4-216 終節:除『Under The Law』②



 説明が必要だろう。時間は少し遡る。

 三度目にして最後となる再演劇の舞台で、はじめ私は意識を喪失していた。

 それは私だけではない、多くの人形たちがそうだった。

 知っての通り、世界は既に枯れている。

 天を仰げば誰にとってもそれは自明だった。どこまでも続くかと思われた蒼穹がぶつりと途切れ、灰色の檻となって可能性の限界を示している。

 空を悠々と泳ぎながら腐臭を撒き散らす『死海の大魚』はかつてマツヤと呼ばれていた大型艦の成れの果てだ。死せる女神の権能によって腐った巨大魚となった怪物は、今は第五階層の空を回遊しては新しい命を摘み取ろうとする悪意の化身に成り果てている。これほど終末の風景らしい荒廃ぶりもそう無いだろう。


 この世界の中心に聳え立ち、全ての命を支えていた世界樹はずっと昔に盛りを過ぎて、朽ちて倒れた幹は枯葉の絨毯の上でゆっくりと腐っていくのを待つばかり。横倒しの塔に取り残された人々は目減りしていく資源を分け合ったり奪い合ったりしながら空虚を必死に誤魔化すことしかできない。彼らが遙かな空に手を伸ばすことはもうなくて、上を向くべき塔の天辺は地面の上で瓦礫の屍を晒している。


 いま、この第五階層は終わった第八世界槍を再演している。

 この終末以後の浄界で、人々は甘い過去を繰り返す。

 壊れた玩具、退屈な絡繰り人形、見飽きた舞台。

 無尽蔵に積み上げられた過去の集積がこの現在だ。

 未来は無い。大樹は倒れ、塔は崩れ落ちたのだから。


 同じ劇を繰り返す人形たちはやがて疲れ果て、舞台袖で動かなくなる。

 すると、物言わぬ屍に一筋の亀裂が入った。

 卵の殻を破るようにして内側から現れたのは、翼の生えた赤子たちだ。その手に握る喇叭で生誕の歓びを奏でる新たな命は、けれど自分に残された役割が退屈な繰り返しだけと知ると翼と喇叭を捨てて操り糸に身を任せてしまう。そうして、何もかもを適当にやり過ごすようになっていく。


 曇天より降り注ぐ灰の重みは人形たちを俯かせる。薄暗い光景の中を亡者のように歩む偽りの冬景色は、冥府よりも寂しく寒々しいものだったろう。

 無価値を積み重ねるだけの時間は次第に加速する。再演に次ぐ再演のサイクルは終わりの先へと虚構の命を運んでいく。生と死の営みは記号となり車輪が一回りする一瞬と等しくなる。


 ぐるぐると巡る車輪の動きに、そのとき乱れが生じた。

 円環の外周部に出っ張った歯が時の段差にわずかに引っかかった、多分その瞬間のことだった。私は唐突に自分を取り戻していた。

 そう、『私』は既にここにいる。

 人形の身体を感じ、球体関節の肢体を動かし、美しく象嵌された宝玉の瞳で世界を見据え、紅紫の長い髪の毛をそっと動かして硬い地面をなぞり、頭上を撫でる。

 糸が無い。いま、私の頭上に絶対者の糸は存在していない。


 意識、知恵、自我――そうして獲得したのは、苦痛だ。

 私の中に、罪がある。何故かそう思った。

 この身は裁かれるために存在している。そのことをあらかじめ私は知っていた。


 そしてもうひとつ、はっきりしていることがある。

 この世界は既にラクルラールお姉様ではなく『死人の森の女王』が統べる浄界、すなわち冥府と化しているということ。

 私を含めて全ての存在は『女王』のための劇を演じ続けているということ。

 主役は例によって『死人の森』の王権に挑み、基幹参照世界から引用された再演劇に利用される運命だということ。

 そして――私は主役ではないということ。


 私は敗北を知らない。かつて私はラクルラールお姉様の試練に耐えきれず命を落とし、アレッテの一部として生まれ変わった。最近では敵対する魔女トリシューラに一杯食わされた挙げ句、一時的共闘のためにその使い魔シナモリアキラの手足に成り下がった。他にもメートリアンら『空組』に追い詰められたりと苦杯を舐め続けているが、私は敗北を知らない。


 たとえ無様に地を這おうが辛酸を舐めようが屈辱を味わおうが、自分にとって譲れないものを失っていなければそれは本当の負けではない。私にとっては劣勢も苦境も大前提。どのような無理難題を押し付けられたとしても、不動の精神と粘り強い心で不滅の意思を貫くのみ。


 だから――たとえ苦しくて内心泣きそうに見えたとしても、それは再起と反撃のための精神的なダメージコントロールというか、膿を出し切るみたいな意味でしかなくて――とにかく、私は平気なので同期を切れシナモリアキラども、女子の思考の覗くとか変態なの、次やったらまとめて顔を引っ掻くわよ!


 あまりのことに脳内の自分に八つ当たりしてしまったけど、仕方無いと思う。恐らく最後になるであろう今回の再演世界はどうしようもなく終わっていて、私が状況を把握した時点で八方塞がりだった。

 もちろん諦めはしない――けど、諦めなかったらどうだというのだろう。

 本当に碌でもないことに、私という存在は本当に嫌気が差す状況に置かれていた。なにしろ憎らしい敵対者と運命共同体になってしまっているのだから。


「冷静になれアマランサス。状況分析に努め、反撃の取っ掛かりを見つけろ」


 ここは舞台か、それとも校舎か。

 現実感は曖昧で、おまけに幻聴まで響いてくる。

 といっても耳障りな声の正体は『心話』の共有チャンネルから脳内に届いてくる紀人シナモリアキラのものなんだけど。

 トリシューラが基幹参照世界から召喚したこの転生悪魔が何を考えているのか、私には今ひとつ掴めない。信用するのは難しいが、この状況下では『死人の森の女王』に対する切り札になり得る。彼の『第五階層』という属性はこの舞台をひっくり返しうるものだ。


「わかってる。次のシーンに移動して、どうにか再演儀式の妨害を試みる。けど期待はしないでね。今回の文脈はとても強力だから」


 朽ち果てた学舎はあちこちに亀裂が入り、前回の舞台から悠久の時が流れていることを示していた。セットの老朽化なのか、老朽化を演出するセットなのか、もはや私には区別がつかないけれど、現実としてこれは終末の光景に他ならない。


「この三巡目は単純な繰り返しじゃ無くて、未来に向かって加速する再演だよ」


 シナモリアキラに続いてトリシューラの名前が視界隅に表示される。

 彼女も役者としてこの舞台のどこかにいるはずだが、こうして自由に私と通信可能になっているのは私が『マレブランケ』に加入したことも大きいが、この浄界の支配力が緩くなっている証拠でもあった。

 質よりも量。強度よりも速度。


 廃墟となった学び舎で見られる光景――壊れた夢に向かってレッスンを繰り返す人形たち。骸による青春の回顧。がらくたの残香が風に紛れ、未来再演による時間跳躍が加速すると、上演の頻度が増していく。三幕の構成を大幅に省略し、舞台の中で再演の手順を圧縮して演技を回転させる。形式さえ整えばあとは数と速さが大事とばかりに舞台の質などあとまわし。

 空費される時と価値が舞台を朽ち果てさせる。

 役者は疲れ果ててやがて死人と化し、終末の世界から未来は消えていく。


 なんて悲惨な世界だろう。なんていい加減な脚本だろう。

 この雑さから推測できるのは、浄界を支配するルウテトは私たちにかまけていられる余裕が無いということ。彼女が相対しているのは、より強大なラクルラール、そして世界槍そのものだと思われる。


「ルウテトは『氷槍』を解放してこの第九世界槍を掌握したけれど、それは完全じゃ無い。第五階層限定の不安定なものなんだ。だって『氷槍』の真の核を所有しているのは『穂先』を独占している『松明の騎士』だから」


 トリシューラも私と同じ事を考えていたらしい。シナモリアキラの方は事情がよくわからず困惑しているようだが無視。今は話を進める。


「ルウテトは地盤固めを優先している? いいえ、守りと並行して攻撃も行っているはず。トリアイナ降臨の祭壇である第五階層はとびきり不安定でソルダ・アーニスタやセレクティフィレクティも火傷が怖くて迂闊に手出しできない。だからこそ私たちみたいな身軽な個人はリスクを恐れなければ無茶な儀式を強行できる」


 私とトリシューラがこの階層を巡って争っていたのもこの場所の不安定な性質があるからだ。全ての因果は『死人の森』に収束している。そして、『上』と『下』に比肩する第三極を狙うルウテトの目論見が己の小さな領土を守る事だけに留まるとは思えない。あの死女神の行動は必ず『次』の何かに繋がるはずだ。


「ルウテトが行っているのは再演の加速による時空圧縮。目的は過去と未来を等価にして全てを凍結させる冥府の具現化か、枯れた世界樹の反転あたりだと思うけど――狙いを絞りきるのは無理そう。いずれにせよ、どうにかして止めないと第九世界槍の文明圏が死滅しちゃうよ」


 このままではルウテトに有利な状況が完成してしまう。敵の思惑が全て分かったわけではないが、儀式に注力している今のルウテトは私たちを潰す為に全力を出せない。それどころか、儀式の役者として活用しなければならないほど手駒不足の状況だ。そこに付け入る隙がある。


 廃墟を歩く私は、いつの間にか校庭を横切る無機質な流れに導かれていた。

 がらくたの川と並ぶ。長大なベルトコンベアの上を、舞台の大道具や小道具、人形の残骸が運ばれていく。そうやって敷地を横切っていくと、校庭の真ん中でゴミを燃やしている生徒たちを見つけた。篝火にくべられているのは役目を終えた人形たちだ。ぞっとして、ミヒトネッセの姿を探す。

 ――いや、いない。いるはずがない。きっと大丈夫だ。

 この劇が私の考えている通りのものなら、まだ猶予はあるはずだから。



 不意に強い寒気が襲ってくる。

 死の気配だ。

 私は目の前の光景に恐怖している?

 まさか、と思ったけれど、死の女神が作り出す浄界には人形を戦慄させるような魔力があるのかもしれない。

 校庭から見た学舎の形はこれまでとは大きく様変わりしていた。

 その形はまるで横倒しになった塔。

 崩壊した塔は『折れた槍』を象徴する。

 ルウテト版の男根城――陽根城ファルスとでも言うべきか。

 

 その不気味な姿に、私は形容しがたい郷愁と、強い不安を抱いた。

 なんだろう、この怖さは。

 壊れた塔。それは、アレッテ・イヴニルにとっては解放を意味するはずなのに。


 偽物である私はなぜだかこの塔に恐ろしさを感じてしまうのだった。


「それにしても展開が遅い舞台だよね――というか進行フラグが立っていないのかな。もうちょっと探索して、それらしいイベントを発生させる必要がある?」


 トリシューラが不可解そうに言った。確かに、ここは舞台という感じがあまりしない。物語性の無いただの空間と、照明が当たっている舞台上のシーンが融け合ってマーブル模様を描いているような印象がある。

 私はしばらく学院内を探索し、今回の私が主役では無い事や主人公が人格操作されたメートリアンだということを掴んだのだが、その後の動きが決まらない。

 どうすればルウテトに勝利できるのか?

 具体的な行動指針すら決まっていないのが現状である。


「イベントなんて、私が知るわけ無いでしょう。そっちこそ何か妙案は無いの。サイバーカラテ集合知とやらの出番じゃない?」


 皮肉交じりに問いかけてみたが、トリシューラとシナモリアキラの反応は鈍い。

 万能のアプリケーションなどではないと知っているが、連中にできないことがあるのはなかなか気分がいい。私も未だに彼らの敵気分が抜けていない。

 一方で、随分と張り切っている奴もいた。


「このタイプの話はセスカの出番かなー」


「はいはい! 私は原作無視でなぜかヒロインに懐かれるやつ好きです!」


 きらきらとした目が想像できるような勢いでコルセスカが言った。

 今はかなり深刻な状況なのだが、相変わらず緊張感が無い。

 そのあたりがこの女の恐ろしさでもあるが、実際に当事者として傍にいると苛立ちが湧いてくるので少し抑えて欲しかった。


「はい! あと根は善良なのにやることなすこと何故か変な感じに誤解されて怖がられるタイプの主人公とかも好きです!」


「セスカ、そのへんの知識は後で詳しく聞かせて貰うとして。今回の場合、似たパターンの展開とかってある? あるいは、打開策の例に心当たりは?」


「断罪の運命が回避不能なら、いっそ流れに身を任せていくのもありかと。自分の家の力を削ぐことを狙う没落希望なご令嬢とかもいますし。その場合ヒロインに好かれてしまって逆に思い通りにいかないなんて困難もあったりするんですが」


「メートリアンに好かれる――?」


 あまりにも無理そうな難題を突きつけられて私は困惑した。

 確かに『悪役』に位置付けられた私の苦境を覆すにはそのくらいの無理を通さないといけないような気もするが、それにしたって無謀だ。


「ではこれです、頼りになる従者と一緒に上手いこと難局を乗り越えていくやつ! 最終的にずっと一緒だった従者とくっつく王道ルートでいきましょう。そういえば悪役令嬢の腰巾着というか従者ポジションの子が見当たりませんから、そこを抑えておかないと。まずミヒトネッセの攻略ですよ、アマランサス! 友情パワーでいじめっ子のヘイト値を低下させるのです! 目指せ没落したけど親友&従者が支えてくれるエンド!」


「なるほどね? あの子は従者というか、妹みたいな位置付けみたいだけど。表沙汰に出来ない子供だったので侍女としてトウコの傍に置いているって設定」


「より素晴らしいです、エンディングは見えましたね!」


 肝心のミヒトネッセの所在は不明だが。

 前回の鍵であったクレイも行方不明だし、先行きはひどく不鮮明だ。

 結局、私たちは決定的に舞台の周辺に追いやられている。

 物語の本筋に大きく干渉できないようになっているのだろう。ルウテトが私たちを取るに足りないと放置しているのは、そうすることで実際に『取るに足りない脇役』という意味付けがされて無力化できるからでもある。


「だとすると、必要なのは『主役以外ができるアプローチ』ということ」


 物語を完結させるのは主役たちだ。脇役はそこに華を添えるのが役目。

 それなら私にも幾らか心得がある。なにしろ、私はずっとアレッテ・イヴニルとミヒトネッセにとっての脇役だった。トリシルシリーズの代替品、本物たちの予備として生きてきた私なら、まだやれることがあるはずだ。そう思いたい。


「私たちは役者として舞台に拘束されていますが、隙を見てクレイの居場所を探してみます。アマランサスは舞台に集中して下さい」


 コルセスカとトリシューラは存在感の大きい『転校生』という立場だ。ルウテトとの結びつきが強い彼女たちのほうが、舞台で大胆に動けるのかもしれない。

 私はそれならばとコルセスカにある物語の筋書きを伝えた。

 不確定だが、この舞台の行く末に影響するかもしれない私なりの未来予測だ。

 コルセスカは「わかりました」と言ってアストラル体を解き放ち学院内部の探索に向かって行った。


「俺は『イストリン』でこの演劇空間に干渉できないか試してみるが、あまり期待はしないでくれ。ルウテトと正面から浄界の奪い合いができるとは思えない」


「最初から期待してないから気にしないで。死んでくれたらなおいいけど――それよりシナモリアキラ。貴方の義肢に関してだけど、ひとつ私から提案がある」


 私はかつて『塔』で『ウィッチオーダー』という義肢の特性を知った時から考えていたことを語り、その上でとあるアイデアを披露した。シナモリアキラは回答に時間をかけず、即決した。


「わかった。やれるかどうかわからないし、ぶっつけ本番になると思うが、その時がきたら試してみよう。ちびシューラとシミュレーションしておく」


「よろしく」


 私は通信を切断し、小さく息を吐く仕草をした。

 これでいい。

 きっと怪しまれていることだろう。

 実際、何の企みも無しに彼らと協力しているわけじゃない。

 彼らの警戒は正しい。しょせんは仮初めの共闘関係、一時的な同盟関係だ。

 それでも、紀神に挑むとなれば互いの全力を合わせなければならない。

 私たちは敵だが、何のわだかまりも無いかのように力を合わせ、それでいて自己の利益を最大化できるように努めねばならない。


 その意味で、今の一手は最善だった――と思う。

 シナモリアキラは私の操り糸を自分から絡め取られてくれた。

 私もまた、彼らの最適化と汎用化に適応する必要があるはずだ。

 私たちの共闘とは、そういった性質のもの。


 私は『サイバーカラテ道場』の設定を『映像記録のみ共有』に変更。視界の端で、赤と青のお下げが揺れている。正反対の色が混ざった左右非対称の髪色は鮮やな毒々しさで、表情の底意地悪さはそれに輪をかけてひどい。相も変わらず人の脳内で勝手気ままに振る舞っているこの少女が私用のちびシューラ。『マゼシューラ』とか適当に呼んでいるけれど、役に立つかどうかは怪しいところだ。


「さて、イツノはどう動くかな」


 小さな妖精だけに聞こえる声で呟き、私は再び廃墟の探索に戻っていく。

 その後の私は概ねコルセスカの提示したプランに従って行動した。

 彼女が好み、この舞台とも関わりが深そうな『六王ゲー』とやらの展開をなぞり、私はヒロインであるメートリアンに対して悪役然とした振る舞いをしていく。

 たとえばこんなふうに。

 

「あらあら、夜会に行くというのにまともなドレスも持っていないなんて、我が学園の恥晒しもいいところだわ。ちょうど捨てようと思っていた私のお古があるけど、これを着て行けば多少はましなんじゃないかしら。あなたの貧相な体格なら、子供の頃の私のサイズでぴったりだろうし!」


「王子様と共演するヒロインの座を射止めるのは当然この私だけれど、誰も対抗馬がいないんじゃオーディションが盛り上がらないわ。そうだ、いいことを考えた。あなた、ヒロインに立候補なさいよ。どうせ私には勝てっこないけど、思い出づくりにはなるんじゃない? 何事も挑戦よ挑戦。ほら、少しの間だけでも王子様と共演する夢が見られていいじゃないの」


「ちょっとあなた、この間はまぐれでヒロインの座が転がり込んできたからって調子に乗っているのではなくて? 今度の舞踏会はそうはいかなくてよ。え、まさかダンスの作法も知らないの? はあっ、これだから庶民って嫌よ。おいでなさい、あなたに我が校の名前に泥を塗られるのは御免だわ。理事長の孫娘として、私があなたにダンスのなんたるかを叩き込んであげる。優雅さというものを知りなさい」


「ほらボックス練だらけてんぞー! 声出せ足幅縮こまんなホールド落とすな!」「いちねぇーん側筋やめんなやる気あんのかぁー!」「重心落とせ何度言わせんだ、あと音取れてるか確認しろ何のために耳ついてんだ!」「緩いサークル活動じゃねえんだぞ遊びでやってんなら帰れ! 休日練ちゃんとやってんだろうな!」「ポイズ崩すな相手と床ちゃんと意識してんのか!」


「あなたには私が知るダンスの全てを叩き込んだわ。付け焼き刃だけど、これなら異形の闇舞踏家や舞踏剣士たちが激突する『王子様の舞踏会』の本戦を生き残ることが出来るでしょう。ふふ、あなたとの特訓の日々、そう悪くはなかったわね」


「そんな! 第零王権者に意識を乗っ取られた次期生徒会長である妹を救うため、あえて私たち『細胞』の力を借りようと言うの? 裏切り者の汚名を着て、家と祖国に歯向かうことも厭わないというのね。いいわ、付き合ってあげようじゃない」


「本当に、これだから庶民は嫌だわ。身の程も知らずに無茶しすぎよ。妹に取り憑いていた邪神と相打ちになって意識を漂白されるなんて、馬鹿な子。祖国と学院は裏切り者の汚名を背負ったあなたを弔うことを国禁とした。けど、真実を知る私たちだけはせめてもの慰めを与えてあげる」


 ――と、このような具合で私はヒロインと濃密な時間を過ごしていった。



 そして時間軸は『断罪の場面』に戻っていくわけだ。

 いややっぱりこの流れで断罪されるのひどいでしょ。これでは勘違い王子様が道化だし悪役みたいだ。


「おかしくない? 競技を通じて一緒に困難を乗り越えた友情的なものが育まれたり嫌がらせっぽい雰囲気を出しつつも感謝される要素を残した憎い演出だったでしょう? ぎりぎりの線を攻め過ぎたの?」


「やった方の意思とか、一般的な尺度での善悪とか、やられた方の意識とは関係無いと思うけどね」


「ああいう感じの熱量でゴリ押しすれば部活を通じて友情が育まれるってのもある種の土着の呪術っぽいよなとこの世界に転生してから思うようになったよ」


 トリシューラとシナモリアキラの反応はひどく冷淡だった。

 突き放していると言ってもいい。何か嫌なことでもあったの?

 ここにきて私は行き止まりに突き当たった。コルセスカの調査も上手く行っていないようだし、このままでは打つ手が無い。

 だが『断罪』のシーンを回避できなかったことで私の胸に去来したのは『納得』の感情だった。あるいは私は神の脚本という必然を心のどこかで求めていたのかもしれない。人形本来の有り様として、私にはそういう性質がある。


 私たちがいくら抗おうとしても、それは必ず訪れる。

 劇とは、再演とはすなわち必然との戯れだ。

 予定調和が象徴するのは生と死の因果であり、その全てを内包する『王国』こそが『死人の森』である。あらゆる人間存在は必然から逃れる事は出来ない。

 それがか弱き被造物たる人間と全能の造物主たる神々との対立である限り。


 では――と私は考える。

 力関係が非対称な対立の構図が下にスライドしたらどうなるだろうか。

 人対神では絶望でも、人対国なら無謀になり、人対人なら勇猛になる。

 神の模造たる杖の『化身』――天形あまがつたる私やトリシューラの勝算はここにある。『杖』は神秘を零落させる呪術。私たちは『劇的なるもの』、すなわち必然のさだめを陳腐化させねばならない。


 材料は既に私の前に用意されている。

 神を役者に引きずり落とし、神聖なる権力を剥ぎ取って人として闘争を行う――絶対的弱者が紀神に対抗する手段などこれしかない。

 だからこそ、なのだろうか。

 この舞台はあらかじめ私の打つ手を潰している。

 本来の対立軸が空洞化してしまっているのだ。 


 あの断罪のシーンでクルミ=ミヒトネッセは何の前触れも無く私の前に現れた。

 メートリアンを弔うという最も重要なシーンでやりとりがあって然るべきだったのに、そこが都合良く――あるいは不自然にスキップされてしまっていた。それこそ姉妹の会話から物語を始めても良さそうなものなのに。

 更に言うなら、埋葬を禁じている主体である『祖国』とか『学院』なるものは台詞の上で語られるばかりで、今回の舞台に役として登場したことが無い。


 掟を巡って対立するはずの『本来の主役と悪役』が都合良く物語の進行から取り除かれ、周辺だけで事態が進行しているのが今回の舞台だ。

 私には勝利までの道筋が見えているが、それはルウテトも同じこと。

 こちらが選びたい道を先に塞がれているため、勝ちに辿り着けない。

 単純な話、まじない使いとしてはあちらが圧倒的に格上なのだ。


 物語を制御するためにはミヒトネッセが必要だ。

 地下牢に連れて行かれた彼女をどうにかして助け出さなければならない。

 我ながら、なんて打算的な思考だろうと思う。

 私はアレッテの代替品。本当なら姉として妹の身を案じてなんとしても助けなければと意気込む所なのに。こともあろうに勝利のために必要だからだなんて。


 でも、私には分からない。

 アレッテがミヒトネッセを想う気持ちが。いやもっと言えばアレッテの気持ちそのものを私は正しく理解できていない。

 私にあるのは救って貰った感謝と憧憬、それだけだから。


 劇中でもそうだったように、私とミヒトネッセの間にはこれといった交流が無かった。あるのはアレッテを通じた間接的な繋がりだけ――つまりミヒトネッセは親友の親友みたいなもので、悪感情は無いけどちょっと羨ましいみたいなことを思っていたりして、私はどうにも距離感の掴みかねていたのだった。必要以上のことを話した記憶もあまり無いし。


 アマランサスという落伍者はアレッテに命を救われただけの落ちこぼれで、補欠要員としてアレッテとミヒトネッセを補佐するだけの脇役だ。そんな三流役者が急遽代役として担ぎ出されても役の解釈だって間に合わないまま。半端な私はアレッテのこともミヒトネッセのこともちゃんと向き合えず、アレッテ=トウコを演じ切れずに終わってしまいそうな気がする。


 諦め――アレッテの感情の中で、それだけは強く理解できる。

 だからこそ、私はアレッテを完璧に演じる事を諦めてしまっている。

 彼女は遠ざかってしまった。

 マラードと愛の口づけを――同化を果たして生まれ変わったアルト=イヴニルはかつてのアレッテとは隔絶した存在になった。がらんどうになった『アレッテ』という役を正確に演じ切れる者はもういない。私は私の解釈に自信が持てない。

 所詮、出来損ないのアマランサスに過ぎないのだ――諦めが身体を満たす。




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