4-165 檻の感触だきしめて①




「マジカルアピール?」


「そう。ここから上で勝つためには特別なアピール方法を習得する必要があるの」


 『迷宮攻略アイドルカツドウ』一日目の夜。

 宿泊施設の一室で向かい合った俺とトリシューラは作戦会議をしていた。

 カーインとオルヴァは瘴気を制御する障壁の構築担当だ。これでしばらくの間はこの迷宮から瘴気が拡散するのを抑えられる。とはいえこれは一時しのぎでしかなく、原因を取り除かなければいずれ障壁は決壊することになるだろう。


 朝となく夜となく踊り狂うこの場所ではむしろ今からが本番といったところで、じっさい先行している『チョコレートリリー空組』は一度こちらと情報交換をした後は精力的に活動を行い、今も快進撃を続けている。一方の俺たちが足踏みしているのが何故かと言えば、単純に勝てなくなったからだ。


 初ステージの後、俺たちは調子づいてそれぞれ一度ずつ即興劇とライブのオーディションを行い、危なげなく合格。更に、たまたま最初のフロアにやってきていたランク十二位の『スケイルガールズ』という多種族混成アイドルユニットとの対決ライブに勝利したことで一気にランクを上げる。勢いのまま十番以内に入ろうとしたところで――巨大な壁にぶつかった。

 

「強かったな、あのカルト教祖系触手アイドル」


「ラリスキャニアね。リールエルバの件について問い詰めたかったけど、親衛隊の守りが固くて厄介だよ。『ボクは生まれ変わったから過去の事は知らないもん』とかふざけたこと言い出すし。何が『もん』だよ馬鹿じゃないの」


 『チョコレートリリー空組』にあっさり負けた相手とこちらが油断してかかっていたのもあるが、元上位ランカーの実力はそれまでのアイドルたちとは文字通りレベルが違った。むしろラリスキャニア相手に圧勝した『チョコレートリリー空組』が新人としては異常な実力を有していたのだ。それに彼女たちは正攻法で挑戦を繰り返すだけでなく、ステージとは別方面からも攻めている。


 アクセサリーショップ、『ジュエリーキャッツ』。

 ドラトリアの聖なる姫、セリアック=ニアがプロデュースするアクセサリーブランドで、セレブ向けの高級ジュエリーからカジュアル向けのパワーストーンまで多様なニーズに応じた呪宝石アクセサリーを販売している。大企業クロウサー社が出資している上、国家資格を持つ錬金術師が商品開発を行っていることもあってその品質は極めて高く、出店早々、ネット上でも大いに話題を呼んだ。

 自らのブランドを持つアイドルは強い。

 『空組』は自分たちのアイドル活動と並行してジュエルアクセサリーをプロモーションすることで二重に注目を集めていた。


「こっちも上手い事『きぐるみ妖精』をアピールできればいいんだけどな」


「なかなか難しいよねー」


 アイドルはブランドの『顔』となって広告塔となり、そうして高められたブランドイメージがアイドルへの強力なバックアップとなる。

 互いに力を高め合うアイドルとブランド、積み上がる経験と実績、集まるファンからの熱狂と信頼――そうしたものが結実することで生み出されるアピールこそ『マジカルアピール』なのだという。

 ラリスキャニアもまた触手系のファッションブランドとそれを生かした特殊なアピールを使いこなせる一流のアイドルであり、俺たちはそれに完敗したのだ。


「ブランド力の強化、『マジカルアピール』の習得――私たち二人にとっての課題が見えた感じだね」


 神妙な顔でトリシューラが言う。

 デザイナーとモデルはブランドの両輪だ。どちらが欠けても成立せず、不釣り合いな成長も意味が無い。デザイナーはモデルを最大限に生かす衣装を作り、モデルはデザイナーの衣装を最大限に魅せる。そうすることで初めて勝利が得られる。


「――ってコルセスカから借りたゲームで言ってた」


「いいこと言うね。そのリズムゲームの経験はきっと今回のアイドル活動に生きるよ――セスカがいたら、色々着せてみたかったんだけどなー。多分ノリノリでやってくれると思うんだよね、アイドル」


「確かに」


 インドア派に見えてこういう華やかなステージへの憧れなんかも普通に持っていたりしそうだ。何と言ってもかなりの格好付けたがりだし、気合いを入れてセルフプロデュースを始めることだろう。


「あー、でも『きぐるみ妖精』より『セレスティアルゲイズ』の方がセスカは好きだからなあ。一緒にはできないね。アイドルするとしても、きっとライバルだ」


「それはそれでいいんじゃないかと思う。お互いを潰し合うんじゃなくて、互いを高め合うような――認め合うような競い合いなら、どちらかが消えることなく二人とも確固たる存在でいられる。末妹の座を奪い合うのなら、こういうのがいい」


 我ながら甘いことを言っている。だが本心だった。殺し合い殴り合いはシナモリアキラの存在意義で、俺を暴力から切り離すことはできない。それでも、俺は二人が並んで立つ未来が見たかった。目の前で、トリシューラとちびシューラが寂しさと嬉しさの入り交じったなんともいえない表情をしていた。


「よーし、ちゃっちゃとランク上げて、セスカを取り戻そう!」


 トリシューラの意気込みに頷きを返す。きっと彼女も感じているのだろう。この迷宮の奥深くからコルセスカの気配――冬の冷気と死の眠気を。

 この地の再生者たちは時間が経てば経つほど盛り上がっていく。

 アイドルたちのライブが素晴らしいのもあるが、単に呪力が増大しているのだ。

 そして、この空間全体が祭りとなって神に信仰を集めるような――呪力の流れが一点に集中しているような感覚がある。首筋から浮上する疼きと飢えは紛れもなく母なる女神を求める衝動だ。


 アイドルとしてランクを駆け上がっていけば(向かうのは地下だが)、必ずコルセスカに出会える。確信を胸に俺たちは前へと進んだ。

 決意を新たにしたところで精神を休ませる為に一晩眠り、夜が明けると同時に俺はランニング、トリシューラはデザイン画の作業に取り掛かった。ここから先はひたすらトレーニングと実戦あるのみ。とにかくオーディションを受けて仕事をこなし、経験を積み重ねてファンを集めていくのだ。


 しかしどうすれば『マジカルアピール』が出せるのかは全くわからないまま。

 こういう時は実際にできている上位のアイドルたちのライブを見て研究するに限る。思い立ったが吉日ということで、俺とトリシューラは二日目のレッスンを早々に切り上げて上位陣の念写記録映像をじっと睨み付けることになった。

 宿の寝台に二人で並んで端末から空中に立体幻像を投影。

 高精細な幻影が圧倒的なパフォーマンスを次から次へと流していく。

 一通りの映像を見たあと、俺たちは揃って唸っていた。


「ん~、とりあえず『空組』は共闘相手だから、その他の上位ランカーの情報を整理して対策を立てよう」


 トリシューラはどこからか眼鏡をとりだしてかけると、謎の指示棒で空中のモニタをポイント。映像が切り替わり、現在の地下アイドルランキングが表示される。それはこのようなものだった。


 一位:『狂イ姫リールエルバ-†囚焉舞イ血ル妬環ノ華シュウエンマイチルトワノハナ†』

 二位:『ヒュドラボルテージ』

 三位:『アマランサス・サナトロジー』

 四位:『動物想ファウナ

 五位:『パイロマスター・イン・ヘルファイア』

 六位:『オルプネ』

 七位:『Frozen/Torch』

 八位:『うずめ』

 九位:『チョコレートリリー・空組』

 十位:『スマルト』


 なんだかこの間からまた順位が入れ替わっているようだが、それだけ上位争いが激しいと言う事なのだろう。一向に姿を現さない一位と二位は不動のままだが、その他の順位が軒並み変動していた――しかしなんか、こう、ユニット名。アンダーグラウンドで再生者だらけの客層、とくれば退廃的な世界観が受けるわけだからある程度の傾向が生まれるのは自然なのかもしれない。

 なおこの下に『ラリスキャニア』、『シナモリアキラ』と続く。

 トリシューラはまず一度ぶつかったラリスキャニアのデータを表示した。


「『豚』と呼ばれる信者を多数抱えるラリスキャニアはカルト教団の教祖やってただけあって人心掌握が得意。歌はそんなに上手じゃないけど、分身・変身能力による大規模なダンスパフォーマンスや独り舞台は評判がいいね。『マジカルアピール』は信者たちを触手で絡め取ってうねうねするよく分からない世界観のアピールだけど、とりあえずめっちゃ会場が盛り上がる。まさに必殺技だね」


 それだけ聞くとイロモノみたいだな。とりあえず歌が弱点というのはやりやすいし実際『空組』にもそこを突かれて負けていた。

 続けてその隣にもう一人ぶんのデータが並ぶ。


「十位のスマルトはコバルトカラーの名を冠する変幻自在な夜の民モデルで、役者もこなす器用な幻姿霊スペクター。過去に何度かラリスキャニアと対決していて、その度に順位が入れ替わってる。実力的には拮抗しているから、次に私たちが戦うのはラリスキャニアかスマルトのどちらかになりそう」


 最初の仮想敵はこの二人というわけだ。共通点は両方とも夜の民であること、低身長なことだが――変身が得意な種族にとって体格などさしたる問題ではない。そもそも触手生命体(ときどき牡鹿)と浮遊する謎の幻影が相手なのだ。俺のちっぽけな常識など最初から通用しないと思っておくべきだろう。


 俺が運用しているこの『イツノ』というアイドルは、モデルを中心としながらも歌、ダンス、演劇と各種能力が高い水準でまとまった使いやすい『初心者向けキャラクター』だった。物言いがコルセスカっぽくなってしまったが俺の実感としてはわりとそんな感じである。


 まるで他人事のようだが、正直なところ俺はイツノが自分であるという実感があまりない。極めて自然に肉体と同調できているにも関わらず、だ。

 『俺』が『俺』であることに失敗している感覚は無い。俺はイツノだ。

 この奇妙な実感の無さは、まるでイツノ自身が最初から自分の事などどうでもいいと思っていたかのようですこし心配になる。


 俺の――いや、『この女』の精神防壁は異常だ。

 ほとんど完全なトランス状態。役に入りきって人格が『俺』そのものになっているにも関わらず思考や記憶の表層にすら手が届かない。

 謎の多いイツノだが、戦力としては申し分無い。

 普通に考えればラリスキャニアとぶつかっても十分に勝てそうではあるのだが、やはり足りないのは『マジカルアピール』を軸にしたアピール力なのだろう。


「アキラ姫。特別なアピールを出すためには、コーデにも気をつける必要があるんだよ。トップス・ボトムス・シューズ・アクセサリーの基本となる四種類――これらをカードに登録して端末から読み込ませることで服を『召喚』するのがアイドルのライブっていうのはわかってるよね?」


「ああ。あとはリップグロス、マスカラ、チーク、コロンのメイクアップアイテムでアピールの効果が上昇するんだったか。この辺を重点的に研究して勝率を上げたいところだな」


 ――何というか、どんどんコルセスカ時空が深まっているのを感じる。

 未だ囚われの身だというのに、緊張感の欠けること甚だしい。

 俺はデータと睨めっこしながら最適なコーデを模索し、トリシューラは『勝てるステージ衣装』の着想を得るために必死になってデザイン画を上げ続ける。


 じっとして考え事をしているだけだと息が詰まる。

 俺は気分転換に飲み物を買ってくると言って部屋を出た。

 簡素なつくりの宿の外には相変わらずだだっぴろい空間が広がっていて、今日も今日とて屍たちが踊り狂う。死臭と香水とが入り混じった独特の空気とぎらついた光にはある種の圧迫感があった。

 散策がてら周辺を見て回る。

 ショップは深夜でも休み無く営業しており、追加のアイテムを入手するのには困らなさそうだ。早速『空組』の商品が並んでいるのには驚いたが、ゲーム浄界特有の都合のよさだと思って納得した。

 しばらく単純化された世界を歩き、巨大な人体骨格に抱き締められた自動販売機の前に立つ。錆だらけの朽ち果てた機械に端末をかざすと、かろうじて反応する。

 俺とトリシューラ、二人分の野菜ジュースを購入しようとした時、横合いからほっそりとした手が伸ばされ、別のボタンを押した。

 がこん、と音を立てて取り出し口に落ちてきたのは何故かチューイングガム。


「――おい」


「おっと、怒らないで話を聞いてくれ。その野菜ジュースには瘴気が含まれていてね、夜の民や再生者以外には毒なんだ。一切摂るなとは言わないけど、なるべくここのものを胃の中に入れない方がいい。闇に近付いてしまうから」


 どうやらこの闖入者は純然たる親切心から行動してくれたらしい。

 黄泉の食物を口にすれば黄泉の住人となってしまう――『杖』の信奉者としては迷信と片付けて呪力を跳ね除けたいところだが、死の女神の力が高まっている現時点ではそう馬鹿にできた考えではない。

 それにしたって口で言えば良さそうなものだ――不信を表情に出して睨み付けると、相手は飄々とした態度で肩を竦めた。


「失礼した、美しいお嬢さん。だがあなたの輝くような美貌が翳ってしまうのはどうにも耐え難い。つい反射的に動いてしまったんだ、許して欲しい」


 黒手袋に包まれた手を胸にあて、慇懃に頭を垂れる。帽子を取った頭部は整えられた黒髪で、まるで夜のような人物だと思った。


「それは、どうも」


 歯の浮くような台詞を口にしているのは黒い燕尾服にシルクハット、漆黒の仮面という異様な姿の人物だ。口調は男性的だが声は女性のようにも聞こえ、両足は宙に浮いている。空の民、あるいは――。


「それに体調が悪かったことを負けた時の言い訳にされても困る。もちろん、この白骨迷宮に颯爽と現れた『もう一つの新星』がそのような見苦しい真似をするとは思っていないがね――アキラ姫?」


 顔全体を覆う仮面の下で炎が燃え立ち、細長い亀裂が青く発光した。

 裂け目から漏れ出す炎は赫々と戦意を放射してこちらを威圧、明確な意志を叩きつけてくる。すなわち、お前には決して負けない、という宣言を。


幻姿霊スペクター――あなたがスマルト?」


「お察しの通りだ。よろしく頼むよ、新人くん。もっとも、君が心折れて逃げ帰ってしまえばそれまでの付き合いになってしまうがね」


 いきなり現れたかと思えばこれか。

 魂胆は見え透いているが、ここは受けて立ってやるべきだろう。

 不遜な態度で見下ろしてくる相手を挑戦的に睨み据えた。


「先手を打って新人いびり。そんなに追い落とされるのが怖い?」


「無論だとも」


 拍子抜けな反応だ。場外戦術というちゃちな手を使ってきたかと思えばあっさりそれを認めたりと、スマルトの行動はよくわからない。


(とりあえず揺さぶれれば良し。相手の『格』まで推し量れればなお良し、みたいな威力偵察目的じゃない?)


 とちびシューラが分析する。だとすると、あまりこちらの情報を与えずに話を切り上げるべきか。

 仮面に思惑を秘め隠し、謎めいた夜の民は言葉を重ねてくる。


「私は臆病でね。わずかでも負ける可能性がある限り、たとえ卑怯と誹られようと手段は選ばないことにしている。君にも君なりのステージに立つ理由があるのだろうが、私もまた絶対に負けるわけにはいかない――悪いが、呪わせてもらったよ」


 思考が凍りつく。

 まったく察知できなかった。いつ、どのタイミングで呪いをかけられた?

 魔女イツノは自分に向けられた攻撃的呪術を見逃すほど甘くない。だとすれば、この相手はこちらを上回る呪術師なのか、あるいはただのはったりか。


(落ち着いて。そういう思考に陥ってしまうこと自体が、既に『呪い』なんだよ。『お前を呪った』という言葉そのものが呪詛としてあなたを苛んでいるの)


 ちびシューラの言うとおり、落ち着くべきだ。

 緩急をつけた相手の言葉に翻弄されてしまっている。

 眩惑的な視線に惑わされぬよう、相手の目を直視せずに喉の辺りを注視。歯噛みする思いだった。この接触で俺たちの間に呪的な線がつながってしまっていた。『使い魔』的な関係性だが、これは奴の一方的なまなざしが強引に形成したもの。『因縁を付ける』という言葉があるが、スマルトがやっているのはまさにこれである。


「一部で君を『新星』と呼ぶ向きがある。『歌姫』の後継者と目される『チョコレートリリー空組』と並ぶ期待の新人アイドルと。残念ながら、その評価は覆ると宣言しておこう。君はここから先には決して進めない。ラリスキャニアや私にどれだけ肉薄しようと、『マジカルアピール』を持つアイドルと持たないアイドルの間には決定的な断絶がある。そのことを、じきに教えてあげよう」


 言うだけ言って、スマルトは立ち去って行った。次はラリスキャニアにプレッシャーでもかけに行くのだろうか。勝つための努力を惜しまないと言えば聞こえがいいが、はっきりと言えば弱者の戦略だ。自分の弱さを喧伝して回るような行動を褒める気にはなれない。

 うんざりしながら帰途につくと、ちびシューラが何かを言いたそうにしていた。どうしたと問うと、小さな妖精は困ったように眉を下げて本体の所に戻ったら話すと言った。宿に戻ると本体の方も同じような顔をしている。いったい何があった。


「あ、姫おかえり~。ねえどうしよ、ちょっと困っちゃった」 


 言いながら足をぶらぶらさせるトリシューラ。見ると、その長い脚に何かがへばりついている。

 真っ黒な布きれ――ではなく、とても小さな夜の民だ。部屋の隅でうずくまっている骨のカインよりも小さなサイズだから、トリシューラとならぶと巨人と小人といった感じ。


「姫が出かけてるあいだにやってきたんだけどさー、帰ってくれないんだよね。敵対心が無いからあんまり手荒なこともできないし」


「お願いです、スマルト助祭様を勝たせてあげてください」


 必死になってトリシューラの足にしがみつく小さな夜の民が叫んだのは聞き覚えのある名前だった。先ほどの一幕もあり、少々気になる。夜の民を寝台の上に座らせて茶を入れる。落ち着かせて話を聞くと、どうやらこんな事情があるらしい。

 



 スマルトは『上』で生を受け、その直後に母を亡くした。だがこの小さな夜の民を不幸にしたのは母親の死というよりも、父親が空の民という生まれの方だった。『上』では排除されるしかない幻姿霊スペクターとして正体を隠して生きねばならなかったスマルトは、父親の慈悲あるいは保身によって孤児院に預けられた。教会に併設されたその施設は、とある有力な司教が運営している『特定の夜の民』を保護するための場所だった。


 スマルトはそこで人狼や吸血鬼といった仲間たちと出会う。

 彼らと絆を深める中で、自分もまた『上』で隠れて生きなければならない者たちのために生きようと決意し、信仰の道を志した。

 ところがある時、恩人である司教は『異端』として断罪されてしまう。

 後ろ盾を失ったスマルトと仲間たちは恐れおののいた。これから自分たちはどうなってしまうのか。

 教会は新たに吹き始めた風によって真っ二つどころか四分五裂となり、明日の身の置き場も定かではなくなった。あるものは自らの正体を告白し、またあるものは隠れ潜んだまま生きることを選ぶ。仲間たちは散り散りになった。

 スマルトはそのどちらでもなかった。少数の仲間を引き連れ、あらゆる混沌を許容する異形の王国へと移住することを決意したのだ。だがそこでも彼らを待ち受けていたのは困難だった。


 ガロアンディアンと呼ばれる混沌の都では、スマルトたち槍神のしもべは少数派だった。かつてスマルトらの仲間が行った大量殺戮のせいで彼らは白眼視され、厳しい監視と敵意にさらされることとなったのだ。居住はなんとかなったものの、就業については何処へ行っても不自由が付きまとう。ストレスにさらされながらも身を寄せ合って必死に生きていたのだが、六王たちが引き起こした混乱によって心身が弱っていた者たちは倒れてしまう。追い打ちをかけるように、恐ろしいデマゴーグがはびこり始める。

 いったい誰が言い出したのか『奴らがこの災いを呼び込んでいる』『これだから槍神教徒は』と非難され、その嫌悪と忌避の心に呼応するかのようにスマルトたちの周囲で病が蔓延し始めた。


 スマルトたち夜の民はその瘴気が地下から漏れ出していることに気付いていたが、瘴気を感じることのできない住民たちは付近一帯で唯一何の被害も受けていないスマルトたちこそが全ての元凶だと考えるようになった。六王とトリシューラたちの戦乱で第五階層の都市機能は破壊され、人心も荒廃していた。遂には魔女狩りめいた事態となり、無力な子供たちが私刑にかけられる寸前まで行ったそうだ。

 スマルトは彼らに縋り付いて必死に懇願した。「自分がこの瘴気をなんとかしてみせる。だから少しだけ猶予が欲しい」――期日までに瘴気の原因を取り除けなければ、住民たちに囚われている仲間たちの命は無い。他に頼れるものがないスマルトは白骨迷宮に挑み、アイドルとなってランキングを駆け上がっていった。全ては居場所のない仲間たちを救う、ただそのためだけに。





「みんな、必死なんだな」


 スマルトのマネージャーであるという夜の民が去っていったあと、寝台にだらしなく寝そべりながらぽつりと呟く。

 健気な懇願と切実な事情。よりにもよってアルト・イヴニルの領土で起きている問題であるためトリシューラにも手出しができない。感情は動かされなかった。完璧に制御しているからだ。

 それはつまり、感情制御が必要な事情だったということでもある。

 同情を誘う作戦、お涙頂戴の三文芝居、小さく哀れな夜の民まで起用して、スマルトさんはモデルより演出家に向いているのではございませんか――冷淡な言葉は幾らでも思い浮かぶが、それを口にすることはためらわれた。

 トリシューラは俺の顔を見て短く息を吐いてみせた。実際に息を吐いたわけではない。ブレスの効果音による感情表現だ。


「そうだよ。私も必死。余裕の無さって格好悪いからあんまり表には出したくないけど。アキラ姫は、尊敬されたいって思った事は無いの?」


 話がずれているようで、トリシューラにとってはそれこそが切実な事情だった。

 彼女は、ステージの上では絶対に負けられない。負けたくないのだ。

 俺は自分の記憶の奥を探り、やや考えて答える。


「ある。昔はサイバーカラテランキングが上がっていくのが楽しかった気がするし、勝ちたいとか負けたくないとかは自尊心から出て来る感情だからな」


 上昇志向がある奴には多かれ少なかれそう言うところがあるように思える。無いほうが不自然だし、隠すようなことでもない。とはいえ、トリシューラのそれほど切迫した感情では無いことも確かだ。


「今はトリシューラとコルセスカにとって価値を認めて貰えればそれでいい。紀人としての俺の評価がトリシューラの評価に繋がるのならそれはそれで嬉しいけど」


「ひめ、はずかしーことをいってる」


 何故か不機嫌そうにそっぽを向くトリシューラだった。

 それでも、それが今の俺にとっての事情――『物語』なのは確かだ。トリシューラにもスマルトにも、もちろんラリスキャニアにだってそれはあるのだろう。

 呪文の――『物語』の力はとても大きい。

 じっさい、『空組』は『先輩である歌姫Spearへの憧れと挑戦』というストーリーをPV仕立てで作り上げ、ライブ前に本人から叱咤激励のメッセージを届けさせるなど有名人を使った戦略でのし上がっている。『マジカルアピール』も彼女たち『チョコレートリリー』の繋がりを強く意識させるものだ。

 そこまで考えてある思いつきが浮かんだ。


「バックグラウンドを感じさせるアピールは? 軽いドラマ仕立てみたいな」


「私は派手な仮想浄界を構築してアキラ姫のポージングをサポートするアピールを考えてたんだけど――確かにそういうのもありかもしれない」


 『マジカルアピール』には幾通りかのタイプがあるが、基本的には『邪視』系のビジュアル重視の演出が多い。次いで人気があるのがちょっとしたストーリー性のあるシーンを切り取ったドラマ演出――『呪文』系の演劇タイプアピールだ。『使い魔』系の集団アピールが最初から選べない以上、俺たちはこのあたりに狙いを絞るべきかもしれない。


「トリシューラ、俺にアイデアがある」


「私も、試したいドレスがあるよ」


 二人、顔を見合わせて静かに頷いた。

 そして、夜は目まぐるしいスピードで更けていく。



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