4-225 終節:窮『Put My Finger Only On Your Cheek』⑤




 氷と氷が鳴らす涼やかな剣戟の音が戦場に響いていた。

 クレイ、ミヒトネッセ、ルウテト。

 三者が入り乱れ、舞い踊るような戦いを演じれば、御使いたちの喇叭は終末の幻想を美しく彩りながら生命を未来へと加速させていく。

 舞台で踊っているのは死そのものだ。

 この戦いは、争いであるより先に死を表現する演技だった。


 だから、強大な力を持つルウテトはあくまでも『死の表現』を美しく魅せるために一方的に相手をたたき伏せることはしない。

 舞い手として神と同じ地平に立つこの二人であれば、自分と踊ることを認めても良いと、刃を合わせ、呼吸を揃え、最適な位置取りをしつつ攻防を演出していた。

 

 手にした長大な『氷槍』は振り回すだけで見栄えがする。

 煌めく光の粒子を振りまきながら舞台を縦横無尽に飛翔する穂先はまさに王者のみが持つ事を許された特権の象徴だ。

 対して剣と宝珠を操って女王の周囲を舞う二人は、圧倒的なまでの美を体現するルウテトに一歩、また一歩と肉薄しつつある。

 単独では及ばずとも、二人合わせればその表現力、演技の質は女神に届く。

 水と油のように敵意を向け合っているにもかかわらず、クレイとミヒトネッセは驚異的なまでの噛み合いの良さを見せていた。

 幾度となく競い合い、練習と本番を重ねて来たのだと言うように、二人で一つの躍動を舞台の上で輝かせている。


 勇壮な戦いの舞踏――ある種の神聖さすら漂うその儀式にしばらく付き合っていたミヒトネッセだが、とうとう我慢ならなくなったのか嘲るような笑みを浮かべ、指の形を次々に変えていく。『親との性行』『近親相姦』『淫売の子』『動物姦』といったニュアンスのジェスチャーを掲げ、最低の呪術を発動させる。


 疑似英雄――否定的で露悪的なパロディによって英雄伝承を貶める呪い。

 彼女は長いマフラーを広げて様々な英雄たちに変身、その邪悪な側面を強調した演技をしようとしたが――その寸前で、変身術の媒介たるマフラーをクレイが掠め取っていく。呪術の一欠片だけを切り取ったクレイは、閉じられた瞼の内側で暗黒に染まった瞳に星を輝かせていた。盲人が視る闇に、星が瞬いている。


「我が父祖、我が部族の誇りは大海に眠るハザーリャへの祈りを体現するもの! 驕れる女王よ、我が父イアテムが生み出した呪いの剣を受けよ!」


 堂々たる宣言と共に、クレイの手に出現したのは水流の剣。

 これこそは魔女殺し、『イアテムの呪いの剣』。

 イアテムの子クレイが継承せし、古き神ハザーリャの神意を代行するもの。

 紀神の力を借り受けた一撃が、女神ルウテトを退かせる。

 ルウテトばかりか、ミヒトネッセすらも予想外の展開に目を丸くする。 


「イデアルファザー?! 姓を変えただけで、仮想英雄の形式を再現したの?」


 ミヒトネッセから奪ったマフラーを首に巻いたクレイ。

 その姓が曖昧に揺れ動き、自由自在に着換えられる衣裳のように『早着換え』を繰り返していく。イアテムだけではない。マラード、アルト、ヴァージル、オルヴァ、パーン、カーティス――『父親候補』とされたおぞましき可能性。

 クレイはそれらの『特権』を好き勝手に利用し、使い倒す。


「空想が俺の父であるならば、俺もまた父を理想に変える」


 クレイが演じる英雄は、ミヒトネッセが貶めようとした邪悪なものではない。

 歴史の事実などどうでも良いとばかりに脚色を重ねた完璧な英雄。

 誰よりも美しく誰よりも強い、女王に絶対の忠誠を尽くす美貌の王。

 やり過ぎなくらいの、徹底的な美化。

 何事もソフトにすればいいというものでもないが、クレイはそこで躊躇をしなかった。『実は残酷だった』の真逆を行く、きらきらしたおとぎ話がそこにある。


 マラードは息を呑むほど美しく、時に愛嬌を振りまいて観客を笑わせる。

 アルトは厳しくも優しく、清廉潔白で強き為政者として善政を敷く。

 ヴァージルは愛らしく甘え、時に毒めいた顔を覗かせ。

 オルヴァは奇行の中に深遠な思慮を見せ、再び全てを台無しに。

 パーンが傲岸不遜に善も悪も踏みつけ進み。

 カーティスの寂しい微笑みは姫を攫う魔王にも関わらず同情を誘った。


 そして、その全員が息子である王子を心から愛し、非の打ち所のない完璧な父親として振る舞う存在として解釈されている。自分勝手な傲慢さなど微塵も無い。常にクレイを尊重し、クレイのために自身の財産や権力を手放すことも厭わない。

 それゆえに、クレイは彼らの力を自在に引き出せるのだ。

 ミヒトネッセは思わずこう言った。


「夢見がちか」


「俺の父は、俺が決める」


 力強い断言。

 『誰が父か』ではなく『どんな父か』まで自分の意のままであると確信したクレイにはもう恐れる者など何も無い。

 彼にとっては呪いでしか無かった、改変される父の姓。

 それはルウテトの理想像である英雄、彼氏、父親像から構築された『ルウテトの権能』でもあるため、その存在強度は紀神の呪力が上乗せされる。

 彼のこの戦い方は、他ならぬ母から学んだものなのだ。


「この私に、折れた英雄の力で立ち向かおうなどと!」


 母と父。

 対立する二つの力が激突し、世界を揺るがす。

 それは呪術世界の歴史上幾度となく行われてきた王権交代の儀式。

 陰と陽が絡みあい、その立ち位置を入れ替えながら王座を奪い合う。

 この舞台においても神話的な再演が行われようとしたその時。


 クレイとルウテトの意図を、またしてもミヒトネッセが挫く。

 女王目掛けて疾走するクレイの背後についたミヒトネッセの気配からその意図を汲んだのか、反射神経だけで合わせてみせたのか。

 ルウテトの目の前で、くるりと回転したクレイと背中合わせになってミヒトネッセが女神の相手役に交代する。

 いや、何かがおかしい。

 違和感にルウテトは眉根を寄せた。

 ミヒトネッセはミヒトネッセのままだと言うのに、何かが致命的に違っている。

 人形の瞳に、輝く星々を認めた瞬間、ルウテトは違和感の正体を理解した。


「男に――」


「気付くのがおせえよっ」


 荒っぽい声と共に、舞台の認識が人形に追いついた。

 蹴りを防御した『氷槍』を足場にして軽業じみた跳躍をしたミヒトネッセの姿が、侍女服ではなく白を基調とした王子様の衣裳に変わる。

 翻る赤いマント、金の飾緒に彩られた軍装チュニック、頑丈そうな鋼鉄のブーツを纏った男は、ミヒトネッセの端整な美貌の印象を残しながらも野卑な雄っぽさを漂わせていた。クレイと同様に後頭部で括られたポニーテールが揺れて、砂茶の髪色は攻撃的な表情も相まってひどく派手だ。


「どうしたよ女神サマ、それで終わりかっ」


 男性さながらの演技で大胆に舞うミヒトネッセの衝撃が冷めやらぬままに、ルウテトの目の前に信じがたい光景が繰り出される。

 いや、それは当然の流れと言うべきか。

 氷の剣を手にした我が子の姿は変容していた。

 騎士甲冑と侍女服を合わせたような独特の衣装に、立ち居振る舞いと細々とした所作にたおやかさを重ねたその有り様。

 黒髪ポニーテールを揺らす少女は、姫騎士クレイとしてルウテトと切り結ぶ。


「驚くには値しません、陛下。役者が舞台上で異なる性別の役を演じることなど、ありふれたことなのですから」


「安易なっ、受け狙いの学祭劇じゃあるまいし――」


 美意識に反していたのか、不快感を露わにするルウテト。

 だがクレイとミヒトネッセは互いに顔を見合わせて、


「学院でやったよな、男女交代劇」


「ああ、結構盛り上がった。まああれは無理がある奴の方が笑いがとれるから、俺たちがやっても自然過ぎてそこまで盛り上がらなかったが」


 などと演じられた学生生活の思い出を語り出す。

 感性の軽やかさ、世代の差異、美意識の違い。

 そうした細かいセンスの積み重ねが、ルウテトの舞台を歪めていく。

 二人の交代劇は終わらない。

 男女を交換しただけでは飽き足らず、共に男として舞い、共に女として踊り、時には無徴のまっさらな人形となって戦い、あるいは性差をカラーリングや胸の膨らみで表現した有徴の機械兵器となって宇宙を駆け巡る。


「『死人の森』をスペースオペラに翻案?! 私に無断でそんなことを!」


 無性と無性、あるいは限りある命の有性者と無性の機械とのパートナーシップ。

 両性具有、変動する性、性選択式種族のジレンマ、媒介者となる第三の性。

 あるいは、あるいは、あるいは。

 広がる可能性の渦に、男女の結婚という単純で古い図式は取り残されていく。


「勝手に入れ替わったばかりか――共に男、共に女? 別解釈のカップリング? 私の創造したキャラクターが不満ですか、私があてがった運命の相手は嫌ですか。誰も彼もが幸福な結末を拒絶する、ならばなぜ、私は!」


 理不尽への怒りを叫ぶルウテトに、クレイは言った。


「陛下はかつて氷の槍として語られたこともある――ならばご存じのはず!」


 交換可能なもの、それは役にとっての役者。

 交換可能なもの、それは役者にとっての役。

 用意された運命やくはひとつ。

 されど役者は千変万化、交換可能な価値が無限大の『劇的』を示す!

 それゆえに運命は広がりを見せるのだと、彼らは知っている。

 この舞台の上、その身で感じたことだ。

 怒りに震える王を前に、花嫁衣装に着替えたミヒトネッセが舞台に用意されていた台詞を口にする。純白のドレスを脱ぎ捨てた、雄々しい男装となって。


「幸福な結婚なんていらないわ。約束された未来より、己に誓った今を選びたい。たとえそれが理不尽な終わりを招こうとも」


「アンティゴネー! 賢明な選択とは言えぬぞ!」


 王国の法に背く叛逆者は裁かれねばならない。

 権力が漆黒の呪いとなり、ルウテト=クレオン王はそれを穂先に集めた。世界を貫く根本原理、女神が強制する理を力尽くで叩きつけようというのだ。

 もはや演技力や舞台上の段取り、表現の力などは関係が無い。 

 王者が押し付けてくる圧倒的な力がクレイたちを飲み込まんと迫り来る。

 しかし、クレイの表情は揺るがない。

 傷付いた目蓋が、銀河の輝きを示す。

 彼の心には、まだ剣が眠っている。


「踊れ、ダアルノート!」


 それは完全な未知だった。

 誰も知らない、聞いた事も無い言葉の響き。

 そして、ルウテトは見た。

 クレイの右腕と重なった氷の剣がその胸に吸い込まれ、一本だけ多いという肋骨が変形した骨の刃と組み合わさって氷と死の剣へと変貌していくのを。

 そして、何故かクレイの頭部に二つの三角耳が乗っているのを。


「えっ、猫耳」


 趣味ではないにも関わらず、不意を突かれたせいでちょっと可愛いとか思ってしまう女神ルウテト。白だか黒だか分からない耳は幻のように存在しないことになってしまったが、その一瞬に致命的な隙が生じる。


「接理の妖精、繋いで結べ!」


 クレイの手と一体化した剣の内側に、銀河の星々が広がっていく。

 それは『使い魔』――関係性の呪術を強化する力。

 ルウテトに気取らせないまま、クレイの内側で密やかに『氷刃』と同化していた原初の呪い。紀元槍に刻まれたその名は、接理の妖精アーザアル・ダアルノート。


「――またしても私の前に現れるのですかっ、『ことわりの呪い』!」


 灰の瞳に憎悪の記憶が甦る。

 彼女はこの妖精を知らないが、似た感触には覚えがある。

 思えば、リールエルバ=カーティスを操っていた時もそうだ。

 あと一歩のところで、あのエル・ニア・ナーグストールとかいう妖精にしてやられたのだ。ディスペータから転生した時もそう。フィリスが全ての元凶だった。

 いつも、いつも、いつも。

 屈辱と怒りを込めて振り下ろした槍を、クレイは妖精の剣で迎撃した。

 爆発的な呪力が荒れ狂い、クレイの足がわずかに後退しかけるが、すんでのところで踏み留まる。静止と拮抗。彼は女神の全力を受けきっていた。


 恐るべき権力をその身で抑え込みながら、クレイが閉じた目蓋の裏で想起するのは一つの誓いだった。

 初めて機械女王と交戦し、一時的に共闘した際に交わされた『誓約』の呪文。


 ――内容は簡単。この第五階層の『女王』に忠誠を誓うこと。


 トリシューラがかけた悪意の呪いを、クレイはずっと抱え続けていた。

 彼がその呪いに願うことはひとつだけ。

 それが機械女王の罠であっても関係無い。

 クレイが想うのは、ただ一人だけだった。


「俺は信じている。陛下が――母上がまた夢を取り戻せると」


 絶対的な力を持つ神に対抗するには、自身も神になるか、さもなくば神自身の定めたルールを利用したり、本人の願いによって自己否定を招かなくてはならない。

 クレイは押し付けられた母からの支配、自己の一部としての扱いを受けてもなお愛を貫き続けた。それは彼のエゴでもある。

 彼もまた、母を自己の一部として扱っているからだ。

 干渉することは、干渉されること。

 他者への自己愛は必ず対称性を持つ。それがどんなに歪でも、押し付けたからには押し付けられる覚悟を持たねばならない。

 それが因果関係というものだからだ。

 文句などはつけられない。

 クレイの愛は、独り善がりなのだから。


「俺に代わりをさせるなんて言わないで欲しい。あなた自身の夢を諦めなくてもいいんだ。俺はただ、そう伝えたかった」


 ダアルノートによって切り裂かれた心は、その使い手の心の断片と接合されて『押し出される』。方向付けられた心を解体し、『真の願い』を引き出して対象の心が自ずから刃の向かう方へ進んでいくように仕向ける――ある意味では最も凶悪な洗脳呪術。言理の妖精とは似て非なる幼児的傲慢を体現する妖精だ。

 結果として、氷骨剣ダアルノートは『氷槍』を切り裂きつつあった。

 世界とその全てを統べる権力が、正しく選定されようとしているのだ。


「相手の力を利用して切断する、『使い魔』的魔剣――!」


 その性質を理解したルウテトが、迫り来る未来を予測して凍り付く。

 灰色の瞳は、ふたたび諦めを映していた。

 この剣は接続した自分の心が相手に届かなければ何の意味も為さない呪い。

 ゆえに、その振る舞いで他者の心を震わせる表現者――舞い手にして肉体言語魔術師であるクレイにしかこの神殺しは成し遂げられなかった。


 斬撃が世界槍を両断し、女神の胴に斜めに侵入していく。

 致命的な一撃が神の権能を殺し、暴走した権力を正しく裁いたのだ。

 力を失い、倒れようとするルウテトの身体をクレイが抱える。

 戦いは終わった。王の死によって、王国は滅びへと向かって行く。

 その終末を表現するように、世界が震え、猛り狂っていく。


 突如として発生した地震に誰もが体勢を崩していく。

 止むことの無い激震に橋は水浸しとなり、大河は嵐の海さながらの荒れ模様だ。

 クレイの腕の中で、ルウテトが不気味に笑う。


「あらかじめ設定しておいたのですよ、『氷槍』の自爆プログラム――私が世界槍の制御を失ったとき、私が握る『槍』は『竜』となって世界を破壊する」


 冥府の大河と一体化した『氷槍』は流れる水の全てを凍結させ、氷の大蛇竜オルガンローデとして浄界に顕現しようとしていた。

 その巨大さは天に挑んだ塔竜を遙かに上回る。

 巨大な氷の蛇が鎌首をもたげ、ルウテトは笑い、誰もが愕然とする中。


「わざとらしい悪役ムーブが、うっとうしい!」


 空高く跳躍したミヒトネッセの踏みつけが、大蛇の頭部を踏み砕く。

 『氷球』の呪力を組み込んだ、落下と回転の勢いを乗せた見事な踵落とし。

 女王の管理を離れた『槍』が、法の外で荒れ狂う『竜』となる。

 それは王国を脅かすならず者の王、荒ぶる英雄に他ならない。

 ならばそれを嘲笑し、否定するのがミヒトネッセの『役割』だ。


 かくして舞台は終幕を迎える。

 『死人の森』という王国にとっての災厄は内部と外部、二つの側面から打ち砕かれた。正義は勝利し、悪は敗北する。 

 当然のことながら、古く邪悪な女神は滅び行くのみだ。

 それはこれまでに繰り返されてきたように、何度でも。


 氷の舞台に、どこからともなく現れた新たな人物がいる。

 冬の魔女コルセスカは怜悧な瞳で自分自身の可能性を見据えて言い放った。


「ミヒトネッセは六王たちと交わり髪に縛られたルウテトの巫女――その役回りはクレイの母とも呼べるもの。けれど役が変われば関係も変わる。父を殺し母を娶ったオイディプス王、国禁を破り王に背いたオイディプス王の娘アンティゴネ。クレイとミヒトネッセは父と娘を演じている。この反転こそ魔力というもの」


「私の転生を邪魔しに来ましたね、コルセスカ」


 クレイの腕の中で薄く笑うルウテトの四肢がゆっくりと薄れていく。

 輪郭が解け、女神の王権は新たな時代へと移行していくだろう。

 だがこの舞台で徹底して悪役を演じてきたルウテトは、最後まで完璧な『敵』を演じ切った。それは舞台の成功に必要な行為であり、その意味で彼女もまた勝者と言えるのだ。時に悪役は主役を喰うほどの存在となり得るのだから。


 女神の企みを阻止すべく、コルセスカに呼ばれて使い魔が到着した。

 ラプンシエル――シナモリアキラによって転生させられたキュトスの姉妹。

 シナモリアキラとしての権能でルウテトの転生呪術に干渉し、これ以上の『やり直し』を行わせない。未来転生者に最後の死を与えられるのは、彼女が欲したシナモリアキラだけなのだ。

 クレイはその結末を見届けるしかない。それすらも含めて主の願いであると、母を抱きしめた彼には分かっていたからだ。

 その生涯を閉じようとしているルウテトに向かって、コルセスカは告げた。


「私がこれから歩む再演は、あなたとは違った世界を拓くでしょう」


「自信があるのですね。最後に教えて貰える? その確信の源は、何だったの?」


 問いに、コルセスカは迷い無く答えた。

 当然でしょう、だって。


「私とあなたとでは、役者が違うのですから」


 それが最後。

 幻のように、細かな灰となって風に散っていくルウテト。

 シナモリアキラの二重義肢が第五階層における転生を管理し、この限定空間内における全ての魂が悪しき憑依転生や存在の上書きを予防し、ルウテトという古い女神が復活しないように監視の目を光らせる。

 

 かつて『死人の森』が滅んだように、『死人の森の女王』もまたこの再現された世界で滅びの時を迎えた。それは不可避の運命であり、予定調和に挑み続けたルウテトの決定的な敗北だった。これは最初から、死についての物語だったのだ。

 浄界の光景が薄れて消えていく。

 舞台の上で、クレイは座り込んだまま動かない。


「俺は、これで良かったのか。俺に与えられた役割、宿命、願い――俺の意思は、俺が選ぶべきだったものは、いったい」


 誰に向けたものでもない、漠然とした問いかけ。

 彼は最後までルウテトの味方で居続けた。

 女王の意思を汲み、女王のために叛逆し、その暴挙を諫めた。

 クレイは正しく『王国の剣』として役割を果たしたのだ。

 そんな彼の悲しみに寄り添える者などどこにもいない。


 ただ、彼が憎しみを向けるべき相手は一人だけいた。

 クレイはルウテトの意思を尊重してそれを止めなかったにせよ、転生を邪魔したシナモリアキラを仇と憎む権利がある。

 それはとても自然な流れで、だからラプンシエルは存在を明け渡してシナモリアキラとしてクレイと対峙することを許した。

 シナモリアキラは憎悪に育とうとしているクレイの悲しみを一瞥して、あっさりと切って捨てた。


「知るかそんなもの。俺はお前の父親じゃない。自分で考えるか、信頼できる相手を見つけて相談しろ」


 空気が凍る。コルセスカでさえ表情を引き攣らせているし、戦いの終わりを知ってやって来た他の面々も絶句していた。

 シナモリアキラの表情は雄弁に物語っている。こいつと俺は何の関係も無いし、こいつ個人に対して特別な感情は何も無い。この世界に来て以来、一番どうでもいいと思えたのがこいつだ――そんな具合に、クレイに対して何も感じていない。


 最悪の対応に再び死闘が勃発するかと思われた時、言葉が続いた。


「だがお前が決断を恐れ、選択を留保あるいは放棄するのなら――第五階層はそれを肯定する。ここは行き場が無い奴のための仮設の舞台だ。踊りの練習場所くらい空けておく。他ならぬ第五階層シナモリアキラが保証するよ」


 シナモリアキラは、そういうものになった。

 トリシューラのように世界を創ることも、コルセスカのように世界を拓くことも、レオのように世界に寄り添うこともできない。

 だが道具として、設備として機能するだけならできる。

 誰かを救ったりするのは見栄えのする役者たちの仕事で、そうではない者たちが裏方で舞台を維持していく。


 舞台の上に立つクレイは、舞台そのものを否定できない。

 彼は憎い仇を討つことができないのだ。

 それはある意味では救いの無い結末だったが、そんな彼に無造作な大股で近付いていく者がいた。ミヒトネッセである。

 侍女人形姿に戻ったミヒトネッセは打ちひしがれるクレイに歩み寄ると、奪われたままのマフラーを取り戻すとその目蓋に唾を吐きかける。


「何をする!」


 思わず気色ばむクレイに、馬鹿にしたような口調で応じるミヒトネッセ。


「なんか盲目の王子様って乙女の涙とかで甦ったり光を取り戻したりするらしいじゃない? 万が一あんたがめでたしめでたしの茶番で終わったら腹立つし、念のため先に穢しておこうと思って」


「殺すぞ」


「お礼言いなさいよマゾマザコン。ご褒美でしょ?」


 手刀と斬撃が激突し、本気の殺し合いが勃発する。

 舞台の外に飛び出して行われるのは演武ですら無い暴力の激突だ。

 コルセスカが止めに入るが、巻き込まれて乱戦が始まっていた。

 主を助けるためにサリアとアルマが加勢して状況が更なる混乱を見せる。

 いつの間にかクレイの憂鬱は消え去っていたが、その代わりとしてこれから同じ主に仕える使い魔たちの間に致命的な亀裂が入りつつあった。


 遠ざかっていく乱闘の光景を眺めつつ、シナモリアキラはラプンシエルの身体でトリシューラに近付いていく。崩壊した第五階層はルウテトの支配から解き放たれたが、それを復旧するのは王権を簒奪した者の役目だ。

 トリシューラにとっての試練は、むしろここからだった。


「ま、どうにかするよ。それに、これからはアキラくんも頼りにできるしね」


 第五階層そのものとなったシナモリアキラが機械女王と協力すれば、新しい王国はきっとまた前進し始めることだろう。希望に満ちた未来を共に語りながら、二人は決意を新たにする。


「けど、アマランサスの作戦が上手く行って良かったよ。今はもうラプンシエルだっけ? ウィッチオーダーの掌握も順調だし、アキラくんがキュトスの姉妹全ての力を手にする時も近いね」


「ああ。ラプンシエルの性質も今回の戦いにぴったり噛み合っていたしな。ルウテトの権能――生と死を支配する力を簒奪・継承し、塔と冥道を重ね合わせる能力――このおかげで女王の呪力を奪って逆に利用できた。ラプンシエルの力が無ければ勝てなかったはずだ。お陰で関連する冥界系姉妹の掌握もできそうだし――」


「――ちょっと待って、アキラくん。それって」


 トリシューラはどうしようもない見落としを発見してしまったかのような顔でシナモリアキラを凝視して、全てが手遅れであることに気付いて硬直する。

 転生者シナモリアキラ、その左腕に構築された義肢ウィッチオーダー。

 いつの間にか自動的に『創造クラフト』されていたそれは、いつか見た形態となっていた。それは冥界の権能を司る第五の封印。かつてトバルカインを装着した際に一瞬だけ現れた不完全な義肢が、その全貌を明らかにしていたのだ。 

 鋼鉄と骨とが一体化した異様な質感に、意匠化された頭蓋骨が手の甲に埋まった死と不吉を想起させる義肢。そしてその頭蓋骨と対になるように、手のひらには生気に色付いた美しい女神の美貌が描かれている。

 それは平面の絵だが、今にも喋り出しそうな、艶美で華麗な人面疽だった。


「ああ、ようやく一つになれましたね、アキラ様」


 手の甲には死、手の平には生。

 ヤヌスの如き双面が同時に喋る。

 左の義肢はシナモリアキラの意思とは関係無く動いていた。

 誕生の歓びをその身体全てを使って表現する左腕に、トリシューラとシナモリアキラは反応できない。反応のしようが無かった。


「新しき神シナモリアキラをアトリビュートする象徴物――あなたの神話における永遠の伴侶、左腕のディスペータとお呼び下さいな。あ、愛称としてならルウとかルウテトでもいいですよ。王権はもう不要ですが、権能の参照は可能ですから安心して使って下さいねー」


 心底楽しそうに言ってのけるシナモリアキラの新たな義肢『ディスペータ』は、滅び去った古き女神としての立場に拘泥していない。従って『紀神ルウテト』の転生を警戒していたシナモリアキラには予測出来なかったのだ。

 そもそも、ラプンシエルとしてルウテトに対抗するという起死回生の一手こそがルウテトの転生を助けていたのだから、彼らはこれを防ぎようが無い。

 そうしなければ、逆さの世界樹が第五階層を侵食していたのだから。


「アキラくん、それ解除して」


「できない」


 無表情で指示を出すトリシューラに、シナモリアキラも虚無の表情で返す。


「は?」


「ウィッチオーダーが、ディスペータ形態のまま固定されてるみたいだ」


「はああああああ?!」


 戻らない腕から身体を遠ざけようとしてできずにいるシナモリアキラに、トリシューラが信じられないという視線を向けて叫ぶ。

 ラプンシエルから蠍尾マラコーダたちに物理的な器を移動させても同じ。

 シナモリアキラには常に義肢ディスペータがついてくる。

 神と結びついた持物アトリビュートに転生したルウテト=ディスペータにとって、もはや相手の存在も自分の存在も些細なことだった。

 結びついているという関係性、それだけが揺らがなければそれでいいと、執念深い女神はあらゆるものを諦めて、最後の一つだけを勝ち取っていた。

 戦いは終わり、権力は正しく循環していく。

 しかし、善が悪を打ち倒す王の交代劇が必ずしも良い結果を生むとは限らず。


「これでずーっと一緒ですからねー♪」


「ふざけんな、私のアキラくんから出てけー!」


 事態がより悪化することも、また世の理のひとつなのだった。

 愛らしく左右に振られた左腕が、人差し指を軽やかに伸ばしていく。

 頬にちょこんと置かれた指先は、どこか口づけの仕草と似ていた。





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