4-232 転章『それは素朴で純粋な当たり前の』③



 世界槍の天頂――雲を突き破る途方も無く巨大な穂先。

 隠されたその内部に立ち入ることは決して許されず、ただひとりソルダ・アーニスタのみが秘密の全てを手中に収めているのだという。


「用件は二つ。今回の任務について内密に頼みたい事がひとつ。もうひとつは、ちょっとした自分語りのようなものかな。信仰告白と言ってもいい」


 長い通路、無限にも感じられる空間を私たちは歩いている。 

 あまりにもあっさりと私は穂先の内部に足を踏み入れていた。

 いや、この言い回しが正しいのかどうか。

 私はどうやってここに来て、いつの間にこうして歩いていたのかをはっきりと思い出せない。ソルダの導きで昇降機の中に入り、何故か下降して、扉が開いたら泡に包まれて無数の世界の狭間をふわふわ泳いで、それから鳥に乗って空を飛び、時の流れに逆らってさっきの自分の真横を抜けて、静止した世界に足を踏み入れ、それからそれから――そうだ、全てが凍り付いていた。


「ここは、第一階層じゃないんですね。異世界――第零階層、とかですか?」


「その理解で概ね正しい。ここでは全てが凍っている。時も、意味も、価値も。僕たちがこの穂先を出た時、外で待機しているフラベウファは一秒ほども待っていないんだ。はぐれないでね、アズーリア。僕が近くにいないと、君も凍るから」


 ぞっとして、前を行くソルダに少し近寄った。

 長い通路は透き通った氷で出来ていて、何も無い虚空の上を歩いているようで不安だった。足場の無い世界。どこに繋がっているかもわからない、無限の広がり。私は耐えきれなくなって思わず訊いてしまった。


「あの。団長は、この階層世界をどういった意図で創造されたのでしょうか」


「僕はここの掌握者じゃない。限定的な掌握者権限を代行しているだけだよ」


 意外な答えだった。

 ソルダだけが出入りできるこの穂先の階層世界が、彼のものではない?

 なら一体何者がこの世界を創造し、どんな目的で維持しているというのだろう。


「この世界はね、あらゆる命と――いや、死と拮抗しているんだ。物語の重力といってもいいかな。『今はまだ』という停滞と遅延で守り続けている」


「守る――?」


「そう。全てを混沌に融かしてしまう救世主から、尊い純粋さを守っている」


 ソルダの言葉は謎めいていて、私にははっきりとした意味が掴めない。

 彼はこちらを振り返ること無く、静かに言葉を重ねた。


「君は理解してくれるような気がしたんだ。これから、純粋な『歌姫Spear』の在り方を守っていかなければならない君ならば」


「それって」


「アレッシオやテッシトゥーラには気を付けるといい。君の大事な歌姫が勇壮な軍歌や耳障りの良い鎮魂歌を押し付けられた挙げ句、犠牲と死を積み上げるための道具としてすり潰されていく光景は見たくないだろう? 美しいものは簡単に穢されてしまう。僕たちは、それを守らねばならないんだ」


 彼の言葉には、私に対する共感があった。

 どうしてだろう。彼にも、私と同じように守りたい何かが在るから?

 それはひょっとして運命の恋人であると言われている神話の――。

 不意に景色が切り替わった。

 透明さだけが広がっていた上下左右に、様々な泡が浮かんでいる。

 その泡のひとつひとつが小さな世界――このゼオーティアに存在する様々な世界槍、そして文明圏の景色だった。


「世界は疲弊している。闘争は――生存競争はとにかく疲れるからね。だからさ、そろそろ戦争の落とし所を考えるべき時が来ていると、僕は思うんだよ」


 ソルダの発言は立場を考えると危険なものだったが、他の世界槍でも休戦や停戦が成立したり、厭戦ムードが広がったりしていることは知っていた。

 彼の思想はもしかすると私たち『呪文の座』に近いのかも知れない。

 過度な期待をするべきではないが、私の心は浮き立った。

 彼もまた、私に近しいものを感じてこうして声をかけてくれたのかも。

 『松明の騎士』が味方になってくれれば心強い。

 ソルダは私の考えを裏付けるように、自分の考えを述べていく。


「大神院――『義国派』は末妹選定が救世主を生み出してくれることを期待しているけれど、同時に長年の仇敵である鈴国圏の殲滅も望んでいる。トライデントを利用して世界を救いつつ『下』を滅ぼしたいわけだ。だからフォルスやネッススなんかには悟られるわけにはいかないんだけど――もう『松明』は前の姉さんがいた頃とは違う。異獣は全て滅ぼすなんて野蛮さは捨てるべきだよ」


 こんなことを『松明の騎士』が言ったなんて知られたら、それこそ大神院と『義国派』は彼の解任や順正化処置による洗脳を考えるだろう。

 時の止まったこの世界でしか言えない、彼の心からの本心なのだ。


「必要なのは、自分と相手が違うということを認め合う寛容の心じゃないかな。同じ神を信じることが出来ないとしても、それを邪神などと否定するのではなく、上手に折り合いをつける方法はある。実を言えば『松明の騎士団』より『智神の盾』の方が僕にとっては理想的なんだよね」


 確かに、彼の精神性は私たち寄りだった。

 なんという皮肉だろう。

 聖絶を推し進め、地獄を滅ぼすための尖兵たる『松明の騎士団』を率いる少年がこんなにも優しい考え方をしているだなんて。

 思えば彼と初めて出会った時、追い詰められた竜神信教の人々を彼はできる限り救おうとしていた。ソルダ・アーニスタの本質がどのようなものか、私は既に知っているはずだったのに。


「もちろん異獣側――たとえばティリビナ人たちだって僕たち異教の教えを許容できる者ばかりじゃない。だが『智神の盾』が解釈によって『異教の神を守護天使と読み替える』という妥協点は少なくとも流れる血を減らしてきた。傲慢なやり方だが、大神院のご機嫌取りを考えると現状選び取れる次善の策だ」



 とはいえ、ソルダが直面している現実は厳しい。

 少年が抱く理想は現実の醜悪さによって簡単に歪められてしまう。

 それでも彼は可能な妥協点を探り出そうとしているのだ。


「そこで本題だが、『智神の盾』から出向している呪文使いとしての君に依頼したいことがある。ただ第五階層を掌握するだけでは反発や流血は避けられない。だから、君にティリビナ人たちを説得して欲しいんだ」


 ソルダは振り返り、私に頭を下げて頼み込んだ。

 その意味を考える――彼は『松明の騎士』だ。

 聖絶を主導した『松明の騎士』にはこの役目は果たせない。

 『智神の盾』の私だからこそできることなのだ。

 ソルダは頭を上げて続けた。


「ティリビナの巫女――プリエステラを連れて行くんだ。第五階層のティリビナ人たちを我々が守るべき眷族種――『街路樹の民』として保護する。その過程で、彼女の存在は必ず必要となる」


 『呪文の座』とプリエステラには実績がある。

 このエルネトモランでティリビナ人たちを保護しているという前例。

 それがあれば、第五階層にいるティリビナ人たちとの衝突を最小限にしつつガロアンディアンとの調停や和解を成立させられるかもしれない。

 もちろん、私は最初からプリエステラに同行してもらうつもりではいたけれど、こうしてソルダの方から許可が出るとは思っていなかった。

 第五階層を取りまく状況は厳しいけれど、希望は見えてきた。

 だが、ソルダの表情は険しい。


「いいかい、恐らく、いやほぼ確実に同行するアレッシオ特任司教の妨害があるだろう。彼は歌姫のライブそのものを汚染し、大神院に都合のいい視座で君たちを操ろうとするはずだ。君は覚悟を決める必要がある。これまで数々の戦場で『従軍アイドル』をプロデュースしてきた男の横槍を凌ぎ、無血で第五階層を掌握するんだ。わかるね?」


「はい」


 第八位を見た瞬間に、彼とはそういう戦いになる予感があった。

 少し前、ミルーニャたちは第五階層であった出来事を私に教えてくれた。

 アイドルとしての闘争、演劇儀式としての闘争、役者と舞台を巡る闘争。

 そしてまた、次の舞台では私たちのハルベルトが舞台に上がり、世界を変えるために歌を響かせるだろう。


 けれど、純粋な呪術戦として行われていた演劇空間と次の舞台は違う。

 また、地下アイドル空間の観客たちが呪術と闘争にどっぷりと浸かった特異な客層であった『空組』の経験をそのまま活かすことも難しいだろう。

 何故なら『歌姫Spear』のライブは直接世界に向けて行われる。

 観客との闘争、どう舞台を組み立てていくかという創造。

 表現者として、自らの内側や運命に潜っていくだけではなく、外側や視線に対応していかなければならないのだ。


 世界は私に英雄を求めている。

 人々は歌姫に何を求めるだろう?

 義国派とアレッシオはきっとそこを突いてくる。

 私たち『呪文の座』は政治的な思惑や原始的な排除の欲求からハルベルトの表現を守り、同時に観客の求めにも応じなければならない。


 第八世界槍の真実が明らかになったいま、虐げられ続けたティリビナ人たちもハルベルトの歌を聴くだろう。

 過去の惨劇から繋がった苦しみの現在――ハルベルトはそこで平和のために歌うことになる。それはかつて無いほどに困難なライブになるだろう。


「私は『呪文の座』の末妹候補ハルベルトの使い魔です。彼女の純粋な歌を何があっても守り抜く。そのためなら、私は何だってできる」


 私の答えに、ソルダは満足そうに頷いた。

 それから、再び私に背を向けて歩き出す。


「アズーリア、君に世界槍の秘密を教えてあげよう。君が守るべき真実、紡ぐべき物語の正義がどこにあるのかを知っておいて欲しいんだ」


 そう言ったソルダが一歩を踏み出した瞬間、世界が流転する。

 落ちて――いや、切り替わった?

 いつの間にか、また別の場所に立っている私たち。

 天と地を流れていくのは世界を内包した泡、大河、海、いや混沌?

 彼方から融けだして、またどこかへと染み込んでいく大いなる流れだ。

 

 激しく変化を続ける世界の中で、ひとつだけ微動だにせずに存在しているものがある。私は息を呑んだ。そこがこの世界の中心だと理解できたからだ。

 それは、混沌の中心で揺らがずに静止する氷の結晶。

 その内側で、途方も無く美しい白銀の少女が眠りについていた。

 私は、彼女の名前を知っている。

 ソルダは愛おしむように氷の結晶に手を伸ばし、届かない指先を震わせながらそっと息を吐く。そして、私に告げた。


氷血クォーツウォッチのコルセスカ」


 彼女は。

 透き通る氷玉の中で世界の時計を支配している。

 夢見る目蓋の内側で世界の祖型を見つめている。

 誰もその冷たい躯とは融け合えない。

 誰もその頑なな心には触れられない。

 それは完全なる個として凝固された結晶。

 それは不動なる己として隔絶された表象。


「彼女こそが本物だ。間違った解釈で歪められた偽物なんかじゃない。雑多な編纂で曲げられた神話像なんかでもない。ありのまま、最初のままの純粋なコルセスカはこの原典を凍らせた世界にしかいないんだ」


 氷の中で眠る少女はいつか目にした『颯爽とした探索者の英雄』とあまりにも似ていたけれど、異様なまでにイメージが重ならなかった。

 凛々しさと強さを兼ね備えた透明な快活さはそこにはなかった。

 大きな眼帯もすらりとした背丈も姿勢の良さも無い。

 幼さと小柄さが目立ち、触れれば溶けてしまいそうなほど儚くて、その姿はまるで雪の化身みたいだった。


「だとしたら、『痕跡神話』は」


「僕たちこそが『真なる邪視の座』だ。少なくとも『塔』と大神院が末妹選定をこの世界槍で行うと決めた時にはそうなるはずだった」


 ソルダはそこから何かを続けようとしたが、頭を振って口を閉ざした。

 深い、深い溜息。

 どうしてかその姿が老人に見えた。

 この少年は何を背負っているのだろう。

 何かの重さに疲れ果てているのに、それでもそれを捨てることができない。

 呪いのようだと思った。

 やがて少年は曖昧な笑顔を作り、こう言った。


「物語はさ、幸福な結末のほうが好きなんだ。恋人同士が引き裂かれて終わりなんてあんまりだよ。どれだけの時間を隔てても、最後にはめでたく再会して結婚式を挙げて、二人は末長く幸せに暮らしました、で終わった方がいい。そうだろ?」


「それは、そうですね」


 私には事情が分からないままだ。

 どうしてここにコルセスカがいるのだろう。

 彼はこの眠っているコルセスカを求めている?

 じゃあ私が一瞬だけ擦れ違った、サリアの大切な人は誰なの?

 困惑する私をよそに、ソルダの口調には熱が込められていく。


「そう、面白みが無くても退屈でもそういうのが大事なんだよ。暗い展開とか悲劇とか切なかったり苦かったりする結末とか泣ける要素とかやめろよ、人を殺したり別離させたりすれば楽しいのかよお前らいい加減にしろ僕はもううんざりだ!」


 私はとてもびっくりして、何と言っていいかわからなくなってしまった。

 この少年が、こんなに激しく怒る事があるなんて。

 彼は悲しんでいる。嘆いている。嫌いなもの、見たくないものに心を痛めて子供みたいに泣き叫んでいるのだった。

 ソルダはずっと溜まっていて、けれどはき出せなかった鬱憤を一気に口から放出していった。その勢いは火を吐く亜竜よりもさらに激烈だ。


「何が『色々な正しさがある』『人には人の趣味嗜好が』だ、寛容? 許し? ざけんなゴミかよ辞書ごと言葉が死んでしまえ! お前たちの好みなんてものは全て汚物だ! お前らのクソまみれの世界観を美しいものに押し付けて汚すな価値が損なわれるだろうが原作への尊敬が無いんだよ挙げ句の果てにヘイト創作だの陵辱だの寝取られだのマジでぶち殺すぞだいたいモブのおっさんごときに僕が負けるわけないだろモブじゃ無くても最悪だけどなにがオリ主だ脳腐れが!」


「ひっ」


 こわい。

 迂闊に触れたら大やけどしそうな凄まじい熱が少年から迸っている。

 ていうかあの、さっきの寛容とか許し合う心とかそういう理想の話はどこに行ってしまったのだろう。彼は優しく純粋な少年のはずだったのに。

 ぜえはあと息を乱して肩を上下させるソルダ。

 おろおろとする私の目の前で、急激に下がって行く語調と熱。


「ていうかさ、根本的な問題として。それ『コルセスカ』でやる必要ある?」


「えっ。その、私に訊いてます? どうなんだろう、それ言われると、コピペ種族としては苦しいといいますか」


「中途半端にさー、創造性発揮してくるほうが厄介なんだよね。だから君はまあいいんだよ。そうだな、アズーリア。例えば『歌姫すぴにゃん腹パン本』なんて二次創作をどう思う。歌姫は語尾が『にゃん』にされてるやつ」


「絶対に許さない」


 私は真顔で即答した。


「だろ? コルセスカはもっと酷いのが、それこそ口に出すことすら憚られるようなのが沢山あるんだ。雪原に佇む清らかな花のように控え目で可憐な彼女が、何故かゲーム狂いの引きこもりオタクとかいうキャラ崩壊を起こしながら良く分かんない設定のオリキャラ連中と次々くっついていくみたいなやつがね」


「うわっ」


 こわい。製作者は何を思ってそんな暴挙を?

 たしかにそこまでするなら完全なオリジナルでやれ、とソルダに言われるのも仕方が無い、何しろ彼にはその資格がある。

 これはつまり『怒られ』が発生しているやつだ。

 私はそう理解した。


「神々を気取ってる連中の下らない解釈なんて全部いらない。ゴミみたいな展開を役者に押し付けてくる演出家なんて皆殺しにしてやる。不確定に揺らぐ二次的な人物像も編纂された神話の総体も正統な彼女を穢すだけだ。僕は僕以外の解釈を一切認めない。一切だ。世界観も神も、ただひとつがあればいい」


 異端への焦げ付くような憎悪、正統への燃えるような愛。

 揺るぎない信仰心、純粋すぎる宗教的情熱。

 私は、致命的な誤解をしていたのかもしれない。

 ソルダ・アーニスタは確かに『松明の騎士』だった。

 その炎で敵を焼き尽くす神火明光の槍。

 だが彼の信仰は槍神に捧げられたものではない。

 少年にとって譲れないものは、この少女だけなのだ。


「わかるかいアズーリア。この世界槍こそが世界を『普遍ゼオーティア』で完結させるんだよ。永遠の最果て、『幸福ハッピーエンド』に至るために」


 いつの間にか、少年の手には槍が握られていた。

 凍てつく氷の長柄武器――『氷槍』が。

 彼は私に微笑みかける。


「だが――悪魔にもなりきれない敵を殺してハッピーエンドなんて、そんな結末には愛がない。異世界転生者シナモリアキラは僕に倒されてなお幸福になってもらわなければ困る。だからこそ君が必要なんだ、アズーリア」


 今の彼は激しく心を燃え上がらせているけれど、それでも第五階層を無血で攻略して欲しいと言った純粋な少年と同じ理想を持ち続けている。

 ソルダ・アーニスタの見ている未来はどこまでも優しい。先ほどの怒りも根っこは同じだ。ただ美しく純粋な世界を望んでいるだけなのだと、そう思えた。

 だから彼はこう続ける。

 そうあることが当たり前なのだというように、私の前にその未来を提示する。


「君がシナモリアキラを救ってあげるんだ。僕は彼を打ち倒すけど、その全てを否定したいわけじゃない。君がいるのはその為の運命だと確信している――善良なるアズラよ。誰もが幸せになりました、そんな世界にしようじゃないか」


 私とソルダは同じ気持ちを共有した。

 共感した私たちは、同じ優しい理想の下に幸福な結末を目指して共闘できる。

 詳しい事情は分かっていないけれど、彼は可能な限り多くの人が幸せになれるように最大限の努力をする人だと信じることはできた。

 でも、どうしてだろう。

 私は彼の輝く瞳に、その奥の闇に畏れを抱いた。


「唯一無二の固定された視座、不変の関係性。愛はひとつ、ひとつだからこそ愛なんだ。最果ての二人は対であるからこそ美しい。だから、そこに不安定な揺らぎなんてものはいらない。過去も現在も未来も、愛は等しく確かなんだから」


 だからね、とソルダは底の見えない淵から響くような声で続ける。


「『ゆらぎの神話』は、この僕が殺す」


 私は、答えを返せない。

 もはや選択肢は無い、『松明の騎士』たるソルダに本心を打ち明けられた以上、私は彼に協力する道を歩むしか無いのだろう。

 でも、そうして進んだ先に私の――私たちの未来があるようにはどうしても思えなかった。急に寒気を感じて身震いする。私はソルダの前で立ち尽くした。

 

 もしかして、ソルダ・アーニスタは。

 世界を滅ぼす火竜や世界を救う末妹より、ずっと恐ろしい存在なのでは――?

 私の問いに答えを示す言葉は無く。

 生や死、救いや破滅よりも畏怖すべき、私の知らない価値観の持ち主は、うっとりとした表情で未来を思い描き続けた。

 これからの戦いは、目の前に立ちはだかる敵とぶつかり合うだけでは無くなるだろう。その思いはますます深まっていく。


 正しさも、理想も、純粋さも、そうじゃない全ても。

 私はまだ、何も知らないままなのだ。

 永遠を凍らせた世界の中心で、私は惑い、祈ることにさえ怯えていた。

 私の心を占めていたのは、たったひとつの欲求だ。

 ハルベルトに、仲間たちに会いたい。それだけ。それが全て。


 それはきっと、質的にはソルダと大差が無い、ありふれた感情だった。



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