形而上人類学研究室

黒豆ベアー

第1話形而上人類学研究室

軽井金男は大学の研究室に向けて自転車を漕ぐ。昼前に起きたので胃の中は空っぽだ。

「お腹空いたね」

脳内の彼女が呟く。彼女は軽井が中学一年生の時に作成した少女だ。

「研究室に何かあるといいけどなあ……」

軽井は脚に力を込めて自転車の速度を上げた。


「お疲れ様です」

軽井は研究室の前に自転車を置いて、中に入る。普通、研究室は大学内にあるものだが軽井のゼミの教授の研究室は自宅にあった。

研究室の中には留衣先輩がいた。留衣先輩は三年留年している三年生だ。

「ああ、軽井君。先生まだいないけど……」

「了解しました」

軽井はキョロキョロと研究室内を見回す。

「どうかした?」

「いや、なんか食べるものないかなと」

「ああ、なんかあるかな」

留衣先輩は後ろの棚をガサガサと探す。先輩は棚の前にあるものを机の上に無造作に並べた。

「色々ありますね」

「うん……」

先輩はとりあえず食べ物は見つけられなかったのか振り返り頷く。

「なんですかそれ」

「えっと、これは……」

机の上には特撮の光線銃の銃口に十字架を貼り付けたような形状をしている。

「ネロゲロガン」

留衣先輩はそう呟いた。

「ネロゲロガン?」

「そう。先生がイタリアの知人に見せるために作ったショーグッズで、この銃から照射させる光線に触れると十字架を見るだけで吐いちゃうようになるの」

「ええ……。ここの発明品ってこんなのばっかですよね」

「形而上人類学を研究する場所だから……」

「何度聞いても胡散臭い学問ですよね」

「まあ、普通は聞かないよね」

形而上人類学。催眠術とか呪いとか魂とか霊とか予知とかそんな胡散臭いことを研究する学問だ。


バタン。隣で扉が開いた音がした。

「ああ、先生帰って来たみたい」

「そうですね。それじゃあ、行ってきます」

「うん……」

どうやら、空腹で行くしかないようだ。


「いやいや、嫌ですって」

軽井は叫ぶが、無常にも扉は閉められる。現在、軽井は大型の冷蔵庫のような装置の中にいた。扉が閉められるとすぐに、重い機械音が鳴り響いた。そして、軽井は下へと落下した。落下した先は砂漠だった。

「なんなんだ。異世界転移装置って」

軽井が入れられたのは異世界転移装置。扉横のダイヤルをいじり、転移する世界を選び、装置ないの物を異世界に飛ばす物だ。

「人の本質を魂に再設定し直して、次元の壁を越えるとかなんとか言ってたけど……」

周りは一面、砂漠だ。

「ヤバそうだね」

脳内の彼女が同情するような声で言う。

「本当にな」

10分ぐらいで戻れるらしいが、どうなることか。

「あっ、アレ」

彼女が驚いた声を上げる。

軽井が視線を上げると、そこには一本足で飛び跳ねる謎の生物がいた。触覚のような日本の角の上には目玉、皮膚は柔らかそうな鱗に覆われている。その生物は粘液を垂れ流しながら少しづつ近づいて来た。

「キモ……」

脳内で彼女が引き気味に言った。

「たしかにキモいなぁ」

早く元の世界に帰してくれないだろうか。


結局、1時間ぐらいその跳ねる生物と共にいた。元の世界に帰ると教授はいなく、留衣先輩のみがいた。

「10分って話じゃなかったんですか」

「10分だよ。ただ、時間はこっちに合わせてて……。世界によって時間の流れは違うから」

「本当、冗談じゃないですよ」

「一応、危険の少ない世界に飛ばしてる筈だけど」

「まあ、危険はなかったですけど」

砂漠の謎生物は飛び跳ねるだけで、移動速度はよちよち歩きの子供より遅かった。逃げることも容易だし、そもそもあちらが警戒していてこちらに一定距離以上は近づいて来なかったのだ。

「でも、唯一のゼミ生だし、もう少し大切にしてもらってもいいと思うんですけど」

一年ゼミでこの教授の研究室を選択したのは軽井だけだった。

「そうだね……。でも、先生いつもあんな感じだから」

「ですよね」

それはここ2月ぐらいで軽井も理解したことだった。

「本当に危険なんだから。先生、しょっ引かれればいいんですけどね」

「まあ、実際。機器や発明品の一部は警察に押収されたりしてるしね」

「そうなんですか」

「そう。押収されかけた物も沢山あるよ。さっきの『異世界転移装置』とか、『サブリミナル発生装置』とか、『アガる君一号』とか、『ピカソの絵なんてラクガキだ』とか……」

留衣先輩は部屋の各所にある謎の機械を指さした。どれも碌でもなさそうな雰囲気を放っていた。

「ん……」

その時、脳内の彼女が小さく声を上げた。

(どうした?)

(何でも……)

しかし彼女は首を振って押し黙った。


帰って、風呂に浸かる。何故か今日の教授との会話を思い出した。

「軽井君。君がここにきて最初に実験した装置を覚えているかな」

「えっと、学習なんとか……。名前は忘れてしまいましたが、覚えてます」

「ああ、しかしそれは嘘の名前だ。正式名称は羅列少女。効果は脳内に形而上人類学の叡智を記憶させた人工知能を生成すると言う物。その人工知能は脳内イメージとして少女の形をとるが、常に情報を脳内に羅列するため、被験者は発狂してしまう」

「随分物騒な物をいきなり私で試しましたね」

「しかし、君にはなんの効果もなかった。それは君が持っていたイメージフレンドのせいかと思ったのだが、何度計算し直してもそんなことはあり得ないんだ」

教授はこちらを見つめながら、尋ねる。何故、君は羅列少女の汚染の影響を受けなかったのかと。

「どうしたの?」

彼女は不思議そうに首を傾げる。

「お風呂中は出てこないんじゃないのか」

彼女を遠回しに非難する。

「いいでしょ、別に」

それに彼女は決まり悪そうにそっぽを向いた。


「お願いします」

軽井は翌日、またあの箱に押し込められた。今度は異世界転移装置の世界軸設定の数値を前回より少し上げるらしい。その分、危険度も上がるのだか容赦はない。そして、世界は暗転した。


駅があった。駅舎はなく、コンクリートの上に駅の看板が立っているだけ。その前には線路が引かれている。少し塩の香りがした。駅の上には彼女がいた。片手に単行本を持って立っている。

「そこ、危ないよ」

視線を上げた彼女にそう指摘されて、軽井は自分が線路の上に立っていたことに気づいた。

「えっと、なんでここに」

「えっ?」

彼女は不思議そうに首を傾げる。

「いやっ……」

いつも脳内にいるだろと言いかけて、目の前に実在する彼女に言うのは流石に躊躇われた。

「ああ」

彼女は何かを察っしたかのように頷く。

「えっと、会ってるよ。いや、正確には私は会ってないけど、会ってるとは言えるかも」

「え……」

「ああ、もう時間だ。ここは時間の流れが早いから」

世界がボヤける。そして、箱の中から吐き出された。

「ごめんなさい」

留衣先輩がいきなり謝罪する。

「ダイヤルの調整、間違えてて。かなり危険で怖い思いをしたんじゃ」

「いえ、大丈夫でしたけど」

ただ不思議な体験をしただけですとそう答えた。


少し落ち着いて、机で留衣先輩と二人、カフェオレを飲む。

「留衣先輩、前に話してくれた装置の話してくれませんか」

「えっ?」

「押収されかけたとか言うやつ」

「ああ」

留衣先輩は合点がいったのか、頷いた。

「ええと、『異世界転移装置』はいいとして……。『サブリミナル発生装置』は使用者の視界に毎秒100回、特定の映像を幻視させる装置で。効果範囲がキロ単位でした調整できないことから、テロに使われる危険性を危惧されてて……。『アガる君一号』は人を一つ上の存在に昇華させる装置で、対象者は過去や未来の自分と繋がれるようになるらしくて。『ピカソの絵はラクガキだ』は対象者の視界をピカソ風に歪ませんるだけど。一定時間経つと、その人の視界に現実が引っ張られ始めて、世界が現代アート風になってしまうので……」

「どれも本当にヤバいですね」

軽井は少しドン引きながら笑った。


軽井は土曜日に無人の研究室に忍び込む。そして、『アガる君一号』に手をかけた。『アガる君一号』は椅子型の装置で、頭をすっぽりと覆うように箱が椅子の上に備え付けている。軽井は椅子に腰掛けると、頭を箱に嵌めて電源を入れた。『アガる君一号』は鈍い音を立てて、作動を始めた。


「よく分かったな」

彼女が目の前に現れる。普段のぼんやりとした瞳には叡智が宿り、存在感が何倍にも増してるように感じる。

「感謝する。あとは貴様の肉体を乗っ取れば、世は世界を手中に収めることができるのだ」

仰々しく話す彼女を、軽井は冷めた目線で見つめた。すると、彼女は少し決まりが悪くなったのか首をすくめた。

「少しは乗ってくれても良くない?」

「そういうことなんだな」

「うん」

話は簡単だ。どこかの世界の軽井が『アガる君一号』を使用し、イマジナリーフレンドのみが『アガる君一号』の効果を受けた。それにより、軽井は中学一年生の頃から、ほぼ完璧なイマジナリーフレンドを獲得できた。

「お前が、『羅列少女』や『異世界転移装置』から守ってくれたんだろ」

「ううん。どうかな、『羅列少女』の方は私達にも必要だったから」

「だろうな」

「『羅列少女』の叡智がなければ、他の魑魅魍魎な装置には太刀打ち出来ないだろう」

「『羅列少女』を取り込む前のお前はいるのか」

「どうだろう。こうなっちゃうと私達に区別は必要ないから」

「そうか……」

「この世界でも君は『アガる君一号』を使用した。だから、私達は制限なくここの私に干渉できるようになった」

「それで?」

「何も変わらないよ。ただ、貴方が望むなら未来のことを予知して、電車の遅れを知らせたり、宝くじの当たり番号を教えたりはできるけど」

「いや、いいよ」

「そう」

彼女はわかっていたように頷いて、微笑んだ。

「じゃあね」

彼女が薄くなり始める。

「待って!」

軽井は叫ぶ

「何?」

「さっき、宝くじって言ったか?」

「うん?」

「そっかー」

軽井は頭を抱えて悩み込む。

「そこで悩まないでよ」

それに彼女は呆れたように笑った。

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