4-234 番外編:『チョコレートリリーのスイーツ事件簿2nd 第14話 デーツ・ミーツ・ナッツ』②




 閃光、衝撃、それから悲鳴。遅れて警報と避難指示。

 爆破テロ――そんな言葉が脳裏に浮かんで、体の奥に氷を突っ込まれたような気分になる。せっかくエストやリールエルバたちが警備体制を整えていたのに、それでも万全とはいかなかった。最悪の事態が起きてしまった。

 並木道の中心を、違法改造されたと思しき杖で武装した一団が陣取っている。


 係員たちが避難誘導を試みるが、『恐怖』の呪文が彼らの意気を根こそぎ挫いていく。不安をまき散らし、威圧によって感情を揺さぶる。呪術テロリストが用いる典型的手口。民間人の被害を拡大させるための精神攻撃だった。

 なんて――卑劣。


 怒りが弾けると同時、左手首を裏返す。跳ね上がった金色の鎖、その環が私の口元に到達すると同時、私は大口を開けた。素早く噛み砕く。お菓子のようにぱりんと砕け、言の葉の妖精が世界を改変する。

 対抗呪文――『静謐』が発動。空間を満たしていた恐怖が打ち消され、静謐な時間が戻ってきた。あとは、敵呪術師を捕縛するだけ。


 敵集団は街路中央に集まって陣を敷き、守りを固めているいる。

 警備員たちが装備している衝撃杖ではテロリスト集団の展開している呪術障壁を突破できない。非番だけど、ここは修道騎士として私が対応するしかない。

 端末経由で『盾』と『松明』の本部に武装の使用許可を申請――相変わらず『盾』の方が早い。足元の影と黒衣の内側から広がった闇が私を覆いつくし、漆黒の装甲となってアズーリア・ヘレゼクシュを一騎の英雄へと変質させていった。


 黒と青を基調とした全身鎧、頭部を雄々しく飾る鹿の角飾り、右手には厚みのない手斧――新型装甲は一瞬で私の動きに同調、最適化。非力な私のパワーアシストを実行。足裏がスキリシアとの境界面を認識すると、逆向きに出力された私の鏡像が影世界と反発し合い、物理的実体を前へと運んでいく。


 今まさにティリビナ人の子供に手を上げようとしていた大地の民男性に肉薄し、足払いで転倒させる。影から伸ばしていた束縛呪文で草の民の杖を取り上げ、清掃用使い魔の管理者権限を取得して逃げ遅れていた子供たちを運ばせる。


 そこまでを一瞬のうちに終わらせた私に、真上から襲い掛かる巨大質量。

 荒れ狂う猛威を斧で迎え撃つ。漆黒の刃が激突したのは生身の拳。呪文が乗せられたハンドジェスチャーの打撃を鎧の出力に任せて弾き飛ばす。

 相手は飛び退って体勢を立て直すと、大きな両手で胸を激しく叩いた。

 威嚇と敵対のミームが放散されるのと同時、両手に集約されていくのを感じる。


「ントゥガ族の、肉体言語魔術――!」


 吼えるような歌が暴風となって吹きつけてくる。

 衝撃波と共に彼の感情が翻訳され、私に伝播してきた。


 ――どうして我々だけが。

 ――どうしてティリビナやドラトリアだけが。

 ――どうして。どうして。どうして。


 怒り、悲しみ、寂しさ、羨望――与えられなかったという苦しみ。

 行き場が無い、安らぎが無い、未来が無い――欲しいものが手に入らない。

 手に入れている者が、目の前にいるのに。

 何故という疑問と、選別されたという痛み。選ばれなかったという嘆き。


 内と外――ティリビナの民とドラトリア系夜の民が親睦を深めるためのイベントは喜びを生み、未来へとつながっていく。けれど、その影に埋もれた感情がある。

 彼に向けていた刃を下げ、代わりに左手を向けた。

 きっと、今この時にフィリスを使うために私はここにいる。決意を込めて金鎖を砕こうと意識を集中し呪文を構築、魂を影の中へと沈ませていった。


 けれど。私のそんな現実への抵抗が実行に移されることは無かった。

 舞い降りた白い雪。小さな粒が毛皮に触れた瞬間、赤々と燃え上がる。烈火のような粉雪は毛皮に覆われたントゥガ族の血肉を一瞬にして焼き焦がした。

 続いて振り下ろされたのは銀色の刃。鮮やかな血が飛沫を上げた瞬間、私の願いは完膚なきまでに砕け散る。


 突如として現れ、無慈悲な斬撃を叩きつけたのは見たこともない鎧姿だった。

 純白。まずその印象がどこまでも鮮やかだった。

 だがその白は血塗られている。返り血だけではない、機体の肩や腰、関節部など至る所に赤色が用いられ、細長い呪石眼窩は燃えるような炎の色だ。


 高速機動を重視した軽装甲型で、ほっそりとしたシルエットは優美ですらある。だがけして美しさだけではない。鳥のくちばしのように尖った頭部と、その両脇から背後へと長く伸びた鳥の翼を模した飾り、両腕と両足の側面に取り付けられたかぎ爪が華麗さと獰猛さを両立させていた。

 

 識別信号は私と同じ『松明の騎士団』への所属を示していた。

 つまりは味方。同じ修道騎士として、事態を収拾するために駆けつけてきてくれたのだろう。そのことには感謝するが、明らかにやり過ぎだった。

 白騎士は長槍を持ち上げ、傷付き倒れたントゥガ族に止めを刺そうとしている。言葉では届かない。気付けば私は振り下ろされた槍を斧で受け止めていた。


「止めるな黒騎士。それは既に異獣堕ちした『エイプキン』であり討伐対象だ。市民に被害が及ぶ前に――」


 スピーカーを介したくぐもった声と『上』的な切断処理。理性的だけど、残酷な判断だった。私は無駄と予想しつつも反論する。


「捕縛すればいい、ここで即断すべきことじゃない。もう戦意は消えてる」


 叫ぶや否や、槍を押し退けて束縛呪術による牽制。斧による一撃は流れるような槍捌きで凌がれて、束縛呪術もあっさりと射程外へと逃げられて失敗。

 黒と白が空間の主導権を奪い合う。斬撃と刺突、影の触手と呪力障壁が激突してアストラルとマテリアルの境界がゆらぐ。影の上を滑りアストラル界を経由した私の追撃を、白騎士は足裏の空圧機構による多段跳躍を駆使して回避する。

 予想より遙かに運動性能が高い機体だ。


「違う。血液から血族同胞を参照し、殺害を伝播させる方が先だ。族誅系の呪いで共犯者どもを炙り出せば敵と味方が判別できる。貴様も『使い魔』の目を開け、急がないと手遅れに――」


 白騎士は私が思っていたよりも遙かに理性的に言葉を紡いできたけれど、私がその意味を理解するよりも早く怒声と悲鳴が上がった。

 私たちが対峙している場所からかなり離れている。神働装甲の強化視力で拡大すると、草の民に大地の民、ントゥガ族といった種族で構成された一団が祭りの参加者たちに襲撃されていた。


 彼らは結束してテロリストへの反撃を叫んでいる。『サイバーカラテ』を身につけていた一般市民たちがあの辺りには多かった様子で、もはや無力ではない平凡な一般人による暴力が少数民族たちを打ち据えていく。

 襲われている方はほぼ無抵抗で、必死で私たちは何もしていないと叫んでいる。彼らの手から署名用紙と募金箱が落ちて地面に散らばった。


 白騎士の舌打ちが響く。私は自分の判断が遅きに失したことを理解した。

 襲われている集団は平和的な活動で居場所を獲得しようとしていただけで、テロリストとは無関係だ。しかし、テロリストと同じ少数種族であるというだけで誤解されている。自分たちの安全が脅かされているという実際の恐怖に直面し、一般市民たちは攻撃に走る。その手段があれば心理的な枷も容易く外れてしまう。

 白騎士は速やかに敵味方を識別し、殲滅によって流れる血を最小に留めようとしていた――私はそれを邪魔したのだ。


「――違う、悔いるな」


 対面からの声で我に返る。

 そこに白と赤の理性があった。

 燃えるような瞳がこちらを貫く。

 それでも、犯罪者を法廷に立たせることなく殺害することは間違っている。


 このアルセミットの司法がどれだけ歪んでいたとしても、最低限の形式すら取り繕えなくなればお終いだ。そして、白騎士がどれだけ正しい目的を指向していたとしても、手段の正しさは別の問題。白い修道騎士はこの状況でも私の行動を否定せず、自分のとった行動を正当化していなかった。

 なんて厳しい在り方だろう。


「――正しさは個別に問われるべきだ。法と道徳を優先した貴様を責めはしない。だが肯定もしないぞ、黒騎士」


 私たちはほぼ同時に走り出し、繰り返される暴力を止めて回った。

 それは途轍もなく不毛で、気の滅入る作業だった。

 エスカレートする集団の暴力は全て自衛のため、恐怖とパニックから要請された反射的なものだった。人は危機に瀕した時、出来る限りのことをしようとする。

 これはただそれだけの出来事だった。


 暗く染まっていく気分に呼応するように、空が翳っていく。

 こんな世界槍の上部で珍しいと空を見上げて、異変に気付いた。

 血塗れのントゥガ族をサイバーカラテユーザーから庇い、リールエルバに救援を要請しながら叫び、呪力障壁を展開する。


「敵襲! 上空からの爆撃に備えて!」


 立て続けに事態が動いていく。

 区画のあちこちで爆発音。更には区画全体をドームのように覆う環境保全結界の制御が乗っ取られ、世界が闇色に染まっていく。

 

 呪文による爆撃を繰り返しながら影の翼で飛翔するのは、私そっくりなフォルムの黒い神働装甲たちだった。その数は十機にも達する。

 ところどころ急ごしらえな箇所が露出しており、違法改造した粗悪な鎧であることがわかった。あんなもの、一体どうやって――。

 状況は進む。現れた黒騎士たちは拡声器を使って信じがたい声明を出した。


「我らは祖国アルセミットを憂う者たちである! 新たに認められし眷族たちよ、この都市に寄生する犯罪者予備軍、劣等たる猿、最低位の眷族種どもを駆逐し、諸君らが真に地上の同胞であることを示すのだ! 仲間を守りたいなら戦え! 魔将どもを引き裂いた黒騎士アズーリアのように! いざ叫べ、発勁用意!」


 言葉を失う。

 私が――私の名前が、姿が、行いが、あんな風に使われていることに。

 そして、彼がもたらした力がこんな光景と地続きになってしまっている事実に。

 飛翔する偽りの黒騎士たちは『アズーリア勇者団』を名乗り、この区画を占拠してティリビナの民やドラトリア系夜の民たちに下位眷族種の虐殺を行わせるつもりなのだ。その身勝手な理屈を押し通すためだけに。


 一連の流れに、誰かが書いた筋書きを感じた。

 これは悪辣な物語だ。間違い無く裏で呪文を紡いでいる者がいる。

 止めないと。私がやらなければ、私が責任をとらなければ。

 怒りや悲しみよりも恐怖が私を動かしていた。

 けれど、ここでも私の機先を制して動いたのはいつのまにか隣にいた白い神働装甲だった。足裏から衝撃波を放ち、白い鎧が虚空を飛び跳ねていく。


「イリス、射撃モードに移行――虹弓を展開」


 白騎士が左手を伸ばすと、左腕を貫くように輝く虹が広がって弓の形になった。虹の端、消失部から伸びた光の弦が張られて、五色の矢が番えられる。

 それぞれ別の性質を有した呪力の矢だ。高密度のミームを感じる。


「放て」


 短い命令と共に閃光が空を駆け抜けた。

 矢はテロリスト集団のリーダー格らしき黒騎士に命中し、撃墜。

 敵集団が浮き足立ち、こちらに気付いて騒ぎ立てる。

 敵意、それから、私に対する偽物認定。

 私は向かってくる神働装甲の群を迎撃すべく斧を構えた。

 同時に、私の横で白騎士も槍と弓を構える。


 敵集団はそれ自体が自律的に呪文を紡ぐ水晶型の魔導書を出現させ、稲妻の呪いで弾幕を張ってくる。私と白騎士は街路樹の影に隠れてやり過ごす。稲妻は樹木に吸い寄せられる呪術的性質がある。この場所でそんな呪術を使うテロリストたちは明らかに戦い慣れしていなかったが、厄介なことに攻撃の威力は本物だった。


 神働装甲が素人同然の集団に圧倒的な力を与えているのだ。

 私は影を伸ばして下から敵の動きを阻害し、白騎士は弓による射撃で上空への移動を制限。白騎士は私の知らない系統のミームを広げ、渇いた地面から砂埃を巻き上げて砂塵へと変え、小規模な砂嵐で敵集団を撹乱していく。


「燃え盛れ」


 更に、赤い呪石瞳がかっと閃光を放った。

 白騎士が槍を一振りすると、その軌跡に沿って一条の赤いラインが広がっていく。大地に刻まれた溝に、沸々と煮えたぎる炎と血が流れ、灼熱の川となっているのがわかった。そこから飛び散った火の粉が異様なまでに高く舞い上がり、火の雪となって空から舞い落ちてくる。


 触れただけで破壊をもたらす赤い雪――熱による上空の制圧と爆撃で敵集団が頼みとしていた水晶魔導書が砕け、そこに私の呪文が介入。制御を乗っ取られた水晶が崩壊しながらテロリストたちに稲妻を放つ。

 敵集団はあっけなく壊滅し、私はほっと胸を撫で下ろした。


 油断もいいところだった。

 倒れ伏し、戦闘不能になっていたはずのテロリストたち。

 彼らは突如として起き上がり、一斉に呪いを解き放つ。

 狙いは私たちではなく、怪我をして逃げ遅れていた一人の市民。

 サイバーカラテユーザーたちに暴行されていたントゥガ族だった。


 激しい爆発音。

 巻き上がる粉塵が晴れる。そこに腹部装甲に亀裂が走り、膝を突いた白騎士がいた。身を挺してントゥガ族を庇い、その代償として高密度の呪詛をまともに喰らってしまったのだ。


 復活した敵集団は明らかに理性を失っていた。

 その頭部を侵食するのは歪な水晶で、視界を完全に覆い尽くしている。

 生物のように蠢く石英の集合体は、時間経過と共にテロリストたちの肉体を石化させて我がものにしようとしている。透明な結晶体の周囲を光と電子によって構成された呪文が走り、何らかの指令を下しているのだ。


 間違い無い、彼らは何者かに操られている。

 一度倒したにも関わらず復活したのはほとんど操り人形同然に操作されているからに違いない。既に意識は無く死に体に近いが、黒幕は彼らがどうなろうと限界まで兵隊として酷使して使い捨てるだけだ。

 怒りが込み上げる。だが今は目の前の相手を倒すしかなかった。


 戦闘は更に続いたが、すぐにこちらが劣勢になった。

 機体性能ではこちら側が遙かに上だったが、数はあちらが上で、損耗を省みずに無謀な突撃を絶えず敢行してくる。

 その上、敵はお構いなしに呪術を乱射してくるから私たち修道騎士は逃げ遅れた人々を守らなければならなかった。回避性能に優れた白騎士は何度も敵の攻撃を受け止めたために傷付き、とうとう敵の神働装甲に捕まってしまう。


 白騎士の細い腕を掴み、嬲るように殴りつけ、稲妻を叩きつける。

 怒りが込み上げるが、私は他の神働装甲の相手で助けに入れない。

 その時だった。

 白騎士の兜、その赤い呪石の瞳が輝いたかと思うと――『char str[256];』――淡い光を放つ呪文がその装甲の上を走っていった。

 そして、言葉が紡がれる。


「レイシズム変数ヴァリアブル――『エキゾチックな黒い肌』『野性的かつパワフル』『天性のばねを持つ』『彼らは生まれながらのアスリート』」


 白騎士の腕が、黒く染まっていく。

 何かが強引にへし折られ、鋼鉄が引き裂かれるような音。

 直後、絶叫が響いた。 

 今や全身を黒く染めた白騎士――否、そこにいたのはもはや野性的な生命そのものだった。野獣となった神働装甲は怪物的な膂力を発揮して出来損ないの劣化品の腕をへし折り、ねじ切り、叩き伏せていく。

 流麗な槍術などもはや不要。獣は四肢のかぎ爪を縦横無尽に振り回して周囲の全てを出鱈目に破壊していった。


 遠距離から浴びせかけられた呪術の集中砲火を神懸かった反射速度で回避したかと思うと、爆発的な加速と疾走、そこからの多段跳躍で飛び上がり、一撃必殺の蹴りで神働装甲を粉砕。暴力に次ぐ暴力、単純明快な力任せ。

 あれは神働装甲の能力ではない、装甲が強化する前の着用者の基礎性能が単純に向上したのだ。先ほどの奇妙な呪文は肉体強化の暗示か何かだろうか。


 瞬く間にテロリスト集団を残骸に変えた獣の狂奔は止まらない。

 暴走する輸送箒のように勢い良くこちらに向かってくる。

 激突。先程までとは比較にならない勢いで爪が振り降ろされ、影の斧と拮抗。

 出力で勝っているはずの私の神働装甲が押されている。影の触手も束縛の罠も全て回避され、暴走して理性を失った相手を止める術はもはや無いものと思われた。

 その時、歌が響いた。


 悲しく切なげな、嗚咽にも似た切実な叫び。

 わかりやすい言葉はそこには無く、信じられる祈りも示されない。

 けれど、シンプルな感情がそこには込められていた。

 傷付いたントゥガ族が、リールエルバの部下たちに大きな担架で運ばれることを拒否して必死に歌い、叫び、呪文を唱えていた。


 あれは先ほど白騎士に救出されたントゥガ族だろう。

 暴徒と化した市民に痛めつけられていた、ただ居場所を欲していただけの同じ市民だ。歌とも言葉ともつかない綺麗な響きを文化とする彼らの、少しだけ風変わりな呼びかけ。それを聞いた白騎士の動きが次第に緩慢になり、やがて止まった。


 心を磨り減らすような戦いは終わった。

 私は鎧を纏ったまま、その場に膝を突く。

 後はリールエルバに任せて良いだろう。私にできることは無い――もう、何もしたくなかった。私そっくりの残骸たちがどうなるのかはわからないけれど、彼らについて考えるのすら嫌だった。その名前、その形、全て忘れてしまいたい。


 逃げたい、みんなに助けて欲しい。

 この世界は、どうしてこんなに呪いに満ちているのだろう。

 問いに答える者はいない。

 漆黒に覆われていた空が晴れていく。透き通るような青空はどこまでも続いていくけれど、そこに続くのは圧倒的な空白で、答えと呼べるようなものはきっと大地の上にしかないのだと思えた。しがらみと呪いに満ちた、束縛だらけの地上でしか私たちに居場所はない。少なくとも、今はまだ。


 ふと、正面で同じようにしゃがみ込んでいる白騎士が視界に入った。

 ぼんやりと上を向いている。血のような瞳には力は無い。

 既に強化呪文を解除したのか、全身を覆っていた漆黒は晴れて美しい純白が戻って来ていた。奇しくも同じようなタイミングで空を見上げたこの修道騎士は、何を思っているのだろう。あの厳しい理性と、もう一度対峙したい――ふとそんなことを思った。もしかしたら、それは相手の厳しさへの甘えだったのかもしれない。


 しばらくすると、そんな静かな時間も終わりを告げた。

 迎えが来たのだ。それも、奇妙な形で。

 遅れて到着したプリエステラは見慣れない集団を伴っていた。数は四人。揃いの祭服を着た黒檀の民、それも皆が女性という構成だ。

 四人はそれぞれ水晶のようなアイバイザー、花のヘッドピース、木と砂の義肢、穀物が詰め込まれた角という特徴的な品を身につけている。

 リーダー格らしきアイバイザーの女性は感情の窺えない声で白騎士に言った。


「状況を報告せよ、リビュエー05――いや、速やかに帰投し、機体の修理と貴様の治療を行うべきだな。リビュエー03、運べ」


「んだよ、俺の出番は無しかよ。折角ガチの殺し合いができると思ったのによ-。戦国乱世育ちの殺人鬼ちゃんが荷物運びとか、使い所間違ってるぜ、ウネム隊長」


「黙ってやれ」


「へいへい」


 不平を零しながらも、『リビュエーゼロスリー』と呼ばれた女性は命じられた作業を実行してみせた。白騎士に近付いた黒檀の民女性は大柄で、地上では珍しい木と砂の呪動義肢を身につけている。彼女は軽々と神働装甲を持ち上げ、頭上で保持したまま歩み去っていった。運搬用の絨毯か箒でも持ってくるのだとばかり思っていたので、これにはかなり驚かされた。


「あなたたち、一体」


 思わず、問いかけていた。

 そして、すぐに後悔することになる。


「挨拶が遅れたな、『盾』の黒騎士。私は『守護の九槍』第七位――」


 そこまで聞いて、私の思考は停止した。

 表情が神働装甲で隠れていて、本当に良かったと思う。

 私はその名前を聞いた時、多分人に見せられない顔になっているから。


「――ヴィティス特任司教閣下直属、リビュエー隊隊長を務めるウネム・リビュエーだ。功を焦った部下が迷惑をおかけした。正式な謝罪は後ほど。部下と機体の回収をさせていただくが、よろしいか」


 質問の形をとっているが、有無を言わせない口調だ。

 隣にいたプリエステラは戸惑うように問い返す。


「構わないけれど、えっと、さっき言っていたお祭りの視察っていうのは――」


「その目的ならば既に果たされた。興味深い光景も確認出来た故、問題は無い」


 アイバイザー越しに、得体の知れない視線を感じる。

 ぞっとした。

 これは、あの男直属の部下だという。

 凄まじい嫌悪感が込み上げてきて吐きそうだった。


 ウネムと名乗った女性は仲間を引き連れて早々に引き上げていった。

 プリエステラが迎えにいった槍神教からの使いというのは彼女のことだったのだろうか。だとすれば、とても嫌な感じだ。

 敵意と嫌悪が湧き上がってきて止まらない。

 理屈なんて何も無かった。


 『守護の九槍』第七位――あれは、私の敵。

 かつて私たちキール斑を、否、より正確には小隊規模であったキール隊を敵側に売り、故意に壊滅に追い込んだ最悪の裏切り者。

 それが奴らなのだから。

 彼女たちの顔を、もう思い出せない。

 頭にあるのは、敵対したときに困らないための記号だけ。

 あれらは全て敵でいい。歪みに気付きながらも私は憎しみを捨てられない。

 それからしばらくの間、私はプリエステラやリールエルバの呼びかけに応えることができなかった。




「もう帰っちゃったのかな」


 きょろきょろと辺りを見回す。

 もうすっかり日が暮れて、お祭りは既に片付けが進んでいた。

 一時は開催が危ぶまれたイベントは、安全確保のため日程を延期するという決定が下された。今度は警備を強化して万全の体勢で挑む予定だ。


 それはそれとして、鎧を脱いだ私は無理を言って空いた調理場を借り、言理の妖精の力まで使って大急ぎであるお菓子を完成させた。

 届けたい人がいたからだ。

 けれど、シルエットアートが展示されたスペースはもぬけの殻。

 あの眼鏡の黒檀の民女性、タマルの姿は既にない。

 やっぱり、あの時の騒ぎで避難してしまったのだろうか。


「もしかして、巻き込まれて怪我とか――」


 思わず不安に駆られて動揺してしまう。

 すると、背後から声がした。


「ちょっと用事があっただけ。もう終わりだから、片付けて撤収するけど」


 振り返ると、そこにタマルがいた。

 午前中に出会った時と同じように、落ち着いた佇まい。

 どうやらテロの被害には遭わなかったらしい。ほっと胸を撫で下ろす。


「どうしたの、スー。え、私にくれるの?」


 戸惑ったように包みを受け取るタマル。私がどうしても渡したかったのは、手作りのチョコレートなのだった。

 包みを開けると、そこには見よう見まねで完成させた試作品チョコ。

 デーツとチョコは甘すぎる。なら、甘過ぎを調和させる組み合わせがどこかにあるのではないかと思ったのだ。


「そこで登場するのがナッツというわけです」


 実は他人のレシピを参考にしたのだが、何となく胸を張って威張ってみた。

 タマルはチョコレートを口に運び、しばし味わった後でふむと頷いて見せた。


「美味しいわね」


「でしょ? 今日の催しは邪魔が入ってしまったけど、こんな風に程よい仲立ちを見つけることができれば人と人の関係って上手く行くんじゃないかな。こういうイベントが、また人の環を繋げて行ければいいと思わない?」


「思わない」


 にべもなかった。冷たすぎて凍えそうだ。

 涙目になって質問する。


「なんでー」


「ちょっと、泣かないでよ。デーツとチョコの甘さを緩和するナッツ。確かに良い組み合わせ。お菓子の組み合わせとしてはね。けどそれだけ。それ以上のアナロジーは不用意。現実はお菓子のように甘くない」


 それはそうだけど。

 タマルは論理の人みたいだ。『杖』と相性良さそう。流石、最新式の端末を操るだけはある。比べて私は大好きなおこたの原理もわかっていない。圧倒的な差だ。

 それでも、と私は思う。


「甘さもお菓子も夢物語も、現実に存在する言葉と想いだよ。不用意なんかじゃない。慎重で綿密な、現実で戦うための理想――私はそう考えてる」


「そう。呪文ね、それは」


「うん、そう。私は呪文に希望を託すの」


「その希望が、あなたを呪縛しないことを願うわ」


 タマルは祈るとは言わなかった。

 多くの言葉は交わさず、それきり私たちは別れた。

 彼女とはこれきりになるだろうか。

 そうはならない気がした。


 タマルはティリビナの民に疎まれると知っていてあえてこの場所に足を運んだのだ。なら、そこには確かな意思がある。

 きっとまた会える。だって彼女の胸にも希望が、期待があるはずだから。

 厳しい理性に支えられた心――そこに、私と同じ甘さがあることを信じてる。

 あの時食べたデーツの美味しさ。

 それがこの日に得た大切な思い出だった。



「で、アズ。何かハルに渡すものがあるんじゃないの」


「うん、お待たせ。デーツとナッツのコラボレーション、黄色い粉砂糖をまぶして月面の海をイメージしたチョコだよ」


「――弟子がわかってきたようでハルとしても安心」


 帰宅した私は、全てお見通しといった表情のハルベルトに出迎えられた。

 お師様は厳しい振りをしながらもいつもの倍くらい私に甘くて、お姉ちゃんみたいに私に優しくしてくれたから、今日ばかりは我慢できずにその温もりに縋ることにした。多分私は、この日はじめて自分の限界を知ったのだと思う。

 そして改めて感じたのだ。

 私に必要なもの、チョコレートにとってのナッツを。



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