4-233 番外編:『チョコレートリリーのスイーツ事件簿2nd 第14話 デーツ・ミーツ・ナッツ』①




 銃声、閃光、飛び散る火花。

 ふわり、はらりと虹いろ気配。

 舞って散るのは紙吹雪――松明のしるしで祝別された聖符が燃える翼のフェーリムたちの幻影を映し出すと、空に大きな虹がかかった。

 見上げればどこまでも高い青空。幾つもの花火が上がって、歓声と共に祭りの空気が地上に広がっていく。天気の良い休日の朝、素敵な一日の幕開けだ。

 この場所が、誰にとっても良い思い出になるといい。

 私はそんなことを願いながら、喧噪の中へと一歩足を踏み出した。


 剥き出しの土に落葉の絨毯、イチョウ並木が整えられたここは今日も穏やか。

 右に向かえばメリアス、左にはマロニエ、奥の区画にプラタナス、楡、そして菩提樹と、街路樹の種類によって空間の色合いは変わってくる。心地よくて穏やかで、ゆったりとした気持ち。ここでは時間が緩慢に流れているように思う。氏族トーテムである樹木から索引された精霊の加護が、空間のアストラル流を最適化しているのだ。


 自然公園として開放されている中央広場はこの区画の住民にとっては交流の場であり、市場でもある。そこかしこで敷物を広げて品物を並べている姿が見られた。

 全身をすっぽり覆う黒衣もここではさほど目立たない。私のような装いをした『夜の民』たちはそこらじゅうにいるからだ。まだ黒衣に慣れていないのか、裾を踏んづけたり地面に引き摺ったりしてしまう人もいたけれど――おおむね、彼らは太陽の下でも影と調和できているようだった。


 道行く人々の顔ぶれもちょっと変わっている。地上では珍しい、樹皮の肌と蔦に覆われた身体を持つ人々――ティリビナの民たちがお祭りを楽しもうと街に繰り出してきていた。花冠やビーズで着飾っている彼らはとても楽しそう。

 ここは過酷な地上における彼らの安住の地。そのことに、少し安心する。


 大樹の如き世界槍、そこから分かたれた枝の一つ。

 葉のような足場に乗った都市と葉脈のように枝分かれする街路を、クロウサー家の技術を用いた環境保全結界が覆っている。

 エルネトモラン特別区――雑誌やニュースなんかでは、都市の中にある異界なんて言われてる新市街地。過去の魔将侵攻で破壊、放棄され、スラム化していた区画を整備復興することで生まれ変わらせた新しいエリアがここだ。


 地上の新参者、ティリビナの民やドラトリア系夜の民を受け入れるために急遽整備されたこの特区は、槍神教の建前とアルセミット・ドラトリア間の外交問題との鬩ぎ合いの中に『星見の塔』による介入と裏工作が絡むことでどうにか成立した。

 薄氷の上に砂の楼閣を築いて象の卵を見つけて積み上げるが如き偉業――って私のお師様ハルベルトは言っていたけれど、ちょっと意味がわからない。とにかく大変な苦労の上にこの場所は成立しているわけだ。

 ――それは成立だけじゃなく、維持についても言えることだけれど。


「アズーリア、こっちこっち」


 聞きなれた呼びかけ。声のした方を向くと、朗らかな笑顔がまぶしい、花を模したワンピースに身を包んだ妖精が立っていた。六枚の花弁は白と黄色に彩られ、ほっそりとした胴を包むがく花柄かへいは素朴な緑に覆われている。深緑の長髪は服の色と被らないようにかアップでまとめられており、トレードマークとなっている大輪の花はヘッドピースのように優雅に髪を飾っていた。


「エスト」


 ティリビナ系市民のまとめ役であり宗教的な象徴『ティリビナの巫女』――若くしてその大役を任されているエストことプリエステラは、そうした立場以上にまず私の友達だ。ちょこちょこと駆け寄って手をあげる。


「無事に開催できてよかったね、エスト」


「うん。アズーリアが手伝ってくれたおかげ」


 二人、音を立てて手を合わせる。背が低い私はちょっと背伸び。プリエステラの手指は私よりずっと大きくて少しびっくり。当たり前だけど、黒百合宮の頃から成長しているんだ。妙な所で歳月を感じてしまって少ししんみり。


「セリアとリールエルバは?」


「あの二人なら、奥の方にある本部でうちの長老たちに挨拶してるよ。ドラトリア系の代表者たちも一緒みたい。結構忙しそうね」


「そっか。じゃあ合流は後になっちゃうね」


 今回のお祭りはチョコレートリリーのみんなで企画したものだ。

 先日、私のちょっとしたユーモアから着想を得たリールエルバは、プリエステラと協力して夜の民とティリビナの民との親睦を深めることを思いついた。

 新参者の両種族同士、エルネトモランに馴染んでもらうためのお菓子作りイベントを開催することにしたのだった。


 名付けて『立春アズチョコ祭り』――街を救った英雄の名前を冠することで、エルネトモラン全体のお祭りにしたかったからだとか。ちょっぴり気恥ずかしいけれど、楽しい催しになるならいいか、という感じ。でも次やるときはリーナ祭りにするから覚えてろー。

 リーナとミルーニャがクロウサー本家の用事、ハルベルトとメイファーラ、それにピュクシスが『智神の盾』のお仕事で来られないのは残念だけど、そこは仕方無い。いつもみんながスケジュールを合わせられるわけじゃない。


 せめてお休みを貰った私がめいっぱい楽しんで、お土産をいっぱい持ち帰ろう。さっきから甘い匂いが漂ってきているし、露店には素敵な手作りお菓子が並んでいる。うん、わくわくしてきた。


「エストはこれから挨拶回りとかイベントの顔出しとかあるの?」


「見回りがてらあちこち顔出そうと思ってたんだけど――急に呼び出されちゃって。ごめん、午前中いっぱいは身動き取れないと思う。また後で連絡するね」


 案の定、プリエステラは相当忙しいようだ。

 樹妖精の少女はおとがいに指先をあて、小首を傾げて言った。


「『松明』の偉い人が視察に来るみたい。『事前に承諾はもらったはずなのに難癖つけてくる気なの?!』って思わず拳握っちゃったけど、なんかお祭りを見てみたいんだってさ。珍しいよね、こういうこと」


「ホントだね。『智神の盾』ならともかく、『松明の騎士団』、特に上の方はあんまりこっちのこと良く思ってない感じなのに」


 他人事のようだけど、いちおう私も『松明』の所属だ。今はほとんど『盾』の預かりなんだけど、そこのところがどうなってるのか自分でもよくわからない。

 なんの裏も無く、ただ友好的な意図でお祭りに参加してくれるのならいいんだけど。私とプリエステラは顔を見合わせて、祈るように呪文を紡いだ。


「言理の妖精」


「語りて曰く」


 不安と期待を込めた、形だけのおまじない。

 具体的な願いがないからことばはすぐに解けて消えてしまったけれど、今はそれだけで良かった。私たちは手を振ってそれぞれ別方向に進んでいく。

 さて、一人になってしまった。エストと歩くのは午後になりそうだし、しばらくはリールエルバの所に行っても邪魔になるだけかも。セリアがフシャーって怒りそう。どうしようかな。ふらふらと歩きながらあちこちを見渡す。


 新しいお祭りはまだ手探りの雰囲気が強く、独自の色や文化といったミームは生まれていない。それぞれが知っているそれらしいイベントの感触をどうにか再現しようと努力している最中という感じだった。

 主に見られるのは手作りお菓子の販売と、参加型のお菓子作り。

 チョコだけじゃなくてカラフルなメレンゲ菓子や白い雲のようにふわふわ浮かぶ空の綿菓子、定番のクッキーなんかもよく見つかる。きらきら光る宝石箱には金平糖が詰まっていて、そこかしこが甘味の楽園といった様相だ。

 メインは夜の民が大好きなお菓子だけど、それだけというわけではない。

 民族衣装やアクセサリを並べた蚤の市や絵画や木彫り像などの展示物、エスニックな色彩を前に押し出したパフォーマンスなど興味を惹かれるものは色々ある。


 私はあっちに行っては飴を貰い、こっちを訊ねてはチョコを貰い、たまにロクゼン茶をすすりながらティリビナ流の大道芸におひねりを投げたりしてお祭りを楽しんでいたが、ふと路上に雰囲気の違う一団が現れたことに気付く。

 ティリビナ系でもドラトリア系でもない、しかしエルネトモランでもあまり見ないタイプの種族。声を上げてしきりに署名や募金を求めている様子だった。


「草の民に大地の民、それからントゥガ族ね。また聖地奪回の要求か」


 不意に、背後から静かな声がした。低く、深く、沈むような濃い響き。

 喧噪の中、その言葉はなぜかすっと私に届いた。

 振り返る。道端に設営された展示スペース。白いパネルに黒いアート、それから長机に幾つかの民芸品。飾り気を足すように置かれた花瓶には薄紫の燕子花かきつばた――安っぽいパイプ椅子に、姿勢の良い少女が座っていた。


 同い年か、私より少し上くらいだろうか。背丈は私より頭二つ上くらい。

 下だけフレームのない眼鏡の奥には夜を抱いた瞳。落ち着いた黒目がじっと前を見つめている。

 ひときわ目を引くのは、吸い込まれるような黒檀の肌。

 厚い唇には薄い紅、縮れた頭髪は編み込んでから幾つもの房にして後ろに流している。ダークブラウンの堅苦しい立襟の祭服に、黄色っぽい天然ガラスの首飾りを合わせているのがお洒落な感じだった。


 少し、いやかなり驚いた。

 服装からして教会の司祭――それも私のような戦闘系の僧職者じゃなくて、儀式の主導、説教、布教、告解を執り行う式職者だ。

 槍神教の司祭、それも黒檀の民がここにいるのは、かなり意外なことだった。

 実際、彼女を見たティリビナの民たちは嫌なものを見た、という感じで目を逸らし、露骨に舌打ちするものさえいる。エストとイルスという実際の和解例があるとはいえ、歴史的な因縁のある両者の関係は未だ多くの困難を抱えている。夜の民もそうした雰囲気を感じ取ってか近寄ろうとしない。


「ここで署名を集めても無意味。それに不用意」


 周囲からの視線にも構わず、気怠げに呟く黒檀の民女性。

 確かに彼女の言うとおり、署名運動はあまり捗っていない様子だ。

 少数民族たちは世界槍内部に『再生』された古代世界、そこにある彼らの失われた聖地を自分たちの手に『取り戻す』ことを望んでいた。

 第五階層の隣接異界『風の吹く丘』、第五・第六階層間に『泡の異界』として発生した噂される『ラフディ王国』の種子、第四階層の裏面『ントゥガの断崖』――いずれも彼らが求めて止まない故郷、安住の地。


 居場所を求める切実な感情はティリビナの民やドラトリア系夜の民こそ理解してくれるはず、という狙いがあるのかもしれない。

 だが彼らの叫びは切実であるがゆえに少し威圧的で、他人を寄せ付けないところがあった。後ろの方で巨体を縮こまらせているントゥガ族が恐ろしげな風貌をしていたこともその傾向を強めていたかもしれない。

 そんなとき、誰かがこんなことをつぶやいた。


「犯罪者予備軍の猿野郎が、祭りが台無しじゃねえか」


 聞くに堪えない罵倒。空気が凍る。

 確かに、ントゥガ族は異獣とされているヴァナラやエイプキンと種族的には近い。彼らは拳を地面に突いた四足歩行を行うが、器用に手先を操って独自の文明を築いている。毛深い巨体を持つ彼らをプレヒューマンと呼ぶ者もいた。

 単純な膂力では霊長類を凌ぎ、その上で原始的な古代呪文の神秘をそのままの形で保っている滅びに瀕した種族――それがントゥガ族だ。


 彼らは好戦的な種族でもあり、第二衛星イヴァ=ダストより飛来した『来訪者』が一柱、『虫王ダレッキノ』の眷族たる鎧蟲たちに蜜を与え、育て上げ、訓練し、農耕と戦闘に用いる。

 地上において二十位以下の眷族種とされる彼らは第四階層に再生された『聖地』を取り戻すことを願っており、何度か『松明の騎士団』と衝突してきた。第四階層を掌握している部隊と衝突し、流血沙汰にまで発展したことすらあったという。


 そうした気質が、この時も遺憾なく発揮された。

 公然たる侮辱に黙っている彼らではない。

 咆哮し、雄々しくドラミングを行うと、自分たちに侮蔑の感情を向けた無礼者に獰猛な視線を向ける。殺意と血の気配。

 まずい。このままだと楽しいお祭りが台無しになってしまう。プリエステラやリールエルバ、セリアック=ニアが頑張って開催に漕ぎ着けたイベントで悲しいトラブルなんてことは何としてでも避けたかった。


 黒衣の中でぐっと手を握り、フィリスの発動準備を行おうとした時だった。

 歌が響いた。それともこれは、流れるような言葉だろうか。

 振り返ると、あの黒檀の民女性が良く通る低めの声で呪文を紡いでいた。すると不思議なことが起きる。ントゥガ族が呼応するかのように声を合わせてきたのだ。リズムが重なり、離れ、また触れ合う。意味のはっきりしない音符の流れが大気を震わせてダンスを踊る。


 いつかお師様が言っていた。言語と音楽は『呪文』という系統を学ぶ上で決して避けては通れないものだって。『言語と音楽、これらの前段階として共通の先駆態があったのではないかとハルは考えている。絶対言語と今ある言語とを繋ぐ、いわばプレ言語とでも言うべき中間の呪文が存在していたのでは』とか何とか。


 黒檀の民とントゥガ族との不思議な交流は、それを思い出させるような幻惑的で、しかし力強い原始的響きを兼ね備えていた。大自然さながらの素朴さ、単調ながらも奥行きのある繰り返しのリズム。風の囁き、波のざわめき、木々の笑い声――あたりまえの美しいもの、すべて。


 私の目には、虚空で触れ合う二人の霊体が見えていた。

 ントゥガ族のアストラル投射による精神感応ネットワークは近代化された通信網に匹敵するという。彼らは現行の主流文明が定義するような言語を持たない代わりに、精神感応と音楽的な音声を用いたコミュニケーションを行う。

 日常的に鼻歌を歌い、胸を平手で叩くドラミングによってリズムを刻む。

 原始的な音楽が彼らの呪文だ。


 やがて歌が終わると、場の空気は一変していた。

 もはや誰もかの種族を野蛮とは思わない。否、たとえ野蛮であってもそこには確かな文化と意思が存在するのだと、今の一幕が証明していた。

 周囲からは場を収めた黒檀の民に賞賛の視線。


 ントゥガ族はすっかり心を落ち着かせ、透き通った瞳で黒檀の民女性を見つめ、穏やかに声を上げた。それから周囲にいた草の民や大地の民たちと一緒にその場を離れていく。女性はというと、何事も無かったかのように自分の展示スペースに戻っていった。端末を取り出してぼんやりと弄っている。


 私はと言えば、すっかり感心してしまっていた。

 とことこ黒檀の民女性に近付いていくと、おずおずと話しかける。

 『呪文使い』としての好奇心が不安を打ち消していた。


「あのっ、すごかったです、今の。どうやって彼とお話したんですか」


 なんとかしてあの歌のような対話方法の秘密が知りたい――ともすれば失礼にもあたる質問だが、とにかく私は無我夢中だった。もしかしたらハルベルトの役にも立てるかもしれないし、呪術師としての本能が疼いてしょうがない。

 ところが女性の反応は鈍く、「ん」と曖昧な言葉が返ってくるだけ。


 私はどうにかして関心を持って貰おうと色々と言葉を捻り出そうとした。

 多分、勢い余って前のめりになってしまっていた。

 だから失敗した。


「やっぱり、黒檀の民だから精霊や自然に属するものとお話する方法が伝わってるとかですか」


 途端、はっきりと空気が変わった。

 眉根を寄せて不快感を露わにする女性。

 あ、しまったと思うけれど、思考が凍ってしまって何がまずかったのかわからない。あたふたと困惑して、どうにかしなくちゃと言葉が空回りする。


「えっとあの、あ、そうだ名乗りもしないで失礼でしたよね、私はスーって言います。あなたのお名前を訊いてもよろしいですかっ」


 しかも無意識に良くない癖が出てしまった。ちかごろ名前が売れてきたせいで名乗ると面倒だからアズーリアじゃなくてスーって名乗るようにしているのだ。

 黒檀の民女性は目を細めてこう言い放った。


「影喰いに名前を漏らして魂を奪われるのは嫌」


 その言い方はとても嫌味っぽくてわざとらしい悪意に満ちていた。

 胸がざわざわして、向けられた敵意に身体が勝手に緊張して、楽しいはずの日が一瞬で色褪せていって――それから女性が最新式の携帯端末を、つまり『杖』の機器を持っていることに気付いて、思考が正常に回り始めた。


「ごめんなさい、考え無しでした。私は先入観だけであなたたちと特定のイメージを勝手に結びつけてしまった」


 黒檀の民はかつては精霊信仰を持ち、自然と親しんでいたけれど――現代社会においてそこにはある種のイメージとレッテルがつきまとう。私は人種的な偏見でものを言ってしまったのだ。

 女性は表情を緩めた。


「わかってもらえたならいい――私も性格が悪かったね。あなたに酷いことを言ってしまった。ちょうど『石炭どもの犯罪まとめサイト』で私たちが『土人』とか『野蛮人』とか言われているのを見てイライラしていたものだから――」


 なぜそんな悪意と偏見に塗れたウェブページを自分から見に行くのだろう、と不思議に思ったけれど、むしろそういうのって避けがたいものなのかもしれない。勝手な推測は良くないと思いつつ、少し心配になった。

 黒檀の民女性はそんな心配など不要とばかりに澄んだ表情でこう言った。


「私はタマル。よろしく、スー」


「タマル? へえ、私の先生がタマラって言うんだ、なんか似てるね」


 と言っても、タマちゃん先生にとって名前なんて幾つもある普段着のひとつみたいなものなんだけど。どっちかっていうとエミリニェロギッポロネーシャとかクリアケンポロイドとかジ・アモリファセル・メディアテーク・アラとかのほうが通りがいいし。とりとめのないことを考えている私に、タマルはこう返してきた。


「多分同じ由来よ。棗椰子ナツメヤシのことだから。ああそうだ、これ食べる? お菓子のお祭りって聞いてたから一応用意してたんだけど、あまり人が寄りつかなくて余ってたの」


 タマルが差し出してきたのは、透明な個包装の中に入ったドライフルーツだ。

 茶色くて楕円形をした、プルーンやレーズンのような感じの見た目。

 話の流れからするとこれはもしやナツメヤシの果実。


「これデーツだよね? ありがとう! いただきます! おいしい! 甘い! もうひとつ下さいな! 素敵! もうひとつ! うまー! おかわり!」


「どうぞ。ずう、遠慮ないね――いいよ、この袋のやつは全部あげるから」


「やったー!」


 何が『やったー!』なのか自分でもよくわからなかったが、とにかく心の声がそう叫んでいた。同時に確信する。甘い物をくれる人はいい人。だからタマルはいい人に違いない! ずっとついていきます! デーツおいしいです!


「気に入ってもらえたなら良かった。ついでにこれ、試作品なんだけど。デーツとチョコを組み合わせて――」


「ありがとー! 超あまーい! 夜の熱帯を切り裂く甘さのスコールだよもー! 激烈ー! 猛烈ー! 超鮮烈ー!」


「――みたのはいいけど、少し甘味が強すぎるって身内では評判悪くて――その、夜の民にはちょうど良かったみたいね?」


 差し出されたチョコは確かに甘過ぎのきらいはあるし、バランスを考えると苦味のあるお茶かコーヒーが欲しくなるところではあるけれど、甘過ぎなら甘過ぎで楽しめてしまうのが夜の民なのでへいちゃらなのでした。あんまり参考にならなくて申し訳無い。それにしてもデーツはおいしいなあ。はむはむ。

 幸せいっぱいの気分でお菓子を堪能する私を興味深そうに見つめるタマルは、ふと思い出したように話題を切り替えた。


「そうそう、さっきの話だけど。私がントゥガ族と対話できたのは、過去の観察と経験から導き出した『ちょうど良いやり方』が上手く行ったから。私の肌色と生まれは関係無いわ。そもそも私、アルセミットから出たこと無いし」


 聞けば彼女は今は砂漠となっている亜大陸に行ったことが無いのだという。

 私と同年代という時点で気付くべきだった。黒檀の民たちが槍神教に恭順して以降、彼らの多くは槍神教圏に移住した。

 タマルはその次の世代――この場所しか知らない黒檀の民なのだった。  


「過去の観察と経験って?」


 私はタマルの来歴については深く突っ込まず、当初の興味の方を優先した。黒檀の民たちの事情は、そういうものでしかない。それは今ここに当たり前に存在していることだ。


「調査と研究が主な役割だから。ントゥガ族と接触する機会が多かっただけよ」


「もしかして、『智神の盾』?」


「いいえ。『松明』の方でも独自の研究機関を持ってる派閥があるってだけ」


 『智神の盾』があるのに、そんなものが必要なんだろうか。そういえば、ピュクシスが前にそんなことを言っていたような気がする。

 当時の記憶を掘り返す。確かこんな内容だった。

 『塔』が末妹選定の本格化に伴って積極的に世界槍に介入しようとしていることに『松明』は不満を抱いている。『塔』の出先機関である『盾』を遠ざけつつ、独自の調査機関を使って世界槍での影響力を強めようとする動きが活発化しているのだとか。それを主導しているのは、えっと、確か――。


「ねえ、私からも質問をしていい? 夜の民からの意見が聞きたいの――ここにあるシルエットアートなんだけど」


 タマルが指差したのは、ホワイトボードに展示されている幾つもの黒い切り絵だった。多分、私たちの種族が影絵を独自に発展させてきたことからコメントを求められているのだろう。しかし。


「うん、えっと、そのー、げーじゅつてきだね!」


「ごめんなさい。勝手な偏見であなたたちを決めつけたわ。許してくれる?」


「うん。こちらこそ期待に応えられずごめんなさい」


 夜の民だからといってみんなが影絵芸術に造詣が深いわけではないんだよう。

 正直、タマルのシルエットアートはよくわからなかった。

 衣装、横顔の形、ある種の記号的なパターンに沿って配列されていることはわかるけれど、どういうお約束があるのかまでは読み取れなかった。それに何と言うべきか、所々に『怖さ』を感じる絵があってコメントしづらかったのもある。


 寂しさ、もの悲しさ、不穏さ、そして不吉さ。

 崖っぷちに立つ二人の女性、連なって縛られた女性たち、鳥籠の中にいる少女、紙きれをもった群衆、床を掃除する女性、沢山の子供たちを世話するふくよかな女性、着飾った女性、全てが黒塗りの人々だけれど、そこには明確な記号的差別化が図られているように思われた。


「ねえ、これ、タイトルはなんて言うの」


「これ? 『他者の中の他者』よ」


 タマルの言葉を私は捉え損ねた。

 けれどそのタイトルはとても寂しく、人を退けて疎外してしまうような過酷な響きを感じさせた。

 とても――とても恐ろしかった。

 私はそれからしばらくタマルと雑談を交わし、連絡先を交換してその場を離れた。しばらくはこの展示スペースにいるというから、あとで誰かと寄ってみようと思う。新しく出来た知り合いのことを、私を構成する私以外の目でもっと知りたいと思ってしまったのだ。チョコレートリリーは彼女をどう思うのだろう。


 ふと思い立ち、道の端に移動してから端末を操作する。

 検索――黒檀の民が出ている広告幻像。

 端末の上に立体的に表示されたのは黒檀の民。有名な陸上競技選手の姿だ。躍動感溢れる疾走で、運動靴が最高のパフォーマンスを発揮していることを示す。

 音楽に乗せて謳われる文句は『ワイルド』『パワフル』『野性』『力強い』などなど。他にも遙か彼方を見通せる視力を強調したり、自然と共生する姿を肯定的に描いて農業や林業を振興、野菜を美味しそうに囓る姿をアピール、といった性質の広告が目立つ。


 先ほど言葉を交わしたタマルは線が細く、度が強そうな眼鏡をかけていて、最新型の携帯端末を操作していた。だからどう、ということではない。

 そもそも、こうした広告映像はどれもポジティブで罪のないものだ。

 けれど、私にはそれらの連関がとても不思議で、強い呪力を有しているように思えてならなかった。


 ぴこんと音がして、端末の画面上にメッセージが表示されていく。

 まずは箒アイコンとカラスアイコン。


「いーなー、私もアズチョコ祭り行きたいよーねえ先輩午後から行こうよー」


「ええい私だって行きたいですけどこっち放り出すわけにもいかないでしょう! いいから口より手を動かす! さっさと終わらせますよ!」


 いつも賑やかな二人の後には、目玉模様の宝石アイコンと植木鉢アイコン、それからお姫様のお人形が姉妹揃ったアイコンが続く。


「おハルさんとピュクシスせんせが喧嘩しっぱなしでこわいよー」


「よしよし、メイはがんばってる。終わったらこっちおいで、ティリビナマロンケーキをご馳走するよ」


「『それ私も欲しいわ。ニアも好きよね? ご一緒してもいいかしら』と姉様は仰っています。セリアもそう思います」


 お昼ごろになると、チョコレートリリー専用のグループチャンネルがにぎやかになってくる。お祭りの方もお昼時ということで、お菓子は一休みにしてランチに切り替えたり店番を交代したりといった動きが見られた。

 私は昼食も甘いもので平気なんだけど、ここは流れに乗って屋台で何か買おうかな――そんなことを考えていると、通話アプリ上でウサギアイコンが点滅。私は即座に反応した。


「ハル、お疲れ様」


「まだ終わってない」


 黒ウサギアバターはどうやらご立腹の様子。かつてない勢いでおこりんぼエモーションを多用して憤慨していた。


「午前中ぜんぶ無駄にした。散々待たされるし、ピュクシスはうるさいし、手続きに時間かかるし、そのくせ肝心の調査対象は野外での試験運用だとかでもう移動したとか言われるし、時間稼ぎが見え透いててイライラする。アズ、場合によっては明日以降に手を借りるかもしれないから覚悟しておいて」


「わかりました。なんだか大変だったんだね。兵装の基準検査だっけ」


「ん。『松明』が独自の技術部門に開発させたっていう新型兵装の検査と承認。けど、実際にはそれだけじゃない。派閥間抗争の火種になり得る案件」


 なにやら物騒な話になってきた。

 お師様によると、先だって『智神の盾』が保管していた神働装甲の設計図が何者かに盗まれるという事件があったのだという。異様なのはネットワークから遮断されたスタンドアロンのデータベースに侵入されていたという点。現場はほとんど荒らされた様子も無く、『塔』が設計した鉄壁の物理セキュリティに守られた建物内に誰にも気づかれず忍び込みことを済ませたらしかった。


「凄腕の――それこそ『司書』級のクラッカー。未だ犯人の足取りすらつかめていない。その事件からしばらくして、『松明』は『独自技術』によって新型兵装の開発に成功した。それも、公開されているカタログスペックや試運転の様子を伝え聞く限りは――」


 黒に近い灰色。ハルベルトのウサギアイコンの表情はひどく重苦しかった。

 綺麗な天眼石が話に飛び込んで来る。メイファーラは能力のせいか『智神の盾』ではプチ諜報員として重宝されており、『松明』の内部事情にかなり詳しい。


「近々第四階層に配備されるって噂だよ。確か例によって異界神話からの名付けで、『ハルピュイアシリーズ』って言うんだって。全部で五機配備されるみたい」


 当然の如く、神働装甲の開発責任者であるピュクシスは激怒した。

 それはもう、大変な荒れようだったらしい。メイのアイコンが涙目になっていることからも苦労が偲ばれた。可哀相に。


 もちろん、可哀相なのはピュクシスもだ。自分が開発に関わった『作品』が盗まれた上に無断で手を加えられて『独自の技術』なんてことにされているのだから。

 『盾』が今回の調査に乗り出したのは疑惑を明らかにするためだったのだが――どうものらりくらりとかわされてしまったらしい。その時点でもう怪しい。怪しいけどまだこの時点では強硬な手段をとることはできない。もどかしい。

 それにしても、『松明』の研究機関――少し、気になる。


「なんだかもやもやするね」


「『松明』はチョコレートリリーという力を手にした『盾』を警戒している。ある意味では当然」


 私たちがかつてのように結束したことで、周囲からの敵意を呼び込んでしまっている。それは悲しく、そして正しく理解しなければならないことだと思う。

 私たちは外側と内側を切り分けた。内側は楽しく心地よい居場所。だからこそ、そうでない外側ともどう付き合っていくかを考えていかなければならない。

 きっと、『使い魔』という呪術はそういった事柄について考えていくことなんだろうと思う。


 このお祭りも、きっとそういうたたかいで、まじないなのだ。

 私の目の前で、ティリビナの子供が黒衣の子供とお菓子の交換をしていた。

 こんな光景が、たくさん生まれるといいな。

 そんなことを思いながら、ふと思いついてチョコレートリリーのみんなにある相談を持ちかけてみた。すると予想外の反応が起きた。


「アズーリアがそんなことを気にする時が来るなんて、天変地異の前触れ、いやそれよりおハルさんの精神が危ない」


「マジで! 春の気配じゃーんやっぱり文通から始まるピュア恋はあったんだ!」


「ちょっとリーナどういうことですかアズーリア様に限ってそんな」


「いいえミルーニャ、これはきっとご両親へのギフトオチよ! 愛は愛でも家族愛! これ、重要ね!」


「『真面目に返すと、使徒様が真剣に今回のイベントに参加してくれているようでうれしいわ。お菓子コンテストのレシピ一覧があるけど、参考になるかしら』と姉様は仰っています。セリアもそっちの端末にデータを送ります。あ、間違えましたこれはブラクラでした」


「えっと、とりあえずみんなありがとね。いろいろな意味で」


 よくわかんない嫌疑をかけられた挙句、セリアからのひどい嫌がらせがあったけど私はめげない。ハルが何でか沈黙しているのがちょっと気になるけど今は置いといて、ドラトリア姉妹から送られてきたお菓子レシピに目を通す。

 どれもよく工夫されていて、見た目も触感も味わいも素敵になるようにデザインされているみたいだ。参考になりそうなものが無いか、と目を眇めてリストとにらめっこ。しばらくして、これはと思うものを見つけた私は早速試してみようと近くの調理場を借りようと移動を始めた――そんな時だった。

 自然特区を揺るがす爆音が轟いたのは。

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