メリークリスマス

@mumyou-earth

無宗教だろうとクリスマスは楽しむに限る


 0


 思うと、少し――虚しい。


 1


 十二月二十五日、学校帰りのこと。

 私物の片づけをすっかり忘れてしまい、あと何度も袖を通すことはないであろう制服を着込んだ彼は、泣く泣く冬休み中の学校へと行ってきた。

 通学路を見れば、通り過ぎるのはカップルやケーキを持った社会人を多く見かける。はしゃいだ子供たちの姿もよく目にする。

 歩いて駅まで向かう道すがら、商店街に差し掛かったところで本屋の前に辿り着く。そこに立ち寄って、本を買うか買わないか――なんて悩むのが彼の日課だった。

 欲しい本は、挙げてみろと言われたならキリがない。しかも一か月経つごとに欲しい本が増えている、なんてことがなかった月はないのだ。数量的な話をしてしまえば限りはあるが、それ以上に金銭的問題があって、小遣いに余裕がない――という理由で、その有限とは言っても膨大な数から一つを選ばなくてはならない辛く険しい作業に勤しまなくてはいけない。

 だから暇な時は――暇な時間を作ってでも――書店に足を運ぶようにしている。というか、身体が自然とそうなってしまっている。習慣として身について、雨が土に染み込んでいくように、何の違和感もなく立ち寄ってしまう。

(……うーん、今日もやっぱり迷うな。中々ドンッと男らしく買ってしまうのができない。どうしてもなんか迷って、尻込みしちゃうな……困った)

 そう言って、コーナー別の本棚を巡る。何周も店内を回って、「さて、どれにするべきか……そもそもここで買うべきなのか。お小遣いをここで消費してしまってよいものなのだろうか」と悩んでいる。

 これを毎日やっているのである。本屋に赴いて、買うか買わないか、何を買うかで迷う――という日課がないと、家にいる時に、

「あ……本屋、最近行ってないな。どっかのタイミングで行きたいなぁ」

 なんて思ってしまう。最早、思い悩むために書店に行っているようにすら見えてしまうのである。

 ……なんというか、アレである。彼自身ちょっぴりその自覚はあるにはある。だから最近は図書館から借りられるものだったら借りてしまって、あまり他の本への興味関心を持たせないように工夫するくらいには、自覚している。

 ――ただ。

 ただ、帰り道に、図書館よりも本屋の方が圧倒的に距離としては近い、というのが彼にとって最大の悩みどころだった。これでは自然と、吸い込まれるように書店に入ってしまう。

「いらっしゃいませ~」

 また、これである。

 店員さんのたいそう人の良さそうな、優しい声でそう迎えられると……、やっぱり滞在してしまうのである。それは特段書店に限った話ではなく、どこの店でもそうだ。百貨店や服屋、飲食店のようなサービス業なら特にそうだ。丁寧に接客されても、客イコール神様などという横柄な態度など取れない。飲食店だったりすると、退店間際に、「ごちそうさまでした」なんて、ラーメン屋でもないのにどこでも言ってしまう。だから、いらっしゃいませ、と声をかけられて返事をしないと、少し申し訳なくすら感じてしまう。

 だから軽い会釈は返す。

 もし書店に就職するか、それはなくとも、仮にアルバイトでもしようとするなら、どうだろう? 自分はこんな風にしっかりと接客ができるのだろうか?

 そう考えてみる。今日も買うのか買わないのか、何を買いたいのか、何に絞るのかを考えながら、同時並行して考えてみる。そんな半端な思考ではおかしな方向に考えが進んでしまう、というのはわかるはずなのに。

 ここ数か月、よく見かけるあの店員さんのように優しい声を出せるだろうか? いや、それは絶対的に無理だ。彼の声はれっきとした男の声で、彼女のような物腰柔らかそうな挨拶なんてできやしない。更に百七十センチほどの身長の彼とは違い、彼女はそれ以上ある。なのに立ち振る舞いが酷く優しそうなのだ。さて、そのギャップに勝てるだろうか?

 ここまで来て、彼は「ん?」と首を傾げた。

 さて、自分はさっきから何を考えているのだろうか、と。何を仮定し、何と競っているのか……、どうもそれがずれているような感覚がする。

 頭を使っているからとは思えないが、割と店内が暑い気がする。

 今日はクリスマス、十二月二十五日――、つまり年明けも近いということになる。暖房でも効きすぎているのだろうか?

 首に巻いたマフラーや上着を脱いで、鞄の中に詰め込む。セーターまでになると、ようやく暑さが逃げていくような、ひんやりとした涼しさが心地良い。

(二つの事を同時に考えるってのは、なんだか変な気分だ。思考が変な方向に持ってかれる……気を取り直して選ぼう)

 と、彼は気を取り直して綺麗に陳列された本を眺めながらも、いざ、

「いらっしゃいませ~」

 なんて声を聞いてしまうと、さっきの〝変な方向〟に逆戻りだ。

 とにかく暑かった。手もべたついたし、脇にもじわっとした感じを覚える。流れる汗ではなく、滲み出す感覚……。

 さて、些か店内の空調は働き過ぎなのだろうか?


 2


 結局その一冊を手に取って、彼はレジに並ぶ。店内が暑いから、正常な思考ができなかった――という理由を並べて、彼は列に加わったのだ。

 レジ待ちすること二分。

「いらっしゃいませ~こちらのレジで承ります!」

「あっ――、はい!」

 レジの前に立って、本一冊を店員さんに手渡す。

「ではお預かりします。一点で七百七十円になります。当店のポイントカードはお持ちではないですか?」

「はい、あります」

 ……その後は事務的な、いつもと同じようなやり取りしかしなかった。

 ありがとうございました~という例の声と共に、店を後にしたわけなのだが、――寒かった。店を出てすぐ、身体が震える程だった。

「外、こんな寒かったっけか?」

 急いでブレザーを着て、マフラーを首に巻いた。そうでもしないと感覚がなくなりそうな気温だった。

 それもそうである。既に日は沈みかけ、クリスマスの飾り付けでライトアップが始まっているのだ。肌寒い、なんれレベルで許される外気ではない。

(おかしいな……店の中はあんなにも暑かったのに。やっぱり空調が壊れてたのかな?)

 その認識は完全に間違いであった。事実、彼の周りにいた他の客も、同じく列に並んでいた客も、誰一人として彼のような暑がりはいなかった。別に暖房の問題ではなく、彼の体質の問題なのだ。もっというと、体質ですらなく、一種の緊張状態にあっただけ。

 ただそれらを含めて、彼がしっかり自覚するのはあと数時間先の話である。


 3


 帰路には特段去年までの――彼が高校一年生までの記憶と違うものはなかったと言っていい。

 家に帰った後だって、自室の暖房はしっかり働いてくれた。やっぱり店のはおかしかったのだ。誰一人気にしていない素振りが見受けられるあたり、皆寒がりなのだろうとは思う。彼は寒さには比較的耐性があった方だし。流石に半袖短パンという伝説的な服装をしたりはしないが。

 夕食ができるまで二時間ほど待っていろ、という母親からの指示に、さてどうしたものかと彼は暇潰しの方法を考えることになった。

 さっき買った本を読んでいてもいいが、少しくらい外に出たい。クリスマスは学校行って帰って本読んで飯食って風呂入って寝ました――とは、どんなに虚しいものなのだろう。特段それらしいことをいままでしてきたわけでもないが。

 それでも散歩してくる、と言ってコートを羽織った彼は、新鮮な気持ちを求めて家のドアを開ける。

「うん……そうなの。鍵どっかで落としちゃったみたいで。……うん、業者さんが来るの、しばらく後になるみたいで。ううん、いいの。カフェとかで時間潰してるから」

 なんて声が聞こえてきた。

 声の方向に目線を向けると、アパートの通路で大学生くらいの女性が電話をしていた。どうやら鍵がなくて家に入れないらしい。

(知らない人のはずなのに、なんか聞いた事のある声だな……)

 デジャブ、というやつだろうか?

 携帯を鞄のポケットの中に仕舞い、階段を降りる。その仕草、歩き方に見覚えはないが。ないはずだが。

(…………身長、俺より高いのな。最近の女子大生って身長高い人多くない?)

 そこでようやく彼は既視感の正体に気付く。

「あっ――本屋の!」

「えっ……?」

 思わず声を上げてしまった。ビクッと肩を震わせる彼女を見て、頭を抱えたくなった。いや、そうしたいのは当惑した彼女の方だろう。言ってから気付いた。

「す、すいません。ただ近くの本屋でよくお見かけしたので、つい……ホント、すいません」

「あ――ああ、あの学生さん?」

「ええ、どの学生かはわからないんですが、地味な学生ならお――僕の事だと思います、多分」

「そうですよね、ええ。……いつもご利用いただきありがとうございます」

「いえそんな……。こちらこそ、どうも」

 そう言った後、彼女はキョロキョロとあたりを見渡す。「近くに住んでいるんですか?」

「ええ、すぐそこです。アパートの左隣の、あの一軒家です」

「ホントにすぐ隣なんですね、偶然!」

 一々仕草が女性らしい、というのは彼にとってはやや話しづらかった。学校で女子と話す機会はあるにはあるが、これ程までの子はおそらくはいないはずだ。第一、当然のことながら高校では男子とのつるみの方が圧倒的に多いのだから。

 ただ、彼女は少し不思議そうな顔をしていた。何か月か店で会っていた程度で、プライベートで声をかけてくるだろうか? ――と。口に出さなくても顔に書いてあると言わんばかりの〝引っかかり〟様だった。

 だから彼から話した。

「あの、家から出た直後に『鍵どっかで落としちゃった』とかって聞こえたんですけど、大丈夫ですか?」

「ああ~……割と、まずかったりします、はい」

「業者が遅くなってしまう、でしたっけ?」

「ええ。十一時頃にならないと来れないらしくて……しばらく駅跨いで漫画喫茶にでもいようかと思いまして……。あはは、やってしまいました。クリスマスなんですけどね、今日。ちゃんとケーキも買ってきたのに」

 もう既に、この時には彼に『理性』などという言葉は存在しなかった。頭のどこかへと吹き飛んでしまっていた。何故そうなってしまうのか、冷静になって分析する余裕すらない。だから、彼の口から出ている言葉の数々はあくまで直感とか、そういうものでしかない。

 だから、この時言葉にした彼の『勧誘』は、半ば興奮状態で理性がぶっ飛んだ今しかできないものだった。

「なら夕食とか、その……一緒にウチでどうですか? なら業者の来るギリギリの時間まで寒い思いをせずに済みますし……!」

 いかがでしょう、と彼。

 否――そもそもいかがでしょう、ではない。たった数か月顔を見合わせた程度で、相手が困っている、その隙に付け込むような理由を並べ立てて誘ったなら、白い目で見られて、

「なんだこの高校生、ナンパしてるし」

 と嗤われるのがオチなのだ。

 それくらいは……、断られるリスクくらいは無意識のうちに承知していたかもしれない。予想外なのは、むしろその先だった。

「えっ、いいんですか!? 助かります!」


 4


 早く大学生、社会人になって、自分の稼ぎで自由に生きたい――と彼は思っていた。それだけ高校生とい身分は、確かに拘束されている。狭い社会の中に拘束されていたのだ。

 ただ、今この瞬間は、自分の未熟な身分に感謝せざるを得なかった。というより、むしろ自発的に感謝したい気分だった。

 ここまで歓喜せねば、今の彼は気づかない。

(あれ……どうしてこんなに喜んでるんだ? というより、どうしてこんなことを……?)

 そこに気付かない――というよりも、気付かないふりをし、「なんでだろう?」「どうしてだろう?」と自分の心に問いかけ続けることによって、ある種の自己暗示を無意識のうちに試みていた。

 一旦家に帰り、先程までの話の経緯を母親に説明した。

 そこで彼女――柳原さくらとの自己紹介を、タイミングとしてはズレているし遅れているのではあるが、簡単に済ませた。彼、もとい味野大地とは三つしか年が違わない、と聞いて彼は随分驚いていた。

 ただ、そこから再び散歩に出かけた二人は、ほんのちょっぴり、そう、塩や胡麻の一粒くらいは打ち解けられた。

「大学二年生。三つ上、ですか……もっと年上なのかと思ってました」

「それ、あんまり女の子に言わない方がいいですよ、味野くん。老けているって、言外に伝えるようにすら思えてしまいますから」

「そういう意味じゃないですって! こう……」

 そう言って、言葉を詰まらせた。どうしたものか、〝こういう〟ことを軽はずみに口にしてよいものなのか?

「…………?」

 会話をしないならしないで、悶々とした感情に呑まれて体温が上がったような感覚がしてならないのに、いざ会話を重ね始めるとどこまで言ってよいものか優柔不断になってしまう。味野大地という青年は、中々に面倒臭い高校二年生なのである。

「……いえ、その。二十、って割と年が近いのに、すごく大人っぽいな、と」

「ふーん?」

 目線を逸らす彼。

 そんな彼に返答する女学生は、書店で見せるようなたいそう優しそうな声で言う。

「そうですよね。味野くん、いつも私の方に意識向けてますもんね?」

「なっ――え、ちょ……!」

 かあっと恥ずかしくなる。顔にもそう書いてあるかのように真っ赤だった。特に耳が酷い。ただ、男が照れても受容なんてないだろ、と必死に言い聞かせて落ち着こうと試みる。

「そういうの、結構バレますよ?」

「…………!」

 ここでやっと、彼は自覚する。自覚したことで、ようやく理性を取り戻す。自分の渡った綱渡りが、どれほど危険で、恥かしいものか。先程口にした言葉が、羞恥心をかなぐり捨てなければ出てこない言葉か。

 その全てをようやく考えられるまでに至って、ベッドにくるまってしまいたい気分というものを理解できた。

「すみません……」

 きっと紅潮しているであろう自分の顔も、耐えがたい暑さも、〝これ〟が原因なのだろうと思うと、一瞬受け入れがたい気持ちも出て来る。もう少し歳を重ねたら、きっとその抵抗感も取り除くことができたりするのだろうか?

 本屋に足げく通う青年と、そこの店員。だからやっぱり本の話を中心に、二人の会話はそれなりに弾む。それしか共通点がなかった。他の趣味はあまり共通しているものはなく、専門用語、業界用語、みたいなものは双方使えずに、さてどう説明したらいいものかと悩んでいたが、それなりに言葉を組み替えて、単純化して伝えようと努力する。

 だから相手の趣味や私生活に対して、即座に賛同できなくとも、理解はできる。

「……でも、味野くんは来年は高校三年生、受験生ですね」

「あんまり実感湧かないんですけどね。なんだかつい最近まで中学生だった気がするんですけど」

「誰だってそんなものですよ。私だってつい一年前の事なのに、もう懐かしいなんて言ってしまうくらいには」

「そういうものなんでしょうか」

「はい、そういうものです。来年のクリスマスにはもう出かけている余裕も――一般受験ならないでしょうし、今年は思いっきり楽しんでおいた方がいいですよ」

「それなら……多分、いい思い出に残ると思います」

 辿り着いたその場所は、丘の上にある公園だった。ニ十分から三十分ほどは歩いたところにある。

「クリスマスは、今までならあまり家から出なかったので、とびきりの」

「そう、ですか……」

 もうここまで来たら、彼は理性を自らの意思でかなぐり捨てるしかなかった。ちゃんと話して一日目なのに――とは思う。だが、年に一度の聖夜なのだし、明日謝ればいい。昨日は凄く新鮮で、変な事を口走ってしまってすみませんでした、と一言詫びればいい。

 それが分からない彼女でもなかったから、そして、微笑み返す余裕を――三歳上の彼女は持っていたから、特に今後の関係に亀裂が入ることはなかった。これは彼が特別運がよかった――というより、むしろかなり今の彼は〝ついている〟。幸運の女神に愛されているのだ。

 公園のブランコに二人は座って、紺色の空を見上げる。白い吐息がはっきりと見えるくらいには、太陽はもう沈んでしまったらしい。

「そういえば」

「……?」

「あ、いえ――柳原さんって学部どこなんですか?」

「文学部ですよ、本屋の店員ですし……アルバイトですが」

「学部は?」

「英文学科ですが、どうしたんです? もしかして英語、教えて欲しいとか?」

 彼はコクリと頷いた。

 だから彼女は、

「いいですよ、……まあ、お互い空いている時間が重なればの話ですが」

 と快く承諾した。

「ああ! 勿論です。そりゃ勿論。こちらは教わりたいと願い出ている身ですから」

 自動販売機で温かいコーヒーを二人で買い、それを飲む。

「メリークリスマス!」

「メリークリスマス!」

 柳原は味野に語ってはいないが、彼女自身もまた、十二月二十五日に家族以外で誰かと過ごした、という経験は数える程。彼が異性、というより弟に見えてしまうから、弟がいたらこんな感じなんだろうか――と一人娘の彼女は考えてしまうから、ちょっぴり言語化に困る感情を抱いた。

 それでも、それなりに、お互いに楽しんでいる。

 だからそれでよかった。今は深く考え込む時期ではないのだから、別にそれでよかった。


 5


 家に帰ってから、夕食までの時間は彼の部屋の本棚に柳原は興味を示した。

「あんまり買えてないんですがね、図書館で借りていたりもしたので」

「わかりますよ~私だってお金がない時は図書館で借りてしまって、気に入ったら再度買っていましたから」

「……そう思うとお金を稼げるっていいですね、学生の小遣いよりも多く、更にはある程度自分の裁量で自由に使えるときた」

「――と、思っていた時期が私にもあったのですよ」

「というと?」

「いえ、私は地方出身ですから、大学を通うのにも、こうして都心に出なくてはいけないわけです。寮に行くつもりもありませんでしたし。自分の裁量、とは言っても、限られた中でやりくりをしなくてはいけないので、仕送りなども含めれば、自由に遊んで使えるお金なんてほんの微々たるものです」

「……よし、絶対実家から通おう」

「通学時間がかかりすぎても困りますが、多少かかる程度なら、無理に一人暮らしを試みる必要もありませんからね」

 確かに彼女の言っていることはその通りだった。メリットもなく、自分をそんなギリギリの状況に追い込む必要が果たしてあるのだろうか? 社会人になってからのお金の管理に慣れる、とかだろうか? それが仮にメリットだとしても、別に大学生になってからすぐにやる必要もない気がする。

「にしても」

 彼女は本棚に目線を戻す。

「割とバランスよく買い揃えられていますね。……ただ、新書が少なめってところでしょうか」

「ええ、中々あのサイズの本には慣れなくて。単行本か文庫本の方が、こう、しっくりいくような感覚がしてしまって」

「ああ、私もわかりますよ」

「ですよね!」

「ええ。大学でようやく新書に手を出す機会が増えまして……ただようやく慣れてきた、という感じです」

 彼女の部屋にはない本も数冊あるらしく、それらの本はまず図書館にも見ていないし、立ち読みもしたことがないのだという。簡単にあらすじを説明したが、少し前に読了した本の要約をするとなると、中々にハードなことに思えてしまった。ここで彼はもう少し国語の――それも特に要約の練習について、もっと真剣にやるべきだったと後悔した。


 6


 夕食には鶏肉のシチューにやたらジャガイモが入っていたとか、食後のデザートにケーキだ出たりだとか、やっぱり去年までの記憶と異なる部分は見当たらない。

 ただ、四人のテーブル席が満席であるという光景は、彼にとっても、また彼の両親にとっても新鮮味の強いものだった。

 ただ、誘っておいてなんだったが、彼は軽く後悔した。

 両親がどういう人間性か、忘れていた。

「それでね、大地ったら――」

「そうそう――」

 過去の話をしてくる。それも恥ずかしい失敗談の数々。例外的に他のもあるが、大概はその部類に入るだろう。穴があったら入りたい、というのはこういう時に用いる言葉なのだろうな、ととても思う。

 一方、柳原は相当聞き上手なようで、相槌を打っている。その様子を見ていると延々と話してしまいたくなるが、適度に彼の両親は彼女に話題を振っていることもあって、その点は羨むべき両親を持ったのかもしれない――と未熟な彼は思う。

 あと、何気に彼女が独り身であることが確定したことに、彼は安堵を覚えた。彼氏がいたりしたら、その彼氏にも申し訳なく思ってしまう。……まあ、こんな地味な高校生がどうするわけもできないのだが、と彼は自虐した。

「――へぇ~そうなの? 頑張っているのね、私なんか英語なんてもうすっかり忘れちゃって」

「そうだな、俺も」

「ええ、将来は翻訳家になりたいなと思っています」

「翻訳家!?」

 彼は立ちあがって聞く。

「そうですよ? まだまだ海外には面白い本がたくさんあります。でも日本には輸入されてきていませんから、どこかの出版社と契約して、翻訳させていただきたいと思ってるんです。……まあ、まだまだ夢にまでは遠いのですが」

「さくらさん、すごいじゃないか。夢までちゃんと決まっていて。……お前、ただぼーっと生きてるだけじゃ、人生つまらなくなっちまうぞ?」

「うーん……」

 ぱっと思いついたのが出版社のお偉いさん、とかしか出てこない彼であった。

「高校生の時だったらそんな定まった進路なんて必要ありませんしね。私の両親も言っていましたが、小学生の頃から『将来の夢』って、中高生になったら『進路』なんて、経験してもいない、わからないことを訊かれても頭一杯になってしまいますから」

「流石です、柳原さん、もっとウチの両親と、ついでにウチの学校の先生にも言っちゃってください」

「えっと……流石に学校の先生には。別に言っていること自体はおかしくはないので……」

 頼もしい仲間ができて、彼女に援護射撃を頼んでみたのだが、彼はあえなく撃沈する。調子に乗って、足の浮いた言動をするのはやっぱり控えようと思う彼であった。


 7


「本日はどうもありがとうございました。こんな夜遅くまでご迷惑をおかけしました」

「いえいえ、とんでもない。さくらさんのおかげで、今年のクリスマスがとっても楽しくなったもの、ありがとう」

「そんな……恐縮です」

「元旦にもいらっしゃい? ウチのバカ息子が待っているだろうから」

「なっ――おい、ちょっと!」

「あんまり隠すなよ、男らしくないぞ?」

「なに、クリスマスプレゼントは息子をいじることですかそうですか」

 そりゃクリスマスでも平常運転だからな、と彼の両親は笑う。

「ご両親と仲がいいのですね、味野くんは」

「これが仲いいっていうんなら、多分仲がいいんだと思います……」溜息交じりに彼。

「私も両親とは仲がいいつもりですが、違う方向性です。たまにはこういう話し方でもいいのでしょうか?」

 と彼女は冗談交じりに笑った。

「そうですね……確かに、三日後から大晦日あたりは、私の実家の方では大雪になるだろうって予報が出ていたんでしたっけ。東京でも結構降るそうで。そうなると帰省は難しいですね……」

「明日か明後日ならまだ大丈夫なんじゃないんですか?」

「明日もバイトですからね。明後日に行くしかないかもしれません、結構急な話になってしまいそうですが」

「行く時は気を付けてくださいね、最近駅とか物騒ですし……」

「心配してくれるんですか? ありがとうございます。ちゃんと気を付けますよ」

「はい、是非そうしてください。…………」

「それでは」

 そう言って、本当に別れた。といっても、彼女が住んでいるアパートはすぐ隣。鍵専門の業者が来ても、すぐにわかるくらいには、隣なのだ。

 大晦日から元日、ないとは思うが、もし彼女が家に来た場合の事を考えると、首を思わず横に激しく振ってしまう。何を変な妄想をしているのだ、そんなことはない。願望ではあるかもしれないが、仮定ではない。だいたい見知って間もない家族の家で年越しを迎えるとは一体……、と冷静に考えれば変だ。

 以前、一人で観光名所に赴いた時、

「あーここ、どっかでまたアイツと来そうだな」

 と一人の友達の顔を思い浮かべた。

 その一週間ほど後に、彼はその友達と実際にそこへ行ったのだ。

 つまり、変に勘が鋭い時があるのだ。

(もしかして、もしかしたら……その『もしかしたら』があったりするのだろうか?)

 それは大雪が降る時まで、わからない。

 十一時過ぎ。

 スマホで時刻を確認した彼は、自室に戻って日記でもつけようと思った。

 業者の音は聞こえなかったが、LINEの連絡先を交換していたから、メッセージが来た時に着信音が派手に鳴った。

『見事あけてもらいました!』

 と、彼女の部屋に置かれた大きな大きな本棚の写真が送られてきた。

 さて、その中に彼が欲しいと思っている本は一体何冊あるだろうか……。

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