後話 過去生の記憶
もう前のお客さんは帰っているようで、私が扉を開けると先生が迎えにきてくれた。
「今村さん、こんにちは」
ここの先生は見た目はヒッピーっぽいとこがあり、長髪を後ろで結んでいて、服は麻だか木綿だかのゆったりしたものを身につけている。髭は綺麗に剃り上げてあるので清潔感はあるのだが、ミュージシャンか芸術家という雰囲気が似合う人だ。
最初見た時は「大丈夫だろうか」と思ったものだが、実際に治療を受けてみるとその疑いは晴れていった。
特徴的なのは目をいつも閉じているくらい細めていること。
目の色が薄いので、世界が眩しくてたまらないのですよ、と以前冗談めかして言ってたけれど、何か目の病気とかなのかもしれない。
そこまで詳しく聞くほど仲がいいわけではないのでいまだに謎のままだ。
先生とはまず「最近寒くなってきましたね」などと当たり障りの無い天気の話から入って、世間話をして、最近体の不調なところを言いながら施術へと入っていく。
まず軽く手をあげたり下ろしたり、捻ったりと反応を見られ、そして内臓の調子を見られていく。不思議なもので、体の下や上に手を置いたり押したりするだけで悪いとこがわかるようなのだ。
それに、悪いと言われたとこは先生の手で押されるとめちゃくちゃ痛く感じたりする。
「最近腎臓の調子が良くないでしょう、お酒ではなく水分を、白湯とかとったほうが良いです」
と言われ、そういえば忘年会が続いて酒を飲みすぎてたかもしれない。
膵臓も少し硬くなっていると言われながら、膵臓の上や下を揉まれたり、
腕や足の方から体の軸を整えて行ったり。
そして、最後に頭の調整ということで、後頭部を指で抑えられながら
「頭蓋骨が緩んでいますね、首の第二脛骨が歪んでいるのでこれが目の疲れに影響出てます。それを直していきます」
と言われ、ゆっくりと揺さぶられるように刺激されていく。
この、ズレているところをゴリっとかやらないでじんわりゆっくり柔らかくしてくれるところが良いのだ。
とても心地よくて、意識がだんだん遠のいていく
この時に、よく夢を見る、それもはっきりと詳細な夢を
その日も、うつらうつらとしながら、だんだんはっきりと夢のような風景が見えてき始めていた。
・・・・・・
そこには油の匂いと濃い油絵具の匂いが満ちている。
ここは絵を描くために借りているアパートの一室。建物の上の方にあるので、街の風景を見下ろしながら絵を描くことができるのが当人の気に入っているところだが、この辺りは風当たりが強く窓を叩く音が激しい。
だから、絵描きのように収入が不安定な人間も安く借りることができたのだった。
キャンバスに向かえば外の音など気にならない。
髭に覆われた口元、そして手入れをする暇がないためにボサボサの頭髪、油絵具で汚れきったシャツ。
痩せ細った体に不健康そうな顔色だが目つきだけはギラギラしていて、筆ダコだらけのゴツゴツした手。
そこに握られた絵筆は力強く動き、キャンバスに濃い色彩の花を咲かせていく。
男は、脇目もふらずただ、目の間にあるものに全てをぶつけて、描いていく。
この絵は次回のサロンで入選させないといけない。そのために冬の最中、手指が凍えるほどのほどのなか暖炉に火も入れずひたすら絵に筆を、パレットナイフを走らせていた。
石作りの部屋は底冷えがするほど冷たく、吐く息も白い。
この日はクリスマスイブ、街はそれを祝うために輝き、教会からは歌や聖歌隊の声が聞こえてくる。
そんな一心不乱に絵を描き続けている男の部屋に、来客があった。
ベルが鳴るも、男は絵を描き続けている。
男に気づいてもらいたいように、間隔を開け何度かベルが鳴った。
それでも男は絵を描くことをやめない。
何度鳴らしても反応がないためか、扉が開かれる音が聞こえ誰かが中へと入ってくる。
男は、その入ってくる人間が誰かすでに知っているかのように、全く気にしていないようだった。
姿を現したのは、紺色のフードを深く被った小柄な女性で、外套やフードには雪の結晶がいくつも乗っかっている。スカートの裾やブーツの先には小さな雪の塊が付いており、かなり長く雪の中を歩いてきたことがみてとれる。
男が絵に集中している時、外はいつの間にか雪に覆われていたのだ。
雪はうっすらと町中に降り積り、静かに音を吸い込んでいく。
先ほどまで聞こえていた聖歌隊の歌や、街の雑踏が段々と静まっていき、男の部屋は静寂に包まれていた。
次第に太陽の光も落ちてきて、絵を描くには灯りが必要になってくる時間だ。
入ってきた女は雪を払いフードを外す。
そこからは豊かな美しい金髪が流れ出し、繊細な顔つきの、まだうら若い少女の顔が現れてきた。
白く陶器のような肌に、果実のような赤い瑞々しい唇。寒さのためか、ほおは赤く上気し青い目は少し潤んでいた。
男はその少女を一瞥し、また絵を描き続ける。
しばらくの沈黙が続き
「・・・今日は、クリスマスイブですね」
少女は男に話しかけた。
男は、少女に少し目を向け
「ああ」
と返事をし、絵を描き続ける。
「今年は、屋敷に来てくださらないのですか?父からの招待状が来ていると思いますが」
男は火の入ってない暖炉の前に目を向ける。少女はその先を追い、薪の間に放り込まれた招待状を見て、悲しそうな表情をする。
「家族・・・私のために来てくださらないのですか?」
胸に手を当て、静かにそう言うと
「お前の父親から言われた。
そろそろ結果を出さねばこの先の関わりは難しくなると。
無名の画家に専属になってもらうより、賞歴のある有能な画家を家に呼びたいのだそうだ」
「いえ、父はあなたを呼びたいと言っておりました」
「先日、俺はそう言われた」
少女の言葉に被せるように男は言葉を投げかける。
「そろそろ賞を取れと。サロンに入選くらいしてみろと。
だから、この絵は今年中に仕上げないといけない。来年のサロンへ出すには今やるしかない」
「でも・・・」
「絵を描くには、その時の勢いが必要なのだ。わかってくれ」
少女は悲しそうに目を伏せ。
「2年前から、この日は私にとって、特別なものですのに」
そうつぶやいて、少女は白い息を吐き、外套を手繰り寄せる。
冷え切った部屋の空気が、隙間から体へと染み込んでくる。
もう外には夜の帷が降りてきて、街路の交差点に立つアーク灯が雪の街を照らし出している。
部屋には雪灯のみが差し込み、薄暗い部屋はすでに絵を描ける状態ではない。
男は手を止め部屋の奥へと向かい、いくつか立てかけている描きかけの絵の中から、小さめのキャンバスを引っ張り出してきた。
それを少女へと差し出す
「私には、これくらいしかできないが。受け取ってもらえるだろうか?」
そのキャンバスには、沢山のバラと少女の肖像が描かれていた。
「あの時に渡したバラは4本だったが、今年は絵で許して欲しい」
少女はその絵を受け取り、胸に抱いた。
表情がパッと明るくなり、ほおがさらに上気する。
表情には喜びが満ち溢れていく。
2年前の春、少女の家にこの男は「専属の画家」として呼ばれ、庭や家、家族や旅先での絵を描く仕事をこなしていた。
その家には素晴らしい薔薇の庭園があり、主人の自慢でもあった、
少女も薔薇が好きで、いつも庭に咲き乱れる花を見ては幸せな気分になっていたのだ。
まだ名が売れてないため安く雇うことができ、そして薔薇の絵も上手いということで少女の父親からはたいそう気に入られ、男の身分からしては、相当な良い待遇を得ていた。
旅先にもこの男はついていき、家族の風景、旅先の風景を書き記していく。
そんな中、令嬢と恋に落ちた。
きっかけは些細なことだった、少女の気持ちが天秤の如く簡単に揺れ動くのは世の常。
男はその少女の純粋な気持ちに動かされていく。
身分の違いにより公にできるものではなく、隠れて二人はその関係を続けていたのだった。
2年前のクリスマスイブ、男は少女に、薔薇を送った。
普通はこの時期に咲いているものではないのだが、温室を持つ貴族の家に絵を描くため呼ばれたときに花をもらってきたという。
男は「薔薇の画家」として薔薇愛好家の間で名が広がり、他の家に呼ばれることも増えていたのだった。
ほんの4本だけのバラの花。
それを大事に絹で包んで持ってきてくれた。
「もっと束で持ってくるべきだったが」
そう言って申し訳なさそうにする男を、少女は抱きしめた。
そして、今年の冬は日々の絵を描く仕事をしながら、サロンへ出す大作を描く必要があったため、
クリスマス休暇の時期、皆が静かに過ごしている今の時期に絵を仕上げるべく必死にキャンバスに向き合っていた。
だから、少女は、今年男から何かもらえるという期待はしていなかったのだが。
でも、この日に『愛している』という言葉がもらえれば。
そんな気持ちで、このアパートを訪れた。
絵を描くことに集中している男からは、その言葉すらももらえないかと諦めた時、
この絵を渡されてしまったのだ。
少女は絵を抱えたまま男に抱きつき、男もそれを受け入れる。
そして、雪あかりの中二人の影は重なっていく
・・・・・・
「はい、頭と脊髄の調整終わりましたよ、ちょっと腰掛けてくださいね」
いきなり先生の声が聞こえてきて、意識が戻される。
あ、さっきの恋愛物語のような夢は、ちょっと面白かったな。
ベッドに腰掛け、腕と足の動きを確認され。
脊髄のズレによる目の疲れなどがさっぱり取れたことを体感する。
いつも、ここにくると身長が伸びたような気がするなぁ。
「いかがでした?眠ってたみたいですが」
と足を軽く調整されながら聞かれたので、
「面白い夢を見ていましたよ」
とさっき見た内容を語り、
「あの絵を描く男は、なんか知ってる人の雰囲気があったんですよね」
と言うと
「ああ、それは奥さんの過去世でしょう」
とさらっと先生がそんなことを言う。
いや、確かにこちらの部屋にはスピリチュアルっぽい絵とか、本が置いてあったりするけれど、そう言う話は今までされたことがなかったのでちょっと驚いていると。
「今日は結婚記念日なのでしょう?
そんな日には、お互いに過去の人生で出会った記憶なんかと繋がりやすいんですよ。ここで施術を受けている人達も、リラックスしているとそんなビジョンを見たりする人は結構います」
さも当たり前のように言われると、そういうものなのかなと納得してしまう。
過去世の記憶か。
ん?では私はあの少女だったのか?
そう考えると結構恥ずかしい展開ではないか。
私の方が妻の過去生におねだりしに行っているなど。
「昨年のイブ、奥様に何もしてあげられてないでしょう。
退院された後に、こちらにこられた際に言ってましたよ。夫が忙しくて結婚記念日に何もしてくれなかったと」
「・・・去年は色々とあって、仕事の方がどうしても休めなかったのですよ。
それで、妻からは職場に電話がかかってきたくらいで」
せめて、これからもよろしくとか、そういう言葉が欲しかった
と耳元で元気のない声で言われたことを思い出す。
これは、さっきの自分の過去生の少女が感じていた感情と同じだったのだろうか。
夢の中では、その少女の気持ちが私にもわかるほどに感じられたのだが。
「昔、そんな関係だったから、今のような関係になっているのでしょうね。
輪廻の輪はいつも天秤のようにバランスを取るものです、そして、何度も出会って、また同じ縁をつないでいくものです」
と言って、先生は私を見て微笑んでくれた。
目がいつものように細くて開いてるるかどうかわからないけれど、優しい目をしているのはわかる。
「今日、薔薇を買ったんですよ。いつもいくホームセンターに初めて生花が置いてあるのに気づきまして。それでこんな夢を見たということはないでしょうかね」
「それは、奥様に呼ばれたのでしょうね。今の時期は薔薇が少ないので、自分のところに持って来いということですよ」
「いつまで経っても、妻の指令には従わないといけないわけですかね」
そういうと、先生は
「縁はこの先も続いていくものですから、今後の、来世の関係もありますから奥様からの指令には従っていた方がいいですよ」
と言って笑った。
輪廻の輪、か
そして、次回の予約を入れて、支払いを済ませて帰ろうとすると
「ところで、購入された薔薇の本数は何本ですか?」
「いやぁ手持ちがなくてお恥ずかしいですが、たったの4本なんですけど」
と言って、ハッとした。
さっき見た過去世?の記憶の中で出てきた本数と同じだ。
「薔薇の花の本数にはいろんな意味があるんですよ。
花4本には『死ぬまで気持ちは変わりません』という意味があります」
と言って、先生は微笑んだ。
「お二人は死ぬまでではなくて、前世でも、死後も来世でも、って感じですね」
と言われてしまった。
妻と来世でも、そういう関係であるのは嬉しいが。
それよりも、今ここに、横にいて欲しいと思うものだ。
妻は今年の春先、ガンで亡くなった。
発見された時すでに末期まで進行が進んでいて抗がん剤の治療を行うことになった。その副作用がかなりキツく、それをなんとかするためにここに通うようになったのだが、それが功を奏したのか副作用は軽くなり、趣味の園芸も絵を描くことも続けられたまま6年間は抗がん剤の治療で何事もなく過ごすことが出来ていた。
だが、昨年の12月に抗がん剤の効果が無くなったことを医者から伝えられ、来年を過ごすことが出来ない可能性を示唆されていく。
昨年はその、抗がん剤の最後の可能性を期待して、放射線治療も行うため病院に入院していた。
私は妻不在で家のことや子供のこと、仕事のことなどで手一杯で妻への結婚記念の何かを送ることができていなかったのだ。
その後悔が今でもずっとある。
あの時の、病院からかかってきた妻の弱々しい声。
来年、生きてないかもしれないから今年結婚祝いの声が聞きたかった、と。
入院し、放射線治療も行うことで妻は無事に回復する。
来年は元気に結婚記念日を一緒に過ごせる。
と思っていたが。
一時的に回復し退院して1月は元気に過ごしていたのだが、2月に一気に悪くなり、まだ妻の植えたチューリップ達が咲き誇る前に旅立ってしまった。
その急な流れに、今でもまだ妻がいなくなった事を信じられない時もある。
まだ辛くて、昨年の写真などを見ると胸が苦しくなる。
でも、今日整体で見えたイメージ、過去生と先生は言っていたが、そういう非科学的な概念の話を聞いて、少し気分が軽くなった。
そんなスピリチュアルな話は、正直信じているわけではなかったが。
あの先生に当たり前のように言われてしまうと、そんなこともあるのかもしれない、と思ってしまう。
妻は絵を描く仕事をしていた、在宅で作業ができるので絵を描いたり薔薇を育てたり、拾ってきた猫を育てたり。
それが過去生から来ている影響だったとしたら、さっきの夢はとてもしっくりくるものだ。
ただ、私が美少女令嬢だった、というのはなんとも気恥ずかしいところがある。
さて、家に帰って、妻のところにこの薔薇を供えよう。
そして、今日の話を聞かせてあげようかな。
帰りに妻の好きだったケーキ屋に寄って、いちごのショートケーキでも買って。
そんなことを思いながら車を走らせ、大きなカーブを曲がった先に急に虹が見えてきた。
うっすらと遠くに雨が降っているようで、太陽を背にしたタイミングで現れてきたようだ。
そういえば、妻の葬儀が終わり、家にお骨を持ち帰ってきたときにも大きな虹が空にかかっていったな。
この先はどうなるかわからないけれど、
妻との関係は肉体が無くなった後も続くと思うと、少し前向きになれる気がした。
虹に向かってアクセルを踏み込む。
しかし、あの先生は怪しい話をサラッとするけど、お客さんに怪しまれたりしないのか心配だなぁ。
この先も通いたいので、いきなり変な噂が流れて潰れたりしないことを願いたい。
薔薇の記憶 スコ・トサマ @BAJA
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