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「結婚して、どう?」

 付き合ってる人いる? の質問は、旦那さんとどう? の質問に変わった。

「問題ないね。大好き」

 私は現状そのままを答えた。

「私は、ケイくんと別れた」

 瑠花も、現状を答えた。

 そして、泣きそうな声で呟いた。

「おいてかれる」

 瑠花は心底凹んでいた。

「ノッコもえっちゃんも、みんな結婚して、……おいてかれる。私は、子供が好きで、ほんと、自分の子供とか、ほしいなってずっと思ってて。それなのに、どんどん、みんなだけが、先に行っちゃう。おいてかれる」

「出会いを……」

 出会いを増やそうよ、と言いかけたとたん、瑠花は私を睨んだ。

「えっちゃんにはわからないよ」

 瑠花に睨まれるのは初めてだった。

「えっちゃんは、結局、勝ち組だから。私は、負け組だから。えっちゃんは、勝ち組だから……」

 私はうろたえた。

 勝ち組、負け組、という言葉は嫌いだった。私こそ、その言葉でいえば、いつも好いた相手に気持ち悪がられる「負け組」、結婚とは縁がないかもしれない事を、高校の頃から既に感じていた。「勝ち負け」の範疇からさえあぶれて、いつも世界の外側にいた。だからこそ、私は、色々な事にこだわるのを、わざとやめた。

 人と同じ生き方。

 変じゃない生き方。

 当たり前の生き方。

 そんなものをいくら「そうすべき」だと諭されたところで、それはちっとも私にとって当たり前じゃない。

 瑠花に、キスを変だと言われた時も、別れた後の道を大股で歩いて帰った。これが私の当たり前だ――本当は、歯を食いしばって、何度も唱えながら帰った。

 結婚して子供がいる自分を疑った事がなかったのに、そう話す同年代の友達に、いつも外側から、思っていた。どうして世間一般の当たり前を、みんな当然のように自分のレールとして思い描けるのか、と。

「勝ち組とか、負け組とか、思ってないよ……」

 気が付けば、生きているだけで、私の前でたくさんのシャッターが並んでいた。

 好きな人がいるか、恋人ができたか。勉強ができるか、大学に受かったか、正社員になれたか。

 私は祖母から、まだ子供ができないのかと再三言われていた。

 結婚したらしたで子供はいつだと言われる。おそらく、第一子が生まれれば、二人目がうちだけ来ない、ママ友同士の狭い柵の中で、そんな会話が交わされる。

 シャッターは無数に目の前で、周りに気づかれずに音を立てて閉まり、私達は内側でおいていかれる。繰り返しだ。

 結婚のシャッターの向こうがわにいる瑠花に、近づこうと伸ばす手が勇気を失う。

 シャッターは突然開かれる。でも今周りを見えなくするシャッターの重さを、無かった事にできない。何を言ったら傷つけないのか。

「なにか、……お酒でも飲みたいね?」

 言葉を何も選べず、瑠花に可愛いカクテルを一杯奢る事にした。

 

 ハワイアンコンセプトの居酒屋で、ブルーのカクテルを傾けながら、瑠花は少しずつ泣き止んだ。南国のヤシの木が明るく葉を広げる写真が、高温多湿の日本の湿っぽさを少しだけからっとさせる。

「そういえばさ、昔行ったゲイ映画あったじゃん。あれの感想を職場の友達に言ったらさ……」

 瑠花はこっちの顔色を伺った。

「レズビアンの人が、近くにいたらどうしようって言いだした子がいて」

 顔色を伺った理由が分かった。傷つけると思った。でも、「ぶっちゃけ」、私に話したかった。

「自分が狙われたら、みたいな事言い出したから、言っちゃったよ。レズビアンだって好みがあるんだって」

「へえ」

「えっちゃんと話して、私も色々、話聞いたり、見たり、したからさ。いきなり、会ったばかりのキョーミない男が、あんたに狙われたらどうしようって思ってたらどうなのって……。同性が好きでも選ぶ権利はあるし、全員が恋愛対象になる訳じゃないって、言っちゃった」

 つい瑠花を二度見した。

 それは――当事者でないと出てこないぐらいのその言葉が言える瑠花は。

 どれだけ、私のシャッターを、開けようと努力してきたのだろう。言っていいか、やめた方がいいか、傷つけないか迷いながら、「ぶっちゃけ」、その言葉を使って、いつでも瑠花は私に関わってくる方を選び続けた。

 関わるために、「話を聞いたり、見たり」してきたんだ。そうでなければ、こんな、当事者しか感じないような事、引っかかって反論したりなんか――。

 突然、私は気がついた。

 瑠花に対して、ノッコやたぁちゃんにアウティングされたらどうしよう、とハラハラした事も、疑った事も、一度もなかった。

 ノッコが「女もありな人?」と聞いてきた時も、瑠花がばらしてしまったとはチラリとも思わなかった。

 簡単に友達に言っちゃダメだと叱った瑠花が、私が本当に困る事をする訳がない。私はずっと、信じるだけで良かった。疑う余地もなかった。

 安全な場所から人を傷つける怖さを感じても、迷ったら、瑠花は動く方を選ぶ。児童相談所に連絡した後みたいに、それが後で自分を迷わせ、苦しめても。

 私だけが開かないと考えていた重い鉄のシャッターを、向こう側から「ぶっちゃけ」……言葉通りぶちあけようとして、私の見えない場所で、どれだけ瑠花は考えてくれたのだろう。

 いつの間にか、私と瑠花の間に最初に閉じたシャッターは跡形もなかった。

「瑠花」

 私は瑠花の、婚約指輪がなくなったばかりの左手の薬指を指差し、それから隣の小指を指差した。

「ここに、本物の指輪がくるように、見えない指輪をあげるよ」

 純粋な瑠花が持つに相応しい指輪。自然現象でも物質でもない、目には見えない、本物の祈りの指輪。

 私は指輪を持ち、指先すらも全く恋愛対象にならない瑠花の小指に、嵌めるしぐさをした。

 指輪を嵌める指には、意味がある。小指は「自分らしさを発揮する。チャンス、変化を呼び寄せる」と書かれているのを見たことがある。

「おまじない」

 そのままの瑠花で、愛し合える、いい相手が現れますように。瑠花にとっての当たり前の、本物の輝きが得られますように。私の本当の友達が、幸せでありますように。本物を引き寄せて。

 いつ開くのか人間にはわからないシャッターを壊したい。

 恋愛対象ではない瑠花に今贈る、見えない指輪は、私にとって一番純粋な、本物のダイヤモンドだった。

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シャッター 銀色小鳩 @ginnirokobato

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