4-167 悪夢の継承者




「ちょっと一日マネージャーをやってきます」


 そう言って下の階層へと向かおうとした私を、リーナとセリアック=ニアは必死で引き留めた。一人で迷宮区に潜るのは危ないし『空組』の主要メンバーが抜けると活動に差し障りが出るという理由だったが、私は二人に頭を下げて強引に自分の意思を押し通した。オーディションにはもう合格していたし、マネージャー体験をさせてもらう相手は他でもない現二位のアイドル『ヒュドラボルテージ』――ここで礼を失するような真似はできない。


 それに私ひとりが一日くらい抜けたところで『空組』のパフォーマンスに影響することは無いはずだった。『空組』の人気はリーナの生来の朗らかさとアピール時だけ元の姿に戻るセリアック=ニアの聖性すら感じさせる美貌によって成り立っている。私は二人のプロデュースとマネージメント、それと保険としてニッチ層ロリコンどもをカバーする意味合いで脇に立っているにすぎない。


 眼鏡を外して翼と尾を広げて派手にアピールしたところで本物の光には届かない、それがやせっぽちで貧相な私、ミルーニャ・アルタネイフの限界だ。

 そうは言っても二人に迷惑をかけてしまうことには変わりはなく、『とにかく必要なことだから』と言ってわがままを聞いてもらった。

 最終的に折れてくれたものの、二人は不満を隠そうとしなかった。出発直前の心配そうな表情が気に掛からなかったと言えば嘘になる。


 だが、それでもこれは必要なことなのだ。

 駆け出しアイドルが受ける定番仕事のひとつ、一日マネージャー。トップクラスのアイドルに付き添ってサポートを行うということは、その仕事ぶりを間近で観察する機会を得られるということだ。上を目指すのならこなしておいて損は無い――それに、気にかかる事もある。私にはランキング二位のアイドル『ヒュドラボルテージ』の名に聞き覚えがあったのだ。


 ――呼ばれている。

 音にならない声を聴いたような気がした。きっと気のせい。だけど確信がある。

 宙に浮き、併走する黒い魔導書『富の断章』が妖しげな紫紺の光を放っていた。やはり、この先には何か私を呼ぶものがいるのだ。念のため主観記憶を『断章』に書き込んでいる。もしもの時には仲間にこちらの状況が把握できるようにしてあるが、どうしても不穏な予感はぬぐえない。


 私は、メクセトの神滅具という古代兵器群と少々の縁がある。

 この身に流れる『血』にまつわるとある与太話は正直眉唾ものだが、どうやら私とリーナは古の覇王メクセトの血を引いている、らしいのだ。

 黒の槍、成し得ぬ盾、血色の戦場旗、氷血のコルセスカ、そして炎冠のヒュドラボルテージ――かつて私は現存する神滅具の『真作』のうち、『星見の塔』が保有する五つの破滅的アーティファクトの名を知り得る立場にあった。

 いや、『塔』が保有していたと言うべきだろう。それらは派閥抗争のいざこざで外部に持ち出されてしまった。

 もし、この場所に『ヒュドラボルテージ』の真作があるとすれば、放置しておくわけにはいかない。あれは最悪しか存在しないメクセトの神滅具のなかでもとりわけ最低の『傑作』のひとつ。万が一の可能性であっても無視ができないのが面倒なところだった。


 予感に突き動かされるまま、私は単身地下に向かった。

 階層が深まるにつれ激しくなるビート、苛烈に湧き続ける敵対的再生者、凶悪なトラップの数々、BGMはハードロックそしてヘヴィメタル。目まぐるしい攻防を潜り抜けて先へ先へと進んでいく。


 甲冑を纏った戦士の突撃を回避してから隙だらけの胴体に蹴りをぶち込み、風を操る呪術師を呪石弾で倒す。発生した気流の渦によって引っ張られるがお陰で背後から迫り来る氷の亜竜から距離を置くことができた。冷たい吐息が迷宮を凍り付かせていくが、既に私は射程外。亜竜の死角に潜り込み、呪符を叩きつけて距離を取る。一拍おいて、爆発が巨体を沈めた。爆風が柔な壁を崩しており、その先には階段が見えている。この階を抜ければ目的地だ。


 爆発したり『空圧』を唱えたりする石像鬼ガーゴイルを無視しながら階段を下りようとしたその時だった。私は部屋の隅に何か奇妙なものがうずくまっているのに気が付いて足を止めた。

 最初は死体だと思った。かすかな身動ぎで再生者かもしれないと考えたが、それにしてはどうにも奇妙な気配をしている。上手く言い表すことができないが、纏っている呪力の質が、普通の再生者とはどこか異なっているような気がするのだ。


 かすかな呻きと共に『それ』は身を起こした。

 大変に見目麗しい若い男だった。

 少年とも青年ともつかない曖昧な年頃だが、何故か上半身が裸なせいで妙な野性味が出てしまっている。線が細いようでかなり鍛え上げられた肉体をしており、あまり再生者らしくないという感想が強まった。

 純粋さが抜けきらない顔立ちは端整過ぎて女性的ですらあり、濡れたように裸の胸に張り付く長い黒髪、刃のような切れ長の目、憂いを帯びた灰色の瞳とこういうのが好きそうな女性がきゃあきゃあ言いそうな感じの容姿だ。『パイロマスター』とか『Frozen/Torch』とか『スマルト』あたりを支持しているタイプの女性ファンが付きそう――と、これはこの地下アイドル界に毒され過ぎた感想だろうか。


「おい」


 斬られる。一瞬そんな錯覚を起こしそうになるほど鋭い声、そして視線だった。

 髪の長い謎の男はこちらを睨み付けている。

 気のせいでなければ、そこに込められているのは敵意と呼ばれるものだ。私はにっこりと笑顔を作って小首を傾げて見せた。


「はい、なんでしょうか?」


 見も知らぬ行き倒れから突然に敵意を向けられる覚えなど無い――とも言い切れないのが私という魔女だが、おとなしくなすがままにされるつもりなど無い。相手にどんな事情があろうと抵抗するだけだ。

 男は私の真横に浮遊している黒い魔導書を指差し、鋭く言い放った。


「女、その『断章』をどこで手に入れた」


「それ、あなたに答える必要ってありますか?」


「質問に質問で返すな。尋問されているのは貴様だ」


 こちらの密かな敵意に気付いているのかいないのか、男は険のある表情のまま高圧的に言葉を続けた。うわ、第一声から印象最悪だったけど嫌いなタイプだ。

 男はあくまでも不快な態度を崩さないまま要求を続ける。


「それを寄越せ。貴様の手には余る代物だ」


「お断りします。これは最悪だった父の遺品、渡せません」


 我ながらよく分からない理由を持ち出してしまったものだが、どっかのアホが恥ずかしい感じに解体してくれた私の心情を言語化するとこんなふうになる。

 奇妙な返しをしたことで、男の表情から毒気が抜ける。目元の険がとれてきょとんとすると細い顔立ちは可愛らしい感じになるようだ。いっそ性転換すればいいのにと思う。きっとアイドルデビューできる。


「最悪な父なのに、か? お前の言う事は理解できない」


 でしょうね、と思いながらも私の口は自然と動いていた。


「それでも、これを大切なものとして届けてくれた人がいるから。それに一度は母が愛した人です。どうしようもないクズの父でも、ただ切り捨ててしまえば母の心まで傷付けてしまう。それは、少し嫌です」

 

「――くだらない理屈だ」


 そう言いつつ、男の敵意が急速に萎んでいく。自分の家族のことでも思い出しているのだろうか? 情に訴えかけてみせる安い説得術だが、効果はあったようだ。

 それじゃあこれで、とそそくさ下の階へと向かおうとする私に声がかかる。

 

「待て」


 間違い無く敵意は消えていたが、相手の意思までが消えたわけではない。いくらか落ち着いてはいるものの、鋭い目がこちらを見据えている。


「そちらにも譲れない事情があるのはわかった。だが俺はここで『断章』を見逃すわけにはいかない。恨むなら恨め――それは貰っていく」


「どうやら、対決は避けられないようですね」


 はあ、と嘆息する。

 面倒だがやるしかない。この正体不明の謎美形にも色々あるのだろうきっと。

 男は立ち上がって両手を鋭く水平方向へと伸ばしていく。手刀の形になった長い指はまるで本物の鋭さを備えているかに見える。

 私は相手の両手を警戒しつつ服から呪石弾を取り出して、ようやく気付いた。私たちが再生者たちに囲まれていることに。


 何やら『いいぞ』『野良勝負か』『やっちまえ』『あれミルーニャちゃんじゃね?』『普通の探索じゃなくてライブ対決か』『相手のコすごいイケメン!』などと騒いでいる様子だが、どうも雲行きがあやしい。というか、奇妙な流れになりつつあった。相手の男も困惑している。


 短いジングルが響く。私の端末がメッセージの着信を知らせているのだ。

 ここの運営(確かリザとか言う再生者が責任者だった)がライブ対決の申請を受理したという連絡で、両アイドルの合意が形成されたため今この場でライブを行う――ということらしい。待って聞いてない。


「何だ、それは?」


 相手の男はわけがわからずに混乱していた。

 もしかしたら、チャンスかもしれない。

 相手の戦闘能力は未知数だが、あの両手には何か不穏なものを感じる。直接戦うよりはこちらに一日の長があるライブで決着をつけた方が安全に思えた。


「あなた、見た目がいいからアイドルとして認められたみたいですよ」


「はあ? 意味が分からない、わかるように話せ」


「ほら、ちやほやされて『王子~』とかきゃあきゃあ言われるタイプとかいるじゃないですか。そういう扱いなんじゃないですか? よかったですねー」


 何か心当たりでもあったのか、男は暗い顔になって黙り込んでしまった。

 その隙に私は取り出したカードを幾つか指でなぞって呪力を流し込む。

 先手必勝。こちらからライブを始めてしまえば戦いのルールは決定されてしまう。この地下空間を支配する浄界ルールが優雅でない闘争を拒絶する。


 仮想使い魔とゴーレムを組み合わせた自律演奏する楽器使い魔たちが私の周囲を取り囲み、即席の一人バンドを結成。エレキギターを手に、翼を広げてステージを空中に移す。舞台はいらない。私たち『空組』にとって誰もが見上げる高い頭上が憧れのステージなのだから。


 重力制御と『空圧』の複合呪術を翼から展開しながら長い尾をマイクスタンド代わりにして私は単独ライブを開始する。重々しい叙事詩的ナレーション、厳かなクワイアと壮大なオーケストレーションを『断章』が奏で、メロディアスなギターソロが期待を掻き立てる。


 きらきらピロピロしたシンセ音が目立つイントロから駆け出すギターが時に力強く時に哀愁あふれるフレーズを奏でていく。シンフォニックに盛り上がるサビメロが正確無比なドラムと共に疾走し、勇壮な叙事詩を思わせる歌詞が劇的な終盤を華やかに飾った。


 リーナたちと一緒のステージではとてもできない趣味に走りまくったサウンドの目新しさに周囲の再生者たちは目を丸くしている。どちらかと言えばネクロメタルバンドの『Frozen/Torch』に近いが、あれよりはハードコアさが抜けて技術的で高速――そして劇的で叙情的、そしてかっこつけになっている。つまり『呪文の座』向きの音楽ということだ。


 万能呪具である『断章』が次々と古典的サウンドを奏でてライブを盛り上げていく。聖歌隊やオーケストラなどの教会系サウンドをはじめ、フルートやバイオリンの独奏が華麗で優雅な空間を演出していき、次々と形式を移り変わらせていく。それは英雄の冒険を歌った壮大な叙事詩なのだった。


 空を舞い、時には天井近くから舞台を見下ろしていたコウモリや亜竜たちまで巻き込んでライブを盛り上げていく。曲が全て終わる頃には空間はすっかり暖まり、観客は飛び跳ねたり身体を揺らしたりとすっかりできあがっている。場の空気でわかる。今の私に可能な最大のパフォーマンスを発揮できた。これなら大丈夫。

 得意げに相手の男を見ると、ぽかんとしていた。

 しばらくして我に帰ったのか、ぽつりと呟く。


「ダ――ダサい」


「だからどうしたんですか! 何か文句が?!」


 私はキレてない。冷静に対応している。

 おのれリーナと同じ反応を――覚悟できていたとはいえアズーリアの態度も若干アレだったのはちょっとショックだったことを思い出してしまった。おのれアホ大学生にバカ触手生物め。


「というか、あの途中で差し挟まれる語りや台詞は一体――」


「物語性を高める『呪文』ですよ。アズーリア様のダンジョンノベル楽曲化にはこの音楽ジャンルが一番噛み合ってるからいいんです」


 これが『呪文の座』の流儀です、文句ありますか。

 何を言われようと一切恥じる所は無いにもかからわらず、『ダサい』と言われると一切反論できないので居直るしかない私の気持ちがわかりますか。そこ、目を逸らさないで下さい。


「『断章』をあんな用途に使うとは――」


 男は何か言いたげにぶつぶつ呟いていたが、やがて諦めた様に短く息を吐いてこちらを見た。それから期待の眼差しで彼を見ている『観客』たちを眺め、


「つまり、俺の舞台を見せろ、ということでいいんだな?」


 ――言い放ったその言葉が、斬撃に化ける。

 その瞬間、空気の質が変わった。

 私は舞台慣れしていない相手を一方的に打ち負かすつもりでこの勝負を仕掛けた。だがそれが間違いだったといまこの瞬間に気付かされた。

 この男は舞台に立つということを知っている――それも、私のようなにわか仕込みのアイドル崩れよりも遙かに場数を踏んだ『本物』だ。

 

「『クレイ』だ。しばし、場を借りる」


 重力を感じさせない足運びで空間の中央へと進み出る。

 流れる黒髪が宙を舞い、しなやかな両手が舞いに用いる装飾用の刃じみた美しさで鋭く伸びた。私はその動きに目を奪われた。長い積み重ねだけが可能とする完璧な肉体の制御は芸術そのものだったから。

 そして、『舞い』が始まる。


 ――私は大差をつけられて完敗した。


 


 ステージが終わったあと。

 死せる者たちは、残らず平伏していた。

 『王子』『殿下』と漏れ聞こえる声は感極まったものであり、からかい混じりに発せられる黄色い声とは根本的に性質が異なる。

 彼らは目の前に現れた再生者の貴種に心からの崇敬を捧げていた。

 偶像に祈りを捧げる古代の邪教徒の如く。

 雄壮な戦いを歌いながら教会のコーラスサウンドを引き連れてきた私はさしずめ場違いな侵略者といったところか。


 いずれにせよ、私の惨めさが消えることはない。

 結果が全てを物語っていた。

 格の違いを見せられて言葉を失う――こんな体験は、最初にあのバカウサギのステージを見せつけられた時以来だった。

 シンガーとして圧倒的だった『Spear』とはまた違った、別方向に突き抜けた技量の冴え。認めるしかない厳然たる実力差がそこにはある。

 クレイは間違い無くダンサーとしてこの地下アイドル界の頂点に立てる器だ。


「見事な演奏ではあったが――お前では力不足だ。下がれ女、この先で『未熟』は通用しない。最下層にいる『奴』は次元が違う。今の俺ではまだ届かない。だが『断章』があれば、あるいは――」


 そんな言葉も、今は甘んじて受けるしかない。

 負けは負け。実力で劣る以上、それを認めなければ始まらない。

 けれど――それでも。

 横目で『断章』を見る。これをおとなしく渡すなんて、そんなことは許容できない。だってこれは、これだけは。


 近付いてくるクレイの気配。

 死せる者たちの王子は刃の目でこちらをじっと見ている。

 自身の浅ましさ、恥知らずぶりを糾弾されているようで、心が裂けそうだった。

 うずくまって本を抱きしめる。駄目、やっぱりこれを渡す事は受け入れられない。みっともないし恥知らずだけれど、それでも。


 クレイは無言で右手を水平に伸ばした。

 踊るあいだに屍蝋のようにその姿を変えた屍体が濃密な瘴気を纏い、可視化された黒い靄が彼の右半身を覆い隠す。やがて変質した右腕が姿を現すと、それは一振りの刃となっていた。長く鋭い、骨のような材質でできた純白の刃。


 それはいつか見た死霊術師の二人組が愛した死の彫刻にも似た美しさを兼ね備えながら、ぞっとするほどの殺意を帯びた武装でもあった。

 変化は骨の剣だけではない。美しいかんばせもまたその表情を変えており、右半分はおぞましい髑髏のものになっている。白骨死体になっているようにも見えたが、あれは髑髏を貼り付けて仮面としているようだった。同様に、裸の胸を甲冑のような骨じみた材質の装甲が覆っていた。アシンメトリーな異形さに既視感を覚えたが、何と共通する特徴なのかすぐには思い出せない。


 右半身を死で覆ったクレイがゆっくりと近付いて来た。

 突きつけられた刃の切っ先に本能的な恐怖を呼び覚まされる。

 それは暴力の記憶、死の予感。

 死に怯えて身を竦ませる自分に死にたくなる。その矛盾すら恥ずかしい。

 その時だった。私の手の中で『断章』が淡く輝き、耳の奥で音にならない呼び声が響いた。聞こえる――誰かが、私を求めてる。


 直後、灼熱が迷宮を焼いた。

 階段の奥から溢れ出した炎が私とクレイの目の前に壁を作り出したのだ。熱波に耐えきれず退いたクレイは、迫り来る炎を躱すために後ろへ後ろへと追いやられていく。炎に怯えて蜘蛛の子を散らすように再生者たちも逃げていった。

 悔しげに表情を歪め、クレイは吐き捨てる。


「その『断章』は預けておく」


 迷宮の奥、闇の中へと消えていくクレイ。

 呼び止めることも追いかけることもできなかった。

 より強大な気配が、私の目の前に現れつつあったから。

 それは階下からゆっくりと現れた。


 純粋な、あまりにも凄まじいエネルギーの塊。

 私を呼んでいたのは『これ』なのだと直感的に理解する。

 そして、私が単身この場所に赴いた理由こそが『これ』であることも。

 燃えさかる灼熱の塊は、闇を照らす閃光そのもの。

 光が震え、言葉を発した。


「我が名は『炎冠』。覇王メクセトの遺産にしてその権威を受け継ぎし器なり」


 ぞくり、と身体が震える。

 私は、この炎を知っている。

 揺らめく光はごうごうと炎で迷宮を焼きながら言葉を燃やしていった。感情に呼応するかのように熱量が増していく。


「おお、その姿、その気配、その呪力――見間違いようもない。まさしくあなたこそ『白の娘』。忌み人の王女よ、この時をどれだけ待ち焦がれたことか」


「何、を――」


 わけがわからない。

 そもそも私はこの相手に会うために『一日マネージャー』の仕事を受けたのだけれど――本当にその選択は正しかったのだろうか?

 何か、逃れようのない運命に絡め取られているような嫌な感覚がぬぐえない。

 燃え立つ炎はそんな私の心情などお構いなしに、決定的な言葉を告げる。


「我こそは王権のあかし。どうか玉璽レガリアたるこの身をお受け取り下さい、覇道を歩むべき我らが『殿下』よ」


 腕の中で『断章』が熱を持つ。

 ひとりでに記録を綴る呪われた書物が、『物語』を記し始めたのだ。

 誰かを主人公にした、壮大な叙事詩のはじまりを。

 



「ねえ、少し休んではどうかしら」


「もう少し進みたい。とにかく助けを呼べる場所まで辿り着くのが第一だ」


 地下牢から脱出し、二人で迷宮を彷徨うことになってからどれだけの時間が流れただろうか。時間の感覚などとっくに麻痺しているが、数日は経過していることは確実に思われた。

 休憩の提案もさっきから数えてもう何度目かになる。

 暗い迷宮を、軽い少女とはいえひとり分の重みを背負って進むのは確かにそれなりに骨だ。それが長時間、それも何日か続けば互いに気が滅入りもする。

 といって俺に気のきいた会話で高貴な身分のお姫様を楽しませるような技術は無いため、やむを得ず黙々と歩くしかできない。生憎とこの地下迷宮に満ちる濃密な瘴気のおかげで『サイバーカラテ道場』はオフラインなのだった。


「シナモリアキラ。おまえが無理をし過ぎて動けなくなったら、私も一緒に共倒れになってしまうわ。いいから休みなさい。ね?」


 背中から聞こえる声はあくまでも穏やかにこちらを諭してくる。落ち着いた雰囲気は以前アバター越しに会話した時とは違っていて、一国の王女にふさわしい気品のようなものを感じさせる。

 リールエルバはあくまでも気丈に振る舞っているが、カルト教団に誘拐されてずっと地下に幽閉されていたという精神的ストレスは間違い無く彼女の心を疲れさせているはずだ。一刻も早く安全な場所に連れて行かなければならない。

 じっさいのところ、限界が近いのは俺よりもむしろ彼女の方だ。

 ここ数日、あくまでも強くあろうと振る舞う彼女の心は強すぎた――張り詰めすぎれば精神は切れる。そうなれば再起は困難だ。


「わかりました。少し待って下さい」


 紐で腰に括り付けていた布を床に敷いて、そこにリールエルバをそっと導いた。足の不自由な彼女は小さく礼を述べ、こちらにも腰を下ろすように言った。少し距離を空けて隣に座る。互いに落ちていたボロ布を身に纏っただけの粗末な姿で、事情を知らない者が俺たちを見れば物乞いかなにかにも見えるかもしれない。


「すみません、水のひとつも用意できなくて」


「気にする必要はなくってよ。それより、お互い燃費が良い身体であったことに感謝をするべきね」


 道すがら、彼女の生い立ちを少しだけ聞いた。

 『塔』の技術によって誕生したドラトリア王女のクローン。

 トリシューラの形式上の姉とも言えるトリシルシリーズ一号機にして、同型機たちの中でも最も実験的な手法で生み出された人造姉妹。それがリールエルバだ。

 曰く、トリシューラが用意してくれた俺の義体もまた『塔』の技術の産物だから、俺たちは同系統の技術によって生み出されていると言えなくもないとのこと。

 兄弟や姉妹のようなもの、そういうことをほのめかされている。俺はそれを採用することにした。意識してそう振る舞うが、音響も照明も無い舞台では演技にもなかなか身が入らない。


 リールエルバが居心地悪そうに身動ぎをした。

 意識してこちらから少し距離をとる。

 こうして並ぶと、男と女の体格差がはっきりとしてしまう。こういうことは、俺の体格に合わせてくるトリシューラではあり得ない事態だった。

 リールエルバの頭の位置はちょうどこちらの胸のあたり。

 この距離感は、あまり良くない。


 技術の系統上は兄弟姉妹だとか、俺の主はトリシューラだとか、何かいいわけが必要だ――思考が空回りするあいだにも、意識は無防備に投げ出された細すぎる足だとか、闇の中にぼんやり浮かぶ真っ白な肌だとかに向いてしまう。半透明の裸身というのは『表現』としてはありふれている手法だが、実際に質感のある『生身』として提示されると急に生々しくなっていけない。


 壁や床に白骨死体が埋め込まれた異形の空間で、リールエルバという少女の美しさと大人になろうとする寸前の蠱惑的な姿態ははっきりと毒だった。ほとんど機能していない情動制御が結界寸前の堤防のように軋んでいる。


「ね、ねえ!」


 唐突に、強い口調でリールエルバが口を開いた。

 何かはっきりとした話題があったわけではないらしい。沈黙に耐えかねたか、それとも不穏な気配を察したのか。いずれにせよ助かった。これに乗っからせてもらうことにしよう。どうでもいいことを口にして時間を潰そうと考えたその時、


「何か、音がしませんでしたか?」


「――本当ね。これは足音、かしら」


 不安と期待の入り交じった声。

 近付いてくる相手が俺たちにとって救いをもたらすのか、それとも危機をもたらすのか。不確定な未来を見定めるべく、俺は立ち上がろうとする。


「様子を探ってきます。ここで待っていて下さい」


「無理はしないで。危険を感じたらすぐに戻って来て」


 必ずと約束して通路の奥へと進む。

 曲がりくねった迷宮の闇を掻き分けていくと、足音はゆっくりとこちらに近付いてきた。もうすぐ遭遇する。何があってもいいように身構えておくが、こちらは完全な徒手空拳だ。身一つで対処しなければならないだろう。


 やがて、一人の男が姿を現した。

 男は死体じみていた。片腕は失われ、全身には裂傷が刻まれている。唇や瞼のピアスは幾つかが千切れて出血し、綺麗にセットされていたであろう髪型は乱れている。闇の中でもぎらぎらと光る瞳、そして禍々しい呪力を垂れ流すナイフだけが『生きている』ことを示している。


「あぁ? なんだぁ、てめぇ――」


「お前は――」


 互いに誰何の声を上げようとして、言葉は途中で遮られた。

 半ば反射的なあちらの殺意を、俺の拳が迎撃したからだ。

 抉るようなナイフの一撃をかわしてカウンターで顔面に一撃、腕をとって捻り上げようとするも素早く身を捻って逃げられる。

 身軽に飛び退って距離を置いた隻腕の男は油断無くナイフを構えてこう言った。


「オリジナルちゃん――じゃねーな。いやそれっぽいか? なんかちげーよ、なんかこう、ぴんとこねーっつーかびりびり痺れねーっつーか」


 ぶつぶつと意味の分からない独り言を呟いているが、とりあえず危険人物らしいことはよくわかった。

 爛々と輝く目は焦点が定まっておらず、殺意を隠そうともしていない。

 あげく、呪具らしいナイフに話しかけて「あーなるほど」「そっか」などと頷いている始末だ。頭がどうかしている。


「とりあえずバラしてぶっ殺せばどっちにしてもいい感じじゃん。イケてたらオリジナルちゃんだし、イケてなかったらサヨナラ。つーわけでヨロシク~」


 気負い無く振るわれるナイフ。暴力の行使に慣れきった者の動きだった。

 殺人鬼――そんな言葉が頭に浮かぶ。

 付き合っていられるか。隻腕の死角から攻め続けて態勢を崩し、渾身の掌底を叩きつける。最後は足払いであっさりと床に倒れた。元から弱っていたのだろう、さしたる苦戦もせず無力化できた。

 とどめを刺そうとして、ふと一人の少女のことを思い出した。

 

 普段なら冷たい機械の女王トリシューラに仕える第一の部下である俺はこの相手を躊躇いなく始末するところだったが、血でこの手を濡らし、殺戮のあとの強張った表情を見せればきっとリールエルバは怯えてしまうだろう。必死に気高く強くあろうとしているが、あれは過酷な環境に投げ出されたか弱い少女の精一杯の虚勢に過ぎないと俺にはわかっていた。彼女の下に戻ろう。俺は踵を返した。


 何か忘れているような気がしていたが、とりあえずその場を後にする。

 守るべき女性は俯いていたが、俺を見つけるとぱっと表情をほころばせる。


「ここは危険です、急いで離れましょう」


 と言って不安そうにする少女の足と背に手を回して担ぎ上げる。両手が塞がってしまうが、追われる場合守るべき相手を背負うのは危険だ。


「ちょっと、何?!」


 突然抱き上げられたことに戸惑い、頬を染めて動揺するリールエルバ。

 身を覆う布の前を慌てながら寄せて身体を隠す。

 そうこうしているうちに、剣呑な気配がこの場に近付いてくるのがわかった。

 怒りの込められた声が通路の奥から響いてくる。


「は-。ねーわ。ほんっとキツイって。マジねーわ。とどめ無しとかもう冒涜っしょ。ありえねえ、死ねよお前マジでよお。つか殺す」


 足を引きずるようにして、傷だらけの殺人鬼が迫ってくる。

 俺はこの男からリールエルバを守らなければならない。

 たとえ俺に最も大切な主がいるとしても、今この瞬間に彼女を救えるのは俺だけなのだから。




 ――高鳴る心臓の鼓動が音楽となり、遊戯場と化した迷宮を支配する。


 怯えながらも僅かに頬を染める少女。

 決意に満ちた表情で少女を守る男。

 迫り来る悪意の襲撃者。

 彼らを見守るように、影の中から全てを俯瞰する視線があった。

 狭苦しい迷宮を、ネズミとコウモリが這い回る。

 かすかな物音が闇を振るわせ、やがて掠れて消え去った。


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