休憩時間 その結末を勇者は知らない 前編
風力を受けた帆が穏やかな波の上を進んで行き、その姿が遠く見えなくなるまで上空から見送っていた異形のハーピー――ゴリピーが、陸地で待つコカトリス――トリィの隣へと降り立った。
「行っちゃったわねェ……」
「コッケー」
大して感傷しているでもない、暢気な鳴き声を上げたトリィへと彼……彼女は苦笑した。
「良かったの? 直接話さなくて。そっちの方がアタシも通訳しなくて楽だったのに」
それを受け、首を巡らしたトリィはムスッとした表情となる。
「……ワシが人語で話さぬからと、好き勝手に通訳しおって。ワシが途中からこれで喋り始めたらあの小僧、泡吹いて倒れるわ。まったく、最近の若い魔物どもときたらすぐ力尽きおってからに。鍛え方が足りぬわ! 貴様共々鍛え直してくれる!!」
「えっ、何でアタシも!?」
「変異種のくせに隙が多いわ! 変異種ならクイーンハーピーの一撃くらいは防がんか! 勇者である小僧に仲裁に入られるなぞ、前代未聞ぞ!?」
「それ言ったらトリィちゃんだって、ずっと坊やに抱えられていたじゃない! 森の魔物の名折れよ!?」
「トリィちゃん言うでない! ワシはもう歳じゃ! 老骨を労らんか……む?」
一体と一羽でギャーギャー言い合っていたその時、木々がざわめいて一陣の風が森全体に吹き抜けた。
僅かな瞬間に無となったそれが、ユグドラシルが齎している清涼な風の質を変化させたのを、本能で感じ取る。
「お越しなすったかのう」
「トリィちゃん……」
「トリィちゃん言うでない。ユグドラシルさまのお言葉通りじゃ。……さて、相手はワシらよりも遥かに強大な魔素を有しておる。抜かるでないぞ。次代を失わせてはならぬと、ユグドラシルさまが望んでおられるのじゃから」
ゴリピーの脳裏には、先程見送った勇者の姿が浮かんでいた。
敵対すべき人族の筆頭であるのに、いつの間にか打ち解けていた青年。
風から生まれた魔物は補の部分が突出していると言われ、情報操作・幻影等相手を惑わすことに長けている。それ故、警戒においてはどの属性の魔物よりも強い。
しかし彼の青年は会話を重ねる毎に、こちらの警戒を掻い潜ってきた。
連れ浚われているのに、「あれってシルフィード城? ソルドレイクのよりかはそんな派手じゃないな」とか暢気に言っていて呆れたものだった。その暢気さに釣られるようにして、言葉を返した自分も自分だが。
本当に“勇者”らしくない勇者。
もしかしたら、同じように絆されてくれるかもしれない。
けれど風属性魔物の序列1位であるユグドラシルが、それを認めなかった。己と同じ種族で最上位種の、クイーンハーピーでさえも。
また、と再会の言葉を最後にした。
ならば彼がまた訪れた時、自分達がここにちゃんと存在していなければならない。
自身の肩へとトリィが乗るのを確認して、力強く羽ばたき飛翔する。
ゴリピーもトリィも、その瞳に覚悟を宿していた。
「――行くわよ、シルフィード城へ」
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
大樹の穴倉で、かつて片腕を失ったクイーンハーピーは幼き我が子に言った。
『海に棲む奴が妾に戦いを挑んできおったのだ。奴もキングと名乗る最上位種故に片腕はくれてやるしかなかったが、妾も奴の背びれをギザギザに風で刻んでやったわ!』
不敵な笑みを浮かべる母の嘘はとても下手くそで、子は神妙に頷くしかなかった。
――妾は覚えている。
時折この穴倉に人族の子がやって来ていたのを。トリィがその子を背に乗せて、大樹の周りを駆けて遊んでやっていたのを。
母がその子を、妾を見つめるのと同じように、愛おしそうな目で見つめていたのを。
当時まだ幼く森から出たこともなかったから、人族と魔物の違いがあまり分からなかった。人族と言うのにその子からは魔素が感じられたから、初めは同じ魔物だと認識していたくらいで。
人族と魔物では寿命も成長速度も異なったため、その子の方が妾よりも早く成長した。
その子から奴へと、妾が呼び名を変えた其奴にたまに穴倉で遭遇すれば、頭をポンポンとされた後に撫でられる。
ムッとしたが――嫌ではなかった。
存外手先が器用な奴で、まだハーピーであった頃の妾は風を操って同じように作ろうとした。
けれど妾が作ったものは、奴のものと比べて不格好だった。妾はしょげた。
『あーあ、しょげないしょげない。ほら、俺と一緒にやろう?』
そう言って、どの属性にも適さない魔法を操って、妾に魔力と風の操り方を教えてくれた。
――覚えている。夜空と同じ色彩の瞳が、楽しそうに妾を見つめていたのを。
「貴様は覚えておるか、妾を」
風の質が変わった。
ユグドラシルさまもトリィも、戒めが解かれれば現れると察した。それは間違ってはいなかったことが証明された。
失われたものはもう、戻らない。
母の失くなった片腕がずっとそのままだったように。
「害を加える者と、害を
『俺も。色々教えてくれて、あと蔓ポシェットも作ってくれてありがとうございました』
『何だ、やればできるじゃん。これさ、旅のお守りに貰ってもいい?』
微かに感じていた。
あの勇者の小僧から、貴様の気配を。
「母上が片腕となった時から、妾は成し遂げようと決めていた。――――愚行を繰り返させはしないとな!!」
風が吹き
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
「どうして、あの中で貴方の声が聞こえなかったのかしら……」
自らが造り出し、揺れる
聖域の中からでも感じ取れる、変わってしまった外の気配。暗く
「あの中に居た貴方は、ずっと苦しそうだった。相反するものをその身に纏って、ずっと抑え込んでいた。私は何もできなくて、貴方からの供給を受けるばかりで、ずっと」
手が震える。
胸の前で握り締め、必死に今と向き合う。
――怖い。怖いの
――貴方がもう、貴方じゃないことが。貴方じゃない貴方と、
「どうして世界は、貴方は、こんなことを私達にさせるの? なら、どうしてこんな世界なんて創ったの!?」
時を経る毎に感じていた、けれど先にある希望を信じていた。
早々に見切りをつけた水の護り手のように、己を生み出した世界を
一本の糸だった頃の姿にはもう戻せない。
ほつれて絡まり合って、遂には大きな塊となってしまった。
――止めなければならない。こんな哀しい連鎖は、断ち切らなければならない
『なに逃げてんだ! 聖剣も手にしてねー丸腰の俺にビビってんじゃねえよ!』
無理じゃないかと口にしていたのに、そう言って突っ込んで行った勇者。
武器になるものを何も手にしていない状態で、穢れの中に居る彼を救うためだけに飛び込んだ勇者を、この絶望しかない世界から失わせる訳にはいかなかった。……どうしてあの勇者から貴方の気配を感じたのか、分からないけれど。
心を決め、上げた顔に
「魔物の序列は力で決まる。決して魔物は魔族には勝てない。でも、」
それでも、私は。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
聖騎士殿と賢者殿の協力で家族だけじゃなく、城の重鎮や兵士等は粗方拘束されて地下牢に放り込まれている。
賢者殿が魔力を織り込んだ、唯一無二の鍵でないと開けられないようにいつの間にか作り変えられていて、その鍵も去る前に手渡されて僕の懐に入れている。
「やれやれ、これからどうするべきか……」
しなければいけないことも、考えなければならないことも山積みだ。
城の者は信用できず、登城していなかった貴族だけは詳細は知らなかっただろうと踏んではいるものの、穀潰し王子と信用のない自分が事実を口にしたところで一蹴されるのは目に見えている。
城の結界はなくなり、大陸の緑は甦った。
それだけで察しの良い者は何が真実か見えるだろうが、簡単に受け入れられることではないと理解している。
僕が一番初めにやるべきことは、信用を取り戻すこと。
城に誰一人味方がいない僕に、国のことを憂いた聖女殿が支援を申し出て下さった。
『国を
微笑んではいたが、目には確かな為政者としての光を宿して冷たく僕を見据えていた。
慈愛だけではない、どこか仄暗さを含んだそれに背筋が冷えたことを思い出す。
応えなければならない。
あの王女にも、民にも。そして――魔物にも。
「僕に、できるだろうか」
弱気な呟きが落ちる。
割れた謁見の間の窓から隙間風が吹き、その肌寒さにぶるりと震えた。
……いや、できるかではなく、しなければならないのだ。勇者殿と一方的な約束をした。
また訪れてほしいと。
何のために僕は歴史を学んできた。
国をより良くするためだ。歴史を紐解き、また昔のように人間と魔物が共存し、実り豊かに暮らしていくため。
あの時は言葉を交わす間もなかったが、あの魔物達と話さなければ。
彼等が国に……人間に対して良い感情を抱いていないことは理解している。結界から解き放たれた彼等は、復讐しに襲い掛かってくるかもしれない。
勇者殿に対して例外だっただけで、それを僕自身に適用してはならない。
「臣や民だけでなく、魔物からも信用を得なければならないのか。……ははっ、本当に考えることが山積みだ」
とてつもない重圧に押し潰されそうだ。
――けれど。
『極論で言えば、協力し合わないと人間は生きていけないんです! 一人で突っ走る前に誰かに相談! 王子様なんだから直訴すれば誰か一人くらいは聞いてくれる人が居る筈!』
協力し合わないと生きていけない。
一人ではなく、誰かと協力して。
――捜そう。貴族とも、城から出て民とも話をしよう。今度は諦めずに、明るい未来をこの手で掴むために
心を奮い立たせ、前を向く。
そして視界に映る割れた一部の窓と床に散らばるガラス片に、早速それに取り掛かろうとやる気を出した。
「よし、まずはここの掃除からだ! 身辺整理から取り掛かろう! 汚部屋では話にならない……む、掃除道具は一体どこにあるのだ? しまったそこから…………ッ!?」
一体、何が起こったのか。
全ての窓が割れた。
何の予備動作もなく、正に突然の出来事だった。
粉々に砕け散った、ガラス片とも言えない粉状となったものが、サラサラと微風に浚われている。
そうだ、直前にゴッと耳に入ったそれは……風の音だった。
「――長き時を経て、まさかその顔を再び目にすることになるとはね」
呆然とより酷くなった謁見の間の状態を見つめていたのを、ハッとしてその声の主へと顔を向ければ――
――
春に芽吹く新緑の髪の下から覗く冷徹な双眸が、僕をひたりと見下ろしていた――……。
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