4-215 終節:除『Under The Law』①
そして、私は断罪の日を迎えた。
「残念だ、君との婚約を破棄しなくてはならないとは」
その言葉に込められていたのは失望と軽蔑。
舞台の上に立つ私は照明に追い詰められ、学生たちのひそひそとした囁きと怒りに満ちた視線によって包囲されていた。
目の前には刃のように鋭い美貌の王子様と、彼に庇われているいたいけな少女。
艶やかな黒髪を後ろで束ねた若者の演技はどこか初々しい。小柄な白髪の少女に一瞬だけ向けた気遣わしげな視線の柔らかさは、剣を体現していた『以前の彼』には無かったものだ。この王子様はきっとこれまでのように甘くない。
「君がいままで私に隠れて彼女に卑劣な嫌がらせを行っていた事実は白日の下にさらされた。君が生ける屍と蔑んだ彼女の勇気ある告発によって」
血も凍り付くような視線の切っ先が、燃えるような怒りと共にこちらに向けられているる。いまや私の命運は吹けば飛ぶほどに儚く脆い。
この流れは必然で、お話としては正常。
だって私は悪役。舞台からの退場を期待されている。
こんな扱いを受ける心当たりは山ほどある。
この結末は必然だったと納得出来る道を歩んできた。
それでも思わずにはいられない。
こんなことってある?
不平不満が次々と浮かび上がり、口の中から溢れてきそう。
私、言われたとおりにちゃんと悪役的な振る舞いをできていたよね?
嫌がらせをしようとして空回りしたり、高慢に見えて根っこの庶民らしさや人の良さが滲み出て結局ヒロインと仲良くなったり、何だかんだで王子様にも好感を持たれたりするはずじゃなかった? あのゲーム狂いを信じた私って何なの?
「実体験として言うけど、嫌がらせしたら普通に恨まれて終わりだと思うよ」
視界の隅っこ――ヘッドアップディスプレイ表示の端でお下げの二頭身キャラクターが『言わんこっちゃない』という表情をする。それはそうだけど、でもあなたも反対しなかったよね。こうなることを予想してたなら止めてよ。
「
王子の一喝により、私に破滅が突きつけられた。
さて、このあたりで自己紹介が必要だろう。
今回の私が演じるのは
私は代役。でもその運命は舞台の上では同一だ。
悪役――それが私の運命。
私は転生者アマランサス。
先ごろ付いた別名はグラッフィアカーネ――いやグラッフィアガットだったかもしれない。まあ、シナモリアキラとしての呼び方なんて適当でいいけれど。
大切なことは常に私の外側にある。
この命は人形姫アレッテ・イヴニルの道具。
この魂は塔の姫アレッテ・イヴニルの代替。
やがて『完全者』に至るアルト・イヴニル――これからも変容し続けていくはずのあの人が置いていった古い記憶、それが私。
もうひとつの邪眼。完全なアルトになれない、がらくたのアレッテだ。
これは、そんながらくたが無様に落ちぶれていく物語――。
――になっては困るのだけれど。
トウコの役を演じることになった以上、主役と対立することになってしまうのは避けられない。今回主演に抜擢されたのは『呪文の座』が誇るひねくれ女、『富』の王権者である『白のメートリアン』だった。
気弱で、ひ弱で、か弱げで――儚げな可憐さを持つ少女。
王子様に守られているのがお似合いな小柄さと内向的そうな表情、庇護欲を掻き立てる仕草、甘ったるい声に病的に白い肌、人形よりもそれらしい『お人形』。
彼女にはこの舞台特有の役名が無い。
空白――名前が無い女。顔や声などの特徴もどこかぼんやりして感じられる。
他の誰かに名前を呼ばれる時も、そこだけ不自然に音が欠落したり、『君』とか『貴方』とかの二人称が使われるだけ。
コルセスカ曰く、『個性の薄い
なるほど、真っ白な女にはお似合いだ。我の強さが漂白されているらしい。
そんなヒロインを庇いつつ、美形の王子様が私を非難する。
「死者の埋葬――懸命に生きているクラスメイトに対して、なんという非道な仕打ちだろう。君は彼女を死者として扱った。机に花瓶を置き、いないものとして扱い、土の下に埋め、墓石を用意し、祈りすら捧げようとした。こんな陰湿ないじめが他にあるか? 私は怒りにうち震えている」
基幹参照世界から引用された古典劇――普遍的な神話や寓話、心的性質を巡る物語によってある種の儀式を成立させようという試みは、この第五階層で繰り返し行われ続けてきた。
その基本的なテーマは『内なる法と外なる法の対立』だ。
王による埋葬の禁止と、その法を破らんとする者の叛逆がこの茶番を支える本当の筋書きだろう。そして――それを知っているのは恐らく私だけ。
前世の多くを欠落させたシナモリアキラでは足りない。だからその不足分を埋めるためにこの私がシナモリアキラに補填された。多分、そういうことだ。
「全ては私がやったことよ。いじめにトウコは荷担してないわ」
状況を分析していると、事態は思わぬ方向に進み出した。
私を庇おうとする人物が新たに登場したのだ――頭の左右で二つの髪房を揺らす砂茶色の少女人形、
クルミはいじめを実行したのは自分だけだと主張した。私に命じられたのだろうと王子が言うと、自分ひとりの意思でしたことだと反駁する。彼女は全ての罪を被るつもりだ。それとも、劇の真実はそうなのだろうか? 少なくとも現実ではそうじゃなかった。私たちは共犯だ。二人ともが罪深い。
だというのに、クルミはいつだって自分の手を真っ先に汚そうとするのだ。
「連れて行け、連れて行け! 暗い石の牢獄、冷たい川の流れる洞窟へ!」
「罪人を墓に埋めよ、黄泉への門を開け!」
糾弾の声が学院に響き渡り、王子の悲しみと憤りの歌にコーラスが呼応する。彼のの大仰な身振り手振りは劇場の空気を整然と切り分けて、秩序だった世界を作り上げていった。
学園の王子様――無花果レイ。
あれは、新しく創造されたクレイだ。
レイの影が蠢く。複数の光源に照らされて分かれていく影法師が、それぞれ異なる姿をとる。六人分の魂を内包した新たなレイは、今や紀人ゼドと同一存在だ。
私の前に立つクルミからゼドの気配が失われている。
だがいまだ自由の身からはほど遠い。彼女は常にラクルラールとルウテトの狭間で翻弄され続けてきた。今もその状況は続いている。
それでも彼女は私を庇ってくれた。私はレッテであってレッテじゃないのに。
たとえ定められた芝居の筋書きであったとしても、それは救いのように私の胸を打った。もちろん、きっとこれもそのように整えられた感情の流れなのだろう。
「クルミ、あなたが罪人なら私もそう。私たちの運命はひとつよ」
「いいえ。私の運命は冥府にあり、トウコの運命は舞台にある。それだけのこと」
クルミは毅然と自らの行いを打ち明けると、両手に手錠を嵌められて地下牢へと連れられていった。私を置いて、ただひとりの罪人として。
舞台袖へと消えていくクルミが観客の目から自由になりミヒトネッセに戻っても、彼女は縛られたままだった。私の瞳に映る世界が、舞台と浄界が融け合う不可思議な光景へと変貌していく。ミヒトネッセはクルミであり、舞台袖からそのまま学院地下にある牢獄へ連行されていった。
私は本物のアレッテじゃない。
ミヒトネッセと分かちがたく結びついた姉妹機ではない。
けれど、どうしようもない喪失感が私の胸を穿った。
こうして私は断罪を免れ――代わりに何かの資格を手から落としてしまった。
私は連れて行かれるミヒトネッセの味方をしてあげなければならなかったのに。
ここで助かれば後で彼女を助け出す機会もあるはず――そんなことを考えて、我が身可愛さに姉妹同然の存在を見捨てたのだ。
私には確かに罪がある。
この裏切りは逃避であり偽証でもある。
本物のアレッテなら、最後までミヒトネッセと運命を共にしただろうか?
いつだったか、まだ私がトリシルシリーズの失敗作として淘汰される前にアレッテが言っていた。裏切りには幾つかの種類があると。
ひとつは偽証。呪文を紡ぎ、誰かの世界観に反する物語を創造すること。
もうひとつは頬への口づけ。異なる世界観を拒絶と共に愛すること。
それが何を参照した言葉だったのか、ただのアマランサスであった頃にはわからなかったけれど、アレッテに存在を取り込まれた今ならわかる。
この裏切りは、きっと頬には届かない。
私たちは、血を融かすようにして同化する愛しか教わらなかったのだから。
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