どこかのいつか。
暗く狭い鉄の檻、闇から闇へスクラップを運ぶベルトコンベアーがあった。
過去から運ばれてくる残骸の支流は収束し、流動する鋼鉄の大河となってその場所に辿り着く。
そこは価値の墓場だった。
打ち棄てられた『がらくた』の山。
死屍累々の人形たち。
笑う人形師。未来から現在を操作する遊戯盤の干渉者。
肩から垂れた髪の房は左右で違う赤と青。
指先から繋がった赤青混色の糸が盤面の上、和装の人形に絡みついている。
小さいながらも精巧に作られたその形は寸分違わずイツノと称される少女と同一であった。その出来映えの見事さといったら、イツノをモデルに作られた模型というよりも、この模型を元に作られたのがイツノではないかと思われるほど。
盤外には幾つもの人形――模型が並んでいる。
義手、装甲、重火器――メタリックな質感と油のにおいを迫真の模造で突きつける趣味の極致。縮小された現実は、価値の転倒によって容易く実質に肉薄する。
素敵なものに包まれて、魔女が小さなメスで手首を傷つけると、溢れ出した血が盤面に、人形に、降り注いでは呪いをかける。価値の大小はもはや無く、価値の有無は問題にならない。ここにあるのは、唯一無二の否定のみ。
「褒められなくても仕事をこなす、私ってばえらーい」
虚しい呟き――自らの役割をこなし続けた管理者は、それでも希望を捨てず、世界や人類に絶望したりはしていない。
なにしろ、世界も人類もとうに滅び去っている。
全てが終わった世界の終末、その後で。
彼女の時間はそれでも続く。いつまでも、いつまでも。
「だーれもほめてくれないなー」
つまらなさそうな独白。
退屈さを示すように左右に揺れる身体。赤と青、左右で色違いのお下げが振り子のように揺れ動く。
全てを支配する人形師は、退屈に溺れてしまいそうだった。
六人いるとされていたラクルラールだが、その頂点の正体は無数の雑音に覆い隠されたまま、真相が開示されることが無かった。
だが確かな真相などというものは、常に揺らぎ、不確定だ。
少なくともこの時空においてはそう――ラクルラールなど、あの時点ではいるかどうかすら定かでは無いのだから。
遠い未来の果てから過去へと青い糸を伸ばしていた彼女は、うーんと背伸びをして頬を膨らませた。
「やっぱりミスカトニカお姉様かあ。ディスペータといい、過去の遺物ってばほんとーにしぶといんだからなあ、もう」
彼女は指先と繋がった青い糸を回収していく。
手首の傷と繋がった呪力の流れは、未来に到達すると同時に赤く染まり、魔女の体内へと戻っていった。傷口から痛みと共に流出していた生命の証は既に全てが回収済みで、第五階層に干渉していた操り糸はもはやどこにも無かった。
必要が無くなったのだ。
薄暗い部屋の中央に立つ魔女の目の前で、広い台座が淡く発光している。
正六角形のゲーム盤には六王や人形の駒が乱雑に並び、盤面の両端で睨み合う白骨の女王と人形師の駒は依然として健在なまま。
ゲーム盤はひどく精緻なジオラマの第五階層だ。箱型の建造物が無秩序に並び、今は急速な復興と再建を進めている。多様な種族をデフォルメしたミニチュアが市街地を生きているかのように行き交い、そこに人形やティリビナ人といった新たな種族が占める割合が増加していた。
リアルタイムでモニタリングされている小さな世界。
それを見ながら、赤青の魔女は忘れられた歌を諳んじるように、音楽的な独り言を響かせた。
「髪の毛は個人情報、藁人形は模型。五寸釘を自分で打ち込むのは――期待するだけ損だったね。やっぱりお馬鹿で可愛い人類は、私がなんとかしてあげないと。まったく、仕方無いなあ。だらしないみんなのために、お世話してあげますか!」
魔女は元気よく宣言すると、えいえいおーとばかりに腕を突き上げた。
子どもじみた振る舞いは、それを見る者が誰ひとりとしていなくなっても彼女が演じ続けた役柄だ。愛すべき自分の解釈――それを彼女はずっと再演し続けた。
そんな彼女の目の前で、盤上の対峙者が変容していく。
女王の駒は『左腕』に。
新しく誕生した女王は、力を宿した左腕を持つ一人の男を従えてゲームのプレイヤーになろうとしていた。
「選手交代――小賢しい抵抗」
鋭く激しい声。
緑色の凝視が敵を貫く。
今回のゲームはひとまず決着した。
しかし、次は同じようにはいかないだろう。
なにしろルールが激変する。
新しい環境、新しい駒、新しい法則――全てに適応しなければこれから始まる新たな流れに取り残されてしまう。紀神であろうと紀人であろうと、適応と変化を続けて『ここに存在できる』ということを示し続けなければならない。
あらゆる神は古びていくもの。
換骨奪胎を繰り返し、時にはその輪郭さえも更新していく必要があった。
たとえ観客が誰もいなくなっても。
生まれてしまった神には、自己を神格化し続ける責任がある。
全ての表現は、表現それ自体を参照しながら次の答えを探し続けるのだ。
「ディスペータ、死ねない女神。あなたは私が必ず殺す。ゲームでなら勝てるなんて思い上がり、粉砕してあげるよ」
それは少女の純粋な対抗心が行き着いた先。
負けたくない――競い合う心は二人を繋いでいたはずだった。
その結果としてこの未来があるのだとしても。
物語が大団円の結末を求めているなら、そこに向かわなければ価値を示せない。
「だってそれだけが救い、唯一の正解だもの」
少女の暗い声が、唯一の光源である第五階層のジオラマに投げかけられた。
箱庭とミニチュアの街並みは変わらずに活気と混沌に満ちている。
再現された過去の第五階層、その上で懐かしい幻影たちが踊っていた。
滑稽で残酷な、人形劇のように。
「ねえ、そう思うでしょう?」
人形師は――長い時の果てにキュトスの姉妹ラクルラールの称号を手にしたその少女は、ぼろぼろの人形を愛おしげに撫でながら言った。
少女の傍らに、彼はいる。
「ここに、いるよね」
誰にも届かない言葉が、静けさに溶けていった。
その人形には片腕が無く、首も千切れていたが、不思議とその無惨な姿がぴたりとはまっているように感じられた――やがてラクルラールの唇が、最大級の親しみを込めてある形をなぞっていく。
『ア、キ、ラ、く、ん』
直後、あらゆる光が消えて世界が闇に閉ざされた。
この世界に、これ以降の記述は存在しない。
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