休憩時間 その結末を勇者は知らない 後編(後)

「――ユグドラシル」


 名を呼ばれた彼女は凛と後方の同胞らを守るようにして前に立ち、礼を取る。


「風の護り手ユグドラシル、僭越せんえつながら申し上げます。もう、無為むいな殺生はおやめ下さい。道理を外れた血筋はその力を失い、長き年月を経てただの人間と成り果てました。最後となった生き残りも……いえ、この者は、正しき道理を宿す者。管理者の一族としての、正しき心を持つ者です。この者は、ではありません」

「……それで? だから見逃せと? ……ハハッ!」


 夜空の瞳が愉快気に細まる。

 歪んだ口端から零れたのは――冷笑。


「生命の危機に陥れられても尚、世界の意思を優先し、役目を果たそうとするか。お前が居ない間に管理者どもにほふられた同胞たちが浮かばれないな! もとを全て断ち切ることこそが、彼等への救いだと解らないのか? 同じ魔物だろう?」


 彼の――裂風の将ラァームストームの言葉に、クイーンハーピーもコカトリスも、重い塊が自身の内側に生まれるのを感じた。


 彼等は覚えている。とのり方を。



 ――ユグドラシルでさえ、もうその心の内側には居ないのかと



「これは世界の意思ではありません。私が……私が! 貴方のそんな姿を見たくないから!! 例え切り離されたとしても、だってから。貴方との繋がりはまだあると、記憶は失われてはいないと! ただ、かつての憎しみに囚われているのなら、もうやめて欲しいの。貴方まで繰り返してほしく、ないから……っ」


 翡翠の瞳から、一筋の涙が落ちて頬を伝う。

 それを見つめて落とされたのは。


「……何か、色々と勘違いしているみたいだな」


 無情な現実。


「確かにお前は特別な存在だ。お前が死ねば、世界は均衡を崩す。均衡が崩れること自体は魔王さまの望むところではない。だから同じ風を司る俺が、魔素を供給していたに過ぎないのに」

「っ」

「そこのクイーンハーピーにも言ったが、思い上がりも甚だしい。魔族の――魔王配下四天王が一人、称号・裂風の将ラァームストームである俺に、下位の魔物風情が意見するなんてね。これ以上グダグダ言うようなら……殺されても、文句はないよな?」


 言葉の棘が、発した本人の意図しないところで対象に、大きく突き刺さる。

 いとも簡単に、願いを打ち砕く。


 知っていた。解っていた。

 切り離されたから、もう、そこにかつての情など失せてしまっていると。


 解っていて、それでも訴えた。

 切り離された思念からではなく、現実に存在している者から、魔素を繋がれて送られていたから。


 微かな希望を、信じて。




 震える手を前へとかざす。

 翡翠の角から同色の輝きが溢れ出す。


「それでも」


 面を上げた顔には、決して退かない覚悟があった。


「それでも、私は、もう決めたの。――定められた役割から抗うと!!」


 それを聞いて、冷笑が愉悦を伴ったものへと変化する。


 それは役割から抗うと耳にしたからか、強者を前にしても折れぬ強い輝きを目にしたからか。



 ――高揚する


 ――植えつけられた衝動が目覚める気配がする



「面白いな。……なら最期まで、俺と踊り狂うがいいさ!!」


 魔素を纏った風が新緑の髪をはためかせる。

 それは攻撃の意思を持たない風であったが、鼓舞するような吹き荒ぶ風の流れにそれぞれが身構え――



「――そこまでです」



 ピン、とその場に静寂が落ちた。


 天を見上げればそこには、ゆらりと波紋を広げる水の輪があった。

 そしてそれを操っているのは、空で染めたかのような薄い水色の髪に銀色の瞳の。


水禍の将アクアトゥリティス……!?」


 魔物達の目が驚愕に見開かれる。

 風属性の中でも魔物の中では強者と呼べる自分達が束となっても敵わないかもしれない、一人でも圧倒的な魔素を有す魔族が、更に一人。


 現れた水禍の将は場の惨状と漂う血臭に僅かばかり眉根を寄せ、片手のみを小虫でも払うかのように振った。

 すると天にあった水の波紋から小雨が降り、その場にあった血も、崩れた肉塊も全てを溶かし去っていく。


 そうして洗浄した水禍の将が傍へと降り立ったのを、裂風の将は目を眇めて応じた。


「……どうしてここに?」


 チラと問い掛けた相手を見、次いでその視線が魔物達へ、その魔物達が守ろうとする人間へと向ける。


「止めに」

「何故」

「魔王さまのご意思に反しています。屠るのは、道理を外れた者のみの筈ですが」


 不愉快そうな色が灯るのを、水禍の将は平然と見返す。


「あの人間が道理に外れてはいないと理解したから、あの時激したのでは? 裂風の将。姿形が酷似していても、は同一の存在ではありません。貴方のあの衝動は、魔王さまが拒絶する世界の意思そのものでは?」

「ったく、いつから見てたんだか。……どうかな? 流れる血は同じだ。ここで芽を摘んだ方が、魔王さまを憂いさせる種の一つは消えると思うけど?」

「まぁ彼等を屠ったとしても、魔王さまは貴方をお許しにはなるでしょうが……」


 あくまでも折れる気配を見せない裂風の将に、これだけは言うまいとしていたが、水禍の将は彼……いや、同じ立場の者においては忌避すべき最悪なことを伝えることにした。


「――は、どうでしょうね」


 ピクリと片眉が上がったのを見つめ、水禍の将がゆっくりとそれ告げる。


は心を傾けているようですよ。あの魔物達全てと、あの人間に」

「……。…………え?」

「風の属性を司る貴方が情報を逃すとも思えませんが、まぁそういうこともあるのでしょう。さて、が心を傾けた存在が皆消えていたら。ここで貴方のした所業を後々知ったら、一体どう思うのか」

「…………」


 トールと魔物達は、支配者二人のやり取りをただ静かに見守った。

 恐らく、確実にこの会話の終着点が自分達の生と死を左右すると判断したからだ。


 そして裂風の将は冷徹、不快、嘲りしか今まで現していなかったその面に、初めて見る感情を現していた。


 ――――焦燥である。

 ついでに目を見開いて、米神から汗まで一筋流している。


 遂に止めの一言が、水禍の将から発せられた。



「絶交」



 裂風の将は両手で顔を覆った。

 冷徹で無慈悲だった彼に、一体それがどういう意味を持って葛藤を与えているのか、それは水禍の将のみぞ知る。


 固唾を呑んで見守る中、覆っていた手を降ろして現れた顔は、何かをすっぱりと諦めたような表情へと変わっていた。


「チッ! 分かった! これ以上はしない! 見逃す! ――――なあ」


 不貞腐れたように文句を言いながら、彼は夜空色の瞳をひたりと人間へ――トールへと定めた。


「今回は見逃す。けど、もしお前が道理に外れることがあれば……その時こそ、殺すから」


 そう告げて、裂風の将は渦巻く風と共に姿を消した。

 後を追うようにして水禍の将もゆらりと蜃気楼のように、姿を揺らめかせてその場から去った。





 取り残された者達は怒涛の展開の結末に、は、と息を吐く。


「……た、助かったってことで、いいのよね……?」


 ゴリピーが発したのを皮切りに、その場に皆がへなへなと崩れ落ちた。

 トールもゆっくりと降ろされて、傷ついた身体はユグドラシルによって回復を施される。


「ありがとう。……僕の先祖らが、すまなかった」


 回復後に感謝と謝罪を述べる彼に、ユグドラシルは微笑んだ。


「どういたしまして。確かに、過去にされたことを私達は忘れない。けれど私達は、ちゃんと“善い”人族もいるのだと、知っているから」

「同じことを妾らが返すのでは、また同じことになる。そんなものは愚行でしかない」

「これからどうするのかは、道を往くのはお主次第じゃ。良い意味でも、悪い意味でもじゃ」

「悩んだり困ったりしたら、いつでも森に来ていいわよォ。お話くらいは聞いてあ・げ・る♡」

「気色悪いわクソがァ!!」

「ボフゥッ」


 バチンとウインクしてきたのをクイーンハーピーがいつものように吹き飛ばし、それを見てユグドラシルもトリィも笑う。――心に残された棘を、奥底に仕舞いこんで。


 掛けられた魔物達からの言葉に、忠告された言葉を胸に、トールも口許に笑みを乗せた。



 突然目の前に現れた、夜空色の瞳の美丈夫。

 どうして最初に恐怖心を抱かなかったのか、彼はふと笑みを浮かべてからようやく気づく。



 ――――救いを求めていた声は、確かに、あの彼とをしていたと――……。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 遥か上空で、二人静かに先程まで居た場所を見下ろしていた。


「……全く、本当に知らなかったのですか? のこと」


 問われたことに鼻白み、フンと鼻を鳴らす。


「知らないね。来るまでに一切風は通らなかった。世界が情報を遮断したとしか思えない」

「気を付けなさい。世界はあの手この手で我々を、我々と対となる存在を翻弄してくるのですから」

「懸念は?」


 逆に問われ、銀の瞳が夜空の瞳と交わる。


「あの魔道具が “盗賊”の手に渡った。盗賊があれを手にして、どう行動するのか見物みものじゃん」

「……」


 かつて、盗賊は魔道具を管理者へと授け、道理を外れた管理者に悪用された。

 今代の盗賊は――……。


 思考を巡らせ、けれど待てば自ずと知れると行き着いて、瞳を閉じる。


「道理を外れればそれまで。もし外れるようなら――」


 再度静かに見開かれた銀には、何が映し出されているのか。

 ただその銀色に混じるは、凍えるような――明確な殺意。



「――必要ありません。にとっても、魔王さまの望む世にあっても」



 淡々と告げられたそれに、フッと酷薄の笑みが浮かぶ。



「“、ね……。三つ目の守護水晶の戒めを解く前に“覚醒”しないと――――どうなっても知らないよ」


 今回彼は己を制止したが、誰がそうしようとも、彼が絶対に制止することはないと理解した。

 水禍の将は余程、 “勇者”の腹を据えかねているのだと。



 ……ほら、勇者を支える仲間なら早くしないと。


 早くしないと、水禍の将よりも先に、“アイツ”が殺しに来るよ――……。

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佐藤くんと学ぶ、異世界お勉強冒険譚~仏の顔は三度だが、俺の顔は一度のみ~ 小畑 こぱん @kogepan58

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