4-164 カクリ世の宴
舞台に立つ、観客が湧く。
この熱狂と昂揚に慣れることが、どうしてもできそうにない。
きっと向いていないんだろう。
ほうと嘆息して、浮き立つ心を静かに冷やす。
外界と自己とを切り離し、どこまでも深い集中の底へと沈んでいく。もはや激しい音の雨は記号に過ぎない。
バスドラムが刻む四つ打ちのリズムが場の空気を作り替えていく。色の付いた照明は妖しくランウェイを彩り、挑戦者たちを不敵に誘っていた。
煌びやかな舞台へと踏み出したモデルたちは美しいシルエットを前へ前へと送り出し、それぞれが身に纏う衣装をアピールし、己のパフォーマンスを最大限に発揮していく。完璧なバランス、完璧なウォーキング、完璧なリズム、完璧なポージング、完璧なターン、そして完璧な自信――言うだけなら簡単、だが要求されるのはこの上無くシンプルな条件――反復練習、ただそれだけ。
血と涙と汗と――己の全てを懸けて挑む者たちを、ショウゆえの残酷さが打ちのめしていく。この場所では観客からの評価が全てだ。ヘッドセット型端末が読み取った脳波がステージに対する感動を数値化する。無慈悲な実力差が勝者と敗者との間に明暗を作り、無数のドラマを生む。悲喜こもごもの世界を目の当たりにして、舞台袖の俺は息を呑んだ。
トリシューラもいい度胸をしている。ライブステージ、ドラマステージ、ダンスステージと他にも選択肢がある中であえてここ、モデルステージを戦いの舞台として選択するとは。本人の目指す方向性からすれば当然ではあるのだが。
白骨迷宮と呼ばれるダンジョンの第一フロアを抜けると第二フロアへと進む為の関門が立ちはだかる。四つのステージから一つを選んでオーディションに合格することが突破の条件だ。ちなみにオーディションに合格すると次のフロアで『本番』が待っており、『仕事』をこなすことでメディアでの露出を増やし、ファンを獲得することができる。
受けて立つ、と勢い込んだトリシューラは迷い無くこの場所に向かった。あるステージでは普段遣いできるリアル・クローズを身に纏い、またあるステージでは攻めたデザインのドレスで着飾る。最新呪具を搭載した多機能バトルドレスや呪動装甲など探索者たちの最新装備のお披露目ではその性能を実戦で試す場合もあり、かなり派手な展開になるという。
場合によってはライブイベントと同時に行ったりもするので、人の入れ替わりは相当激しい。一体いつの間にこの場所はこれほどの盛り上がりを見せるようになっていたのか、想像もつかない。少なくともここ数日のことではないように思う。
「よーし、頑張ろうね!」
骨狼のカインを抱いたトリシューラは随所を黒く縁取ったワインレッドのスーツとタイトスカートという姿でにっこりと笑った。今日は髪を後ろでひとつにまとめているため、耳元で揺れる黒のイヤリングが原色だらけの全身をぎりぎりと引き締めている。いい笑顔で言ってくれるが、こちらとしては文句を言いたくて仕方が無かった。
「なあ、本当にやるのか。こういうのはトリシューラの方が」
「頑張って! 最高に格好良くて可愛いから自信持っていいよ! 私はデザイナーとして、アキラ姫を最大限にサポートするからね! ファイト♪」
ご主人様のお言葉で俺は否応なしにこれから待ち受けている自分の末路を想像してしまう。本番は目前だ。トリシューラに応援されている俺は、彼女の期待に応えて勝ちに行かなければならない。
「やっぱり、トリシューラが出た方がいいんじゃ? デザイナー兼モデルってことでデビューしよう。トリシューラなら絶対成功するから。向いてるから」
「それはアキラ姫がモデルをやらない理由にはならないよ! っていうか私が姫の晴れ舞台を見たーい! やって、お願い! ていうか、やれ♪」
呻き声が漏れたが、そんな音にすら艶が混じっていることに我が事ながら戸惑いを禁じ得ない。常より低い視線と異なる肉体のバランスを自動補正しつつがくりと項垂れた。見下ろすとトリシューラによって完璧に仕上げられた俺の身体がそこにある。純白の睡蓮模様が浮かぶ濃い藍染の着物に包まれたしなやかな女の肢体。掛け襟から衿先、袖口からたもとにかけては白いフリルがあしらわれ、腰は黒のコルセットでしっかりと引き締められている。ティアードの袴は前面のみが膝丈でコルセットと同色の編上げブーツと共に長い脚を強調していた。和洋折衷さが奇妙なほどによく嵌る、新顔の魔女ことイツノに宿った俺は、これから『
これまでのいきさつに思いを巡らせる。
この地を訪れた直後の俺たちは戸惑いつつも情報を集めるためそれぞれフロアに散らばった。オルヴァは呪術で過去視を行い、カーインはウィルスの経路を辿り、トリシューラはアクセサリーや化粧品などを販売しているショップに入っていった。俺は踊ったり跳ねたりしている再生者だらけのフロアを見て回ることにした。
以前に訪れた時とは大きくその様相を変えた白骨迷宮は――厳密にはこういった場所は『迷宮』とは呼ばないらしい。語感と翻訳の問題だろうし些事なので気にしないことにする――もはや探索者を喰らうダンジョンではなく華やかなショウやオーディションが行われる地下アイドルたちのステージになっていた。
フロアに響く音楽は魔術的なリズムによって聴く者の肉体に働きかけ、呼応するかのようにその場に居合わせた人々は踊るようなステップを強制される。拒否もできるが、あからさまに『ノリが悪い』という視線を向けられるので普通に移動したい時は壁際に寄るのが基本となる。
更には何故か『探索者対ダンジョンの怪物』という構図が中途半端に残っているらしく、リズムに乗ってさえいれば移動に乗じて進行方向にいる相手をぶっ飛ばしてもいい、という暗黙のルールが存在しているようだった。おかげでフロア内はやたらと荒っぽく、もげた首や飛び散る骨や内蔵で悲惨なことになっている。
「不衛生にも程があるな。呪いだかウィルスだかの根絶、間に合うのか?」
思わず眉根を寄せて心配してしまうほど、血塗れの遺体が飛び散った場所からは忌まわしい臭気が漂いだしていた。フロア入り口の売店で各種ブランドの服やアクセサリー、コスメグッズなどに並んで香水専門の大きなスペースが用意されていたが、これは確かに臭い対策が必須だ。
「ほら、捜し物だ」
無惨な姿を晒している首無し死体の方に近付いて、落ちていた首を渡してやる。
首が取れることにまだあまり慣れていないのか、まだ見た目が十代かそこらの再生者は渡された首を持ってあたふたとしていた。それなりに重量のある頭部を首の上に誘導してやると、少年は俺の方を見てにっこりと笑って礼を言った。露出した内臓を腹に詰め込んで、呪符で傷口を接合しつつ香水できつい臭いを誤魔化す。鼻の奥にすっと染み込んでいくような清涼感のある香りがたちこめた。
再生者たちはこんな具合に死んでも平気なのでダンジョンにおける殴り合いや殺し合いへの抵抗が異様に低く、むしろどれだけ派手に肉片を飛び散らせることができるかを競い合っている者すらいるくらいだった。清潔にしろ、おとなしくしろと言っても中々聞き入れてくれそうにない。
「ウィッチドクターであるトリシューラやカーインがいるから大丈夫よ。何なら私が清めてもいい」
涼やかな声が背後からして、思わず顔を顰める。相変わらず彼女の気配は捉えどころがない。まるで形の無い水のよう――それがイツノという魔女の性質なのだろうか。『俺』の行動は自分の選択だとのたまった彼女はそれが当たり前であるかのような顔をして俺にぴったりとついてくる。
「なあ、あんたは」
「二人称はやめて。俺とか私とか一人称で呼んで、わたしにーさま」
こちらの問いを遮るようにイツノが言う。機先を制されて一歩退くと、魔女はその隙を逃すまいと一歩踏み込んでくる。気付けば周囲の動きに合わせるようにして頭を揺らしているイツノ。なんとはなしに俺も軽いステップを踏んで移動し始めてしまったが、これって一体どこに向かう話なんだろうか。
「わたしにーさまと二人きり――♪」
上機嫌な呟きがやけにはっきりと聞こえた。音楽は次々と切り替わり、その度にリズムが更新されてフロアを包む熱気の質も変化する。先程から観察していると、再生者たちの向かう先も様々だ。俺たちはそのうちある流れに沿って進んでいく。
「――わけがわからなくなるからイツノと呼ぶが、その『わたしにーさま』ってのは何だ? そもそもイツノはどういう立場なのか、そこからよくわからない」
黒髪の少女――おおよそトリシューラと同年代くらいに見える――はきょとんとした表情になった。何をいまさら、とでも言いたげだが実際わけがわからないのだから単刀直入に切り出すしかない。勢い良く突っ込むと軽々と捌かれた。流れるような体捌き。特にもったいぶるような情報でもなかったらしく、イツノは流体の右手で人差し指を一本立てて端的に説明した。
「私は『星見の塔』の人造姉妹計画によって開発されたトリシル・シリーズの試作型零号機で、単独で『魔女』と『転生者』を兼ねるというコンセプトで設計された『零の器』。ただしさまざまな問題点が浮上して完成には至らず、作りかけのまま放棄されていた未完成品を『杖の座』が引き取って再利用した。それが今の私、シナモリアキラでありイツノでもあるもの」
「トリシルシリーズというと、トリシューラの姉妹機にあたるわけか」
どこかで聞いた名称だ。確かミヒトネッセなんかもその中に含まれているんだったか。癖のある連中ばかりなのはそういうコンセプトが貫かれているからなのかもしれない。納得と共に息を整え、音に乗るように下がった。目の前に滑り込んでくるイツノ。フロアは変わらずに熱狂を続けている。
「そう。エル――トリシューラは完成品にして九号機。ただ、私が姉というわけではない。むしろ体験的には私の方が年下」
言わんとしていることが良くわからない。
イツノは自分でも説明の仕方がまずいと思ったのか、時系列図をこちらの端末に転送しながら説明を続けていく。
「私は幾度もの大規模改修で人格がわりとめちゃくちゃ。イツノという魔女伝承、品森晶という転生者、ウィッチオーダーのテストパイロット――多様な機能を追加していくうちにコストが馬鹿みたいなことになった点を除けば色々と便利な汎用機になって、クレアノーズお姉さまは色んな派閥に貸し出して交渉カードとして使うことにした。思想や人格、摸倣子と遺伝子を寄せ集めたがらくた人形が私」
改修を繰り返してテストを行い続けた試作品――その結果『トリシル零号』は安定しない自我を抱えることになってしまったのだと言う。幾つもの派閥を渡り歩いた結果、思想的な傾向も色々と変化してきたらしく、ついこの間までは『使い魔の座』の内部にいたとのことだ。
「――『使い魔の座』といっても反主流の保守系魔女で、実質的には『杖の座』寄りの立場。だから現時点では味方だと思って貰っても構わない」
例によって『塔』の派閥関係の話はいまひとつ想像しがたいのだが、とりあえずトリシューラと同じ勢力に所属しているということはよくわかった。同時に、『作られた魔女』という点で境遇がある程度似ていることが引っかかる。もしかすると彼女もまた末妹候補だったのだろうか。
「誤解があるみたいね。私は魔女であり、『塔』のしがらみからは自由にはなれない。けれど一番に欲しいのはわたしにーさま」
受け取り方次第で愛の囁きにも聞こえそうな発言だが、この場合は言葉通りの意味だろう。彼女の熱を帯びた視線はまっすぐに俺の心を、魂を欲していた。『杖』的に表現すれば心臓を。呪的な水によって構成された右手が鋭利な刃となって突き入れられ、俺は氷の腕でそれを捌いた上で相手の態勢を崩そうと巻き込んでいく。
魔女の唇が、すうっと笑みの形を深くした。ぞくりと背筋が粟立つ。
「素敵」
――逆だった。巻き込まれたのはこちらの腕。
移動とステップを同時に行わなければならないこの場所の制約があちらに利していた。体重が浮き上がる瞬間を狙った『投げ』が綺麗に嵌り、俺の全身がやらせの大道芸そこのけのど派手さで舞い上がる。支点となった右腕同士が呪力を拮抗させて軋むような音を立てた。
このままでは頭から床に叩きつけられて死ぬ――無様な敗北を回避すべく全身が必死の悪足掻きを試みる。流れに逆らわず慣性に従って宙で一回転。極められた右腕が軋むが、痛覚を遮断して強制的に肩関節を外す。可動域の広がった肉体が自由になり、生身では不可能な軌道を描いて着地、直後に左の打撃を放って距離を離す。義肢の関節を再接続。義肢や義体は打撃に強く関節技と投げ技に弱い――しかし弱いということはその対策も十分に練られているということでもある。
「やっぱりわたしにーさまが一番安定してる。本命のアニムス、確定ね」
軽やかに床を踏み、左右の義肢に弾みを付けて、長い黒髪が翼のように広がる。
踊るイツノの姿はステージの上で躍動するアイドルたちにも劣らぬほどに輝いて見えた。だが、彼女の姿を注視するものは俺以外にはおらず、俺たちの争うさまを見ているものもいない。
至近距離、俺の背後をかすめるように再生者が通過する。同時にイツノの目の前を別の再生者が通り過ぎる。彼らは俺たちを意識していなかった。俺たちはこの場所で孤立している――隔離されているかのように、世界にふたりきり。
いや――ひとりきり、なのか。
「これがイツノの能力か」
「『河川』は境界、境界とは結界、聖俗の分け目、現世と
わけの分からない物言いは魔女特有のものだ。水で構成されている右腕と関係がある能力だということはなんとなくわかった。それから、どことなく『死人の森の女王』を連想させるような言葉が多かったことも気になる。
「殺すから、殺して。シナモリアキラはそうして更なる高みへと到達する」
「あいにく、イツノはまだ戦力として有用だから残しておけ、とちびシューラから言われているから無理だ。適当に相手してやるからそれで満足しろ」
「不満。死ね」
自然体で俺の命を狙い続けるイツノのふるまいを、俺は当たり前のことのように受け止めていた。この攻防は凝り固まった筋肉をほぐす運動のようなもの。結果としてどちらかが死んだとしても、それは新陳代謝程度の意味合いしかない。我ながら意味が分からないが、そう感じてしまうのだ。
攻防は型稽古のように段取りよく進み、競技ダンスのようにぴったりな呼吸で行われていった。相手が次にどう動くのかは明らかで、こちらが繰り出した手は完璧に対処されるだろうという確信がある。いつまでもどこまでも、この演武は続くのだとそう思わされた。フロアは白熱していく。同じ旋律、同じ鼓動を共有する俺たちは既にひとつの生命だった。俺はイツノで、イツノは俺だ。目の前に投影されているのは女性的な俺という心の一部分――そこまで考えて唐突に我に帰る。
いつの間にか、フロアの奥、開けた場所に出てきてしまっていた。
現れたのは巨大なステージと群がる群衆、そして頭上の巨大スクリーン。
そこにはずらりと人名やユニット名らしきものが並び、その横には順位と得点が表示されていた。つまり、あのランキングこそがこの空間における絶対的な価値基準ということなのだろう。
元カルト教団の教祖だった触手系アイドル、角笛ヤギや呼び笛カナリアといった楽器生物を使役する動物園系アイドル、刺青呪術系黒檀の民ダンサー、自在に体型を変化させる夜の民モデル、ネクロメタルバンドに探索者系の火工術師ユニットまで揃っていて、バリエーションは相当に豊かだ。
そんな混沌としたランキングの上位に、気になる名前があった。
「イツノ、上位の面子に見覚えは?」
「三位が『パイロマスター』で二位が『ヒュドラボルテージ』――この辺までは良く知らない。十位は聞いた事くらいあるけど、端役だと思うわ」
周囲を見回すと、ちょうどその辺で配っていた手作りの冊子に有名どころの情報が記されていた。例えば『パイロマスター』は錬金術師から専門分化した杖系の燃焼制御エンジニアが組んだロックバンドで、花火や火炎放射、閃光などによるド派手なステージ演出が売り。大規模探索者集団に所属していてプロデュースは地上に名高き盗賊王ゼド――かなり気になる名前が出てきたがひとまず置くとして、主立った有名所をざっと把握していく。
最近頭角を現してきた二位の『ヒュドラボルテージ』はもっぱら深いフロアでトップに挑戦を続けており、あまりその姿を見せないとのこと。上位陣になればなるほど深い地下フロアで対決ライブを行うのだが、ファンを広く獲得するために殆どのアイドルは定期的に最初のフロアに戻って来てライブを行うようだ。
つまりその時が新参が上位陣を打ち破ることができる下克上のチャンスということに他ならない。実際、たったいま十位のラリスキャニアを蹴落として上位にランクインしたのはアイドルユニット『チョコレートリリー空組』だ。
一人で分裂してアイドルユニットを組んでいたラリスキャニアだったが、ステージを最高に盛り上げて集めた承認の力には敵わなかった。お姫様然としたステージ衣装を身に纏った三人組のアイドルに破れてがくりと項垂れて退場していく。
リーナ・ゾラ・クロウサーをはじめとする『呪文の座』に所属する三人の魔女がどうなっているだろうかと思ったが、心配は不要だったようだ。見事に環境に適応している。ノリノリの二人に比べて白い子がやけくそ気味に笑顔を作っているのが少し気になるが。強く生きて欲しい。
そしてトップに燦然と輝くのは――。
「リールエルバ、だと?」
「私にも一号の名前が書いてあるように見える。本物か騙りか、偶然かあやかりか、あるいは他に事情があるのか――実際に会ってみないとなんとも言えない」
どうやら、このトップアイドルも二位と同じく滅多にここにはやってこないらしい。直接会うにはランクを上げて地下深くへと潜らなければならない。
軽い拳打を片手で受け止めて、俺はイツノの瞳を覗き込む。
「挑むつもり?」
「可能なら。どうにもひっかかる――罠の可能性を踏まえても、地下のトップアイドルが吸血鬼ってのはあからさますぎるからな」
地下から溢れ出す瘴気、広がりを見せるウィルス、そして再生者たちが熱狂する地下の吸血鬼アイドル――この世界において吸血鬼とは瘴気を統べ、蔓延させる病毒の化身だ。無関係だとはとても思えない。事態の鍵はリールエルバが握っているものと思われてならないのだ。
いつのまにかイツノの『独りきりの結界』は解除されていたらしく、フロアを探索していたトリシューラたちが続々とこちらに集まり始めた。互いに情報を交換し合うと、やはりリールエルバが怪しいという所に話が行き着く。
「奇妙なことだが、このフロアにいる再生者からは瘴気を感じなかった。確かに地下深くから瘴気が溢れ出してきているのだが、そこから隔離されているかのようにここにいる者はみな無事なのだ」
不可解でならないというふうに首を傾げるカーイン。意図的に瘴気の流れを操らなければこのような現象は起きないと言う。そして、ここまで大規模かつ精確に瘴気を操作することができるとすれば、それは力のある吸血鬼だけだと言う。
「過去を覗いた所、リールエルバという名はこの奇妙な空間が成立した当初から最上位に君臨していた。今の限られた呪力では未来までは見えぬが、隣接する時間軸でもリールエルバは最上位だ。偶然の端役などではなく、この事象における因果に深く関わった必然の配役であろうな」
老オルヴァの情報が一層の確信をもたらしてくれた。方針は決まったと言っても過言では無い。ではどのように地下に進んでいくかだが、ここで議論が停滞した。
「オルヴァが空間割ってワープすればいいんじゃないか?」
「いや、どうやら階層の狭間に複雑な因果のほつれが仕掛けてあるようだ。下手に小細工を仕掛けると次元の彼方に飛ばされて戻れなくなる」
ずるはできない、と。正攻法しかないようだ。
続いてカーインがぽつりと呟く。
「レオ様をお連れしてデビューしていただけばかなりいいところまで――はっ、私は何を、シナモリアキラに思考を毒され過ぎている――!」
「おい聞こえてんぞ、だがいい考えだ。それ採用な」
「メールしたら『恥ずかしいから無理』らしいよ。あとアキラくんとカーインのアイデアだって伝えたら『二人のいじわる』だって」
トリシューラが端末を示すとレオのメッセージが絵文字付きで表示された。
思わず呻いてしばらく行動不能になる俺とカーイン。
「わたしにーさまを殺す。ハッピーエンド」
イツノは論外として、どうしたものかと皆で首を捻る。
リズムに乗せた打撃を捌いて流れるように反撃。先程の演武じみた攻防が再開されて、息のあったダンスがまたしても繰り返される。
「ほう」
と感心したようなカーインの声。
トリシューラは俺とイツノの戦闘をしばらく観察して、ぽんと手を打った。
「なんだ、これでいけるじゃん」
猛烈に嫌な予感がしたが、すでにトリシューラの中では全てが決定していた。
そして、俺の肉体はトリシューラに回収され、『俺』はイツノになった。
そして、時間は本番直前に移る。
慣れない寄り代の眉根を寄せて、俺はトリシューラに不平を漏らした。
「なあ、やっぱり無理だって」
骨犬とじゃれ合うトリシューラは聞く耳を持ってくれない。主体を失い抜け殻となった俺の素体を体内の亜空間に格納してからは俺の事を『姫』扱いしてくるし、むず痒いを通り越して気持ち悪かった。
「男性の性自認に女性の身体を持つアキラ姫と、女性の性自認に男性の身体を持つ
「いやそういうことじゃなくて――」
トリシューラはカインと遊びながらも端末をいじってウェブマガジンの更新作業で忙しそうにしている。
自己のミームを拡散・伝播させる手段として、言語魔術師たちは新聞や雑誌などを用いてきた。トリシューラもまたブランド『
画像投稿に特化したタイプのSNSと動画配信サービスを利用したプレゼンテーションは『きぐるみ妖精』の得意技だが、ここでもその戦術は有効だ。
「とにかく実績が欲しいよね。何事も地道に努力だよ、アキラくん」
「正論っぽいことを言うなよ」
オーディションに合格して仕事を貰えればダンジョン内のローカルアストラルネットで配信されているウェブマガジンや中継動画での露出が増える。ファンを増やすためにはまずオーディションと仕事をこなすのが手っ取り早い。
「カーインを『親衛隊』に登録しておくから、襲撃してくる他の『親衛隊』の対処は任せたよ。アキラ姫も、カーインが撃ち漏らした『親衛隊』はしっかりと撃退してね。私も頑張るから」
「え、なにそれ怖い」
別のステージを見ると、演奏中のロックバンドがステージに乱入してきた他のアイドルファンたちに向かって火炎放射器をぶっ放している所だった。それすらパフォーマンスとなるのか、会場は大いに盛り上がっていた。物騒すぎる。
「技量そのものは『
別にトリシューラが信用出来ないとかではない。自分の場違い感が耐え難いだけなのだ。などとまごついているうちにも時間は過ぎて俺の出番がやってくる。羞恥と怯懦を心から排除して、透き通った思考で一歩を踏み出す。死ぬほど嫌だが、それはそれとして『E-E』があれば行動は可能だった。
首筋から感じる冷たい感覚。
感情が凍っていく。感情制御の呪いが再び活性化しているのを感じた。
コルセスカと繋いだ経路が再び太く強くなっているのだ。
彼女が、この近くにいる。
それだけで前に進む理由になる。
「多分セスカは最下層にいる。きっとアルト・イヴニルもね」
トリシューラの言葉に頷いて、俺はステージへと進み出た。
曲は『Spear』から『春色カレイドスコープ』。
ミディアムテンポのバラッドで、歌詞は情熱的な恋をステージへの挑戦になぞらえたものだ。落ち着いた楽想から情熱的なクライマックスへと向かう劇的な曲調が舞台を盛り上げ、憂いを帯びた歌声が平凡な日常から華やかな舞台へと足を踏み出そうとする心の動きを表現する――事前に仮想道場で練習した通りにランウェイを歩く。大胆に足を進め、音を完全に支配する。肉体はほとんど自動的だ。この身体は想像以上に心得ている。
擦れ違うライバルには目もくれず、挑戦的に先へと進む。
今のモデルは随分と対抗心を剥き出しにしてくれたが、そんなものには取り合わない。俺はこの舞台における主役ではない。ただの媒体で、主役はあくまでも服――トリシューラだ。俺は彼女の使い魔としてその力をアピールするだけでいい。
服をどう見せるか、デザインと材質をわかりやすく綺麗に示すにはどんなポージングをすべきか。仮想空間で積み上げた練習をパターン化して『最適』を割り出す。アピール時間と観客席からの見え方、音楽の盛り上がりとのタイミング合わせなど、全てを総合したプランの組み上げはトリシューラが完璧に仕上げてくれた。俺はただそれを忠実にこなしていく。
華やかにたもとを翻し、平坦なランウェイに乗り出してきた『親衛隊』の襲撃をひらりと躱す。舞うような歩みは止まらず、勢い余って反対側に落ちた再生者がカーインに取り押さえられた。
何事も無かったかのようにポーズを決めると、わっと会場が沸いた。
片足のかかとに重心を置き、軸足と反対側の肩を上に引き上げ浮いた足の膝を外側に開く――いわゆるSラインのアピール。
顎を引き、腰を入れ、揺るぎない視線が凛と前だけを見据える。アプリによって制御された表情筋が大人びた笑みを形作る。曲の盛り上がりは最高潮、観客の受けも上々だった。成功の確信を得て、俺は来た道を意気揚々と引き上げる。
一通りのステージが終わり、観客からの投票が行われていった。集計は速やかに終了し、結果が発表される。そして飛び跳ねるちびシューラ。
「やったね、姫!」
聞く度に複雑な気持ちになる呼ばれ方だが、満面の笑みを浮かべたトリシューラの気分に水を差すのも気が進まないし、素直に一緒に喜んでおこう。あとなんかこの身体になってからトリシューラの距離が近い。こちらの両手をとってぶんぶんと振り回してくる無邪気な様子がどこか子供っぽくて微笑ましい気持ちになる。
「よーし、この勢いに乗って勝ちまくるよ! 目指せ、ランキング一位!」
「お、おー」
控え目に手を突き上げる。不安が無いでもないが、こういう調子の乗り方はトリシューラっぽくて嫌いではない。次のステージを目標に、俺たちは作戦を練り始める。戦いはまだ始まったばかりだった。
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