぁい。たくさん読者さん居たんでしょ?』

「たくさんって言えるかは……」


 小説サイト時代の苦い記憶が俺の脳裏をよぎる。当時は作者同士の交流を手広くやっていたので、ポイントは少ないわけではなかったが……それでも、本当の人気作とは文字通り桁が違ったし、まして商業作家相手に自慢できるような読者数じゃない。

 と、そこで。


『私は好きだけどなー、尾上くんの作品』


 美少女がふいに発した一言に、どきんと心臓が跳ねあがった。


「……す、好き?」

『うん、大好き』

「だっ……。どど、どこが……」

『全部、かな? スケールの壮大さも、生きてるようなキャラクターも、飾らない文章表現も、ぜーんぶ』


 いやいやいやいや……。書籍化できなかった俺の作品如きを買いかぶりすぎだって……。

 とはいえ、たとえ作品のことでも、そんなにハッキリ「大好き」なんて言われると、まともに突っ込みを返す余裕も持てない俺だった。


『だから、もっと読ませてよ。あっ、でも、今夜はもう送らないでね。あればあるだけ読んじゃうから。夜はちゃんと眠らなきゃ、睡眠不足は乙女の大敵だし』

「はぁ……まあ、そこまでお気に召してもらえたなら、また今度送るけど」

『今度じゃなくて、明日送って。でも、一日一作ね。それ以上はキャパシティが足りないのだ。こう見えて毎日忙しいからねー』

「あぁ、はい……」


 どきどきと脈動し続ける胸を押さえながら、なんとか応答していると、編集者との打ち合わせがあると言っていた彼女の姿がふと思い出された。


「……ていうか、何の打ち合わせしてたの、今日」

『おや、聞いてくれる? 聞いてくれます? 次の出版に向けてのすり合わせとか、色々だよ。思った以上にやること多いんだよねー、作家の日常って。そう思ったからわざわざ東京に出てきたんだけど、もう予想以上って感じ。書店さん回りもなるべくやりたいし、でも、せっかく転入したんだから学校もちゃんと行かなきゃだし。ねっ、彼氏なんて作ってるヒマないでしょ?』


 彼氏というワードにまた心臓がどくんと脈打つ、が。

 そんなことより、饒舌に語る彼女の言葉は、その忙しさをも楽しんでいるようで……。何かが違えば自分もその立場に居たかもしれないのに、という思いを捨てきれない俺としては、正直、胸が締め付けられる内容でもあった。

 はぁ、と、せめてもの反抗として小さく溜息をついてみると、「どうしたー?」と彼女の柔らかい声。


「いや……。いいよな、なな……藤谷さんは。この歳で夢を叶えられてさ」

『こら、日和ひよるな。ちゃんとナナセって呼べー』


 若干のシリアスモードの中でも、彼女は俺の名字呼びを見逃してはくれなかった。


「……な、ななせ先生」

『よろしい。先生は要らないけどね。……いやいや、キミにも等しく未来はあるよ、尾上くん。私なんか、ウイルスに助けられてたまたま今年デビューできただけだし』

「ウイルスに?」

『うん。だって、私もね――』


 そこまで言いかけたところで、ふいに彼女の言葉が止まった。

 それから、誰かと手短に話すような気配に続いて、再び俺に向けての声。


『ごめんね、お風呂の順番来ちゃったから、行かなきゃ。居候だから立場弱いのだよー』

「……そうなんだ。収入あるんだから一人暮らししたらいいのに」

『えー、私の印税じゃムリムリ。……じゃあ、尾上くん、積もる話はまた後日とゆーことで。また明日ねっ!』

「あ、うん、また明日……」


 バイバイ、という美少女の声が可愛らしく響く。そうか、明日からも俺はこの子と話せるんだ……なんて、ウソのような現実を噛み締めながら、俺は通話の終了したスマホをそっと下ろした。

 耳の奥に彼女の余韻がまだ残っている。時間にすれば二十分もなかったのに、まるで夜通し話していたかのような不思議な高揚感があった。


「……そうだ、本」


 その時間が名残惜しかったのか、俺は気付けば、スクールバッグに雑にしまったままだった彼女の著書を取り出していた。

 もちろん彼女の匂いなんか残ってないけど……というか、仮に残っていても、うるさい後輩がバンバン叩いたせいで抜けてしまったに違いないけど、このページを開けば、まだ彼女と話していられるような気がした。

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