小説に、彼女を想う。

アル

第零章

                * *

 「ねぇ、君の小説読ませてよ」


今まで何度も聞いてきたセリフは、少し今までとは違った意味を持っていた。飲み屋特有の騒がしさが一瞬なくなったような気がした。私も小説書こうとしたことあるの、と久留米は続ける。


「普段たくさん読んでるし、もしかしたらって思ったんだけどね。いや~、やっぱり書く方に回ると難しいよ」


 「でも、読んでもつまんないと思うよ?」


何度も友達に読んでもらい、そして笑いものにされてきた卑屈さが、僕にそう言わせる。


「そんなの、読んでみないと分からないじゃん。それに、誰かが面白いって思った作品も、自分には面白くないことはあるじゃん。その逆も然り。ようするに、人の好みなんだし、自分のつくったものには自信持たなきゃ」


ああやっぱり。彼女は僕の欲しい言葉をくれる。

 飲み会の席で、少し酔っていたこともあるのだろう。そして、僕が彼女に好意を抱いていたことも。分かった、と僕は呟く。


 「分かった。じゃあ、君のために新しい小説を書くよ」


ちょっとばかりキザなセリフを吐き、一気にまくしたてた。別にすべて君のためってわけじゃない、ちょうど前のを書き終えて新しいのを書こうとしてたんだ、それに君なら僕の小説を笑いものにすることもないだろうから。

ちょっと顔が赤くなっているのが自分でもわかった。酒のせいで元々赤く、気づかれていないことを祈る。気づかれていないかな、と彼女の方を見やると久留米は満足そうな表情で笑っていた。


 「じゃあ、約束ね!やりぃ!超楽しみ!」」


そう言いながらビールを飲む、彼女の健康的そうなピンクの唇は少し色っぽく…いやいや何考えてんだ。官能小説じゃあるまいし。

 でも、本当に彼女は綺麗だと思った。彼女のために、次の小説を書く。それは、自分に出された次なる重要なミッションのように思えた。


 そして僕は、新しい小説を書き始めた―――その小説が将来、僕たちに大きな意味を与えてくれることなどつゆ知らず。

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小説に、彼女を想う。 アル @tri_albizia

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