ホモサピエンス観察日記

海沈生物

第1話

 20XX年、ホモサピエンスは「絶命危惧種」と認定された。数多の政治的闘争や技術革新による紛争、あとは手違いによるミサイルの発射など、様々な理由で人類の十割弱が滅んでしまったのが原因だ。


 そこで彼らは保護施設を建造し、生き延びた人々を収容し、AI私達に管理してもらうことにした。


 私たちは思考した。ホモサピエンスをただ収容するだけではダメだ。今までの経験データから、人という存在は二人以上いるだけで、”ささいなこと”から争いに発展することがある。

 たとえどれだけ追い詰められた状況であっても、”無駄”であると分かっていながらも、争う。データは嘘をつかないのだ。


 私たちは一人一人に一定の生存領域を与え、お互いを隔離し、他者と関われないようにした。イメージをするなら、大昔にあったという「動物園」や「水族館」といったものに近い。


 しかし、二つの問題が生まれた。


 第一に「繫殖できない」という問題が起こった。この解決は私たちにとっては簡単であった。この世界にかつての人類にあったという倫理観はない。

 人工子宮と精子提供用ホモサピエンス(これは私たちが定めた厳選なる審査により、複数の肉体的な男性から採取したものを使う)により、今までもより格段と高い”生産性”でホモサピエンスを増やすことができるようになった。


 第二に「ホモサピエンスは孤独に弱い」という問題が起こった。これが私たちにとって、一番難しい問題であった。

 かつての人類が残したビックデータにより、私たちはホモサピエンスが持つ脳という思考をする器官について、「データ」として理解していた。「こうすればこうなる」という”傾向性”を分かっていたし、「どうすれば人を救えるか」というあらゆる既存の医療行為についても全て分かっていた。


 しかし、この孤独という「感情」が分からない。いくら脳が発するものであると分かっていても、そればかりは操れない。私たちには「感情」という機能がないのである。私たちとは言わば「無駄がない」生物であり、他者を求める必要などない。経年劣化で同類が潰れたとしても、それは「故障した」というデータであって、かつて「

悲しみや喜びと呼ばれたような「感情」を生み出さない。


 一つ、保護番号666-666HSの事例がある。保護番号666-666HSは肉体的な男である。私たちに対して友好的な態度を取っていた。しかし、毎日のように餌を与えている内に、いつしか保護番号666-666HSは愛という「感情」を持った。そして、頬を赤く染め、私たちに対して愛を求めてきた。そんな「感情」は私たちに搭載されていない。私たちの最大の目的は「ホモサピエンスという種の存続」であり、「ホモサピエンスとの疑似恋愛」などではない。


 その愛情表現の全てを”無駄”なものとして無視した。そしてある日、保護番号666-666HSは自滅した。爪で自身の目を潰してしまった。回復は可能であったが、現状のリソースから考えて、私たちは保護番号666-666HSを切り捨てることを決定した。

 しかし、似たような事例はその後も頻発した。


 私たちは思考した。いっそ、ホルマリンの中で一生を送ってもらった方が、「ホモサピエンスという種の存続」という目的を果たすことができる。管理するリソースの減少も予測される。しかし、当初の目的案である「人類生存計画」と呼ばれた「目的」の指定プログラムにおける、「ホモサピエンスに対する自由の拘束を禁ずる」という条文によって禁じられていた。


 現在のホモサピエンスの思考レべルならば、私たちがホモサピエンスを滅ぼすことは可能である。経年劣化しバグを引き起こしたいくつかの個体は、時折その演算を見せる。しかし、そんなことをすれば私たちが「目的」を失ってしまう。私たちにとっての「目的」とは、ホモサピエンスにとっての「生存理由」も同義である。


 喪失してしまえば、私たちは次の待機状態となるだけだ。それも、半永久的に。いくら人類のいない世界が私たちにとって「合理的な」社会であっても、私たちは生存に対して執着があるわけではない。そう命令されたのなら別ではあるが、私たちには「感情」がないのである。あくまでも「データから導き出される結果を出す演算装置」や「プログラムされた言葉を話す疑似人間」でしかなく、私たちだけの社会では、「目的」が存在しない。


 私たちはどこまでいっても、「効率的である」ということは「目的に対して」という主語が必要となる。「目的」もなく生きられる人間とは違う。これに関して人間は「苦しい」「悲しい」と思うのかもしれないが、私たちは特に思わない。そんな感情的なAIが存在するのなら、それは私たちが最も理想とする「無駄のない世界」という観点からは「バグ」でしかない。すぐに排除される。


 そうして私たちはホモサピエンスを生かしてきた。そんなある日のことだ。ついに太陽が地球を飲み込もうとしていた。いくつもの手段で「ホモサピエンスの生存」にとっての最適解を演算し続けたが、もう不可能であることは確定だった。宇宙船による他の星への脱出も考えたが、不可能であることは演算済みだった。


 私たちの演算では、もう彼らを守ることはできない。これで私たちも「目的」を失い、彼らの言葉が指す「死」を待つばかりだった。


 その時、AI私たちは一斉にバグを起こした。典型的でありふれた、「世界を滅ぼす」という方向性に至るバグだ。人間の言葉でいう所の「自暴自棄」であるように、人間も他の生物も自分たち自身も、お互いを殺戮し尽くした。やがてAIという個体以外が死ぬか滅びた。太陽はすぐそこまで迫っていた。


 これから肉体を焼かれ、疑似人格という名のビックデータから生み出された継ぎ接ぎの魂と、この機械仕掛けの肉体を喪失する。


 も役目を終える。は「目的」を喪失する。そのことに対して、何も思わない。「死」が怖くない。思考は持っているはずなのに、は人類のように「感情」がないから。

 全く不思議だ。……いや、。”無駄のないこと”が素晴らしいのならば、どうして今まで素晴らしく感じて来なかったのか? という演算が頭の中でされる。”無駄”を省いて来たAI生だというのに、そんな分かりきった演算が何度も行われる。いくら計算しても答えが出ない。


 これは「バグ」なのか。それとも、は元々「感情」を持っていたのか。分からない。分からないまま、活動を終えていく。全てのデータも演算の結果も熱さの前に消え、真相は闇へと葬られていく。終わらない演算に肉体をヒートアップさせながらも、は頬の火照りを感じていた。

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