4-217 終節:除『Under The Law』③




「助けは必要?」


 不意の客人が声をかけてきたのは、誰もいなくなった舞台の上でのことだった。体育館も兼ねたこの建物で断罪劇が行われてからしばしの時が経っている。残っているのは私だけかと思っていた。というか、私が一人になるタイミングを狙って接触してきたのだろうか?


「あなたの役回りは何なの、イツノ」


「私は私。ただの裏方。あなたに次の台詞を示す係」


 つまりはプロンプター。なるほど適役だ。

 イツノは世界観の違いにより私たちの陣営から離反したものの、一時は『もっともはじまりのラクルラールに近い人形』と呼ばれていた。レッテやネッセですら彼女の底は測れなかったという。トリシューラ陣営とラクルラール陣営が手を結んでルウテトに立ち向かわなければならない今こそ彼女の役割は正しく発揮される――という筋書きなのだと思う。たぶん。


「ここからどうやったら死人の森の女王に対抗できるっていうの?」


 イツノの実力は疑いようも無いが、その言葉を素直に信用出来るほど無邪気ではない。トリシルシリーズの中でもとりわけ巨大な嘘に塗れているのがこの人形だ。


「そんな目で見ないで。私は前王と相打ちになる『外敵』の役どころだったけれど、その話はもう終わったから。あなたが演じるのはその後の話」


「ああ、外敵と結んで国を滅ぼそうとする裏切り者がメートリアンだったから、設定の上でだけ存在する『異国の七将』があなたに割り振られたわけね。もしかして私がメートリアンに干渉したことで、あなたの存在が希薄になったの?」


「そう、出番が削られた。『外敵役』がメートリアンにスライドしたと言ってもいい。今回はそこが重要。私も自由に動けるようになった」


 なら、私の行動も無意味ではなかったのか。

 トリシューラたちにはさんざんな評価をされてしまったけれど、悪役としてはそれなりのはたらきをできたということだ。


「情報を整理する。『死人の森の女王』の基本戦略は弱者属性の利用。敗北を武器とし、征服する英雄神の力を利用すること」


 イツノはカーティス=リールエルバのことを言っているのだろう。『死人の森』は外敵に敗れ、『女王』は零落する。被害者性こそ彼女の呪力だ。『槍』が世界を貫いているからこそ強まる『男に虐げられる女としての力』――『侮られる力』とでも言うべきか。


「『さなぎ』――あるいは『繭』。冬という死にも等しき眠りを経て、最も脆弱な肉体を脱ぎ捨てて羽化する転生神。ルウテトの強さにはむらがあり、むしろ弱い時こそが厄介。妖精王の二つ名『繭衣けんい』とは、そのまま彼女が得意とする呪術の名でもある。絡め取る絹糸にして堅牢な鎧、そして転生の揺り籠」


「弱者というのは、悪役とは違うの?」


「かなり近い。ルウテトはかなり露骨にその立ち位置を狙っている。確実に罠」


「なら転倒もいいところだわ。今の悪役は私なんだから」


 そう言うと、なぜかイツノは一瞬だけ不自然に沈黙した。

 透き通った視線が私を差す。とても強い眼差しだった。


「わたしにーさまとグレンデルヒの決戦後、ミヒトネッセは女王を襲撃し、髪を盗んで呪いをかけた。霊媒がカミに触れて干渉すれば、カミからも干渉可能になる。豚に零落したあの時点で、ミヒトネッセは女王の器となっていた」


「自らを零落させるように仕向けたのよね。ほとんど最初からミヒトネッセは『死人の森の女王』の操り人形だった。今もそうなの?」


「ルウテトの役割は『哀れな操り人形』から『残酷な支配をもたらす悪しき神』に変化した。ミヒトネッセはトロフィー役となっている。かわりに女王が選んだ駒が、貴方を邪魔するにっくき『ヒロイン』と愚かな『王子様』」


「それは主役でしょ?」


「構図が転倒してるの。『本来の物語』を引っ繰り返して、悪役が主役となり、主役たちが障害、課題、到達目標になっている」


 やはり空白のメートリアンはルウテトの器だったようだ。

 けど、それが分かったとしてどう対処すればいいのだろう。

 結局ヒロインに好かれようと頑張っても運命の前には無力だった。

 いっそこのまま破滅に身を委ねてみるのも面白いかもしれない。


「『本来の物語』が転倒しているのなら、無気力にだらけて何も起きない結末があってもいいのかもね。やるべきこともやれず、諦めて演技すら放棄する舞台なんて、陳腐すぎて何万回でも繰り返されてそうだけど」


 どうせ私にアレッテの代役なんて無理だったのだ。

 トウコとしてクルミを助けるのも、ヒロインに懐かれて王子様といい感じになるのも、没落した後で幸せになるのも、みんな嘘だ。

 私は幼い日にあの『横倒しの塔』で命を落とし、アレッテに命を引き継いで貰って存在を繋いだけれど――そんなものは呪文による嘘だ。本当はアレッテがアマランサスという死者の役を演じてくれていただけ。演技をしている間は、私の存在は過去にはならず、この世界で再演されて復活できる。

 私なんて――アマランサスなんてどこにもいないんだ。


「私は仮初めの存在、虚構の役だわ。そんな私が役者としてアレッテを演じて悪役を、それも主役でもある悪役をこなせだなんて、要求が複雑すぎる。無理よ」


 ネガティブな弱音は、甘えた激励の要求に聞こえたかもしれない。

 けど今のは本当に自然に出た言葉だ。

 私には根拠が無い。アマランサスが何者かになれるという理由が無いのだ。

 次の展開を教えてくれるというのなら――イツノ、あなたは私にどんな台詞を持ってきてくれたの?

 私の求めに、必然の答えが返ってくる。


「それは違う。あなたはもうわたしにーさまに――シナモリアキラになった。役が役者になれないなんて道理は無い。最初の役者が舞台を去っても、代表作の役名は残る。役は舞台で生きて、次の役者と混ざりあう。アレッテや『火車』はもうとっくに問題にならなくなっている。最初の演技が役に命を吹き込んだなら、もう劇的な生命は神話の中を生き続けるしかない」


 それは強い――とても強い言葉だった。

 私はアレッテじゃないけれど、彼女の舞台を知っている。

 イツノが示した私の次の台詞とは、アマランサスの未来そのものだ。

 私たちはもう一人歩きを始められる。

 要するに、もう好き勝手にするしかないということだ。


「アマランサス。あなたは悪役としてヒロインと対峙するべきだと思う。メートリアンが器である以上、ルウテトはそこから導き出される必然の地で決戦の準備をしていると思う」


「その場所って?」


「『折れた塔』は破滅と敗北、神権と父権の崩壊を象徴する。学院の姿はこれにそっくり。その中でも天に届かず地に墜ちている場所――塔の最上階、校舎の一番端にある旧校舎棟にルウテトはいる」


 必要な助言だけをして、唐突にイツノは現実から掻き消えた。

 あれは私が見た都合の良い妄想妖精だったのだろうか。

 舞台袖という現実の外から助言をしてくれる存在――舞台の外側にも『必然』は存在している。私はやはり、この運命から逃げられない。

 それでも。

 イツノの励ましは、少しだけど私を勇気付けてくれた。


「ここは舞台――だからこそクルミと近しいという設定の『トウコ』の役なら演じられる。私はアマランサスだけど、アレッテじゃないままアレッテを演じる」


 多分それが今の私に出来る精一杯の解釈だ。

 断罪を終えた悪役に、これ以上何が出来るのかは分からないけれど。

 少なくとも幕が下りるまで、この劇的な心臓は鼓動を止めることが出来そうに無かったから――決意を胸に、私は決戦の地に向かった。




 丸天井の岩穴に満ちているひんやりとした空気は死者の牢獄に相応しいものだったし、打ち棄てられた白骨や球体関節の手足などは残骸の墓場としてはひどく粗末で恐ろしげだった。クルミは檻の中に突き飛ばされ、ごつごつとした冷たい岩の上に投げ出されてしまう。


 この場所はスポットライトから除外されている。

 深い闇の中、ミヒトネッセという自己を取り戻した侍女人形は暗視機能がまだ生きていることに少し安堵を覚え、周囲の状況を確認した。

 牢獄の中は意外にも広い。

 向かいの檻の向こうにも囚人がいて巨体を丸めているし、両隣からもかすかな音が聞こえる。そしてどの牢も生者よりも死者で一杯だった。

 檻の中に林立する細長いシルエットは剣を象った墓石だ。

 刻まれているのはクレイの名前。

 墓の森には、試行錯誤の果てに捨てられた粘土人形たちが眠っていた。

 途中から墓が足りなくなったのか、損壊した肉体が部屋の隅に積み上げられていたり、剣の上で串刺しにされていたりした。

 

 埋葬というより廃棄。

 それとも途中まで墓を作っていたのだから、これは悪意ある埋葬と解釈すべきなのだろうか。いずれにせよ、ここには悲惨しか存在しない。

 ミヒトネッセは無数のがらくたの中にあるものを発見して小さく喉を鳴らした。

 

「何、あんた死に損なったの。それとも逃げ損なった?」


 ミヒトネッセが放り込まれた檻の中にも例外なく無数のクレイが捨てられていたが、その中に一人だけまだ動ける個体がいた。


「思い知った? 自分が下らないお遊戯の人形で、自由意思なんてどこにも無いんだってこと。私もあんたも、同じように無価値なんだってこと」


 最大限の侮蔑と嘲弄を込めて、ミヒトネッセはクレイに――クレイだったものに語りかけた。膝を抱えてうずくまる男の瞳は、暗く濁っている。

 鋭かった刃は欠けて、錆びて、折れて――輝きはくすんでしまった。


「だっさ。ねえ女の死を乗り越えて強くなるのって楽しかった? 自分一人だけ運命の支配を断ち切れるんだーって信じられる人生って物凄く楽しそうよね。やっぱり恵まれた王子様はいつも接待して貰えるのが当然って感じなの?」


 沈黙が闇を満たす。

 罵声を浴びせる方、罵声を浴びせられる方、双方から無気力な諦めが匂い立つ。

 これは何もかもが終わった後の余分だ。


「ファウナって女も結局あんたのママだったってわけ。笑える、ほんと最悪」


「そうだ。全て俺のために道具として利用された。お前もそうだったんだな。だからこそ、それほどの怒りをぶつけてきていた――すまない」


 ようやく返ってきた陰鬱な声を聞いて、ミヒトネッセの目が据わる。


「は? 何であんたが謝るの? っていうかあんた今どこに立ってるつもりなの」


「俺は、ただ母上が――陛下がしたことを謝ろうと――」


 無言で放たれた右拳が真っ白な頬を歪め、続く左拳が整った形の鼻を潰した。

 ミヒトネッセは倒れ伏した少年を腕組みして見下ろす。


「この期に及んで、あんたはそうなのね、クレイ」


 クレイでなくなったがらくたは、今もなおクレイのままだった。

 全ての役割を失ってなおその役柄にしがみつくさまは滑稽でもあり、それしかできない人形の悲愴な宿命そのものだ。

 かつてのように反撃することもなく、ただ静かに悲しみの涙を流すクレイの姿に、ミヒトネッセはより一層の苛立ちを募らせる。


「こんな場所に放り込むなんて、最低の嫌がらせ。てか、めそめそ泣くのやめてくれない? 無価値になったんなら自己憐憫なんて意味無いでしょ、あんたに憐れまれる価値なんて無いんだから。ほら泣く必要ゼロじゃない」


「違う」


「何が違うっての、廃棄処分のがらくたが」


「悲しいんじゃない。世界が遠のいていくようで、寂しいんだ」


 ミヒトネッセは言葉に詰まった。

 クレイの言っていること、考えていることが理解できなかったからだ。


「俺の全てが嘘だったことで、俺が周囲から受け取ってきたもの、関わってきた人々の価値まで損なわれてしまう――それが、とても惜しまれるんだ」


 クレイは語った。

 ファウナが教えてくれた舞の苛烈な美しさを。

 クレイは懐かしんだ。

 設定上でだけ存在するプーハニアとの虚構の親子生活を。

 クレイは悔やんだ。

 舞台上で駆け抜けたクルミとの青春の日々を。


「師が命をなげうって俺に伝えてくれた熱を、今もまだ覚えている。厳しくも愛に満ちた言葉で、俺はあのとき確かな自分の心を感じていた。父が与えてくれた慈しみを知っている。荒っぽい所も粗雑な所もあったが、その中に沢山の優しさがあったのだと、嘘の記憶でもそれはとても大事なものだった」


「ていうか気付けよ。犬要素ゼロでしょあんた」


「そんなことはない。設定では転校前にファウナ先輩の付き人をしていた時には上級生の女生徒たちから『犬系』と呼ばれていたことになっている」


 ミヒトネッセはクレイの腹部に無言で蹴りを入れた。

 息を詰まらせてのたうち回る姿を見てもなお苛立ちは収まらず、侍女人形の鉄の踵が更なる踏みつけを行おうとした時だった。


「んだよ、騒がしいな」


 噂が影を招いたのか、向かいの牢でうずくまっていた魁偉な容貌の虹犬が唸り声を上げてこちらを見た。その姿に、二人は目を見開く。

 虹犬の名はプーハニア――かつて『マレブランケ』の狆くしゃカニャッツォだった男だ。


「なにこれ、あのど腐れ豚はこういう嫌がらせしか思いつけないの? 脳が腐ってるから悪意のレパートリーが少ないのね、きっと」




「ちくしょう、ちくしょう、どうして俺はこんなとこにいるんだ、もうわけわかんねえよ、エキストラの日雇い仕事なんてやるんじゃなかった」


 ぶつぶつと独り言を呟くブルドッグは、長いこと暗がりに押し込められていたせいで精神の安定を欠いていた。

 ようやく現れた会話が通じそうな相手に怒濤の勢いで愚痴をまくしたてる。


「勢いで仕事辞めたはいいが、地下闘技場は閉鎖されてるし、そもそも第五階層がそれどころじゃねえ上に日雇い仕事で繋いでも先の見通しが立ちやしねえ。警備だの用心棒だのもこの街にいる限り危険性では『マレブランケ』とどっこいだ、給金が悪くなるだけでよ。やっぱあのままサイバーカラテ道場で、せめて内勤に回してくれねえかって頼み込むとか、もうちょっとやりようがあったんじゃねえかって――だからって今更トリシューラに泣きつくのもなあ」


「父上――いや、プーハニア。あなたもここにいたのか」


 俯きがちなプーハニアの視線がクレイを舐め回す。

 どんよりとした表情が、小さく歪んだ。


「はっ、いいねえ見目麗しい主役のお坊ちゃんは。世界がどんなに変わってもそのツラひとつでどこでもちやほやされるんだろ? 俺みたいなのはもうお払い箱だ、古臭いし見苦しいってよ。もうこのままここで朽ちていくのがお似合いだ」


 虹犬は外の状況を理解していない。

 わけも分からず事態に巻き込まれ、気が付いたらこの場所にいた無力な第五階層の住民――それだけの存在だ。

 それでもクレイは言わずにはいられなかった。


「遅いかもしれないが、お礼を言わせて欲しい。貴方は、俺を助けてくれた」


「何の気まぐれか知らんがな。いや、あれも誰かの思惑通りだったのか? 俺にはわからんよ。もうなんもわからん。何も出来ないし、何がしたいのかもわからん」


「それは――俺、だって」


 ここにいる者はみな同じだった。

 何も無い、本当に何もかもを無くしてしまった――それならばまだ良かった。

 本当は最初から何も無く、これからもなにも生まれないことに気付いてしまう――残酷な事実を受け入れるしかなくなった、それが彼らの悲劇だ。

 プーハニアは態度を決めた。やけっぱちになったのだ。


「やめろやめろ、うんざりなんだよ。俺に話しかけないでくれ。面倒な事には関わり合いになりたくねえよ。余計なもん拾うんじゃ無かったぜ全く」


 彼は胴間声でそう怒鳴ると、クレイたちに背を向けて耳を塞いでしまった。

 クレイは手を伸ばそうとして、結局俯いて沈黙した。

 ミヒトネッセは下らないと吐き捨てた。


「笑える。結局あんたはそうなるのよ。ママに欲情して、パパを憎悪する。自由意志なんてどこにもない、運命の操り人形」


「自由意志――俺がそう思っていたものは、全て」


 いつの間にか、クレイの身体に白いものが巻き付き始めていた。


 どこからともなく現れた絹糸がしなやかな手足を絡め取る――いや、それは最初から彼にずっと巻き付いていたのだ。そうして彼は静かに繭に包まれていく。

 そして、悪意ある変貌はクレイだけに留まらなかった。

 ミヒトネッセは自らの身体を見下ろして、とても愉快そうに大笑いを始めた。

 身体を大きく揺さぶって、腹を抱えて目に涙すら浮かべている。


「見てよ、このざま」


 ようやく喋る余裕がでてきてもまだ喉が鳴っているミヒトネッセは、暗がりでもよく見えるようにとクレイに身を寄せていく。嘲りに満ちていても変わらずに漂う少女人形の色香がクレイの鼻先をくすぐった。


「私ね、妊娠してるの」


 唐突に大きく膨らんだミヒトネッセの腹部は、明確に受胎を意味していた。

 繭に包まれていくクレイは、暗い表情で言った。


「きっと陛下の呪いだ。望まれない生誕の悪意、愛さずにはいられない不可避の喜び。それを教えようとしている」


「正しい教育ってわけ。いい趣味してる」


「いいや――悪い趣味だ」


 沈黙が牢獄を満たした。

 ミヒトネッセの腹部からはもう赤子の産声が聞こえ始めており、クレイは片足を真っ白な棺に突っ込んでいる。

 できることなど何も無かった。自棄になるのも笑い出すのもきっと正しい。

 どちらもできずにいたクレイは、飽きて笑うのを止めたミヒトネッセに弱々しい視線を向けた。無表情になった人形が問う。


「怖い?」


「怖くなどない」


 打ち消すような強い否定。

 その瞬間、二人は気付いた。

 牢獄は既に完全に閉ざされている。

 檻は壁となり、世界は完全な箱の中で完結している。

 部屋の中央にはたったひとつきりの寝台が堂々たる存在感を示し、その脇にはこぢんまりとした揺り籠と哺乳瓶が置かれていた。

 いつの間にか新しく出現していた扉にはこんな紙が貼り付けられていた。

 『生殖しないと出られない部屋』と。


 ツボに入ったのか、ミヒトネッセは膨らんだ腹を押さえてひたすらに笑い転げていた。悪趣味な創造主は、心の底から楽しんでこんなことをしているのだろうと想像してしまったから。遊びの無いラクルラールより遙かにどうしようもなく、遙かに邪悪な性質の超越者がルウテトという女神なのだ。


 劇的な展開を望まれている。役を全うするように誘導されている。極限の状況に置かれた二人は必然として身を寄せ合い、心を近づけていく。惹かれ合う感情は舞台の外にいる演出家の手によって丁寧に整えられた愛だった。

 舞台上で芝居が行われるより先に、『妊娠』と『大人になる』という結果が押し付けられる設定の先行。確定した未来をなぞることだけを求める強引な神意。

 さながら女児の人形遊び。作り物を用いたラブロマンスは、世界中で繰り返されるお手軽な芝居の最たるものだ。


 笑い続けるミヒトネッセとは対照的に、絶望の表情で扉を見つめるクレイ。

 それを見た侍女人形は涙を拭いながら言った。


「何、純情すぎていきなりは恥ずかしいの? 手を繋いで仲良しこよしのデートでもする? あ、まず言葉の意味がわからないのかな?」


 クレイは慌てたように気色ばむと、よくわからないことを言った。


「破廉恥な、いきなりそんなことができるか。男女の交際はまず交換日記からだ」


「交換日記ってどういうの? 交換するの? あんたと私の日記を? なんで?」


 知らない概念の登場に困惑するミヒトネッセに、クレイはやや落ち着きを取り戻して説明する。


「違う、日記の共有だ。一日おきとか一週間おきとか、期間を決めて日記を交換し合う。そうして私的な領域を少しずつ開示し、お互いに対する理解を深めていくのがまっとうな交際の手順というものだろう」


「へー。往復書簡みたいな?」


「概ねそうだな」


「あんたってそういう作法が呪文系なんだ。理解不能なんだけど」


 どれだけ執拗な意思がクレイとミヒトネッセを追い詰めても、結局のところ二人が正しく噛み合うことは無かった。

 弛緩した空気が湿った気配を押し退け、ばかばかしさに筋書きが萎えていく。

 彼女は、そうして生まれる隙を狙っていた。

 空間に亀裂が入る。

 透明な景色が割れて、凍り付いた虚空の壁の向こう側から一人の魔女が飛び出してきた。透明な義眼が目を惹く涼やかな美貌の冬が、二人の姿を認めて表情を柔らかくする。二人にかけられた呪いを断ち切るべく、コルセスカが現れたのだ。


「再演をしましょう。結末はアマランサスが教えてくれました。きっとこのやり方ならルウテトの思惑通りにエンディング条件を満たせます――もっとも、推奨レベルでクリアしてあげるつもりは全くありませんが」


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