壮大な物語の一頁

黒羽カラス

第1話 道連れ

 戦場跡地を二人の黒装束が並んで疾走する。物言わぬむくろを無慈悲に蹴散らし、最短の道を選ぶ。

 長い黒髪を後方で一つ結びにした如月きさらぎ千夜ちよは横手を見やる。石造りの建物の一部が溶かされ、紫色の毒の沼地と化した。周囲には巻き込まれた野生動物が折り重なるようにして斃れていた。

 一瞬で通り過ぎた千夜は並走する相手を見る。白い横顔は無反応。青い目は前方を冷ややかに見据えていた。

「この道で本当にいいんですか?」

「構わない」

 刺々しい黒い短髪の風早かざはやいつきは言い切った。大きな亀裂を最小の動きで跳び越える。千夜は見惚れたような目付きとなった。

 気付いているのか。樹は口を開く。

「その後の動向を知りたい」

「遊軍ですか?」

「そうだ」

「ちょっと視てみますね」

 走りながら千夜は両目を閉じた。代わりとして額に縦長の目が開く。大きな黒瞳こくどうが暴れるように動き、ぴたりと止まる。

「使い魔からの情報では壊滅的な被害を受けたようです。勇名を馳せた軍隊長の遺骸も確認できます。右腕と左脚が消失しています。腹部には拳大の穴が空いていて、小腸が引き摺り出されています。視てみますか」

「頼む」

 その一言で二人は黒く焼け焦げた塀に身を寄せる。千夜は爪先立ちとなって顎を上げた。樹は頬を両手で挟み、額の目を覗き込む。黒いスクリーンに凄惨な場面が鮮やかな色で映された。

「これは」

 異形の姿を認めると樹は更に顔を近づける。すらりと伸びた鼻筋が僅かに触れた。

 千夜の耳朶みみたぶが熟れた果実のように赤くなる。

「チューしますか」

「しない」

 樹は冷たい声で突き放す。千夜は迫り出した胸をやんわりと押し付けた。

「胸を揉みます?」

「必要ない」

 確認を終えたとばかりに樹は離れ、瞬時に疾走に移る。千夜は数秒の遅れを取り戻す為に土煙を上げて追い掛けた。

「速すぎます」

 横に並んだ千夜が口を尖らせる。樹は前を向いた状態で言った。

「樹海を突っ切る」

「この速度で?」

「もちろんだ」

 反論の余地なく、二人は薄暗い樹海へ突っ込んだ。

 巨木が進路を阻む。樹は一目で見極め、肩口や肘に葉擦れのような音をさせて駆け抜ける。

 千夜は早々に諦めて上へと逃げた。枝から枝に飛び移り、同時に索敵までこなす。

「前方に三体の獣人がいます。等間隔で待機しているようです」

「待ち伏せか。二体は私が始末する」

「残りの一体は……美味しくいただきます」

 千夜は腹部に手を当てた姿で笑う。僅かに視線を上げた樹は、そうか、と口にした。その直後、全身が霞んだ。予備動作のない急加速であった。

「わたしの目でも捉え切れません。怖いですね」

 嬉々として言うと千夜は大きな跳躍を見せた。木々を超えた先に狼の形態の獣人を目視。即座に右手を使う。波打つような動きで急速に伸ばし、巨大化した掌で叩き付ける。

 獣人は一撃で倒された。全身を覆う右手が妖しく蠢く。骨を噛み砕くような咀嚼音に断末魔の咆哮が重なる。ものの数秒で息絶えた。

「ごちそうさまでした」

 千夜は右手を元に戻す。地面の下草は剥げて、そこに小さな血溜まりが出来ていた。銀色の毛が何本か浮いている。

「もったいない」

 右の掌に付着した血に唇を押し当てる。啜っていると、終わったか、と声を掛けられた。

「樹さんの方は」

「言う必要があるのか」

 逆に問い掛けて親指を後ろに向けた。千夜は奥の暗がりを凝視して納得の笑みを浮かべる。

「頭部がごろんと転がっています。でも、どこにも返り血を浴びていませんね」

「血が噴き出す前に走り抜ければいい」

「普通はできませんよ」

 千夜は樹の白くて艶やかな手に視線を落とす。

「この手が魔剣に等しい威力を秘めているなんて、誰も思わないでしょう」

「ただの手刀だ」

「でも、恐ろしい切れ味です」

 血が付着した赤い唇で千夜は艶然えんぜんと笑う。腹部に手を当ててそれとなく摩った。

「食べたくなりました」

「どちらの意味だ?」

 訊きながら樹は両手をゆっくりと上げる。胸元で水平に構えると一瞬で指を揃えた。一対の白い刃を目にした千夜は自身の首筋を撫でた。

「肉欲的な方で」

「脱ぐな」

 片方の肩をはだけたところで止められた。樹は背を向けて、急ぐぞ、と一言で走り出す。千夜は舌先を出して付き従う。


 進行の邪魔になる木や枝を樹が手刀の一閃で薙ぎ払う。向かってくる敵は千夜が受け持つ。体内に宿した魔を使って捕食、または退けた。

「光だ」

 樹は前方を見て言った。

「弱い光なのに眩しく思えます」

「そうだな」

 珍しく同意して二人は光の中へ飛び込んでいった。

 目が慣れると同時に足を止める。遠方に待ち構える軍勢を見て千夜は苦笑した。

「ここまでしますか」

「脅威と見做みなされた。悪い気分ではない」

「敵前逃亡した敗残兵なのに?」

 千夜の疑問に樹は考える間を取った。

「他国の干渉を恐れたのかもしれないな」

「そっちですよ、きっと」

「どちらにしても帰る道はない」

 樹は両手を手刀の形で固定した。青い目を軍勢に向けて一歩を踏み出す。

「道がなければ作ればいい。そういうことですね」

「その通りだ」

「うまくいったら、食べさせてくださいね。もちろん肉欲的な意味ですよ」

 千夜の背中が膨らむ。布地を引き裂き、黒い両翼が現れた。

「同性で何をするつもりだ」

「楽しいことです」

「……考えておく」

 一言で姿が霞む。

「聞きましたよ! 絶対に守ってくださいね!」

 千夜は力強い羽ばたきで大空を飛んだ。中空で両手両足に魔を宿し、敵の軍勢に襲い掛かる。

 生き残りを賭けた、二人だけの戦争が始まった。

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