4-231 転章『それは素朴で純粋な当たり前の』②
総団長に続いて灯されたのは私の左手に位置する槍だ。
守護の九槍第二位、聖女とも称される可憐な予言者クナータ・ノーグ。
槍の穂先で揺れる神秘的な紫色の炎が、カシュラム系アヴロノであるノーグ氏族最後の生き残りの横顔を照らす。異教の女神像の如き超然とした美少女の佇まいに、私は息を呑んだ。十字の瞳がこちらを向く。無邪気な微笑みにどきりとした。
「ごきげんようアズーリア。これまでの活躍がこうして認められるのだと思うと、なんだかどきどきしてしまうわね」
「――あなたの記憶に恥じぬよう努めます」
彼女の無垢な好意は嬉しかったけれど、今はそう短く答えるに留めた。
次に灯されたのはクナータの隣。
誰よりも強く輝く灼熱が皓々と世界を照らす。
純白の松明は天から降り注ぐ陽光にも似ていたが、驚くべき事に現れた第三位は槍の松明に灯った炎よりも更に輝いていた。
その姿は天上の美を体現し、輝く貌は直視すれば目を灼かれかねない。
あまりにも超越的な美しさを物質世界が捉えきれず、概念的な『美貌』が翻訳された結果として『輝き』という認識として出力されているのだ。
頭上には燃える光輪、長い髪は光の奔流、背には六枚の翼。
纏っているのは長方形の一枚布から作られた古めかしい
『義国の聖剣』『央都の守護者』『選定する権威』『無敵の人』『剣聖』――数々の二つ名を持つ最強の修道騎士。その迸る生命のエネルギーに触れたあらゆる不浄の者、冥府の眷族たちはことごとく滅び去ると言われている。
「御使いの三六九番、地上に於ける代行者名『フォルス=エウリュティオン・キャレプター』が推参致しました」
三桁台の炎天使――最初期に神々の影響を受けた太陽の欠片そのものが、燐血の民という化身の姿で顕現していた。自らの紀を自覚した燐血の民が前世に覚醒した時、まれにこのような超越者が生まれてしまう。
その圧倒的存在感に呑まれていると、続けてとてつもない迫力の塊がその場に現れた。なにしろ勢いが凄い。『扉』から飛び込んできたのは巨大な馬――いや、騎乗した修道騎士だった。騎士は荒々しくそして華麗に馬を操ると、やあ、とう、といったかけ声と共に広間をひとしきり駆け回ってフォルスの隣に辿り着く。第四位の槍が黄色い炎を灯した。
「馬上から失礼! 第三階層にて
第四位カーズガンの下で、雄々しく馬がいなないた。
えっと――馬って足が六本あって、蹄が燃えてて、口から火を吐くんだっけ?
つぶらな瞳が周囲の空間を絶えず事象改変しているようにも見えるし、流石『草の民』が頼みとする『三本足』の呪力は凄まじいと感心するばかりだ。
魁偉な容貌の見上げるような巨漢で、重量感のある肉体が僧服を内側から押し上げている。戦場帰りにも関わらず神働装甲を纏っていないのは、余裕の現れか、単に邪魔だからなのか。カーズガンの容貌は噂に違わぬもので、私が知る中で最も屈強な肉体を持つ修道騎士ペイルより更に力強い。
堂々たる勇士といった評判に違わぬ姿ではあるが、一方で彼は『草の民』が槍神に頭を垂れた象徴たる『屈辱の英雄』とも呼ばれている。更には総長ソルダの直属として知られ、反乱鎮圧や少数民族の抵抗運動弾圧などの汚れ仕事を任されることが多いという噂もある。この地上においては、英雄たちもまた後ろ暗い部分を抱えずにはいられないのだ。
荒ぶっていた馬が大人しくなり気付いたが、第五位の松明が既に灯されている。灰色に揺らめく静かな炎。その傍らに立つのも同じように物静かな女性だった。改造した修道服を着崩し、
異常に柄の悪い不良シスターといった風貌ながら、得も言われぬ上品な色香と高貴な雰囲気を醸し出す女性だった。ソルダを挟んで私の正面にいるが、目を閉じて耳当てに手を当て、小さく身体を揺すっている。何を聴いているのだろう。
寡黙な第五位は『詠唱者』テッシトゥーラ・ティータ。
彼女は聖女派とでも呼ぶべき特殊な立ち位置で、司祭ですらない一介の読師だが、クナータたっての希望により抜擢された天才的呪文使いだ。
当時は魔将ユネクティアに殺された前五位『聖典拳』ダルクエイムの欠番を埋めるようにしてその座に座った彼女の実力を疑う者もいたらしいが、不満を唱えた当時の第六位『竜牙槍』アルティウスをたやすくねじ伏せ、更には第七魔将アケルグリュスを討伐した功績により実力を疑う者はいなくなった。
聖女派は私の出向元である『智神の盾』とほぼ同じ勢力で、槍神教の内部に入り込んだ『星見の塔』所属の魔女や西北系のアヴロノ諸族が作り上げた派閥だ。教会の主流派にとっては目の上の瘤だが、私にとってはクナータと並び心強い味方のはずだが、『塔』の中でも派閥争いがあるからちょっとめんどくさい。
「おいおいンだよ、キロンの席に見慣れねえチビがいやがるな」
荒っぽい声が私に向けられている。
怯むわけにはいかないと、私は第六位の席に視線を向けた。
藍色の炎が灯る下で、鋭く小さい黒目が私に狙いを定めている。
脱色された短髪、細い眉に三白眼、ノコギリじみたギザギザの歯。
斜めの前打ち合わせに大きく開いた胸元をネックレスとなった金鎖が飾り、左右の指全てを飾る高価そうな指輪の数々と共に派手で品の無い印象を協調している。袖口の広いサープリス・ブラウスを男性向けに仕立てたふうの服は血に濡れたような赤白斑のデザインで、私からすれば悪趣味の一言だ。
「はん、潔癖そうな英雄サマタイプね。なるほどそうかいそりゃその位置だわ、だがまあアイツ同様に脆そうな在り方じゃねえの。おいガキ、英雄が辛くなったら言えや。金出しゃ
ぎょっとした。
攻撃的な意志を向けてきたと思ったら、それが急に『慈悲』に変わったからだ。
私にはその優しさが本物だと思えた。というより、私の後ろに何かを見ている?
「ネッスス、あまり若者を脅かすものではありません」
「了解。以後は控えます、フォルスさん」
第三位フォルスが窘めると、第六位ネッススは素直に従った。
第六位と第三位、確かこの二人は共に本国――央都から来た大神院の精鋭たちだったはず。槍神教の中心経典に忠誠を誓う式職者たちで構成される『義国派』。神働教皇機構『啓示告白』は世界最高の魔導書として現在も大神院で人類のあるべき姿たる『普遍史』を紡ぎ続けており、その維持と保全こそが彼らにとって至上目的であるとされている。
『中央』の権威を体現する二人と『地方』の権威を束ねるソルダは微妙な力関係で互いを牽制し合っている。先ほど見せられた大神院のソルダへの叱責や態度からすると、彼が暴走しないかどうかを監視するための『目』が第三位と第六位なのではないだろうかとも思えた。
「ふむ! そして相も変わらず第七位殿は欠席か! いつものこととは言え、少々寂しくもあるな!」
第四位の言葉通り、第七位の席には誰もいない。
しかし何故かそこには緑色の炎が灯されており、また不在が問題視される事も無かった。私は沈黙を保ったまま、その炎を強く睨み付けた。
「はん、ヴィティスのだんまり野郎が恋しいってのは正気かぁ? 同じ裏切り仲間で徒党でも組む気かよ」
「はっはっは、我が信仰は戦士としての求道の末に目覚めたもの。けして草の民の誇りに反したものではないと、いずれは我が同胞たちに理解してもらえると信じている! ヴィティス殿とて想いは同じであろう!」
突然、第六位ネッススが露骨な挑発をし始め、第四位カーズガンが豪快にそれを受け流した。間に挟まれた第五位テッシトゥーラが眉根を寄せてうるさそうにしている。第三位が再び窘めると第六位は大人しくなったが、第四位との間には微妙な緊張感が残っているような気がした。
なんとなく、ネッススはただ粗暴なだけの男ではないような気がした。
何らかの牽制、あるいはカーズガンを含むソルダの派閥に向けた『呪文』だったのではないか。私は先ほど見た大神院の事も含めて、彼ら『義国派』に対して気を緩めないようにしなければと決意を固めた。
「いやはや、ここに並んだお歴々の姿のなんと勇壮なことでしょうか! わたくしめはいたく感動いたしました! 僭越ながら! 是非! 槍神と皆様を称える歌を歌わせていただきたい! このアレッシオの溢れる信仰心がそうさせるのです!」
朱色の炎が揺らめくと同時、良く通る声が広間の隅々まで響き渡った。
現れた顎髭の男性はすらりとした長身で、演説向きの低い声を持った美丈夫だ。 司祭服の胸に手を当てて響かせた歌声は確かに見事なものだったが、あまりにも強烈な『意味』が付与されすぎていて凶悪な洗脳呪文と化している。
私もかつての仲間に教わった『鼓舞』の呪術を使うが、このアレッシオが伝播させている呪力はその比では無い。戦意昂揚・扇動・宗教色を盛り込んだ作詞作曲――この歌からは、尋常では無いほどの原始的衝動の喚起力を感じる。
一瞬で嫌悪感が膨れあがった。
彼が歌を戦争の道具として扱っているのだと理解できたからだ。
その感情は、けれど自己嫌悪にも似ていた。
アレッシオは私と同じ、人の心を弄ぶタイプの呪文使いなのだ。
唐突な歌唱が終わると、しばしのあいだ広間に静寂が満ちる。
「ご静聴、ありがとうございました」
腰を折るアレッシオ。ソルダがやや困惑した様子で言葉を繋げた。
「あー、初対面の者も多いだろうから紹介しておくよ。このたび大神院からの推薦で新しく第八位に就任したアレッシオ特任司教だ。元々は央都で軍歌作曲と軍楽隊の指揮を任されていた辣腕のアイドルプロデューサーと聞いている」
「界隈では親しみを込めて『マーチP』と呼ばれております。どうぞよろしく」
界隈が何かは知らないが、アレッシオは朗らかに笑ってそう言った。
前の八位ネドラドは自ら九槍を辞して第五階層に向かったと聞いている。
そこで行方不明になったというが――『死人の森』を巡る恐るべき戦いが報告の通りであれば、彼はもう無事ではないかもしれない。
第六位が鼻で笑ってみせる。
「打ち壊し野郎はただの力不足だ。内世界爆破で第五階層を原始時代に回帰させるくらいの気概を見せろってんだ。まあシャハル爺さんの後任は荷が重かったな」
何だろう、今の。私の内心の独白に反応した?
私の違和感をよそに、フォルスもネッススに同意するように頷いて見せた。
「前第八位ネドラドの独断専行は我ら『松明』とは関わり無きこと。彼の後先を考えぬ身勝手な愚行はけして槍神教の教えに基づいたものではなく、彼独自の妄想が行き過ぎたゆえのものです。正しく神の教えを実践していれば、堕落することも失敗することも無い――彼はまっとうな信徒では無かったのです」
その失敗もその罪も、槍神教とは切り離されたものだとフォルスは言った。
彼がそう言えばそれは確かな事実となる。
フォルスの腰に下げられた聖剣『切断処理』と不可視化された神働装甲『無謬』があらゆる暴虐の責任を切り離す。彼と槍神教は絶対的に正しく、その正しさを脅かすものがあるとすればそれは槍神教とは無関係な『間違い』とされる。
ゆえに彼は絶対正義。聖なる御使いに過ちは無い。フォルスが振りかざす全ての権力、全ての権威は純粋な善であり、誰も彼を裁くことはできないのだ。
「まあ、そんなわけで九槍の顔ぶれも入れ替わってきた。そして今回はもう一人、我々に頼もしい味方が加わることになった。既に知らせているように、今日はそのお披露目と叙階の儀式を兼ねた集まりだ」
ソルダの言葉に、私は気を引き締めた。
略式とはいえ、これから行われるのは秘蹟である。
位階を授けるための儀式、『守護の九槍』第一位にのみ許された叙階の権限。
通常、槍神教における聖職位階は
修道会、特に騎士修道会に所属する修道士の中には叙階を受けていない者の方が多いし、そもそも修道誓願をせず修道士でないまま戦場に立つ者すら『松明の騎士団』には存在している。槍神の兵士を確保するための措置として、仮の修道士身分や聖職者位階を与えることが常態化しているためだ。
それを象徴するのが『守護の九槍』に与えられた特権――『特任司教』。
世界槍の階層掌握者としての権威付けのため、また『教区での布教』という大義名分を与えるため、九槍には『階層という教区を統括管理しても許される位階』を特例で認めている。それが世界槍のみで機能する『特任司教』の位階だ。
この中に司教以上の高位聖職者は第三位フォルスと第六位ネッススしかいないのだが、これにより全員が司教という扱いを受ける。
だから『守護の九槍』の任命というのは非常に強大な権力を与えることを意味している。そしてそのために必須とされている資格は『強さ』に他ならない。
少年は祭壇に並べた蝋燭に火を灯した。
「『松明の騎士』の名において、これより『叙階』の秘蹟を執り行う」
ソルダは任命書を読む代わりとして油を塗った紙を燃やし、記された文字を灰の呪文として宙に舞わせていく。この秘蹟はあらゆる『言葉』を圧縮して行われる。『九槍』の任命は必要とあれば戦場でも行われるためだ。実際、前任者が戦死した直後にソルダが戦いながら後任に叙階したことが幾度もあったという。
だからこれは、ひどく荒々しい戦闘準備だ。
朗読、受階者の約束、連願といった厳かな手続きに代わって行われるのは、兵士としての資質を試すための耐久試験。
ソルダは従者を伴って中央の祭壇からこちらに歩み寄ってくる。
私は槍の傍に跪き、静かに彼の訪れを待った。
やがて少年が私の目の前に立ち、言った。
「『松明の騎士団』におけるこの秘蹟は、夜の民とひどく相性が悪い。エルネ=トモランの九槍にこれまで夜の民出身者がいなかったのはそのためだ。だから僕にはこう告げることしかできない。アズーリア、君を信じている。生存を祈るよ」
言い終えると同時、彼は脇に控えたフラベウファから受け取った油で私の兜に塗油を行った。すなわち思いきり油をぶちまけて、松明から直接掴み取った『炎の呪力』を燃え上がらせながら私の兜に叩きつけたのだ。荒々しい按手の儀式と同時、フラベウファが投擲した書物が私の頭上で静止する。浮遊する書物は聖別された魔導書――すなわち聖典である。直後、呪文の集中豪雨が降り注いだ。
恐るべき灼熱と、あらゆる闇と影を掻き消すような光の衝撃は凄まじかった。
頭上から私の存在を規定しようとする聖なる御言葉。
文字列となって燃え上がり、私を呪縛していく槍神教の権威。
自我を侵食し、私の『個』の在り方を強制的に書き換えていく『教え』。
これは呪文戦だ。
地上最大の権威を預かると同時に、その力に屈さず、我が物とするための闘争。
上からのし掛かってくる権力との闘争。
自分自身が力と一体化してしまわないための闘争。
痛みに屈さないと意思を振り絞る私に、ソルダは更なる追い打ちをかける。
「これなるは炎の
呪文と共にソルダの手から出現した二種の炎が私に襲いかかった。
燃える冠が私の頭蓋から思考を呪縛していく。
蛇のようにのたうつ炎の帯が私を締め付け、熱波と権威の力で苦しめる。
漆黒の鎧はいまや死の棺桶だ。聖なる松明の炎は私の呪力を削ぎながら夜という神秘を退けていく。夜の民が九槍になったことは無い――その事実が私に重くのし掛かってくる。これは、私という存在を焼き尽くす呪いなのだ。
この炎、この灼熱は『異質な外敵』を討ち滅ぼすための光。
異獣と定めたものを浄化する正義の輝きだ。
炎の赤は、きっと流れ続ける血の赤なのだと私は思う。
鮮血の記憶を想起する。私は強くその罪を噛みしめた。
振り下ろした斧槍、笑って死んだ誇り高き人狼。
私はその屍を踏み越えていくと決めた。
私の影が、ざわりと揺らめく。
炎が落とす暗い影、それが私だ。
私の自己像、それは私が歩んできた道、私を構成する仲間たちの中にいる『アズーリア』が織りなす色彩。炎による自我への干渉なんて今更だ。
思い出せ、こんな熱さはなんでもない。
誰かの光が重なり合って、私という影が幾重にも分裂していく。
『松明の火を掲げるアズーリア』という形もまた、私を支える連関のひとつ。
これも私だ。力に溺れる恐怖を断ち切れ。
それは時間にして一瞬のことだった。
永遠の拷問と感じられたようで、振り返ればなんでもないような試練。
そして私は、自らの松明を灯した。
乗り越えた。その確信を得た私はすぐ傍の槍を見上げて、愕然とした。
『守護の九槍』はそれぞれが異なる色の松明を持つという。
先代であるキロンは透き通るような青だったと聞いているが、果たして私の目の前にあるはずの槍の松明にはなにも灯されてはいなかった。
私の呪力、私の資格に呼応して燃え上がるはずの炎が無い。
つまり、私は。
「これはまた――アズーリア殿には資格が無かったと言う事ですかな?」
アレッシオが拍子抜けしたように言うと、場に落胆したような空気が満ちる。
そんな、こんなことって。私は息を止めて槍を見上げるが、現実は変わらない。この世界のどこにも、私の炎が灯る場所などありはしなかったのだ。
「『この世界』にはな。目を閉じてよく観ろ。影が揺らめいてるだろうが」
嘲るように――そして称賛の響きを滲ませながら言ったのはネッススだ。
そこでようやく私は気付いた。
槍の穂先と一体になった松明の部分が、いやに暗い。
既に九槍たちの炎によって広間は随分と明るくなっている。
にもかかわらず、九位の槍周辺だけが不自然に闇が濃い。
「実体無き影の炎――強いて色彩に当て嵌めれば黒き松明といった所ですね」
フォルスの言葉が続く。今度は意識せずとも理解できた。
私の足下に広がった影が、ゆらゆらと燃えている。
影世界の松明が実体世界を逆向きに照らし、松明に黒い影を落としているのだ。
アストラル界への感覚を研ぎ澄ましていればすぐに分かる事実だ。
試練を乗り越えたという安堵が私の目を節穴にしていたらしい。
「アズーリア・ヘレゼクシュ。汝を『守護の九槍』が第九位と認め、その身に『
そして、『松明の騎士』ソルダによる新たなる『槍』の任命が完了する。
私に許されたのはかつてあのキロンが担っていた癒やしと慈悲の秘蹟。
それを受け継ぎながら、私は迷宮で屍を積み上げていく。
なんて皮肉な巡り合わせだろう。
私の影が蠢き、平面の方形盾と透かし彫りされた厚みのない影の斧を手に取った。これは私の決意、闘争心の表れ。
「おめでとう。立つがいいアズーリア特任司教。これから君は、我々と同じ地平に立ち、地獄との闘争に身を投じることになる。覚悟はいいね?」
「無論です」
ソルダの問いに即答して、私は決意を新たにした。
そう、私はこれで槍神教から『階層掌握者になる資格』を勝ち取った。
かつては許されない独断専行とされたあの罪は、もはや私が果たすべき使命となったのだ。これならば今度こそ、と私は強く拳を握った。
約束を果たせる――私は彼を迎えに行ける。
「ふう、これで一安心だね。さてみんな、儀式が終わったばかりで悪いけど、引き続きちょっとした話を聞いて貰えるかな? 九槍が集まることなんてあまりないからね、今後のことを話しておきたいんだ」
儀式の緊張と興奮も冷めやらぬままに、雰囲気をがらりと変えながらソルダが言った。中央の祭壇に向かうと、ぐるりと周囲を見渡して全員の顔を順番に見ていく。誰からも異論は無い。皆が疑問に思っているのだ――『松明の騎士』は、一体何がしたいのか?
「ここ最近立て続けに起きた世界的大事件の連続に、みな戸惑っていると思う。特にアズーリアは第二世界槍の異変で心を痛めていたろうに、こちらの都合で叙階を急がせて申し訳無かったね。ご家族は大丈夫だった?」
「はい、私の故郷は世界槍からだいぶ離れた場所にありましたから」
「それは良かった。いや、それでも一大事には違いない。そしてなにより、我々にとってより問題となっているのは、この世界槍に纏わる真実――第八世界槍を上書きした第九世界槍がこの槍だ、ということなんだけど」
少年の軽い口調はかえってこの話題の深刻さを浮き彫りにするようで恐ろしく響いた。万人の認識を書き換えていた事象改編。その意味を、彼はどれだけ知っているのだろうか。争い合う二大勢力の頂点に立つ少年は、腕組みをして首を傾げた。
「実を言えば僕もこのへんの事情を正確に知っているわけじゃないんだ。何しろ世界樹を焼き払った姉さん――というか姉さんの前世体であるアルメ=アーニスタは第八階層に封印されたままだし、当時の九槍は戦死して全員入れ替わっている。唯一の生き証人である第七位ヴィティス、いや当時は第七位でもヴィティスでも無かったけど、彼はここにはいないし、僕は嫌われてるし。うん、困ったね」
ソルダ・アーニスタはどこまで本気なのか?
私が疑問を抱く中、ネッススが口を開く。
「世界槍の番号だ元々は枯れ木共の棲家だって事実がいまさら問題か? 邪魔な連中ぶち殺して道を切り開くのは同じだろうが。それより問題は第五階層だ。ここしばらく第六階層と第四階層でヴィティスとイェレイドの戦争ごっこに終始するばっかで何一つ進んでねえ。キロンがぶち殺された挙げ句、ガロアンディアンだ何だとほざく魔女がのさばって、ようやく邪魔くせえ『死人の森』が消えたんだろ。なら攻めろや。掌握できねえ理由は何だ?」
「それが今回叙階を急いだ理由だよ。第五階層は『守護の九槍』の第九位が掌握し管理する。それは前九位キロンの時に決まった『未来の記述』だ。そして、聖女クナータが日誌に記した確かな記憶でもある。整合性を取りに行きたい」
ソルダに言及されたクナータは、相変わらず内心の読めない穏やかな微笑みを浮かべている。けれど、どういうことだろう。彼女は私を知っていた。私がこれから迷宮を踏破していく未来を回想していた。果たしてそれは、キロンが第五階層を掌握するという未来と整合するのか――?
聖女の未来回想に対しての『松明の騎士団』の姿勢、解釈の仕方にも疑問があるし、そもそも彼は大神院の脚本に沿って動いているはずだ。
んん? でも更によく考えると『義国派』のネッススも大神院の意向を受けて動いているはずで、もしかしてさっきの発言は第八世界槍に関しての疑念から話を第五階層の方に逸らそうとしたのかな、えっと――よくわからない。
私があたふたしているのとは関係無く、話は進んでいく。
「一部の修道騎士たちが『腐敗した悪徳の都を滅ぼす』なんて息巻いているのは知っているよ。しかし、かの機械王国の実態を明らかにしないまま手出しするのはあまりに迂闊だと思わないかな。なにせ複数の紀人を擁する国だ。そのうち一柱は異界転生者ときている」
ソルダの視線が私に向けられて、思わず身を固くする。
彼は私を明確に意識している。
最初から、私に対して話していたように思う。
「第五階層が中立を謳って明確な敵対姿勢を見せない以上、我々が取れる最も穏便な手段は対話による決着、あるいは宣教による教化だ。すなわち『智神の盾』によるガロアンディアン併合と、異獣扱いになっている第五階層の住民たちを眷族種に吸収する。地上に溢れた吸血鬼やティリビナ人に対して行われた事を、もう一度やるだけなんだけど――」
ソルダはそこで意味深に言葉を切った。
第五階層に、対話に値する価値があるのか。
大神院の意向がある限り、ソルダの一連の発言は全て茶番だ。
彼は方針を既に決めている。
それでも九槍の前では『松明の騎士』としての建前が必要なのだろう。
もう一つ、不安材料がある。
大神院は『末妹選定』の遂行を望んでいるが、重要視しているのはトライデントだけで他の末妹候補の価値を低く観ている可能性がある。
ましてその使い魔ともなれば、なおさらだ。
私の不安を反映するように、第八位アレッシオが沈黙を破る。
「失礼。発言よろしいですかな――ありがとうございます。先ほど団長殿が仰っていたように、『智神の盾』による第五階層への平和的アプローチは既に計画が進行中でして、私は微力ながらお手伝いをさせていただくために大神院から参りました――そう! 地上が誇る超・絶・歌・姫! 『Spear』ちゃん専属プロデューサーとして! いやあ光栄ですなあ!」
予想はしていたが、あまりにも看過しがたい発言だった。
彼は大神院が『呪文の座』を縛るための首輪だ。
「そんなわけですが、ライブをするにあたって懸案事項がございます。穢れの象徴であり過日エルネトモランで『再生者事変』を引き起こした遠因ともされる恐るべき邪神、『死人の森の女王』が未だに第五階層で健在だという情報が入ってきているのですよ。これは第五階層に潜伏中の諜報員からの確かな知らせです」
アレッシオは深刻そうな表情で語り続ける。
私は何か無いかと必死に自分の中で言葉を探し続けていた。
「更に『死人の森の女王』は機械女王の使い魔、新たに誕生した異界の紀人シナモリアキラと一体化し、第五階層そのものに転生したとされております。これは第五階層を掌握し、槍神教の文明圏を展開する障害となるのではないでしょうか」
私は思わず口を挟んでしまう。まずいと思いつつも、止まれなかった。
「ならば『死人の森の女王』は紀人シナモリアキラの従属神格ですから、彼が我々にとって敵対する存在では無いと証明できれば問題はありません。そして彼には私が所属していた部隊と共に魔将エスフェイルを討伐したという確かな実績がある」
「だがキロンを殺ったのも奴だ。そこんとこは誤魔化せねーぞ、ガキ」
ぞっとするような響き。試すように鋭くこちらに向けられたネッススの視線に、私は後退りそうになった。ギザギザの歯を剥き出しにして男が言った。
「シナモリアキラって紀人は俺様に狩らせろ。異邦の神なら俺らの流儀で染めればそれで終わりだ。クソみてえに浄化して天使コレクションに加えてやるよ」
私は、第六位が何と呼ばれているのかを思いだした。
『紀人狩り』ネッスス。
槍神教圏の外側、辺境で信じられている巨人や紀人といった超越的存在を槍神教の解釈で上書きし、下位序列の『守護天使』に貶める神働術の使い手。
彼もまたアレッシオ同様に第五階層を攻め落とすのに最適な人員だ。
ここで私がその行動を止める理由はとても希薄だった。
そもそも、私のこの衝動自体がひどく個人的なこだわりに過ぎない。
それに前九位キロンは元々は『義国派』に所属していたはず。
ならネッススたちにとってシナモリアキラは仲間の仇だ。
私には彼らの意思を否定する事ができない。
焦る私。ところが、ネッススは簡単に戦意を収めた。
「控えなさい、ネッスス。第五階層の見極めはまだ済んではいません。強引な宣教や改宗の強制は禍根を残します。まず対話から始める必要があり、そのために最も適した人材がアズーリア卿なのですよ」
穏やかなフォルスの言葉。
それだけでネッススは「了解しました」と牙を隠してしまったのだ。
わからない。彼は一体どういうつもりでいるのだろう。
第六位は深く嘆息し、呆れたような視線を向けてくる。
「おいおい、なにぼんやりしてんだよ第九位。てめえで動かねえと出遅れるだけだろうが。勝ち取れよ、欲しいものは自分で奪うのが俺らの流儀だ。違うか?」
ネッススの言葉は荒っぽいが同時に奇妙な柔らかさも内包されていた。
もしかして、彼は私を教え導こうとしている?
それは九槍の先達としてか、槍神教の聖職者としてか。
『殺せ、奪え、勝ち取れ』――聖なる野蛮の教えをどう体現するか。
ネッススはそのことを正しく理解している。なんとなくだけれど、そう思った。
「ソルダ団長。第五階層の掌握――私にやらせて下さい!」
遠い約束。仲間たちと決めたこと。
戦いの責任の所在について、私は思いを巡らせる。
『この者、シナモリ・アキラの世界槍内部における行動の全責任を、アズーリア・ヘレゼクシュが負うものとする』
「
これは私の役目だ。
私自身があの階層の掌握者となり、守るべきものを守らねばならない。
迎えにいくと約束した――だからこそ、私はあの地にもう一度赴くのだ。
「うんうん、やる気だね。それじゃあ聖女の予言や大神院の意向、『智神の盾』という立場を踏まえて、今回の第五階層攻略はアズーリアが主導するってことでいいかな? 異論がある人はー?」
ソルダの言葉に反応する者はいない。
あれ。ひょっとして、これって私待ち?
さっさと自分から「やります」って言えば終わってた話だったの?
それから場の空気が加速していった。
今後の段取りが次々と決定されていく。九槍はひとりひとりが異なる役職を兼任しており、世界槍の内外で噴出している反乱や抵抗運動、文明圏の破損、隣接する世界槍からの文明圏侵食など様々な問題に日々対応している。彼らはそれぞれの報告と今後の方針を議題に上げ、それをフラベウファがスムーズに記録しつつ特に問題も無く簡単な会合が終わった。
「ではアズーリア殿、詳しい打ち合わせはまた後ほど。このアレッシオ、『智神の盾』との合同任務を必ず成功で終わらせてみせますぞ!」
第八位に声をかけられて、私ははっとして姿勢を正す。
あれよあれよという間に事が進んでしまって頭が追いつかない。
えっと、これで終わり? いつの間に解散になったの?
九槍たちは元来た『扉』に戻ってそれぞれの任務に戻っていく。
私はその場に立ち尽くした。ついに、決まってしまった。
ここからの戦いはこれまでとは違う。
ただ敵を倒す、それだけじゃ不十分だ。
ネッススが言うように、私自身が動いて勝ち取らなければ駄目だ。
「お疲れ様、アズーリア」
ソルダがやってきて、私を労う。
そして、何故か指を上に向けてこう言った。
「悪いんだけど、もう少し付き合ってくれるかな。今の話を踏まえてもう一つ、僕から個人的に話しておきたいことがある」
今度のは私も予想外。それに近くにいたフラベウファも目を丸くしている。
ソルダが示しているのはこの『松明の間』の上。
ほとんど最上階に近いこの場所から更に上というと――。
「邪魔が入らない所がいい。ちょっと穂先に来てよ」
そんな軽い口調で、ソルダは世界槍で最も厳重に守られた秘密の場所に私を誘い出したのだった。
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