犬にはひとつだけ弱点がある

鈴木松尾

犬にはひとつだけ弱点がある

 推しがオフ会を開くと発表した。推しは夫婦でYouTuberをしていて、三十代前半ぐらいの二人と柴犬を二匹の暮らしを切り抜いて動画を上げている。こないだチャンネル登録者数が26万人を超えたとツイートしていたから、その記念だと思う。今年の三月に予定していたオフ会は緊急事態宣言に入ったから中止になっていた。

 一年前まで、私も両親と同居する家で白い柴犬と暮らしていた。柴犬のゴジは一年前に老衰で死んでしまった。ゴジが死んでしまう何ヶ月か前にこの推しの動画を見て、柴犬あるある、を母にも見せて楽しんでいた。ゴジが死んでから二週間ぐらいは見れなかったけど、今でも火、木、土の夜は更新された動画を閲覧した。柴犬は毎日同じリズムで過ごしたがる、のが似たのかも知れない。更新されない日は過去の動画を探して、特に面白かった、というか、ゴジと似たしぐさをする動画を見つけたときは母にも見せたりした。


 ゴジは横浜のみなとみらいでブリーダーが開いた販売会で両親が一目惚れして、うちに来た。

 ゴジはツンデレだった。柴犬あるある、でもあるけど、普段はまったく近寄らない。呼んでも来た例がない。食事の用意をすると近寄る。構って欲しいときは呼ばなくても来る。頭を撫でてもらいたいときは、もういいだろう、とこちら撫で止めると、前脚で私の脛あたりを押して継続を要求する。私が帰宅すると小さい頃は玄関まで来てくれたが、四歳頃には居間から吠えるだけになり、十歳を過ぎる頃には吠えもしない。十三歳のときは居間に私が入ってもチラ見するか場合によってはしない。人間と同じだ。人間の方がまだいい。母と父からは「おかえり」と返って来る。だから私から「ゴジ、帰って来たよ」と言って頭を撫でる。頭を撫でても眠いときはチラッと目を開けるだけで動きはなし。だから余計私はがんばって、頬を擦り付けたり、おでこ同士を付け合ったり、身体をさすったりする。ゴジは早く終わらないかなぁという目線をこちらに返すだけだ。

 ゴジは母に懐いていた。家に母が居ないと、玄関の前の廊下で伏せて待っているのを何度も見た。寒いからこっちおいで、と言って居間に促しても来た例がない。音か何かで母が帰って来るのを感じると、居間に入ってソファーに飛び乗って、玄関の方を見ている。そのソファーはゴジの場所と決まっていた。

 推しの柴犬達にもお決まりの場所があって、ソファーの下でかつ壁にお尻を付けるポジションが気に入っているらしい。その柴犬は人見知りする性格の子だ。そんな狭いところに居る柴犬が見たらかわい過ぎて倒れると思う。

 ゴジが死んでから母と一緒に動物病院に行った事がある。ゴジに使った小さいホットカーペットを貸してくれたのだ。十一月の終わりに死ぬまでそのホットカーペットを使った。十月を過ぎて寒くなったとき、ゴジがほとんど動かなくなって、相談に行ったのだ。そのときに借りて、ホットカーペットで身体が暖まったゴジは十六歳としては元気に動く様になった。そのホットカーペットを通っていた動物病院に返しに行って、そのときに死んだ事も伝えると、いつも担当してくれたアシスタントの方が泣いていた。

 ゴジが死んだ直後は、母と私はまったく何もできなかった。それでも母は買い物に行かなくてはならないし、私は英会話スクールだけは行った。受講期限が十二月末までだったからだ。母は近所で犬を飼っている人に会うと「次の犬はもう決まってるの?」「いつ飼うの?」「早く次を探した方がいいよ」と言われていたらしい。私も英会話スクールで「ゴジが死んだ」と英語で言うと講師は近所の人と大体同じ様な事を返して来た。母と私はゴジのことしか考えていない。父もゴジのことは好きだったが、近所の人達と割りと近い考えを持っている様だった。

 英会話スクールの講師にはそれからも何度か、愛犬の死についてどう乗り越えるのか、を聞かれた。その頃、リモートで仕事をする事が許されていたから、英会話スクールのオープンカウンターで仕事をしつつ、レッスンを受けていた。毎日、通っていたのだ。

 帰宅すると私と同じく、気が抜けた母を見る。登校すると死についてどう思っている?と聞かれる。私自身もどうしたら良いか、決めたかった。

 割り切っていたと思っていた父が、ゴジの写真をA4でたくさん印刷して欲しい、と言って来て、私は時間があればノートの中に入れていたゴジの写真を印刷して、裏に撮影日時を書いた。それが六百枚目になったときに、母に見せた。私は最初の十枚を印刷し終わって、机に置いて眺めたとき、もっと続けようと思った。

 ゴジが死んでもう一年経った。ある日、母は近所で二匹目を飼って二年が過ぎた飼い主さんに、あの動物病院で保護犬の譲渡会があると聞いた。その際、その飼い主さんが連れていた茶の柴犬を撫でてしまって、帰って泣いた、とも言った。母は未だに犬自体に触れない。触れるけど、触るとゴジを思い出すという。だから触りたくないらしい。ゴジと過ごせない寂しさが続いている。私は逆で、犬に触ってゴジを思い出してうれしくなる。

 譲渡会に母を誘って行く事にした。行く直前に父は母に「決めて来ていいよ」と言ったらしい。どれだけ割り切れているんだか、と譲渡会に行く道で母と一緒に笑った。

 譲渡会には保護された犬が集まっている。ブリーダーが商品にできなかった犬が保護されている。子犬ではなくなった犬とか子犬だけどケガをしていて売れそうにない犬とか。そこには片目をケガした小型犬がいた。母はその子によく話し掛けていた。推定二歳の黒い柴犬が二匹、同じく二歳ぐらいの茶の柴犬、大きなドーベルマン、がいた。彼らは保護犬なのでいつ生まれたのか分からない。誕生日はその家に来た日、がいいと思います、とこの譲渡会のスタッフが言っていた。

 母は彼らひとりひとりに話し掛けていたけど、触ることはできていなかった。私は思う存分触ってしまって、楽しかった。保護犬達は見知らぬ人間が交代で入れ替わり立ち替わりして来るので、最初は警戒していた。それでも時間の経過と共に近寄ったり、匂いを嗅いだり、ができていた。

 一週間が過ぎた頃、その動物病院の、ズンダが迷い犬になりました、というツイートを見た。私は母に「ズンダが行方不明になっちゃったって!」と教えた。ズンダは黒柴ちゃんで譲渡会の後でボランティアの方の家庭でトライアルに行っていた。トライアルとは保護犬が人間に慣れるために一週間とか期間を決めて一般家庭の中で生活をする、ことで、保護犬には犬らしい感情がなくなってしまっていることがある。たしかにズンダはこの間の譲渡会では近寄って来るけど、それは滅多にないらしかった。母に近付いたズンダを見てスタッフの人が珍しい、と言っていた。

 Twitterを開いて、そのツイートを見る前、推しのツイートもあって、オフ会の詳細をリンク先で確認して欲しい、とあった。そこには、渋谷で開かれること、参加費は五千円で軽食とサンドイッチ、フライドポテト、チキン、パスタ、ソフトドリンクの飲み放題が含まれていて、アルコールドリンクは別料金であること、オプションがあって、対面トーク五分間が六千円、もちろん二匹の柴犬とも遊べるとあり、サイン付きが七千円、写真撮影付きが八千円、動画撮影付きが九千円、全部付き一万円、とあった。母にそのツイートの事は話さなかった。

 ズンダが最後に見かけられた場所は自宅から電車で15分ぐらいの公園だった。母はこんな寒いときに外に居ても平気なのか?とか食べる物はあるのか?と言っていた。今夜から雨が降るはずとかゴミはネットで囲われてるから無理よね、とも言っていた。雨は夜更け過ぎに雪に変わるかも知れないね、野良猫を外で飼っている人が置きっぱなしにしている食べ物の残りとか、水たまりの水とか、そういうのを探して公園から公園に行ってるかもね、と私は言った。それならその近くの公園にまた移るだろうな、と母は思い付いたに違いない。私もそう思い付いた。なので、私が明日の土曜日に探しに行くことになった。もう寒いので母には自宅に居てもらう。母にはズンダが万が一、うちの家の前にある花壇に近寄って来た場合のシミュレーションをしてもらった。ズンダは性格として人も犬も好き、とツイートにあったのも伝えていた。ズンダー、と優しく呼ぶ練習をその場で母はしていた。

 リードを持って土曜日に探し行った。ズンダは見つからなかった。探している最中、いちご丸という犬を思い出した。こないだ自宅近くの公園で飼い主がいちご丸を探しているというチラシを配っていた。ズンダを探しながら、いちご丸は見つかったかどうかも気になった。いちご丸には探してくれる飼い主がいる。ズンダにはいない。いちご丸と飼い主が会えたらどちらもうれしいだろうな。ズンダは私と会えてもうれしいかどうかと言ったら無表情だろう。けど私はうれしい。ズンダに伝えるのだ。という謎の使命感があった。もっと言うと私じゃなくてもいい。私は既に伝え終えている。植え込みの後ろに回り込んだり、屈んだり、公園と公園の間の道を何往復もした。楽しかった。しかし見当たらなかった。

 どちらも吉報のツイートがまだない。母にその事を伝えると、そう、と言ってゆっくりソファーに座るだけになった。

 ゴジの一周忌の日に、母と一緒にゴジを火葬した港に行った。工場と工場の間に川が流れていて、どの工場も海に面していた。その川沿いで専門業者の移動火葬車で死体になったゴジを焼いた。煙を出さない火葬方式なのだが、自宅の前で行うには近所の方の理解が必要になるだろうし、当時はそういう事を説明する気になれなかった。

 ゴジを焼いたところで一緒に手を合わせ、防波堤の所までゴジの事を話しながら歩いて、釣りをしている人を見て、他にする事もないから駅に向かった。その途中でもゴジの話を母としていた。歩道橋が見えて港と駅の中間地点ぐらいのとき、上からゆっくり何か落ちて来て、足の前の地面に着いたそれを見ると、発泡スチロールだった。手に収まるぐらいの立方体。母に「アイツ、いたずらしたな」と言うと私の手から白い発泡スチロールを優しく取り上げて、顔の前で眺めていた。母は笑っていた。帰りの電車は少し混んでいたから何も話さないでいた。私はiPhoneを出して推しのチャンネル登録とフォローを解除した。いちご丸とズンダに関するツイートも調べたけど見つかってない。家に着いてから彼らの捜索状況を母と共有するとき、父も加わりたそうにしていたから、母にはわざと回りくどく状況説明する事にした。母は、そう、と言うとゆっくり座った。隣りにいたゴジの白いお尻にぶつからないように、ゆっくり。


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