4-212 終節:救『Parable of The Barren Fig Blade』①




 昔々の物語。

 あるところにカインとアベルという兄弟がおりました。

 兄のカインは鋤を持ち畑を耕し、弟のアベルは犬と共に羊の世話をしておりました。二人は悪魔の化身である虫や狼と戦い、苛酷な日々を耐えていました。つらく苦しい生活の中、兄弟はお互いに支え合いながら生きていこう、どんな理不尽にも挫けずに頑張ろうと誓い合います。

 前向きに生きる二人に、あるとき父がこう命じました。


「自分たちの持ち物の中で、最も価値あるものを生贄として私に捧げなさい」


 父への愛を試された二人は、言いつけ通りに大切なものを生贄に捧げました。

 アベルは肥えた羊の仔を。

 カインは最愛の弟を。

 子供たちの行いに、父は激怒しました。

 彼らが尊ぶべき天なる父に何の敬意も、愛情も、信仰も持ち合わせていないことがわかったからです。正解は最も素晴らしい価値を持つ父を殺す事だったのに。


 激怒した父は嵐となり、カインの畑を根こそぎにし、彼が歩む大地の全てが荒野となるように呪いをかけました。

 これを見た母、万物を生み出した大地は天空の怒りが届かぬ地割れの狭間に息子を誘い、深い闇の中に匿いました。


 これ以降、父なる天は子に試練を、母なる大地は子に庇護を与えるようになり、全ての幼子は父を憎み母を愛するようになったのです。

 母は大いなる愛で子を包み込み、荒ぶる父の暴力を一身に引き受けながら自分の中にすっぽり隠れている、かつて自分の一部だったものたちに囁きます。


「いい子ね、可愛い坊や。今はお母さんが守ってあげる。だから、大きくなったらきっとお父さんからお母さんを救ってね」


 愛情の命じるままに、子は母と約束を交わします。

 大きくなったら、きっとお父さんを殺して、お母さんをお嫁さんにしてあげる。

 そうして子は自らの父を、そして兄弟を殺すことを決意したのです。




 蝿、ハエ、はえ、羽音――ぶんぶん響く耳障りな音。

 まだ冬だというのに、学院にはこれほどたくさんの虫がいただろうか。若き王は煩わしさを振り払うように強く息を吐き、目的地へと足を運ぶ。

 無花果いちじくレイの行く手には幾多の試練が立ちはだかっていた。

 帰還した生徒会執行部、六王は災厄そのもの。糸で吊された顔の無い人形たち、六人の美男子たちが入れ替わり立ち替わり現れて、レイを誘惑していく。


「あ、新しき王のなんと美しいことかー。あの黒髪の艶やかさ、まさしく俺の後継者に相応しい。このマラードが先輩として指導してやろうー」


「えー、こ、この学院の男子部には上級生が下級生を指導する制度がある。師弟すなわち父と子の関係性になぞらえてな。じ、自由奔放? な他の者たちには任せられん。ここはこのアルトを父と呼ぶがいいー」


 戸惑うレイの周囲をくるくると回る六王の大根役者ぶりに、レイの隣でトレミーが思わず吹き出す。


「舞台掌握のアピールをするにしても、もう少しマシな役者はいなかったわけ?」


 サイズの合っていない衣裳を身に纏った山賊、浮浪者、ならず者――妖しき魔人、絶世の美貌持つ再生者を演じるには役者が足りていない。

 それでもめげずに演技を続けるにわか仕込みの素人たち。彼らは口々に若き王の親権を主張し、自分こそが未熟な王の代理人となって学院の王権を手にするのに相応しい父親であると言い立てる。

 レイの意思などにはまるで頓着せず、傍若無人に振る舞う六王。

 困惑が先立っていたレイも、とうとう我慢できず、


「去れ! 俺の父は故郷にいるただ一人、お前たちなど顔も知らぬ!」


 と激昂する。だが六王たちにとって子供の言葉など虫の羽音も同然。誰ひとりとして相手にする者はおらず、それどころか振る舞いが更に傲慢さを増すばかり。やがて暴虐は行き着くところまで行き着いた。


「王権の象徴である花嫁を父に渡すがいい、息子よ」


「そうだそうだー、子は自らの妻子を父に捧げるのが古くからのならわしだー」


 照明が舞台の端に落とされ、少女人形の花嫁姿が露わになる。

 六王たちはドレス姿の渦巻羽クルミを取り囲むと、これは俺のものだ、玉璽をよこせと奪い合いを始める。それを見たレイは思わず「やめろ」と叫ぶが、


「あら。私など不要と常々仰っていたではありませんか」


 とクルミが意外そうな表情をすると、気圧されたように押し黙ってしまう。

 続く言葉を持たないレイに、トレミーが発破をかける。


「そこで黙っちゃ駄目だよレイちゃーん。ほらほら頑張って、男の見せ所だぞー。レイちゃんのかっこいいとこ見たーい」


「ええい、お前は少し黙ってろ!」


 トレミーは口の端に着いていたジッパーを閉めてすうっと背景に溶けていった。レイは勢いに任せて六王たちにくってかかる。


「貴様らもだ、これ以上の好き勝手は許さん! 学院の風紀を乱す不良生徒ども、退学にしてやるから覚悟しろ!」


 すると六王は大げさに両手を上げて仰け反り、口々に非難の言葉を言い立てる。


「なんと横暴な! これは権力の濫用だ!」


「このような理不尽には断固として抗わねばならぬ!」


「王の専横に対する正統なる革命を!」


「決闘だ! 決闘だ!」


 若き王に投げつけられる白い手袋、その数六つ。

 騒がしく退場していく六王と、舞台に取り残されるレイとクルミ。


「良かったのですか?」


「さあな。お前は次の発表会の心配でもしていろ。さっさとレッスンに行け」


 平坦な表情で問うクルミから顔を背けて去って行くレイ。

 その背中を、人形の瞳がじっと追い続けていた。

 暗転した舞台に、蝿の羽音がいつまでも響く。




 かくして六王との戦い、既視感に満ちた再演劇が始まる。

 空に吊されたダモクレスの剣、輝くような天上の舞台と光の梯子。


「虚ろを満たせ、鎧骨壱式!」


 六王たちが叫ぶと、床から迫り上がってきた鎧のような拘束具が彼らを外側から抱きしめる。死者の骨で作られた外骨格が闇を噴出させ、役者を役で染め上げる。六王は過去と合一し、再びの生を得て現世に降り立つ。

 恐るべき力を持った古き王たちに対抗すべく、トレミーはレイにあるものを託す。王の胸、肋骨の下あたりに手を添えて、ぐっと力を込めて押したのだ。


「何をする」


「レイちゃんの胸にいつも剣があるようにっていう、ちょっとしたおまじない。忘れないためのメモや付箋みたいなもので、大した力は無いけど」


 若き王は首を傾げた。何故かはわからない。

 メモ、付箋――その言い方は、まるで何か胸に忘れ物をしているような。


 ――だめよ王子さま、それは美しくないわ。


 先輩――先輩? 彼女は誰だったろう。

 いつか聞いた言葉を、白昼夢のように思い出す。

 だが追想に浸る暇も無く、決闘は始まってしまう。

 地竜と化した美しき王が吼え、従僕は届かぬ過去の煌めきに手を伸ばす。

 墜ちていく流星と共に、声が遠く消えていった。


「ああ、そうか。俺の星は、ここにあったのか」


「陛下、私は、常にあなたのお側に」


 狂王子は潔癖症の仮面を血に染めて、仮初めの墓標に押し潰されて眠りにつく。

 呪うように呟いて、微睡みの中で怨嗟を吐いた。


「ああ、母様、母/おのれエトラメトラトン、あの魔女め/うして、僕を――」


 誰より強固な個我を保ったまま、敗退してなお生存を勝ち取った義手の覇王。

 早々に舞台から降りると、呆れた様子で客席を突っ切って退出していく。


「――この喧嘩の意味が分かった。付き合うだけ馬鹿らしい上に首を突っ込むのは野暮というものだ」


 時の果てを垣間見る多相の紀人、あどけない少年、狂える王、老いた賢者は己の終端に貪り尽くされて消えていく。


「不貞! 姦通魔! そうか、お前こそが我が妻を奪う寝取り男だったか――!」


 夜の王は絶望を謳い、宝石の姫はその手を引いて荒野へ誘う。


「セリアには、倒すべき相手が見えています」


 ――そう。セリアック=ニア/ナーグストールには確信があった。


 猫の爪が闇夜の帳を引き裂くと、紗幕が引き裂かれると同時に世界そのものが大きくたわむ。背景空間の歪曲、音響に混じるノイズ、音像の歪みに羽音が混じり、蝿、そうハエの耳障りな音がさっきから延々と響いているのにどうして誰も気づけなかったのか。猫だけがそれに対抗できる。宝石の爪がぶんぶんうるさい音を一気に吹き散らし「お願い、ナーグストール!」という叫びが世界を塗り替えた。


 セットが破壊された舞台、六王に扮したゼド配下の盗賊団員に取り囲まれたクレイとミヒトネッセ、虚ろな瞳の人形が並ぶ観客席、ハエが飛び回る腐臭まみれの古びた劇場。この場所からはどうしようもない死の臭いがする。

 セリアック=ニアの影から飛び出した奇怪な宝石人形はそこまでが限界だったのか、形を失って少女の中に戻っていく。気を失って舞台の端に倒れ込む猫姫。

 ――違和感。何か、致命的な事実に気付きそうなのに、あと少しで届かない。


 そこでようやく俺=シナモリアキラは自分を取り戻した。

 違う、意識を敵に集中させろ。優先的に対処すべきはゼドで間違い無いはずだ。

 舞台袖に放置されていた『この身体』は恐らくグレンデルヒ役として使われた人形だ。外れた首を嵌め直し、立ち上がって舞台を目指す。理由はわからないが演劇はぶち壊しになった。この隙を逃す手は無い。


「さっすが、ノラちゃん頼りになるー!」


 ところが、俺より先に動いた者がいた。

 いつのまに出現していたのだろう、どこか女のようにも見える、男子用制服を着た少年がクレイのそばで星の海を広げている。意味が分からないが、彼の掌から銀河系らしき映像が拡大しているとしか表現できなかった。何らかの呪術だろうが、そもそもこいつは誰だ、こんな役者いたか?


 困惑よりも先に事態が動き出す。六王役であったゼドの配下たちが呆然と立ち尽くすクレイ確保に動くが、クレイを守るように立ちはだかった謎の少年により阻まれた。彼が広げる宇宙的光景が空間を押し広げると、クレイとの距離はどんどん離れていくばかりでちっとも縮まろうとしない。いつしか盗賊たちは劇場の端に追いやられてしまっていた。


 それを見て、俺もようやく足が動いた。

 上手から疾走してきたのは白衣を纏ったカーイン。下手側にいた俺よりもクレイとミヒトネッセに近かった奴は恐るべき速度で貫手を放ち、ミヒトネッセの首筋に一撃を叩き込んだ。直後、人形はその輪郭を失い衣服だけがはらりと落ちる。

 カーインは丸太にめり込んだ指を抜きながら「空蝉かっ」と悔しげに言うが、同時に走り寄ってくる俺を視認。カーインが頭を下げると同時、俺はガタガタに緩んでいた頭部をぶん投げる。投擲された俺の頭部が屈み込んだカーインの上を通過して背後から迫っていたミヒトネッセの頭部に肉薄。


「その首、挿げ替えさせて貰う」


 オルヴァの技術を再現し、大口を開いた俺の頭部が侍女人形の首に食らいつく。

 万物を貪り尽くすブレイスヴァを摸倣するカシュラムの戦闘術は、当然のごとく噛み付きの技術を精練させている。顎に力を込め、人形の首に歯を食い込ませる。

 オルヴァの呪力が牙と化して肌を突き破り、グレンデルヒによる呪的侵入が架空のアストラル構造の奥深くへと俺の支配力を及ぼしていく。ミヒトネッセの内部に意識を集中させていく最中、ふと遠い声を聞いた。

 これは、どこか懐かしい――音色、ハミング、ことば、詩歌――子守歌?


「いかん、退避しろシナモリアキラ!」「おお、ブレイスヴァの顎はいずこ!」


 グレンデルヒとオルヴァの警告よりわずかに早く、俺の意識は闇の中へ引き摺り込まれた。世界は暗転し、舞台が一瞬で切り替わる。ここは途方も無く深い洞窟の奧だ。ミヒトネッセの意識の底に作られた罠、侍女人形の中に潜んだゼドが俺を狩るために用意していた処刑場。


「未来の観測ってのは邪視だ。望む未来を引き寄せるんじゃねえ、観測者の紀源に根ざした世界を押し広げる。賢者の完成された円環は破滅を内包した終端に必ず到達し、聖女の未来回想は終端から遡るから必ずはじまりに戻るってわけだ」


 暗闇に響く声が、シナモリアキラ化して零落したオルヴァの限界を嘲る。どこだ。どこにいる。感覚を研ぎ澄ましてもゼドの気配が掴めない。ミヒトネッセの中に存在するはずの奴の気配が、どうして『これ』と確定できない?


「うぅ、ひっく。本質的には『現在』しか無いんだよぉ。観測者がいる『今ここ』だけが過去と未来の広がりを認識できる。ああ、最果てから遙かに遠い中心。はじまりの揺り籠。『現在』の祭壇こそがこの世界槍の中心なんだぁ」


 嗚咽のような言葉の中に奴の意思が見える。迷宮を踏破し、宝を手に入れ、敵を倒す。単純な本質が、しかし掴んだと思った途端に手からするりと抜けていく。


「翼猫ヲルヲーラ――九尾伽ナインテイルの一角が崩され、『神々の遊戯盤』であるこの世界槍の支配権は宙に浮いています。『双生児の鹿の仔』と『松明の騎士』は祭壇の準備が整うまで静観の構え。機会は今しかありません」


 年若い少年のような声が静かに響く。

 周囲から順番に聞こえてくる言葉は、まるで別々の誰かが喋っているかのよう。

 いやそうではない。音の源、その数は確実に一つでは無い。女の声まである。


「そう、気付いたようね? 相、面、貌――化身という言い回しもある。複合的な性質を孕み、伝承が揺らぐ神々の在り方としてはそれなりにポピュラーじゃない? あなたやアレッテ・イヴニルも含めて、とってもありふれている」


 小鬼化を防止するためのセーフティ――グレンデルヒかオルヴァの知識らしきものが脳裏に浮かぶ。多面性を持つ、というか多重人格であることは紀人にとって自我を維持するために必要な手段のひとつらしい。


「お前が――お前たちが、ゼドか」


「その通り。はじめまして、私はレナリア。よろしくね」


 闇の中に浮かび上がった顔は、長い銀髪を二つに括った年若い少女のもの。盗賊王とは似ても似つかないが、紛れもない同一人物だ。

 俺はゼドに包囲されていた。目の前のレナリアに加え、左右に気配が増える。人参を囓りながら涙を流し続けている細身の男と、矢に貫かれた頭部を揺らしながら薄笑いを浮かべている長身の男だ。


「僕たちとしてはこの場で決戦を始めてもいいのですが、その前に少しばかり話したいと彼が強く希望するもので、このような場を設けさせていただきました。ああ、申し遅れましたが僕はセロナ。セロナ・ハーヴェストです」


 真下から穏やかな少年の声。意識をより深い方へと向けると、靄がかかったような小柄な姿がある。上等な仕立ての白い礼服が良く似合う美少年が、槍と鎌を一体化させたような長柄武器を手にして優しそうな微笑みを見せていた。

 セロナが一歩脇にずれると、奧からようやく良く知った姿が現れた。薄茶のくたびれたコートにテンガロンハット、無精髭の陰気な顔。このゼドの気配は、初めて対面するものではないと確信する。


「そういうわけだ、アキラ。少し話に付き合え」


「今まで俺の前に出てきていたのはお前だな。主人格なのか? 目的は? ミヒトネッセに入り込んで何をしようとしている?」


「俺は俺、殺し屋紛いのアダス、盗賊崩れのゼドだ。狙いは『死人の森』に眠る財宝、古代の叡智、失われた神秘。目的は一貫して変わっていない」


 ゼド――いや、アダスは迷い無くそう答えた。

 確かに探索者であるこの男は最初から目的がはっきりしているが、ミヒトネッセを操りラクルラールの舞台を乗っ取っている現状の説明にはなっていない。

 アダスは苛立つ俺を宥めるように説明していく。地下迷宮でのクレイとの対決。ミヒトネッセの密かな入れ替わり。彼女が使った異界転生という呪術によりゼドは存在ごと吸い尽くされたのだと言う。


「ミヒトネッセは見事に仕事をやり遂げた。そして彼女の理解はそこで止まった」


 ゼドたちはいま物理的実体として存在していないようだが、ミヒトネッセはこいつを制御しきれなかったのか。銀髪の少女が妖しい鱗粉を撒き散らしながら囁く。


「俺たち/私たちは罪貨。交換可能な英雄。あの肉体に拘る必要はもはや無いわ。ミヒトネッセに『純粋な呪力』として複写され、奪われた時点で『盗賊王』の伝播は終わっている。奪うにしろ売買するにしろ、価値は運ばれるためにそこにある。ならば奪われた私たちも、俺たちであることに変わりは無い」


 ミヒトネッセがコピーした能力そのものがゼドとして振る舞っているというのなら、それはもはや尋常な人の在り方ではない。

 紀人ゼド――包囲されてはっきりとわかる。こいつは同じ紀人に存在を気取らせないほど気配の隠蔽に長けている。盗賊や暗殺者、もしくはそれに関連した権能を持つ『新しき神』。オルヴァにすら予見できなかったこいつらは厄介に過ぎる。


「安心しろアキラ。せっかく紀人に至れた後輩をいきなり狩るなんてマナー違反はしない。むしろその逆。俺はお前を守ってやりたいんだ」


 アダスの言葉に思考が止まる。何を考えてるんだかよく分からない奴だったが、ここに来ていっそうわからなくなってきた。


「は? いったい何から守るつもりなんだよ」


「お前を脅かす全てのものから。つまり神だ、それ以外にあるか?」


 何を当たり前の事を、みたいな顔をされた。

 いやまあ、紀人の脅威なんて似たような存在だけだろうけど。


「お前は自分の置かれている立場の危うさを理解しているか? ただでさえ全面戦争が保留されているだけの戦場、女神どもが覇を競う祭壇の中心にいるんだぞ? 生まれたての紀人など養分同然、狩りの獲物としては最上の部類だ」


「だからさっさと殺して食っちまおうぜって俺は言ってんだろ糞アダスがよお、ぐだぐだやってねえでホラ食えそら殺せやれブチ犯せよ退屈だろうが!」


 矢の男が小刻みに身体を揺らしながら口を挟んでくる。

 落ち着きが無いのは頭に突き刺さった矢のせいだろうか。


「殺し、奪い、勝ち取る! これぞ盗賊の掟、英雄の性ってな。槍こそ祈りの祭具と称える蛮人世界、適応した俺こそが正解だ。抵抗する相手を力で組み伏せ、牙を突き立て血肉を取り込み、猛る英雄性の象徴を突き刺して精を注ぎ込む。人生はそれだけだ。他の紀人どもはぜんぶ紛い物、なにもかも薄っぺらな糞、糞、糞だ!」


「ハッピー、お下品。少し黙りなさい」


 レナリアが矢の男を小突くと、唾を飛ばしながら喚いていた口がぴたりと止まった。どうやらゼド内部の人格たちには力関係があるらしい。

 邪魔がいなくなると、アダスが話を続けた。


「確かに俺たちの本質はそこのトリガーハッピー野郎が言った通りだ。血肉を取り込んで敵を孕み、強姦することで己を孕ませる。グレンデルヒは性を市場価値に換えて競争の原理を説いたが、俺はその原始的戯画と言える。英雄が怪物に勝利し、怪物の死を取り込み不死の王として君臨し、絶対的王権を手にする。ならず者の王こそがもっとも古い神話のひとつ。俺はその体現者だ――しかし」


 ハッピーとやらがゼドの中で最も単純な衝動を司っていることは俺にも理解できるが、ならこいつは? アダスと名乗るこの男は俺を他の紀人や紀神から守りたいという。その動機を生み出すものは何だ。

 何故か、俺はそれを知っている気がした。


「この俺、アダスの本質は盗賊ではなく殺し屋だ。依頼されれば契約通り、上質な死を顧客にお届けする。安楽死代行から戦いで散りたい戦士の相手役までこなすクリーンな人殺しが売りで、市民に愛される優しい死神ともっぱらの評判だ」


「笑わせるな。共感ごっこなら余所でやれ」


 思わず罵声が出た。凄まじく苛立たしい。遮断できないほどに、不快感が絶え間なく湧き上がってくる。アダスの言葉は当人でさえまるで信じていない張りぼての台詞だ。断言するが、こいつの殺しは言葉通りの優しいものでは絶対にない。

 こいつは俺の前世を知っているのだろう。気持ちが分かる。だから仲間だ。優しくしてやると? 殺人者同士の共感――そんなものを俺に肯定しろと言うのか。

 脳裏に浮かぶのは無限に死に続ける男の顔。美貌を苦悶に歪め、『介錯』を待つばかりの『俺が切り捨てたもの』だ。

 捨てた不要品を押し売りされることほど鬱陶しい出来事があるか?


「俺とお前の欲望は同じだという話をしているんだ、シナモリアキラ。お前も望んでいるのだろう。殺した相手に幻想の赦しを語らせ、託された力として身に纏う。トバルカインとやらは恐れと欲望の形だ。あれは自傷に似ている。傷を抉り出し、死を指向して生を実感する、大いなる欺瞞」


 アダスの陰気な顔、陰鬱な口調に少しずつ、だが着実に熱が込められていく。

 興奮した瞳、執着の視線、俺を捕らえようとする粘ついた感情は、シナモリアキラという存在を規定しようとしている。この男は、俺をこうあるべきと欲望している。同じものだから、同じになれと命じているのだ。


「俺は『女王』の権能を奪い全ての赦しを手に入れる。この望み、お前ならわかるはずだ。信じろ、俺はお前を救ってやれる、掃き溜めの神だ」


 闇の底から、アダスの手が伸ばされる。心からの親愛を込めて、アダスは俺を求めている。だから俺は、奴が口を開く前に答えを決めた。


「俺と習合しないか、転生者セト。紀人になったばかりでは抵抗があるかもしれないが、なに、遅かれ早かれいずれは経験しなければならないことだ」


「断る。お前の一部になる気はない。それと俺はシナモリアキラだ。前世のことはだいたい忘れた。殺し屋だっけ? 何の話か覚えてねえよ」


「そうか、無理矢理というのもいいだろう。神話の衝突は不可避だからな」


 こうして俺とゼドの決裂は決定的となった。

 敵陣のど真ん中に切り離された俺は即座に自爆。

 精神世界に呪力が吹き荒れ、物理的に首に噛み付いていた頭部も同時に爆散。ミヒトネッセの身体が舞台を転がっていくが、即座に立ち上がり体勢を立て直す。侍女人形の髪色はいつのまにか銀に変わっていた。


「確かレナリアって人格名だったな。他にいた四人はどうした」


 近くにいるカーインに聞こえるように言う。あの一瞬の出来事を詳しく説明している時間は無いが、敵の数だけでも把握させるべきだろう。


「まあ、狂靱つよい心。ハッピーやラメントじゃ相手にならないわね」


 レナリアは俺の言葉を受けて薄く微笑むと、小刻みに痙攣して暴れ出そうとする右腕を軽く押さえて言った。


「下がっててアダス。貴方の執着は分かるけど、今は私たち全体の勝利を優先させてちょうだい。この男には私が司る権能が最も効果的なの」


 ミヒトネッセの髪色が一瞬で銀色に染まる。周囲に可視化されていく呪力はまるで鱗粉。少女が両手を広げると手品のように武器が出現。右手には鉤爪、左手にはステッキ。腰からは蝶翅のような大きなリボンが広がって揺れる。

 首無しのまま拳を構えて警戒する俺を嘲笑うようにレナリアは言った。


「貴方、事故で死ぬわ」


 飛び退くよりも早く、真上から落下してくる巨大質量の気配。駄目だ、避けきれない。迫る光と熱、そして風圧と重圧。橋が落ちてくる。


「不運ね。悪竜を呪い、私に祈りなさい」


 舞台天井の照明ブリッジが容赦なく俺にのし掛かった。舞台照明器具を吊り下げるパイプ状のサスバトンならともかく、作業要員が乗り込める大型の照明ブリッジを咄嗟に回避するのは困難だ。急激な大質量の落下により舞台の一部が崩壊し、俺が制御していた人形が粉々に砕け散る。

 カーインと見知らぬ少年は観客席側に退避してクレイの救出に成功したが、未だクレイは虚ろな目で宙を見つめている。役の縛りから抜け出せていないのだ。


 寄り代を失った俺は即座に認識の階層を引き上げ、『マレブランケ』に一斉攻撃の指令を下した。上空に出現した道化と老賢者が準備していた大呪術を解き放ち、観客席の二階から銃士が狙撃、レナリアが遠隔操作していると思しき舞台機構操作盤に眼鏡の少年が呪的侵入を試みる。


「ふっ、このくらい僕の手にかかれば――あれ? この人、舞台機構を制御してないのかな、じゃあなんで」


 眼鏡のブリッジをくいっと持ち上げながら得意げな顔をしていたファルファレロが絶句。目の前で起きた事態が信じられなかったのだ。

 レナリアが鉤爪で虚空を一撫でしただけでグレンデルヒとオルヴァが解き放った光球があっけなく掻き消え、彼女がもう片方の手に持ったステッキを一振りすればカルカブリーナが狙撃した銃弾はその軌道を逸らす。


 背後から強襲をかけるマラコーダの尾による一刺し、腕を硬質化させたルバーブの衝角突撃にもまるで動じず、踊るように身体を捻って攻撃を受け流す。回転する勢いのままに放たれたレナリアの蹴りがルバーブの胴を捉え、触手と化したツインテールから投擲された隠しナイフがマラコーダの尾に突き刺さる。刀身に刻まれた対抗呪文がサソリの尾が内包する呪毒を解体し、舞踏に付与された呪文がルバーブの巨体を容易く吹き飛ばす。


 更には手掌を上下に構えたオルヴァが、高く飛び上がって爆撃を行おうとしていたグレンデルヒが、目に見えない何かに襲われたかのように急に仰け反り、顔面に斜めの引っ掻き傷を作ったかと思うとふらりと倒れ込んでしまう。優雅に立つレナリアの背後に半透明な輪郭、三角耳を持った獣のような姿が明滅した。

 呆然とするファルファレロの真横から突如として暴れ牛が突っ込み、小柄な身体が宙を舞う。恐怖のあまり震えて縮こまっていたチリアットはとうとう一目散に逃げ出すが突如舞台に開いた奈落に落下する。


 二階席で仲間たちが全滅する様子を見届けたカルカブリーナは、震える声で「嘘だろ」と呟いた。俺も同じ気持ちだったが、まずは落ち着けとカルカブリーナの恐怖とストレスを抑制する。扁桃体に食い込んだ微細機械に感情を噛ませて代行させつつ、エミュレートした感情を出力して肉体を正常に再起動させていく。


「逃げ場が無いのに逃げるのは悪手、主導権を師範代に渡してカーインさんの後方支援しつつ敵の分析、大丈夫だ、俺は死なない――本当に? 俺の役割はもう無いって、親父と一緒に用済みになったんじゃないのか、クレイの芝居は父殺しの劇で、あの時に親父を助けようとした俺は舞台に求められて無いんじゃ」


 駄目だ、呼吸の乱れが止まらない。

 というか妙だ。感覚と感情の制御が機能していない。カルカブリーナとチリアットの両名は臆して動けず、ファルファレロも交通事故に遭った激痛で呻いている。

 体勢を立て直したマラコーダが第一の義肢を『創造クラフト』して車輪の女王ヘリステラの転生力を引き出そうとするが、手の甲にお馴染みの車輪を構築することが出来ない。為す術無くレナリアの鉤爪と体術に追い詰められていくマラコーダ。やや遅れて観客席の真ん中で立ち上がったルバーブを乱髪スカルミリオーネと定義、彼に主観を合わせて再度のアトリビュートを試みる。


射影三昧耶形アトリビュート・異型一番――『路の女王』」


 今度は成功した。ルバーブの巨体がずんと質量を増し、彼が踏みしめる足下に呪力が満ちていく。いつの間にかすぐそばにカーインの姿があることに気付く。

 この男の事情もよく分からないのだが、ひとまず俺と同じくレナリアと敵対するつもりらしい。油断無く舞台の女を見据えながらカーインは言った。


「事故に見せかけた殺しを得意とするレナリアといえば、東方の第七世界槍に根を張る『黒斑病公司』という闇組織の頭目だ。あまりの邪悪さから『朱』の天主に破門されたという『夢界の殺し屋』――まさか盗賊王と同一人物だったとはな」


 レナリアの足下の床が迫り上がり、持ち上がっていく。

 階段状になった舞台の高みから、女は俺たちを見下ろす。


「あら、貴方も『御山』のご出身? 思わぬ所で同郷に会えると少し嬉しいわね」


「同感だ。名高き三兇手とこのような場所で出会えるとは望外の幸運だが――」


 ルバーブと横目で意思疎通を交わすカーイン。この二人は一度は拳を交えたこともあり、おおよその実力は互いに把握しているはずだ。その二人をして、今下せる判断はひとつしかない。


「――できるのは時間稼ぎだけ、か」


 カーインは不敵に笑って腰を落とし、構えを取った。


「結果的にアインノーラは虎の尾を踏んでしまったわけだが――そのお陰で重要な事実が明らかになった。猫の姫君には敬意を示さねばなるまい」


「言ってる場合?」


 迫り来るレナリアの鉤爪をルバーブの硬質化した腕が防ぎ、側面から貫手を放つカーインの猛攻を目に見えない何かが妨げる。レナリアの髪や服の中に潜む暗器、そして舞踏呪文が凄まじい速度で繰り出され、不運にもカーインが足を滑らせてルバーブに激突したおかげで全てが二人に直撃する。原因はバナナの皮だ。


 駄目だ、『サイバーカラテ道場』は機能不全でカーインたちの環境も最適とは言い難い。店員さんなら運気が悪いとでも表現するのだろうが、御守りも無しにこの相手と戦うのは危険過ぎる。俺がやるべきことは決まっていた。


「そういうわけだ、シナモリアマランサス。場面を転換しろ」


「グラッフィアガットと呼んでちょうだい」


 ダウナーで投げ遣りな声が応じて、舞台袖から紅紫フクシャの長髪を造花で飾った少女が登場する。両手には騎士と魔法使いの人形。


「ベルグくんと!」「ガルラくんの!」「むりやり人形劇がはっじまっるよー!」


 どんどんぱふぱふー。人形たちはやけくそじみた表情で飛び跳ねる。

 舞台を中断して黒幕を直接叩くことには失敗した。この場は強引にでも舞台を再開させて策を練る時間を稼ぐしかない。シーンの間に挟まるこの人形たちの幕間劇ならば、不自然な中断の辻褄合わせにはもってこいだ。


「そういうわけで、あとはレイちゃんに丸投げだ。頼むぜー、正直まーじで手詰まりだからさー」


 人形たちの活躍によって世界が『演劇』という枠の中に嵌め込まれていく。空間が歪み、認識が書き換えられていく中、謎の少年がクレイに語りかけているのが聞こえた。主役の意識は今もまだ劇中にある。劇が結末を迎えた時、きっとゼドの目的は成就するのだろう。今はそれをどう妨害するかを考えよう。

 敗北を噛みしめながら、小さな違和感を俺は見過ごした。

 カーインとセリアック=ニアにそれを問い質さなかったこと。

 俺は多分、恐れていたのだ。


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