4-226 アポテオーズ『シナモリアキラはここにいる』①
「かくして厳しい冬は去り、恵みの春がやって来ました、めでたしめでたし――なんて言うと、『じゃあしばらくしたらまた冬だね』ってなるじゃない? 私はその先に行かないとね」
トリシューラはそんなことを言っていたが、そもそもアンドロイドの魔女にとっての『春』とは何だろう。死を象徴する『冬』の逆を生とするなら、アンドロイドやサイボーグ、人形たちにとって生とはなんだ?
俺は決定的に自己を変容させながらも確かに生きている。
それは生命の芽吹きなのか、長く厳しい眠りからの目覚めなのか、それとも。
益体も無い考えだ。そんな呪術的切り分けこそ俺が目覚めるべき『冬』とするべきなのかもしれないが、いずれにせよ第五階層は前進しなければならない。
――と、そんな使命感に目覚めた意識の高い紀人みたいな思考をしたところで、実際のシナモリアキラは以前とあまり変わっていない。
第五階層が拡張身体の一部になったとはいっても、干渉できる範囲と知覚できる範囲が広がっただけのサイボーグ/オカルトーグだ。語弊を恐れずに言えば、俺がやれる事というのは凄腕の
ただそれらが、自分の肉体の延長線上にあるように認識しているだけで。
たとえばいま俺が『器』としているこの球体。
第五階層上空をふわふわと浮かんでいるこの人間の頭部大の呪具は、ラフディ式の多機能ドローンだ。天体に擬えているおかげで一定の軌道を浮遊して巡ることが可能――みたいな説明だったが、プロペラも無いのに空飛ぶドローンというのは中々にオカルティックな趣がある。
俺はこれを大雑把に『目』のようなものとして捉えているが、同時に『顔』や『頭部』に近い感覚器としても利用している。
このへんは旧来の霊長類的な感覚を引き摺っているのだが、慣れた手法を応用して操作できるものは『このへんの設備はわりと足に似てるな』『舌を動かす要領で行けるか?』みたいに類推や経験則でざっくり動かしている。
ラフディ式ドローンは大小合わせて二十機ほどが第五階層を巡回している。
いずれも『目』という意識が強めで、メインの『頭』は現在『俺』が宿っているこの球体――なのだが、このへんの割り振りは割と流動的だ。いつもトリシューラが用意してくれる霊長類型の『化身』や『マレブランケ』たちにも一定の意識は割いているから、どれかひとつが俺の本体というわけではない。
こんなふうにのんびりふわふわと漂っているのは、何も暇を持てあまして空中散歩を楽しんでいるとかそういう理由ではない。
あのルウテトとの激しい戦いから数日が経過した。
都市機能が集中している中心部はともかく、周辺部や空間の歪みが著しい場所は俺の感覚では捉えきれないので、第五階層全域を直接見て被害状況を確認しているのだ。トリシューラと俺の掌握者権限で復興を行うにしても、まずは現状を正確に確認しなければならない。
まあ、霊長類体で動いていない理由はそれだけじゃないんだが。
俺は視界を左側に向けて、自分の身体が完全な球形であることを確認する。
――大丈夫だよな? 生えてないよな?
よし、なんともない。今度こそ晴れて自由の身だ。
清々しい解放感に、思わず空中で踊り出したくなる。
いやいや、まずはやるべきことをやらなければ。
気を引き締めて、俺は下界の様子を見ていった。
分かっていたことだが、階層の全域はほとんど廃墟と化していた。
怪我人や死者も多く、トリシューラは対応に追われている。
もっとも大半の死者は再生者になってしまっているのだが、ルウテト亡きこれからは死亡すればそのまま死体となるのみである。次々と変動する常識に、異変に慣れっこの第五階層の住人たちも疲弊しきっている様子だった。
しかし、だ。
矛盾するようだが、市街地の崩壊は『冬』や『死』といったイメージからはほど遠かった。むしろ第五階層には生命力が満ちている。
大地を突き破って伸び上がっているのは多種多様な樹木たち。
佇んでいると言うには無遠慮で、並んでいるというには荒っぽすぎる。
舗装された地面を、密集していた探索者たちの居住区を、強引に圧壊させて恐るべき密度で形成されていくのは『森』だ。
かつてティリビナ人居留区にぽつぽつと見られた程度だった街路樹。
その域を遙かに超えて、押し寄せる植物の群れが第五階層を蹂躙している。
安らかな自然の恵みなどという生ぬるさはそこにはない。
生命にとって苛酷な極限環境、死に満ちた山林は人間社会の周辺に口を開いた異界そのものだ。俺という異世界は、より古い異界に食い荒らされている。
その脅威をもたらした原因は、今は活動を休止しているものの未だ上空に居座ったまま。異変はまだ根本的な解決を見ていないのだ。
天を仰げば、そこには逆さまに広がる一面の森。
鬱蒼と生い茂る広葉樹の緑から、巨大な『世界樹』の残骸が垂れ下がっている。ラプンシエルが破壊したあの大樹は一時的に沈黙しているが、トリシューラの調査によれば傷口から徐々に芽吹きが始まっているようだ。
冬の終わりを告げる生命の象徴。
その出現と共に明らかになった、この第九世界槍と位置付けられた氷の槍が、実は焼失した第八世界槍の存在を上書きしたものであるという事実。
現在、外部から見たこの世界槍は焼け焦げた大樹を分厚い氷の層が覆った槍として認識されている。かつて亜大陸にあったティリビナ人の聖地がどうしてこんな場所に在るのか、誰も説明できないまま――ティリビナ人たちは今日も当たり前にこの世界槍で生活を続けている。
そう、ティリビナ人たちはこの世界槍のあらゆる場所に最初からいた。
外からやってきたのではない。
戦場となった世界槍の中を彷徨い続けていたのだ。
亜大陸から逃げてきた――その説明はそのままの意味であり、不正確な誤認識でもあった。彼らはこの世界槍の原住民だったからだ。
世界槍の所有権を巡る争い――ティリビナ人たちの位置付けは、既に大きく変わりつつある。彼ら自身がそれを前提に異なる動きを始めていた。
何か、決定的な転機を迎えようとしている。そんな気がした。
懸案事項はまだある。
数日前の戦いでルウテトは明らかにクレイや俺たちに倒されたがっていた。
自分を古い邪神と位置付けたばかりか、天からは第五階層の『冬』を終わらせる生命の象徴を招き寄せた――つまり、『冬』から『春』への交代劇を積極的に引き起こそうとしていたようなのだ。
その目論見は達成された。
世界樹が落ちてくることだけは阻止できたが、その影響力を完全に無効化することはできなかったのだ。
その上、無尽蔵の『生命力』を漏出させ続けている世界樹や逆さまの森を排除する方法も不明だ。トリシューラは何度か無人偵察機を飛ばしたが、『観念的上方』に位置しているため、物理的な手段では決して到達できないとか。
「放置! もう当面は放置だよ! お手上げー!」
トリシューラは思いきりむくれていたが、今できることは何も無い。
何しろ逆さまの森は第八世界槍の中に元々存在していた生命力。あれを排除して第九世界槍という形を押し付ける方が不自然なのだ。
『不自然』――ごく自然に浮かび上がったこの言葉も、不用意に使うと微妙な文脈が発生してしまいそうでなんだか妙な感じだ。
階層の復興、ライブの準備、ティリビナ人団体の運動、行方知れずのゼド、パーン、ヴァージル、第六階層で不穏な動きを続けているアルト・イヴニル、レオの元で長い眠りについているかつて亜竜王だった男――そして俺の左腕。
色々な事を棚上げにしながら、第五階層は日常を立て直すために慌ただしく動き続けている。巡回する俺の下では、あちらこちらで『
暦の上での冬もじき終わる。三ヶ月後という間近に迫った歌姫のライブ、『魔女の豊穣夜』という祝祭、そしてクロウサー家と共同で開催される箒レースなど山盛りのイベントの準備をしなくてはならなかった。
第五階層全体を使った箒レースのコースは、ぐるりと円を描いてそれ自体が呪術儀式のための円陣の枠組として機能するのだという。
トリシューラの指示は俺には理解しきれない呪術理論に基づいているが、俺としてはやれることをこなしていくしかない。この巡回している俺とは別の俺たちが並行して会場準備を続行中だ。
それにしても、シンプルなコースの途中に『裏面』と繋がった『扉』を設置するというのは、つまりそういうことなわけで――怪我人とか出ないだろうな。
このレースに関してはいずれ現れるであろうパーン・ガレニス・クロウサーへの対策を『呪文の座』とよく話し合う必要があるのだが、リーナ氏がノリノリで独創的アイデアを次々に出してくるので、『これが名家を率いる当主の才気なのか』と感心させられるばかりである。クラッシュすれば死の危険すらある超高速レースにパン食い競争を組み込む発想は流石に無かった。ああいう柔軟な思考の持ち主だからこそクロウサー家という大きな集団を引っ張っていけるのだろう。
『呪文の座』と共同で行われる呪術儀式という名のライブイベント――その会場設営についても、戦いの前とは大きく事情が異なってきた。
『使い魔の座』でありながら俺たちと協力関係を結んだ
スケジュールの調整や各方面への対応を想像したメートリアンが悲鳴を上げていたが、新しく第五階層の住人となりつつある『人形』たちのことを考えると悪くない案だと俺は思っていた。
第五階層の広がりは既に俺ですら完全に把握できていない。
俺はトリシューラが管理する王国、呪具設備としての『都市機能』を拡張身体としているが、その管理を離れた辺境地域、当局の目を巧みに欺いて開かれる闇市、無節操に増殖していく『
とりわけ話題の中心となっているのが復活した地下アイドル空間だ。
新たに『マレブランケ』に加わったグレンデルヒ、ルバーブ、オルヴァといった面々は巡槍艦の復旧作業を手伝ってくれているが、ラプンシエルは人形たちを引き連れて階層の地下空間に居を構え、崩壊した地下アイドル空間を甦らせた。現在、人形たちはみなラプンシエルの小さな『王国』に身を寄せている。
どうやらシナモリアキラの一部であり小女神でもあるラプンシエルの権能は、第五階層の限定的な掌握を可能としているらしい。地下空間はほぼ全て彼女のものだが、新たな冥府は随分と賑やかな様子だ。俺はラプンシエルから出禁をくらっているのでその内実はミヒトネッセの自慢話からしかうかがえないのだが。
コルセスカの使い魔となったミヒトネッセも地下でラプンシエルと暮らしているらしく、『公社』預かりのリールエルバやセリアック=ニアたちも頻繁に出入りしているとか何とか。最近の奴はいやにフットワークが軽く、ある時はラプンシエルの妹にして地下の王子様系アイドル、ある時はトリシューラのストーカー、ある時はクレイと共にコルセスカに侍る従者、そしてまたある時は俺に喧嘩を売りに来る暇な道場破り、と常に忙しい。
何の因果か共にコルセスカの使い魔となってしまったため、迂闊に仲間割れもできなくなったが、俺やトリシューラにとってミヒトネッセの存在は軽々しく受け入れられるようなものではなかった。反面、あの侍女人形の方は以前ほどの熱烈な愛情や敵意をぶつけてくることもなく、むしろ方針を変えて大人しくなっていた。
コルセスカに尽くす『献身的なメイドロボ』兼『俺様系王子騎士』として真面目に使い魔をこなし、「お嬢様、お茶の時間でございます――それからお手数ですが、本日分のぜんまいばねをまいて下さいますか?」「狩りか? 付き合うぜ、めんどくせーが、お前を守るのが俺の仕事だからな」などと状況に合わせた役に入り込んでいる。コルセスカはそうしたロールをいたく気に入った様子だ。
コルセスカに気に入られることでトリシューラからも好感を得ようという作戦なのだろうか。困ったことに、俺への精神攻撃としてどれだけコルセスカに尽くしてどんなふうに褒めて貰ったのかを事細かに報告してくる。
どうやら「ご主人様がこのミヒトネッセに落とされるのを指をくわえて見ていろ」とでも言いたいらしいのだが、同僚のアルマと話し合った結果あれはコルセスカにミヒトネッセが攻略されつつあるのだという結論に落ち着いた。
サリアも同意見らしいが、彼女は俺とミヒトネッセをまとめて害虫扱いしているためあまり話せていない。その一方、サリアはミヒトネッセと同時加入のクレイには妙に優しい。更には二人して俺とミヒトネッセをふしだらだ、コルセスカを穢すなと罵ってくるのだ。正直まともな人格をしているアルマがいなかったら空中分解してると思う、この
とにかく、ラプンシエルとミヒトネッセは第五階層に馴染みつつあった。
『地下アイドル空間』という分かりやすい所属があるのも良い。複数の立場を持つ彼女たちは第五階層における軸足をあそこに定め、あそこを居場所にしている。
歌姫ライブへの参加表明もそうした経緯があってのことだし、『呪文の座』としても『歌姫Spear』がライブをしても不自然では無い土壌を作ってくれているラプンシエルには強く出られなかった様子だ。というか今や正式なキュトスの姉妹となったラプンシエルは彼女たち末妹候補たちにとって『お姉様』なわけで、立場的には一人だけ異例の昇進を遂げた同世代の上司みたいな感じになっている。
『星見の塔』における立場と言えば、魔女たちの所属する派閥も変化していた。
『使い魔の座』に所属する魔女たちは、学園劇の最初の幕でラクルラールが俺と
人形師の操り糸はもはや第五階層には届かず、彼女たちは晴れて自由の身だ。
といっても末妹選定を諦めるつもりは無いようで、そのあたりは元ラクルラール派のトリシューラと姿勢が近い。
ラプンシエルたちが俺たちと協力しているのは、二人にとって姉とも言えるアルト・イヴニル――マラードと合一した『元アレッテ』のためだ。
ちょうど、俺たちがルウテトを倒した直後のことだ。
アルト・イヴニルは第六階層の掌握者として名乗りを上げ、大魔将イェレイド率いる
そして古き王権を受け継いだ新たな王国、ラフディ=ガロアンディアンの復活を宣言したのだ。第五階層のガロアンディアンに対抗するように、『上』でも『下』でもない第三、いや第四の勢力として。
アルト・イヴニル=マラードの狙いは依然として詳細不明。
ラプンシエルたちも多くを語らないが、恐らくはこの第五階層にいずれ現れるであろう『トライデントの心臓』に関係してくるのは間違い無い。
これについて、ラプンシエルはこんな事を言っていた。
「シナモリアキラと利害が一致するのは不快だけれど、まあいいわ。歌姫のライブ、協力して盛り上げていきましょう。『心臓』が降臨するために、第五階層は『前座』が暖めておかなきゃいけないからね」
勢力や派閥の縛りから自由になったラプンシエルとミヒトネッセは、ただアルト・イヴニルのために戦う。読み辛いのは、末妹選定の勝利条件がそれぞれの座で違うという点だ。利害が一致する限りは協調できるが、敵対に至る場合の条件とタイミングが読めない。なにせ『使い魔の座』の基本姿勢は『みんなで仲良く一緒のグループに入りましょう』らしいから。しかし彼女はこうも言っていた。
「『使い魔の座』も一枚岩じゃない。『心臓』にどれだけの影響力を行使できるのかを競い合ってるの。良くある話だけど、トライデント内で権力闘争があるわけ。みんな救世主のお気に入りになって、出世したいのね」
ラプンシエルの雑な説明はとにかく俗っぽいが、それだけに理解しやすい。
トライデントの主要細胞『髪』であるラクルラールの後ろ盾を失ったアルト・イヴニルは必死になって他の細胞たちに対抗しなくてはならないのだ。
更にラプンシエルはこう続けた。
「重要な上位細胞たち――『子宮』とか『天眼』とか『血脈』あたりはあんまり勢力争いには関心が無いという話よ。彼らは最も『心臓』に忠実な側近だから、取り入ろうだなんて考えず、基本的に主トリアイナのために行動する。厄介なのは下位のラクルラールとか、あとは私もよく知らない『脳』あたりかしら」
それから警戒すべき相手としては、と彼女は細胞の名を挙げていった。
「当面の敵はジャッフハリムの天主セレクティフィレクティ――『右足』と『左足』は全ての『細胞』にとって最大の敵。なにしろ『心臓』を私物化して自分がトライデントの中核に取って代わろうとしてる野心家だから。そしてもっと最悪なのが『鼻』と『
そこまで口にしたラプンシエルは何かを迷うようにぎゅっと眉根を寄せて、しばらく沈黙した後でこう続けた。
「とにかく最悪なの。全てがね。あれを見たら私たちやラクルラールが女神に見えてくるはず。女神だけど。むしろ感謝して平伏すんじゃない? 『口舌』については『上』の有力者ってことくらいしか私は知らないけれど、『髪』であるラクルラールと協力関係にあったらしいから、要注意ってことだけ覚えてて」
ラプンシエルの情報には意図的に隠された内容が多かったが、あくまで利害の一致から成立している同盟関係として考えればこのくらいが共有できる情報の限度なのだろう。基本は『呪文の座』との協力関係と同じと考えていい。
そう思えば、お互いの距離感や取るべき態度も分かりやすくなってくる。
ラプンシエルたち人形にしても、ティリビナ人たちにしても、ある意味では不安要素、ある意味では火種と言える。
だがそれでいいと、俺は思う。
恐らく問題は多発し、その中には致命的な被害をもたらすものすら含まれるだろうが、それでも俺は紀人という権力を振りかざすべきではない。
その暴走が『法の内』で起きるにせよ『法の外』で起きるにせよ、その時俺はルウテトやラクルラールと同じような存在となるだろう。トリシューラの使い魔として、それ以上に紀人シナモリアキラとして、それは回避しなくてはならない。
「そうそう。状況は流動的なんだから、その場その場で臨機応変に対応していくのが一番だよ。高位呪術師の人材も結構充実してきたし、ガンガン増員していく予定だから、そのあたりも期待しててね」
聞き慣れた声がすると思ったら、すぐ右側で頭に回転翼を付けたちびシューラが飛行していた。いつも俺の視界隅に現れる映像ではなく、物理的実体として上空に存在している小型ドローンのようだ。小さな手をぱたぱたさせているが、特に揚力を発生させているようには見えない。
「ヘリシューラだよ。空を巡回して女王の権威と親しみ易さをみんなにアピールする可愛いマスコットドローンだよ!」
「――俺も球体じゃなくてちびアキラで飛び回った方がいいかな?」
「アキラくんが私と一緒に空の散歩を楽しみたいって言うのなら、ヘリアキラくんを製作してもいいよ。実際プラモアキラくんなら一杯いるし、お手軽改造だよ」
心惹かれる着想だったが、少し考えて二人同時に止めておこうと結論付けた。
今は二人でゆっくり空中散歩ができるような状況ではないからだ。
デフォルメされていようとちびアキラは霊長類型である。
つまり両手両足が、というか『左手』があるわけで――。
「アキラくん、話題変えよ?」
「だな」
球体ドローンとマスコットドローンが顔を見合わせて深く頷き合う。
それから俺は、第五階層を見て回った所感を述べていった。ヘリシューラもまた徐々に判明していった事実を俺に知らせてくれる。こういうことを音声通信で行う必要は特に無いのだが、コミュニケーションの作法として『それっぽい』ことを回避する理由も特に無い。
それに、今の俺たちには分かっていることがある。
この世が舞台ならば、『台詞』や『対話』は重要な意味を持つのだ。
『独白』も同様に重要だが、これは観客への『対話』でもあり――いやまあそれはいい。とにかく『振る舞い』は重要だ。
「結局、ゼドの行方は分からずじまいか」
「うん。探索者たちはあいつの正体すら知らないみたい。側近の五人だけはゼドと同じように足取りが掴めないけど」
あれ以来、ゼドは姿を眩ましたが、配下の『盗賊団』たちは第五階層の南西ブロックに居座り続けている。
ゼドとは敵対したが、それはあくまでも個人的な因縁だ。探索者たちにはカーティスとの戦いの際には協力してもらった義理もあるし、今のところはこれまで通りの付き合いを続けられそうだった。
「ゼドについては引き続き捜索を続行するとして――リールエルバの様子は? 『公社』の預かりになったなら、レオやカーインが下手を打つとも思えないから大丈夫だとは思うけど」
「気になるなら自分で様子を見に行けばいいのに」
「いや、今は顔を合わせづらいというか――左手の事もあるし」
「ふぅん?」
疑い深い視線を向けられている。
まあ経緯が経緯なので当然と言えば当然だろう。
それどころでは無かったので流された『例の件』だが、騒動が終わった後になるとやはり気にせずにはいられないところであり、要するにあれはどういう判定になるのだろう、コルセスカも何も言ってこないし――。
「ま、どうでもいいか。リールエルバ如き、もう敵じゃないからね」
強がりでも何でも無く、本心からそう思っている様子の機械女王。
少しだが感慨深い。
彼女はもう、本当の意味で『女王』として立っているのだと思う。
多分それは、これまでの戦い――特にリールエルバとの戦いがあったからこそ得られた資質なのではないか。そう考えれば、俺がああして裏切ったことも――
「でも都合良く正当化するのは止めようね?」
――結果はさておき、主を裏切るなんて使い魔としては失格もいいところだ。俺は猛省し、二度とこのようなことが無いようにしなければならない。
鋭いヘリシューラの視線にぶるぶる震える球体であった。
ちなみにリールエルバとセリアック=ニアに関してだが、二人は公式にはあの戦いで死亡したことになっている。
立場的にガロアンディアンの君主が直接保護するのも何かあった時にまずかろうということで、ひとまず『公社』の預かりとなっている。
セリアック=ニアの方はどうやらレオと波長が合うらしく、わりと仲良くやっている様子だ。何故かは知らないがレオはクレイの頑なな態度まで解きほぐしていたので、やはり天性のカリスマがあるのだろう。ミヒトネッセはそうしたレオの気質を警戒してかさっさと逃げていたが。
「で、二人の情報についてはどのくらい漏れてるんだ? あの戦いの顛末とか、目撃者が多すぎて『色々あって死にました』じゃ通らないだろ」
「まあね。でも二人の生存を知ったドラトリアが即座に暗殺者を差し向けてきたり引き渡し要求をしてくる、という展開は当分無さそうだよ」
そう言ってヘリシューラが続けた説明は、だいぶスケールが大きなものだった。
というのは、どうやらドラトリア本国がリールエルバの反乱とか王女たちの死亡どころでは無くなってしまったかららしい。
「私たちが『死人の森』と戦っている間に、世界は凄い事になってたみたいだよ。これに比べると私たちの戦いは扱いが小さいね」
ヘリシューラが示したのは複数のニュース記事だ。
どの新聞社も大きく取り上げており、様々な角度から同じ内容が報じられている――『第二世界槍、崩壊』。他にも大きな文字で踊っているのは『全滅の可能性』『安否確認が急がれる』『救出は絶望的』といった言葉だ。
続けて表示された立体窓に、見ただけでわかる異常な光景が映し出されていた。
「世界槍が――壊れてる、のか?」
「うん。第二世界槍ノーモン=プシュケが崩壊したの。原因は不明。影響や被害範囲も不明。それどころか戦っていた上下の軍勢がどうなったのかも不明」
確かなのは、空に浮かぶ衛星の一つでもある内世界、スキリシアと繋がった第二世界槍での戦いが終結したらしいということ。
それも超巨大な世界槍が粉々に砕け散り、無数の残骸と化すことによって。
両軍は戦闘員の八割近くが行方不明、生還者の大半が『影を失って』心神喪失状態であると言うから凄まじい。死者が一人も見つかっていない、というのがとにかく異様だった。
「ヘレゼクシュ地方に屹立する超巨大な最古の日時計ノーモン=プシュケの崩壊。まあ近隣の地域は大騒ぎだよね。当然ドラトリアも無関係じゃない」
更にはこの事態を受けてこれまで第三勢力として静観を決めていたスキリシア側で大きな動きがあったという。
これまで『自分たちの世界槍』で二大勢力が争うことを黙認していたスキリシアの古老たち、深い闇の底で眠っていた『悪なる樹殻を喰らう四匹の牡鹿』と呼ばれる古代の神獣が重い腰を上げ、不遜な新興勢力が聖域でこれ以上の蛮行を働くなら徹底的な反撃を加えると宣言したのだ。
崩壊した世界槍の調査や行方不明者の捜索は古老たちによって禁止され、スキリシアと二大勢力との関係は急速に悪化している。
「いやまあ、他人様の聖地で戦争して良く分かんないけど壊れちゃいました、で怒られない方が不思議だし、当たり前の対応ではあるよな、これ」
「まあそうだね」
影世界における神マロゾロンドが最初に創造した御使い――古老の復活に夜の民たちは震え上がった。その権威は槍神教に帰依した神官たちすら容易く翻心させ、ヘレゼクシュ地方の教管区を統括する大司教が大神院の支配から離脱することを宣言、マロゾロンド神官団と駐屯する修道騎士団との戦闘が勃発した。『下』でも状況は似たようなものらしい。
古き第三勢力の台頭と、内側で揉め始めた二大勢力。
リールエルバたちの祖国ドラトリアもこの状況と無関係でいることはできず、今のところ上方勢力についてはいるが今後どうなるかはわからない。リールエルバがこの第五階層という狭い地域で始祖吸血鬼たちを解放したことや、『夜の国』を下方勢力側に移動させようとしたことなど皆どうでもよくなっていた。
何しろ二大勢力で協調して古老たちから世界槍の残骸を奪うべき、なんて意見まであるというのだ。『昼』と『夜』の対立どころか、『昼』同士や『夜』同士でも意思統一が図れずに混乱し続けている。
この状況は流石のリールエルバとセリアック=ニアもショックだったらしく、ヘリシューラの話ではじっとニュースを追いかけて不安そうにしているとのことだ。
「ついでに言えば、異変が起きてるのは第二世界槍だけじゃないんだよね」
トリシューラが列挙していくニュースは、ひとつでも世界中が激震するレベルのものばかりだった。俺たちが『死人の森』を巡る戦いにかまけている間に、世界はこんなにも激変していたのか――いや、それにしても同時期に色々起き過ぎだ。
まるで運命じみた力が働いているかのようだ――並べられた大事件を眺めながら、そんなことを考える。
まず目を惹くのは光と雲からなる第一世界槍・天頂霊廟エルネ=クローザンドで『水晶の司書』を名乗る言語魔術師が起こした『禁呪テロ』事件。人類を融合させ完全で幸福な上位存在にシフトさせる『統合進化計画』を目論んでいたらしい。
万単位の犠牲者が生まれ、あやうく文明圏が消滅するところだったが、大神院直属の第一修道騎士団――空の民と『御使い』を中心とした精鋭部隊による時空改変と次元隔離によって危ういところで阻止されたとのことだ。閉鎖次元に閉じ込められたこの完全な生命群は、何故か一箇所から自己崩壊を起こし連鎖的に死滅していったらしい。
第二世界槍・虚構
第三世界槍・妖精回廊アリスガルドでは休戦協定が締結された。
北辺帝国リーヴァリオンに反旗を翻した植民都市国家、地底都市ザドーナの天主アリスは世界槍内部で行われた会談の席で帝国の使節である第二皇女ティターニア=ラータエルス・リーヴァリオンと和睦。
異様なのはここからで、その直後にこれまで『槍』の形をしていた第三世界槍が『書物』にその姿を変えたらしい。更には天と地に分かれて敵対していた北辺帝国と地底都市周辺の空間が圧縮、『書物化』されて、次元の歪みである『書架』に吸い込まれているという。
ニュースの映像を見ると確かに地形や建造物が挿絵や文章に変換されて空間に出来た巨大な穴に吸い込まれていた。
より詳細な解説をしているニュース記事では第三世界槍近隣の文明圏に生じた次元断層がより深まれば『内世界化』しかねないなどと予測している。『新しい月』とか『大断絶以来の世界分化』とか、とにかく一大事らしい。
今度は気象関係のニュースで、南東海諸島で異常発達した複数の低気圧が確認されており、これが『擬人化された台風の怪物・巨人』の域を超えれば数十年ぶりに複数の第四世界槍・天象嵐柱テュフォンが発生する見込みらしく、最悪の場合は第四世界槍が連続して到来し甚大な被害をもたらすのではないかとのことだ。第四世界槍ってそういう災害的なやつだったの?
更に第五世界槍・廃棄世界根ルイン=ロディニオでは先史文明の
――これについては昨日の朝コルセスカが第一期最終回をリアタイ視聴してたから知ってるし、グレンデルヒも最後のカード解説枠で出演してたから俺もある程度の事情は把握しているのだが、これアニメじゃ無くて本当の事なの?
第六世界槍・星海統合環バベルでは惑星コーディネートによる開発競争が一時的に休止状態になったらしい。『
第七世界槍・砂鐘霊峰アイオーンでは、武林における九大門派によって『手にした者が天下を統べる』と言われる秘伝の奥義書『九紀真経』を巡る争奪戦が行われていたが、最終的には草の民の血を引く運送業の男と美貌の仙人が書物を神仙郷に封印し、争いを収めたという。しかしその結果として『紀仙』なる超越的存在の介入を招き、新たな戦いが始まりつつあるという話だ。
「なんかこう、他の世界槍って世界観違わないか?」
「そうだよ? 世界槍が展開する『文明圏』の内外では『世界観』が違うの。第六の人たちにとってはここだって独立コロニーとの定期便が行き交う宇宙ステーションと大地を結ぶ軌道エレベータ――まあ実際は縦長の静止衛星に近いけど――のひとつとして解釈されるし、あちらの『文明圏』では実際に『そうなる』」
「んん? どういう意味だ?」
「そのままだよ。第七だったら他の槍は『山』だね。遠くからそう見える、というだけじゃなくて、彼らの世界観ではそういう現実が展開されているの。私たちに『槍』が見えているのは、この文明圏が槍神教の強い影響下に置かれているから」
よくあることだが、初耳だった。
これらのニュースも『上』の情報源がメインだし、『下』では更に色々な事が起きているだろうと容易に予想できる。
俺が知っている世界、俺が手の届く世界なんてほんのちっぽけなものでしかないと改めて実感する。紀人となり、第五階層となり、シナモリアキラは際限なく増え続けているが、これも世界全体から見ればほんのわずかな広がりなのだ。
「人間の拡張、世界の更新――わりとみんないろんなとこでやってるのかな」
「きっとそうだよ。私たちも負けてられないってことだよね」
今回のまとめとしては、このあたりが打倒だろうか。状況を整理して、世界における自分たちの立ち位置を確認し、あとは再出発して着実に前進するだけ――そうオチをつけて帰途につければ良かったのだが。
残念ながら、今回は『綺麗な区切りがつく』という結末と縁が無かったらしい。
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