休憩時間 その結末を勇者は知らない 中編 *

 人の形をしているのに、宙に浮かんでいるのは一体どういうことなのか。

 第一にそんな感想がトールの頭にポンと浮かんだ。


 夜空の瞳を持つ美丈夫は未だ自分を見つめたまま、それ以上を発することはない。

 人の姿をしているからか、それとも単純に思考が麻痺しているのか。


 常識外れのこんな状況であるのに、けれど何故か恐怖心は沸かず、しかしそれでも全てのガラスが粉々に割れた後に彼が現れたことから、何らかの関係性があることは判断できた。


「何者だ。ここはこの大陸唯一の国、シルフィードの王城だぞ」

「知ってる。あぁ――――よく、知っている」

「……っ!?」


 美丈夫の腕がゆっくりと持ち上がり、ヒタリと指を向けられた瞬間、トールには何が起きたのか判らなかった。


 ただ感じるのは背中を襲う激しい痛みと、己の口から何かが逆流し、あふれたこと。床に崩れ落ちた自身から溢れたモノの色は、重さを含んだあかで。


 すぐ後ろで耳に入ってくる小石が落ちてきたかのような音で、そこで己が壁に叩きつけられたのだと漸く理解する。

 うつ伏せに倒れているが故に狭まった視界に、黒いものが映る。


「ぐっ!」

「顔だけじゃなくて声も同じとか。お前、の生まれ変わりかな?」


 髪を掴まれて顔を上げさせられ、落とされる言葉に理解が追いつかない。

 どうしてこんな目に遭わせられるのか。一体何を言われているのか。見下ろされる瞳には未だ、何の感情も見出せない。


 死、というものが脳裏を過る。


 判らないながらも、その危機が身近に迫っていることを本能で悟る。

 穀潰しとそしりを受けても放置されるのみで、身体を傷つけられたりすることはなかった。家族から、騎士らから剣を向けられたあの時が、最初だった。


 それでも状況が一変する直前に、明るい未来を辿るための果てしない困難を思い描いていたからか、抗う気持ちが前に出て、暗い恐怖心は底へと押し込められた。


「お、前は、魔物、なのか」


 上手く言葉が発せられない。

 もしかしたら、何本か骨が折れて臓器が傷ついたのかもしれない。


 意味を持つ言葉を何とか口に出せはしたが、美丈夫は一つ瞬きを返すだけ。


「……つまらないな」


 掴まれていた髪から手が離され、顔が床に叩きつけらる。


「魔道具の効果でぬくぬくと生きてきたから、こういうのは初めてだろ? 泣き喚いて命乞いするかと思ったのに、とんだ期待外れも良いところだね」


 魔道具の、効果。

 やはり人族から害されてきた、魔物の。


「つまらないからお前は後にするよ。自分がどうなるのか、よくその目に焼き付けておくといいさ」


 そんな言葉が落とされたと思ったら、強風が吹き荒れて視界がかすむ。



「……なっ! 何だ!? 出られたのか!?」



 よく聞き慣れた、父親の声。


 必死に顔の向きを変えて確認すれば、きらびやかだった衣装が薄汚れている。

 辺りをキョロキョロと忙しなく見回していた父親の目が、遂に息子……だった者と美丈夫の姿を捉えた。


「トール……に、貴様、何者か!? いや、お主があの不浄の場所から救い出してくれたのだな!? 褒めて遣わす! おのれ彼奴あやつら……勇者とは名ばかりの逆賊どもめ! 悪しき魔物どもと手を結び王であるこの余をとらえるなど、全く以ってけしからん!! 城下に首を晒さねば気が済まぬ!!」


 屈辱と怒りに赤黒く染まり、歪んだ顔で吐き出される数々の暴言。

 それを聞いてトールの顔もまた歪む。


 父上は、国王だったこの男は何も解っていない……!!


 先祖の洗脳なのか、けれど己はちゃんとと知った。

 何が、どこから間違っていたのかを理解したのだ。


 ――先祖の功績は、功績などではなかった。結界など、醜悪な裏切りの象徴でしかない


 だってあの魔物達は、それでも、騎士らを殺しはしなかった。気絶させただけだった。

 美しい翡翠の光を纏い、大陸の緑を甦らせたあの魔物は、穏やかに微笑んでいたのだから。


「そこのお主! 余を救い出したことからも、かなりの力量ある者と見受ける! どうであろうか、肝心な時に役に立たん今の騎士団長からその地位を剥奪して、お主に授けようぞ! そして共にあの逆賊たる勇者どもの首を獲――」


 ゆっくりと、ずれた。

 斜めに遮断されたそこから、落ちた。


 本来そこにある筈のモノがなくなったことで循環先を失ったモノが一瞬後、勢いよく噴出して崩れ落ちた身体の下に赤き水の溜まり場を作り出す。

 落ちて転がったモノが、色を失くしたモノが、己を見つめている。


「あ……ぁ……ぐほっ」


 逆流したモノが出口を求めて口から溢れ出した。

 えた匂いにさびが混じって、目から涙が止めどなく流れていく。


「もっと甚振いたぶってやるつもりだったのに、不愉快過ぎてヤっちゃったじゃん。というか腐っても管理者の一族の癖に、何あれ? 人族か魔物かどうかも判断できなくなってんの?」


 物言わぬむくろとなったモノを表情一つ変えずに見ていた目が、こちらを向く。


「……なら、お前はまだ優秀かな?」



 淡々と紡がれる言葉。


 何の感情も現さない瞳。


 圧倒的なまでの力の差。



 解る。この魔物はあの魔物達とは

 どこまでも冷徹で。どこまでも無慈悲な。



 ――殺される



 途方もない恐怖心が主導権を握り、抗う気持ちを散らしていく。

 倒れたままガタガタと震える存在から視線を外した美丈夫が、夫の惨たらしい姿に泣き叫ぶ母親だった存在を。両親のれの果てに狂乱した姉だった存在を、見えぬ刃で刻んでいく。


 窓が大破されても漂う血臭に、身体を構成する内側に収められていたモノが飛び出すさまに、切断される肉塊に頭がおかしくなっていく。

 これが現実のことなのかただの悪夢なのか、もう良く分からなくなっている。


「ト、トールっ……!!」


 己を呼ぶ声が聞こえた。

 牢にいた、己の家族だった王族はもう、ただ一人しか残っていない。


 視線を向ければ、こちらへと手を伸ばしてくる兄だった存在が映った。


「たす、助けてくれ! トールっ!!」


 助けて。 ――助けてくれ?



『……けて……た……けて……』



 僕に救助を求めているのか? ――僕を殺そうとしたのに?



「……は、ははは。はは、は、はははは」



 上手く喋れないから、笑い声も変な感じに出た。

 そんな声を零した己を兄だった存在は恐れるような目を向けて……美丈夫は、やはり変わらなかった。


 悟った。これは神からの天罰なのだ。

 正しき先祖……いや、正統なる血を廃し、身勝手にこの大陸を荒らしたへの。



 ――きっとこれが、が受け入れるべきなんだ



「死、のう。ウリ、エル。み、な、もう、逝った」

「トー……ル……?」

「紛、い者、が、いつま、でも、王、族、在るべき、では、ない」

「何を言っ――ああああぁぁぁぁ!!!」


 兄だった存在の片腕が肩から飛ぶ。けれど。


 けれど、何故か美丈夫の瞳は腕を飛ばした存在ではなく、僕を見ていた。そして初めてその何もなかった夜空色の中に――不快を灯していた。


「騒ぐなよ。はそうされても、ずっと声を殺して堪えていた」


 発せられる言葉の先は兄だった存在へ、不快という感情は己へと向けられている。

 断罪者を見つめ、それが気に障ったのか美丈夫の眉間に皺が寄せられた。


「……は? なに? よりによってが? ――――冗談じゃない!!!」


 突然激昂した美丈夫の感情と同調するかのように、彼の周囲を狂風が荒れ巻く。

 凶悪な風の刃はその瞬きの内に兄だった存在をただの肉塊へと変え、そして倒れ伏す己の元へと向かってくる。



 ああ、きっとこれでいい。

 これが人間に裏切られた魔物の総意だと言うのならば、僕は甘んじて受け入れ――



『勇者だけじゃ何もできない! 言っただろ、協力し合わないと生きていけないって。ほら』






 ――ピク、と指先が動く。


 ……思い出す。

 僕に向けて差し出された手の平。僕を認めて……彼は、


 誰にも見向きもされなくなった僕に、お帰りと、言ってくれた。



 言った。今度はちゃんと、歓迎するって。



「……めだ。僕は、約、束を……!」


 狂風が渦を巻いて迫りくる中、腕に力を込めようとしても入り切らない。身体も起こせない。

 あの風に触れたらどうなるかは先程視認した。現状、この身体では避けることなど不可能だった。


 けれど。それでも。


 渦の圧で床がえぐれて砂塵と共に舞う。

 落ちたガラス片が全て粒子と化し、狂い踊るのを強く見据える。例え己が同じように粒子と化そうとも、僕はその瞬間まで――――諦めたくない!!!




 狂風と己の間に、新たに渦を巻いたが現れた。


 渦の中からその鉤爪かぎつめの両手を現して振るい、暴れ狂っていた風と新たに生み出された風とが衝突し合い、相殺して霧散させる。

 それは、瞬きにも満たない程の出来事だった。


 空間に残る微風が、長く真っ直ぐな髪を軽く煽る。

 堂々と仁王立ちするその姿を見とめて、美丈夫の瞳が少しばかり見開かれた。



「――悪いが。この人間を殺させる訳にはいかぬのでな」



 勇者殿と共にいたハーピーではなく、初めて目にするその姿。


 姿も口調も堂々としたその佇まいは紛うことなき上に立つ者の姿であると、トールの目にはそう映った。

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