4-159 オルヴァ王と十二人のシナモリアキラ㉕
そこからのパーンの動きは、完全なる『未知』によって組み立てられていた。ヴァージルに辛うじて理解できたのは、それがオルガンローデであること、そしてそれが自分のものと同じ独自の改良を施した全く異質な『紀竜』であることのみ。その全容が明らかになる頃には、ヴァージルの使い魔たちの過半数はパーンによって駆逐された後だった。
一見して、そこには少年のパーンがいるだけだ。
だが彼を取り巻く文脈、そして背後に広がる設定圧はかつての比ではない。
そのオルガンローデの正体を理解したヴァージルは戦慄と共に叫ぶ。
「馬鹿な、『設定上の紀竜オルガンローデ』――そんな与太みたいな術を?!」
その竜に実体は無い。定まった形は無い。そもそも単一の術ですらない。
それは無数の設定の羅列だった。
『技能の断章』から吐き出されていく無数の技法、『サイバーカラテ道場』から参照した膨大な技術、そしてパーンの内から湧き出てくる来歴不明の藍色の呪力。
「技を借りるぞ――ミシャルヒ」
小さく呟いたパーンが静かに拡散したのは一つの原始的な呪文。とある
この幻の入力フォームにパスワードを入力してしまったが最後、個人情報は
『設定』を纏ったパーンの戦法は単純なものだった。
総当たりの物量攻撃。その場にいた適当な人材の技術を参照、再現してヴァージルにぶつけていくだけだ。
まず
内壁が砕け、いよいよ空間そのものが崩壊の兆しを見せ始めていたが、そんなことには頓着しない。『型』という名の肉体言語魔術で『遠当て』を放てばヴァージルの身体が吹き飛ばされ、反撃に射出された水晶柱は水流を纏った鞭が迎撃する。
矢のように飛翔したパーンは両手に『創造』した
「寄せ集めの力などでっ」
竜に対抗すべく、ヴァージルは再び紀竜の力を解放する。
ロワスカーグの長い耳が呪力を放ってパーンの動きを妨げようとするが、不可視の力場によって呪的干渉が弾かれてしまう。単純な設定の物量。波濤じみた猛攻を処理しきれずに小さな兎がいやいやをするように首を振った。
打撃。旋棍が勢いをつけて風を切るが、ヴァージルの目の前にサイザクタートが割り込んだ。三つ首の虹犬は巨大な腕を伸ばして動作の起こりを防ぎに行く。
旋棍は手首のスナップで生み出される遠心力によって打撃を行うが、それゆえに支点を押さえられると弱い。棍というだけあって、棒や槍と同じように懐に入られると弱いという弱点を抱えているのである。
しかしこの旋棍は呪力の宿った『杖』だ。
【空圧】の呪力噴流が生み出す加速は本人の動きとは関係無く、自動的に旋棍そのものに推進力を発生させる。
加えて言えば、パーンの腕に尋常な人体の道理は通用しない。
無数の関節がうねる長い腕、その形はさながら蛇。
あらゆる防御をかいくぐって目標に到達する鞭にして多節棍、腕にして蛇の使い魔。『残心プリセット』の延長線上に存在する自律型多関節腕という奇拳がサイザクタートとヴァージルを打ちのめしていく。
「蛇腹拳、と言うらしい。これはとあるインドアユーザーの技術者と腕を失った武芸者が共同で開発したものだが――まあいい、『それはまた別の話』だ」
そう言って詳細な説明を省くパーンの腕に竜が宿る。
語られざるもの、その集合たる竜が。
『サイバーカラテ道場』が死蔵されていた設定の群れに評価を与えたことで、膨大な量の戦術パターンが追加されていた。個別の設定は無意味であり、本来ならばこの局面で役に立つことは無い。しかし、総体としてのサイバーカラテは確かに強化され、見えないところで『サイバーカラテ道場』の格と信用度は高まっていく。
その『見えないところで』というのを曖昧なまま形にしたのがパーンの使役している竜の正体だ。実体は無いが確かにそこにある『集合知幻想という権威』。
『どうやら積み重ねられているらしい実績』が具現化して、あるいは具現化しないままにパーンに力を与える。『技能』の書が司る権力の形は、『サイバーカラテ道場』の持つ一つの性質を誇張して権威化する。
設定を操る術――ヴァージルの知らない所でパーンが獲得していた新たな力により、状況は一変した。一気に劣勢に追い込まれたヴァージルは苦境を脱するべくロワスカーグに命令を下すが、長い耳の兎は儚く霧散してしまう。
「その術はもう『覚えた』――貴様の呪文は、もう効かない」
パーンの背後で輝く黒い魔導書が、対抗呪文『静謐』によって人工の紀竜を解体していた。続く呪文の展開を許さず、更なる『静謐』が嵐のようにヴァージルを襲い、その身を守る呪術障壁を片端から無効化していく。
いかに『断章』が強力な魔導書とはいえ、これほど強力な対抗呪文を高速で編むことは不可能に近い。相手がヴァージルほどの呪術師ならば猶更だ。
しかし第二断章『技能』に限っては別だった。
この『断章』はあらゆる呪術を習得し、杖の手法によって再現可能にする。
解析に時間がかかるという欠点はあるものの、六王の力すら摸倣するその汎用性は断章の中でも頭抜けている。
「俺が司る権力の形は『技能』――すなわち叡智の独占! あらゆる知識と技術は俺が使う為だけに存在し、俺の許可無しに使われることがあってはならない」
静謐の呪文が亡霊の使い魔を消し飛ばす度にヴァージルのアストラル界における支配領域は少しずつ後退していく。
呪文を唱えることができないヴァージルは、パーンの『杖』的な物理攻撃と物量による猛攻を防ぎきることができないまま打ちのめされた。跳躍して逃れようとするヴァージルを、冷徹な声が引き留める。
「空はこの俺の領域だ。飛行、跳躍、それを可能とする技術と知識の全てを俺以外が使う事は許さん――おい。誰の許可を得て俺より高みに立っている?」
兎が得意とする重力制御による大跳躍呪術が消滅。軽やかに跳ねていたヴァージルは鈍重な肉体の重みに呪縛され、窮屈な重力の手に捕らえられた。哀れなまでの失速、そして失墜。止めの宣言。
「頭が高いぞ野ウサギ風情が」
浮遊はおろか、跳躍するために足を撓めることすら許さない絶対の呪い。
傲慢な声が高みから落とされ、地に伏したヴァージルの真上にふわりと降り立つ幼いパーン。その足裏が、ゆっくりとヴァージルの頭部に乗せられる。
空の民の少年は驚くほど軽かったが、屈辱の重みはヴァージルの表情をかつてないほどの精神的苦痛によって歪ませた。
「く、何か、何か手は無いのか――っ」
苦境を脱するための使い魔を呼ぼうとして、既に亡霊も人形も無力化されていることに愕然とするヴァージル。最も頼りにしているサイザクタートもまた傷付き倒れてしまっていた。残りの使い魔たちはこの場には不在――否。あと一人だけ、万が一に備えて従えていた男がいたはず。少年はその名を呼んだ。
「イアテム!」
ヴァージルから離れてはいるが、同じ空間で襲撃者を迎え撃っていたイアテム。使い魔に身を落とした海の民の勇者が無事でさえあれば、パーンにぶつけて態勢を立て直す時間稼ぎができる――だがそんな思惑は脆くも崩れ去る。
水流によって形作られた刃が閃き、雲霞の腕が宙を舞う。
襲撃者にして傲慢なる贖罪の魔人、マイカールが呻き声を上げてたたらを踏む。追撃の呪文がその身を打ち据え、裂帛の気合いと共に放たれた激流が斬撃となって巨体を切り裂き、吹き飛ばしていった。
「我に貴様を助けろだと? 馬鹿を言え。貴様が劣勢に置かれた今こそ千載一遇の好機。忌まわしい支配を断ち切り、弱った貴様の首を討ち取らせて貰う」
劣勢を覆し、その身に覇気を充溢させた勇者イアテムは剣の切っ先をヴァージルに向けて言い放つ。直前までマイカールに蹂躙され、貶められていたとは思えぬ堂々たる態度であった。そんな馬鹿なと呻く巨人は、再び同じ手口でイアテムを愚弄し、恥辱の底に叩き落とそうと試みる。しかし勇者は小揺るぎもしなかった。
イアテムの周囲から、声が響いていた。
彼の同胞たる海の民たちの声が。
男の足下に滴った血が水たまりを作り、顔を幾度も打ち据えられたことで面相は歪んでしまっている。咳き込み、喉から血痰を吐き出して苦しげに呻く。それでもなお男は不屈。激流の剣はさらに勢いを増し、その身から溢れ出す呪力は荒天の海原さながらだった。マイカールの反撃を一刀のもとに切り捨てて吼える。
「背中を押す声に応え、勝利を掴むが勇者の責務。同胞たちが我が勝利を信じる限り、我は決して倒れはせん」
「玉無しの負け犬風情が、弱者は弱者らしく振る舞え、図々しいぞ!」
マイカールの怒りに満ちた呪詛が暴風を巻き起こし、イアテムの全身に叩きつける。かろうじてその身に張り付いていた布はぼろきれ同然となり、そのまま引き裂かれて吹き飛んでいく。露わになった傷だらけの裸身、そして痛々しい『その場所』を指差してマイカールが憐れみを込めて言い放った。
「強がりはよせ。無理をする必要は無い。勇者だ何だと言ってもお前は可哀相な傷病者でしかないのだ。跪き、媚びを売り、我が贖罪に感激してこの罪深き身を許すがいい。いや許せ。許せ許せさっさと許しを寄越せこのゴミ虫が貴様らのせいでどれだけ苦しんだと思っている被害者気取りもいい加減にしろ」
血走った目で喚き散らすマイカールの巨体は徐々に縮み、威圧感のあった顔は細かい皺だらけになり表情は卑しさを纏ったものに変化していく。極度に狭まった視野、己の世界の中だけで完結していく気質、もはやマイカールは巨人の名にふさわしからぬ存在に堕ちようとしていた。直視することすら躊躇われる相手を前に、しかしイアテムは怯まない。
「確かに、この身と魂には癒えぬ傷が刻まれている。だが傷と恥がどうした。我が弱き心が誇りと強さを信じられなくなったからどうだというのだ。
傷付いたイアテムを、配下の海の民たちが支えていた。
彼を信じる声援がイアテム自身の『強い自分』の確信に繋がり、折れそうな心の炉心に火をくべる。燃え立つ意思が誇らしい宣名を呼び起こしていった。
「我こそは勇者イアテム! 南東海にその人ありと謳われた男の中の男である!」
圧倒的な宣名圧によってマイカールが吹き飛ばされる。
雄々しく胸を張り、恥じることなく腰に手を当てたイアテムの『その場所』に途方もない呪力が集中し、光輝いていった。声援を送る海の民らの視線が、『邪視』がイアテムの局部を太陽の如く煌めかせていく。
彼らは痛ましい傷を見て憐れんでいるのではなかった。
無惨な虚無を眺めて悲しんでいるのでもない。
瞳に浮かぶのは称賛と羨望。
発せられるのは感嘆の溜息。
彼らは口々にイアテムの『それ』に言及する。
「なんと雄々しい」「見ろ、イアテム様のご立派な妙品を」「流石は男の中の男、あの下腹の逞しさときたら」「あれぞ男児の象徴、戦士たる証にございます」「素敵、抱いて!」「見ろ、マイカールの奴め、我らが勇者の雄々しさに気圧されているぞ」「イアテム様と違い、さぞ粗末なものをお持ちなのだろうよ」「ほらアンタも」「えっいや知らないし――あ、嘘です見えますわーすごーいおっきいしー多分レオくんの三倍くらいあるしーはっレオくんのかわいいナニがアレでじゅるり」「男根!」「男根!」「男根のイアテム、万歳!」
仲間たちからの男根コールにより存在しない男根が世界に幻視され、『雄々しい』『立派』『見事』と褒めそやされる度にイアテムは男性としての自信を取り戻していく。声援に呼応して下腹部の輝きが増し、巨大なオーラのような呪力が膨張し、屹立していく。
伸び上がった呪力がマイカールを打ち据え、肛門から入って口までを貫き通す。イアテムの刃が串刺しにされたマイカールの四肢を無造作に切断し、服を引き千切って裸身を晒すとその全身に少しずつ傷を刻み付けていった。イアテムはマイカールの下腹部に刃を突き立てて言った。
「償いの方法を教えてやろう」
止めろ、という声は口の中に押し込まれたものによって押し留められた。
血の味と激痛に呻くマイカールだが蹂躙は終わらない。海の民たちが発する呪いの数々が傷口から侵入して体内を責め苛み、無数の槍が肌を赤く染める。族誅呪術が三親等以内の血縁へと触手を伸ばし、イアテムの呪力が『地上』と『槍神教』という絶対的加護を突破してマイカールの家族を虐殺する。
平和な日常を惨劇が襲い、脳を焼かれる苦しみに絶望しながらエルネトモラン市に凄惨な屍が生まれる。超呪力で自らを蘇生させ続けるマイカールは、家族と己が無慈悲に殺される瞬間を延々と再生しながら窮地から脱出しようと試みるが、その度に苦痛と絶望に心を折られて死に引き戻される。
刑場の晒し者として未来永劫苦しみ続けるマイカール。その姿を海の民たちはいい気味だと唾を吐き、石を投げて溜飲を下げる。報復により一致団結した海の民、それを束ねたイアテムは剣を高らかに掲げてヴァージルへの叛逆と、今一度この第五階層に覇を唱える事を宣言した。
パーンに頭を踏みつけられ、最後の使い魔にも裏切られたヴァージルにもはや打つ手は無い。イアテムらの反撃を醒めた目で見ていたパーンは足裏に力を込めてヴァージルを見下ろした。
「どうやらここまでだな。茶番にしてもつまらないが――貴様を殺して奴らも潰す。俺は『
追い詰められたヴァージルは表情を歪ませて、震え続けるばかり。
小さな呻きは嗚咽のようでもあり、怨嗟の声のようでもあった。
角度的に少年の表情はパーンには見えない。
だが、その様子を遠くから伺っていた
いい知れない悪寒にファルの身の毛がよだつ。
「く――こんな時に、お前も、お前も、出て来るな――っ」
錯乱したように何かを呟くヴァージル。
ファルは何かに気付いたようにはっと目を見開くと、自らを追いかけていたベフォニスの視界をジャックして進行方向を操作。実は疾うに戦いは決着しており、逃げ回っている振りをして反撃の機会を窺っていたのだ――ファルの展開した偽装空間がベフォニスの認識を完全に掌握し、本人は正常に動いているつもりの拳打がヴァージル目掛けて叩き込まれる。
飛び上がって回避するパーン、避けきれずに砕けた床にめり込むヴァージル。
続けてファルはその両手を広げてヴァージルを見据えて叫ぶ。
「言理の妖精語りて曰く――チャンスは逃さない。君を単純化したまま解体する」
存在を掌握して解体する。
呪文の奥義が色のない輝きを放ち、起源を辿る遡りの呪文が唱えられた。
ファルの歌がヴァージルの過去を切り取り、分解し、取捨選択してファルの眼鏡越しの『狂王子』を再構築していった。
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