6 自由への逃走

 ビル群への道は一本道だった。中枢から居住区へ統治しやすいように整備された道は、今中枢へと向かいやすいように真っ直ぐに伸びていた。

「……お前の兄は優しい人間だった。俺たちに平等に接してくれた。朝から晩まで研究に勤しんでいたが、俺たちと団らんする時間を必ずとってくれたんだ。よくお前の話をしていたよ。自分のぶんのキャンディをくれたこと、補助輪なしの自転車に乗る練習で後ろから押してくれたこと。科学の楽しさを教えてくれたこと。懐かしそうな微笑みを浮かべながら」

 アンジェの瞳は僕を見ていた。そこにもう絶望はなかった。ただ、柔らかな愛情が覗いていた。

「お前がいてくれてよかった。博士の愛した人がちゃんと生きてくれていて……よかった」

 白い犬たちはなすすべなく、僕らに道を明け渡した。ビルの中は乾いた明るさに満ち、僕の命令で扉は開いていった。

「全システムの管制室を教えて」

 僕が言えば、床が赤い矢印を示した。その表示にそって二人して走っていく。

 やがて、薄暗い、たくさんの機械が明滅する部屋にたどり着いた。部屋の中央には、白く発光する球を抱く突起があった。

「恐らく、これが全エネルギーの源だ。たぶんろくに防衛措置は施されてない。割ったら右手の緊急脱出口から出るぞ」

 アンジェがささやく。

「分かった」

 僕は躊躇なくそれを割った。薄いガラスは粉々になり、ヴン、と音がして、あたりは闇に包まれた。

 シャン、という金属音。何かが砕け散る音。

「フィーリア。お前なら大丈夫だ」

 アンジェの声がした。

「アンジェ?」

「俺は、ここまでみたいだ」

 僕は彼の元に慌てて駆け寄った。体に触れる。彼の胴体には、深々と槍のようなものが突き刺さっていた。

「アンジェ!」

 無我夢中で彼の上体を抱き起こす。

「……アンドロイドでさえ、こんなふうに醜い争いによって滅んだ。フィーリア、お前は他の人類を探し、どうか理解と愛に満ちた世界を作ってくれ。……約束だ」

 僕は胸がいっぱいになって呼びかけた。

「アンジェ……大好きだよ」

 その瞬間、僕の脳裏に閃くものがあった。眠る前の人生。透き通った青空。広々とした町。あたたかな家族。いたずら好きの級友。僕は科学者になりたかったんだ。みんなに幸せをもたらす人間になりたかった。すべてが過ぎ去っていく。

 弟の笑顔が甦った。……ああ、彼のファーストネームはアンジェルだった。今目の前にいる少年にそっくりの少年。

 僕は手探りで彼の額にキスをした。そして彼の体を担ぎ上げ、脱出口に入れた。

 終わってない。まだ終わってない。必ず君を治してみせる。いつかここに戻り、全てのアレクセイ型を復活させよう。僕は黒ぐろとした穴に体を滑り込ませた。

 始まったのだ、僕の人生が、ここから。

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天蓋の向こうに荒野あり はる @mahunna

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