休憩時間 その結末を勇者は知らない 後編(前)

 後ろ姿しか見えない、突然出現したハーピーの顔が倒れ伏す己を向き、気の強そうな強い意思をたたえた吊り目を見下ろしてくる。


「フン。取り敢えずは間に合ったようだな?」


 ……間に合った?

 助けようと、してくれているのか……?


 何も言えず見上げるばかりでいたら、ハーピーの口の端が薄く持ち上がる。


「情けない顔だな。だが、強大なる支配者を前にして目の輝きは失っておらぬ。妾と比較するのも貴様ではまだまだおこがましいが、同じく“王”を継ぐのであればそうでなくては困る」

「……お、う……?」

「人族には色々と据えかねるものが多大にあるが、“善い”人族が存在するのも事実。あの小僧が気に掛けていた人間だ、見所はあるのだろう」


 善い人族。あの小僧。……勇者殿?

 ……そうか。連れ浚われた彼はこのハーピーとも打ち解けていたのか。


 僕は、何度彼に救われるのだろう……?



「――何の真似だ?」



 静かで冷淡な声が場を割る。

 ハッとして視線を戻すと、美丈夫は首を僅かに傾げてハーピーを見据えていた。


「何故その人間を庇う? ――何故、下位の魔物が上位である魔族の邪魔をする?」


 空気が重く、身体の状態以外の理由で息がし辛くなる。

 圧を掛けられて尚、目の前のハーピーがそれに屈することはなかった。それどころか不敵な口調そのままに、見据える相手へと話し掛ける。


「これは。妾は森の大陸でハーピー族を束ねておる、クイーンハーピー。確かに妾は貴方さまの邪魔立てをした。だが、これは妾だけの判断ではない。これは、ユグドラシルさまのご意思でもあらせられる!」


 スッと、美丈夫の目が細まった。


「……ユグドラシル?」

「……そうだ。彼の御方は、この人間を手にかけることを望んではおられぬ。風の護り手さまのご意思を尊重し、退いては貰えぬだろうか」


 静寂が場を支配する。


 物音一つ立たない中で浮かべている表情は元の無へと戻り、冷めた双眸を刺すように相対する者へと注いでいる。


 と。


 その、手が。


「っ! に、げっ」


 身体が何かに引っ張られるように持ち上げられ、上空へと浮かび上がったその下を見て、ヒュッと喉が鳴る。


 床には巨大な獣が鋭い爪で抉ったかのような、三筋の深い爪痕が残されていた。

 そして宙に浮かびながらも、変わらず己を守るように前にいるクイーンハーピーから、ギリッと歯を噛みしめる音が聞こえた。


「わら、わを、攻撃するか……!」


 近い位置にいるからこそ聞こえた、小さな、とても小さな声。


 悔しさ。怒り。――悲しみ。


 それらがい交ぜになった、声だった。


「……下位の魔物風情が、何を上位の魔族である俺にうているのか知らないけど」


 手を突き出して作り出した爪痕から、ゆるりと上がってくる冷徹な双眸。


「ユグドラシルの、風の護り手の意思を、俺が尊重するって何? 俺に命じることができ、俺が尊重するのは唯一人。魔王さまだけだ」

「っ」

「そこをどけ。森の管理者は一掃する。その最後の一人が消えれば、世界は新たな管理者の一族を創り出す。与えられた役割から外れた存在は消さなければならない。魔王さまが望む世界に、腐った存在があってはならない」


 威圧を滲ませた声がクイーンハーピーへと命じる。

 けれど彼女は、決して己が守ると決めた者から離れはしなかった。


「風の同胞だからと少しは待ったけれど。…………そんなに死にたいの?」


 再び腕が持ち上がる。

 手の平から渦巻く風の球を作り出し、次第に大きくなっていく。


「……貴様にとっては、もう妾など、ただの下位の魔物風情でしかないのだろう。――だが!!」


 同じく両手に風の球が発生する。


「妾にとっては! り方が変わっても妾にとっては、まだ貴様はっ…… “兄”なのだ!!!」


 瞬間目の前にある姿が五体に分裂し、一体を残した全てが美丈夫へと向かって行く。


 両手に作り出した風の球を方々から打ち放つが、それを美丈夫は表情一つ変えず、降ろしていた片手のみで弾き返す。

 返された玉の幾つかが一体のクイーンハーピーに当たって、諸共消し飛んだ。


 次いで間近に迫った一体が左側からふところを狙って鋭い鉤爪かぎつめを、後ろからもう一体が頭部目掛けて足爪を振り下ろす。

 しかし左側で攻撃しようと振りかざした腕を軽々と掴まれて後方にいた一体へとぶつけられ、重なり合った二体の身体を風の刃が切り裂いた。


 相殺した二体の残滓ざんしから美丈夫が視線を上げれば、自身が作り出している球と同等の大きさの球が迫っていた。

 フッと初めて笑みと呼べるもの――嘲笑だが――を乗せ、風圧を纏わせた足で受け止められる。


 あまりにも呆気なく、簡単に受け止められた自身の攻撃に僅かな焦燥を滲ませた一体へと、球技の如く軽く上に蹴って浮かし、上体をひねらせ回し蹴る。

 分身が放ったものから、更に加えられた風圧と返された球の速さに避けることはままならず、諸共消し飛ばされてしまう。


 作り出した分身の攻撃が全ていなされ、そしてその位置から動くこともなく軽やかに打ち消されたことで、クイーンハーピーは相手との絶望的なまでの力量差を思い知る。


「……こんなにも、魔物と魔族では、差があると言うのか……っ!」


 苦悶のうめきに、つまらない余興を見せられたというような風体で、小さく息が吐かれる。


「もう終わり? ……準備運動にもならないんだけど。終わりなら、今度はこちらから行かせてもらう」


 四体の分身を相手にしながらも大きさを増し続けていた球は、幾重いくえにも風の流れを紡ぎ上げた濃密な魔素の塊となっていた。

 夜空色の瞳に映っているのは、クイーンハーピー自分の邪魔をするという、ただの魔物の中の一個種。


 そこに親愛の情など、欠片たりともなく。


 躊躇ためらうことなく放たれた風の球が、クイーンハーピーへと真っ直ぐに向かってくる。

 蹴り返された時よりもその速度は遅かったが、けれどそれは微々たる差だった。


 クイーンハーピーだけであれば、避けるという選択肢はあった。

 言いながらも、相手は同胞を生かす選択肢を残していた。



「――クソがァッ!!!」



 両腕を突き出し、受け止める構えを取る。

 クイーンハーピーがという選択を取ったことに、彼は僅かばかりに目を細めるのみ。


 後方で守られていて状況を追うことしか出来ずにいるトールは、目の前で決死の行動を選んだクイーンハーピーへと退くことを願った。


「もう、良いっ。貴女、までが、死ぬ、ことは」

「うるさい黙れ!! 誰が貴様などと共に死ぬものか!! ふざけたことをほざく暇があったら、しゃんと意識をそのまま保っておけ!!」


 球が直撃する寸前、生み出した魔素を込めた風の盾にぶつかる。

 超速力で循環させる幾層にも風の流れを編んだ圧は厚く、短時間の間でそれだけのものを作り出す技量を確認して、残念だ、と声が掛かる。


「さすがに“クイーン”を継ぐだけはあるか。それだけの力がありながら何故その判断をしたか、よく分からないけど」

「……さまがっ、貴様が妾に、教えたのだろうが……っ」


 魔力の操り方を。

 人族と魔物は共に暮らせるのだと。


 互いに親愛を、抱けるのだと。


「クソッ……!」


 球の層が削れない。

 逆にこちらの編んだ風の圧が削られて薄くなる。


 ――負けるか。負けるか! 負けるものか!!!



「クイーンハーピーさま!!」



 切羽詰まった声がしたと思ったら、風の盾に別の新たな風力が加わり修復される。

 そして魔素を消耗していない新たな力は疲弊したものと合わさって、元の盾よりも強度を増した。


「そおいっ!!」


 ドドッと重く踏み鳴らされた床を大きく蹴り跳び、魔素を頭部に集中させたコカトリスが風の球へと頭突きする。

 魔力を纏った風の盾と挟まれた衝撃で、球が弾けて暴走するように吹き荒れたが盾はそれを防ぎ切り、コカトリスもまたそれに耐えた。


「無事かの、クイーン!」

「もう何なの! 無茶苦茶だわァ!?」


 沈静となった場に、安否と混乱の声がして。


「……っ、遅いわ貴様ら!! ハーピー族の女王たる妾より出遅れるなど、恥を知れ! 特に貴様だこのクソがァ!!」

「いったァーい!!」


 クイーンパーピーを覆うように後ろから手を貸していた変異種のハーピーの額に、彼女からの頭突きが軽く入る。それは彼等の中では、最早無くてはならないコミュニケーションのようなものであった。

 コカトリスは間に合ったことに内心安堵しながらも、前方の上位たる存在へと意識を尖らせている。


「クイーンハーピー。変異種のハーピーに、コカトリスか。……本当にどうかしてない?」


 呆れ、侮蔑――敵意。

 目の前に現れた魔物達に、それらが圧としてぶつけられる。


「俺に反旗をひるがえすということは、お前達のあるじである魔王さまのご意思に背くということ。それをお前達は、理解しているのか?」





「いいえ、反旗など翻してはいないわ――――裂風の将ラァームストームさま」



 その場に存在する者以外の新たな声が、平淡なそれの後に返される。

 抉られた床から幾重もの木の根が張り出し、その存在をかたどった。……いや、現れたその存在の気配は紛れもなく、本体である。


 白き花弁の下衣を纏い、木漏れ日を受け温かみを宿す樹皮色の髪の隙間から覗く、二本の翡翠の角を生やした――――



「――ユグドラシル」


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