5 君の尊厳

 ぽっかり入口の空いた、元々店舗だったのではないかと思われる煉瓦造りの3階建ての建物に、僕らは一時的に避難した。

「静かだな」

「うん。……静かすぎる」

「居場所がばれている確率は」

「40%」

「少し先に充電スポットがあるみたいだよ」

 カランが言った。

「ちょっと様子見てこようか?」

「位置は」

「南に50m」

「気をつけろ。何かあったらすぐに連絡しろよ」

「カラン、僕も行こうか?」

「ううん、大丈夫だよ」

 カランは微笑んだ。

「すぐそこだし。すぐ帰ってくるよ」

「……うん」

 ユウは通信機を鉄の机に置いて、心配げに眉根を寄せた。

「待ってるからね」

 カランは笑顔で手を振って出ていった。


 ザーッというノイズ音に紛れて、カランの声が切れ切れに聞こえてきた。

「みん……き……て! フィ……アの目覚めは、地球環境の修復完了と同期化……いるんだ! そして、彼らが攻……理由は、こちらからフィーリアを奪取し、唯一の人間に仕えるため……い、聞こ……る? 今追いかけられ」

 そこで通信が途切れた。その後には、またザァーッという無機質な音が流れた。

 アンジェとユウは無言で目を伏せた。

「……出たあと、走るぞ」

 それだけ言うと、アンジェは立ち上がり、しばらく入口から様子を伺った後、駆け出した。僕らもあとに続いた。途中で彼の骸と出会って、あっけなく過ぎ去っていった。アンジェもユウも振り返らない。僕は彼に駆け寄りたかったけど、それをするのは今は得策ではないと分かっていた。生き延びなければならない。でも。

 カラン。どうして一人でいってしまったの。カラン。君の明るい声が好きだった。笑顔が、優しい指先が好きだった。もうできないんだ。話すことも、笑い合うことも。彼を埋葬することさえ。涙が溢れた。視界が滲む。足元に力が一瞬入らなくなる。

「走れ!」

 アンジェの声が聞こえた。その切実な響きに、僕は足に力を遮二無二に込めた。

「カランの死を無駄にするな!」

「うん、うん」

 アンジェの言うとおりだった。とにかく僕らは逃げなければならない。カランの言葉を生かすためにも。

 やがて、目の前に大きな扉付きの門が迫ってきた。

「ここから南区の中央部に入れるんだ」

 ユウが扉に手をかけた。

「中央部はらゆる地区に繋がっているから、敵から逃げやすい。さぁ、2人とも入って」

 ザッザッという足音。……新型が姿を現した。

 ユウの手が僕を押した。つんのめったところを先に入っていたアンジェに受け止められた。ヒュン、という風切り音。一瞬の間があって、どさりと重いものがくずおれる音がした。扉が閉まる。

「……ユウー!」

 扉を開こうとして、アンジェに抱きすくめられた。

「だめだ、フィーリア! 行くぞ」

「嫌だ、嫌だ」

 なんとか抜け出そうともがくが、アンジェの腕は悲しくも堅かった。

「……アンジェ、フィーリア」

 扉の向こうから、途切れがちな声が聞こえてくる。

「ユウ!」

「どうか、自由を見てきて……ほしい。それが、僕の望みだった。大丈夫、僕らは永遠の友達。だから、振り返らないで、走って」

 アンジェに手をひかれ、僕はよろめく足に鞭を打って走り始めた。涙がとまらない。煉瓦造りの家々が物言わず過ぎ去っていく。

「フィーリア。博士が言っていた。アレクセイ型は新型より、優れた機能を持ち合わせていると。それは、自我だと」

 アンジェの口から零れる声は、ほとんど悲鳴のようだった。

「本来なら、お前を危険な目に合わせないために、お前を連れて逃げ続けるべきなんだろう。でも」

 僕はアンジェの言わんとしていることが分かったような気がした。彼は仲間を殺した政府に強い怒りを覚えている。だから、唯一殺すことのできない僕を連れて。

「うん、いいよ。ドームの中枢に向かおう」

 アンジェは僕を振り返った。絶望に染まりかけている瞳に、僕が映った。そのことにさえほっとする。

「その代わり、僕を先頭にして。そうすれば攻撃されにくいだろうから。アンジェ。僕は君の全てを守る。意志も、尊厳も、怒りも」

 アンジェの指先に力がこもった。僕はしっかりと手を握り返した。

「……必ず見にいこう。この世界の外側を」

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