盲目の恋 【ショートショート】

大枝 岳志

第1話

 今よりほんの少しだけ、先の未来。

 人類は身体の一部を機械化する事により、長年苦しまされていたあらゆる障害から解放されつつあった。


 そんな未来のとある小さな街で、目の見えない少女が白杖をついている。白杖は無線で少女の耳元のイヤホンと繋がっていて、行き先まで少女を音声でナビゲートしてくれている。


「コノサキ、一メートルデ、カイダンデス」


 しっかりとナビをしてくれる白杖さえも、この時代では既に時代遅れになりつつあった。


 数週間後、少女は外界の景色を脳に投影する義眼を埋め込む手術をする予定となっていた。この手術は視覚障害のある者以外にも、視力の落ちた老人なども受ける事の多い一般的な手術になりつつあった。

 

 少女は駅を降りてホームセンターへ向かう。日頃使っていた片手鍋が壊れてしまい、母の代わりに買い物へ出掛けたのだ。


 ホームセンターで働くある店員は、白杖をつく少女に声を掛けられた途端に、ハッと息を呑んだ。


「あの……お鍋のコーナーはどこにありますか?」


 店員は答える事をすっかり忘れ、少女の美しさに見惚れてしまったのだ。

 閉じた目には長い睫毛、そして少女が幅の広い二重だとすぐに分かった。胸元まで伸びた黒い髪は良く手入れされているのか、艶がある。

 こんなに美しい人がいるのか。

 そう思ったが、店員の男は自分の容姿にまるで自信がない事を思い出すと、ぶっきらぼうに答えた。


「そこの金物コーナーの、左奥です」

「あの、そこというのは……すいません、目が」

「あ、あぁ! あ、案内する」


 男は少女の美しさに心を奪われ、その手に白杖が握られている事を忘れていた。

 男は声だけで少女を誘導して、鍋コーナーの前へ行く。ぶっきらぼうながらも、男は少女に謝意を伝えた。


「すいません、あの。白杖とか、近頃見かけなくなったもので」

「いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした。こんなもの使ってる方が今時珍しいですよね……ご迷惑お掛けしました」

「いや……あの、大切にしてるんですね」


 男は少女の目が見えていないと思うと、自然と話が出来る事に気付かされた。

 自分の容姿が相手から見えていないからって、俺はヤラシイな。

 そんな風に思っていると、少女が無垢な声でこう言った。


「この白杖は父が使っていたんです。事故でもう、亡くなってしまったんですけど……まだこんな物使っているだなんて私、きっと頑固者なんです」


 そう言って笑う少女に、男はあっけなく恋に落ちた。


「そんな事……」


 そこまで言うと、男の後ろを先輩店員が冗談混じりにからかいながら通って行った。


「おい竹山ぁ、ブサイクがカワイイ子に声掛けたら犯罪なんだからな」

「ちょ、ち、違いますご案内です!」


 その声が余りにも慌てていたので、少女は思わず噴出してしまった。

 男は再びぶっきらぼうに戻り、少女をレジまで案内した。


「あ、あの」

「はい?」

「使い始めは、あの、米のとぎ汁で煮ると、いいですから」

「はい、ありがとうございます。お母さんに伝えておきます」

「……じゃ、じゃあ、あの、また」

「はい」

「いや、あり、ありがとうございました!」


 少女は家に鍋を持ち帰り、母に渡すと


「大事に使ってね」

 

 と伝え、微笑んだ。

 

 物とは実に不思議で、一度何かが壊れると連鎖して別の物が壊れるという現象が起きる。それはこの時代になっても変わらず、その原因は謎のままだった。

 今度はフライパンがダメになった。少女の母が溜息を漏らしながら自動運転車に向かおうとしたが、少女が買い物へ行くと言い出した。


「あら、あなた行ってくれるの?」

「気分転換にもなるし、私が行ってくるよ」

「悪いわね」


 白杖を手に家を出た少女の胸には、想像で思い描く店員の姿があった。

 その深い声は落ち着いていなかったが、声に優しさがある事を少女は感じていた。視覚から情報が得られない代わりに、少女の耳にはあらゆる景色が聞こえていたのだ。


「竹山さんはいますか?」


 少女は期待を込めて店員に尋ねると、声の尖った店員は「クレームか……またヤラかしたのかよ」とうんざりしたような呟きを漏らし、男を呼び出した。

 遥か遠くの方から段ボールが倒れる音がバタバタと聞こえて来る。

 慌てながらこちらへ近づいて来る足音で、少女はそれが男である事を確信した。


「こちらのお嬢さんがおまえにクレームだってよ」

「えぇ……あの、えっと」

「違います。お店の案内をお願いしたくて」

「はぁ……? 嘘でしょ?」


 声の尖った店員は呆れたような声で言った。

 男は恋の相手が突然自分を訪ねてやって来た事で、異常なほど緊張し始めた。しかし、内心嬉しくてたまらないのであった。


「ま、また来てくれて、ありがとうございます」

「竹山さんの声、落ち着くんです」

「えっと、あ、あありがとう、っす」


 男のしどろもどろの返事に、少女は笑う。

 たかがフライパンひとつを買うだけなのに、二人は多少長い時間を費やした。男は気分が軽やかになり、職場の風景がまるで違って見えた。

 少女もまた、さまざまな商品の説明をする男の声を聞くのが楽しくてたまらなかった。


「あの、ありがとう、ございました!」

「こちらこそ、ありがとうございました。次は何が壊れるのかな」


 どこか悪戯そうにそう言う少女の微笑みに、そっと触れるように男は声を掛けたかった。しかし、どうしても正面衝突のような言葉になってしまう。


「すいません、あ、あの、お名前を聞いてもよろしいで、しょうか!」

「失礼しました、前園です。名前は太陽の陽に、花が咲くの咲く、で「ひなた」です」

「お、ぼ僕は竹山で、樹木の樹で「いつき」です」

「竹山、樹さん」

「はい、前園、陽咲さん」


 二人は互いの名前を言い合い、おかしくて笑い合った。小さな小さなその笑顔は、大勢の行き交う客達の中に紛れてしまった。


 どんな時代になろうとも、恋は無意識から生まれるものなのだ。

 そして、日数を経て空気を膨らませる風船のように徐々に気持ちが膨らんで行くのもまた、変わらないのである。


 少女の手術がついに一週間後に迫ろうとしていた。

 耳で聞いて心に映していた世界が、ついに直接目で見る事の出来る世界に変わるのだ。

 

 男は悶々としながらいつ来るかも分からぬ少女の来店を待ち侘びていた。

 呼び出しがある度に男は胸を躍らせて駆け出したのだが、その大半はつまらないクレームだった。

 容姿が悪いからクレームを入れられ易いんだ。

 男は自分でそう思っていた。悲しいかな、それは当たっていた。

 

 ついに少女が訪れたその日、少女は買い物がないと男に伝えた。

 男は少々困惑した。こんな自分に用もないのに来る者などいないはずだ。しかし、それは捻くれた性格の生み出したやや傲慢な考えだった。 


「見えないけれど、お買い物は見るだけでも楽しいんですよね? ご迷惑でなければ、このお店をもう少しだけ案内してくれませんか?」


 少女にそう言われ、男は面食らった気持ちになった。


「ま、任せてよ」

「来週、手術を受けるんです。そしたら、本当に見るだけのお買い物が出来るようになるんです」


 楽しげに少女はそう告白した。しかし、男は奈落の底に突き落とされた気分になった。

 少女の目が見えてしまったら、きっとこんな容姿の自分に幻滅するに違いない。きっとそうに決まっている。

 そう思えば思うほど、少女の問いに答える声に棘が出た。

 その棘がチクリと少女を刺した。

 その日は言葉も少ないまま、少女は店を出た。ありがとうございました、と男は言えなかった。


 少女の手術は無事に終わった。

 目を開いて見る景色に驚かされ、目に入る物、触る物の全てに感動を受けた。

 世界に存在する全ての色に触れたくなった。

 しかし、問題は残った。心で感じていた色よりももっとハッキリと濃い現実の視界の色の中でも、未だに出会えていない色があったのだ。

 深く、落ち着きの無いあの男の声が生み出す、煌く色の正体を未だに少女は知らないでいたのだ。

 

 緊張した面持ちで、少女は電車に乗り込んだ。

 駅前に響く無数の音。耳で聞いていた風景。その中に感じていた匂いが織り成す風景。そんなものを頼りに少女は辿々しい足取りで男の働くホームセンターへと足を運んだ。


 入り口を抜け、観葉植物のコーナーを過ぎる。

 すると、背が低く小太りで天然パーマが強く掛かった店員を見るなり、少女は一気に駆け出した。嬉しくてたまらなかったのだ。


——私、目が見えるようになったんです。竹山さん、想像通りで嬉しい! 竹山さんの色が分かりました、竹山さんの色は……。

 そう伝えようと想像しながら、満面の笑みの少女は男の名前を呼びながら、店員に近づいて行った。


「竹山さん! 私……」

「……はい?」


 店員は少女を目にした途端、訝しげな声を上げて顔を伏せた。


「あの、竹山……さんですよね?」

「た、竹山は……あ、あの、辞めましたけど……」

「……そうですか、失礼しました……」


 少女は帰り道、生まれて初めて見る真っ青な群青に染められた夕焼けを眺めながら寂しい涙を流した。

 少女が声を掛けた店員は、胸元の名札を手で隠していた。そして、声色をわざと作って喋っているのが少女には聞いた瞬間に分かった。分かってしまったのだ。


 群青の夕焼けの色を知らないまま、男は項垂れたような姿で靴コーナーの商品を陳列していた。

 その醜悪な容姿の奥にある大切な物に気付かないまま、見られていた事にも気付かないまま、少女の前で嘘を吐いてしまった自分の不甲斐なさに一粒の涙を流した。

 

 その涙もまた、二人の小さな笑顔のように大勢の行き交う客達の中に紛れてしまった。

 少女には見えていたはずの大切な物が、肝心の持ち主にはまるで見えていなかったのだ。


 男と少女は、互いを想い泣き続けた。

 互いの為に、泣き続けたのだ。

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