4-157 オルヴァ王と十二人のシナモリアキラ㉓
男根城に悲鳴が響く。
それは六王同士の激闘の結果であったり、地獄からやってきた巨人に追い回される
イアテムは吼える。
血を吐きながら、怨嗟を叫びながら、大量の炎と氷、稲妻と礫に襲われながらも必死に水流の剣を振るって巨人に立ち向かう。増殖する自己を延々と複製して挑み、その度に叩き潰されていく。
圧倒的な力でイアテムの群を薙ぎ倒していく『
虐殺者マイカール・チャーラムが望むのは罪の贖いだ。
ティリビナの民、海の民をはじめとする異獣を討伐した英雄――その欺瞞に堪えられなくなった彼は、悪として裁かれ、責められることに救いを見出した。
「でも世界を読み替えて前に進むのは呪文や邪視の領分だ。杖の理とは違う」
トリシューラは言う。では杖の贖いとは何か。
「それはね、マイカール。価値の零落と罪科の計量だよ。
声が届いているのはマイカールにだけではない。
トリシューラの音声はイアテムにも聞こえていた。
機械的な声が男根城に響く。
「私なら、あなたの失われたものを補填してあげられる――私は、ウィッチドクターだから。あなたが一番に欲している失われたものをあげられる」
その言葉に、イアテムは過剰なまでの反応を示した。
「女風情が、この俺に誇りを恵んでやると!? 思い上がるな魔女め!」
強張った表情と震える声は何かに怯えるようでもあり、トリシューラの声はこころなしか柔らかくなっていく。
「精神的な苦痛に対しての補償もするよ。脳波の計測から始めて、ノルアドレナリンの時間当たりの平均分泌量を概算。当時から現在までに貴方の脳が被ったストレス値と、それによってもたらされた肉体への負荷をシミュレーションするよ。
個人差や環境、文化的社会的な損害もあるから諸々それも含めて、ガロアンディアン法が定める基準にのっとって補償額を算定します。そうしたらアルセミットに対して裁判を起こして賠償請求をしようか。大丈夫、ティリビナの民に対するスタンスが変化してきている今なら――今だからこそやる価値があることだよ」
トリシューラの理屈で言えば、槍神教、あるいはアルセミットが補償をするのが筋ではある。しかし地上を支配しているに等しい勢力が虐殺の事実などを認めるかどうかは極めて怪しいところだ。にもかかわらず、トリシューラはさも自信ありげにイアテムに提案を続けていく。
現在、地上にはティリビナ人特区が出来ている。アルセミットの世論は彼らを受け入れる方向に進んでおり、過去の蛮行を再度検討しようという動きが広がっていた。であれば、共存する前にすべきこととして責任の追及と謝罪、そしてティリビナ人や海の民への戦後補償を行うのが自然な流れと言える。
「聖絶は槍神の法には反していないけれど、もっと古い国際社会の法では当然アウトなわけ。だからこの案件では『塔』の魔女たちが被害者と『国家』――教会じゃないのがポイントね――の間に立って調停を行う予定なの。金銭以外の困難――居住、就業差別に対する補償や待遇改善について、ひとつの最適解となる環境を用意できるのがガロアンディアンってこともあるから、私たち『杖の座』はこの件では『呪文の座』と協調する――っと、こういう事情はそっちとは関係無いか」
トリシューラの態度はサイバーカラテの暴走や事故、悪しき利用法による被害者に対しての答えでもあった。
杖の――ガロアンディアンの機械女王としてのトリシューラのスタンスはこれからずっと『こう』だ。賠償金は国家が定める基準に照らし合わせて価値に換算して支払われる。そして国家にできる償いとはただそれだけしかない。
「私はお金持ち。技術立国ガロアンディアンの補償技術は世界一。そして『塔』の潤沢な資金と権力もフル活用できる。アルセミットから搾り取る準備は万端。やったね、勝訴の垂れ幕を用意しておいていいよ!」
「ふざけるなっ!」
イアテムの絶叫が大気を震わせ、振り抜かれた水の刃が地面を砕いた。
憤怒に染まる顔には血管が浮き上がり、今にも破裂しそうなほどに表情の筋肉が強張っている。憎しみが邪視となって具現化し、激流が渦を巻いて荒れ狂う。
「金だと? 我らの誇りを、死を、愚弄するかっ!」
尊い命の犠牲、無惨に散った魂たちの価値を金銭に換算し、補填する――それは受け取り方によっては侮辱にもなり得る。イアテムにしてみれば、『金をやるから全て忘れろ』とでも言われているように思えたのだろう。
どこからか聞こえてくるトリシューラの機械音声はしばし逡巡して、どう答えたものかを迷うように間を置いたが――彼女が続く言葉を発するよりも先に、マイカールが動いた。イアテムの放った水流が巨人の拳と激突して豪快な音を立てる。
「我が償いを拒むとはなんたる傲慢か!」
あまりの言い草に、さしものイアテムも言葉を失った。トリシューラのものと思われる機械音声がノイズとなってかき消える。
マイカールは憤慨しながらも傷付いたような瞳でイアテムを睨み付けている――『大入道』は、全くの本心からその言葉を発していた。
「我々とて戦いの中で死と痛みを背負った! 心にけっして消えぬ傷を負った者もいるのだぞ! 貴様らは自分たちの誇りさえ守られれば我々の苦痛などどうでも良いと言うのか! 我々とて人間だ。暴力の罪に苛まれ、過去を悔いることもある。せっかくこちらが歩み寄り対話する姿勢を見せたというのに、その態度は何だ? 人の痛みを知らぬ鬼畜外道どもめが!」
マイカールは被害者の顔をしていた。
悲しみと痛みに歪む顔、引き裂かれそうな心を抱えながら呆然とするイアテムを殴り、蹴り、嵐の呪術で叩きのめす。
「やはり、所詮は異教徒か。塵も残さず滅ぼす外に道は無し――だが我が償いを果たすまでは生きていて貰う」
虫を見るような目でイアテムを踏みつけながら言うマイカール。
機械音声は完全に停止していた。
「決めたぞ。お前たち海の民すべてに報いるため、まずは方々へ散った反乱軍の頭目たちを捕らえる。奴らは賞金首だ。その懸賞金を補償金に充てれば万事が解決、お前たちも共に旅立つことができて言う事はあるまい。安心せよ、この上無く立派な墓標を建ててやる。お前たちの首で贖う補償金でな」
マイカールの耳にはもはや何も届かない。
自己完結した巨人の全身が徐々に小さく縮んでいく。
増殖したイアテムや配下の海の民、『公社』の精鋭たちが包囲して必殺の呪いを撃ち込むが、全く意に介していなかった。マイカールの瞳が濁り、どんどん小さくなっていく体躯は歪に捩れていくばかり。周囲の世界が穢れるように暗く淀んで、殺される度に何事も無かったかのように復活する。
鼻にちり紙を詰めたセージが呪文でイアテムを援護しながら何かに気付いたように呟いた。
「やっば、あれ堕ちかけてるし。流石に
巨人の身体が堕落していくと共に凶悪な性質を帯びていく。マイカールの目に映る世界には、罪の償いの為に善き行いをする自分の姿と彼を導く美しいアルマの姿だけが存在していた。
「おのれ、マイカール! 貴様だけはこのイアテムが征服してくれる!」
マイカールの邪視が強大ならば、床に叩きつけられながらも気炎を上げるイアテムの生命力も無尽蔵だった。どれだけ痛めつけても諦めないイアテムを見るマイカールは不思議そうに首をひねる。
「純粋な疑問がある。どうやってだ? お前は私よりも弱いではないか」
「ほざけ、この男根のイアテム、この程度で屈伏する男ではない! 我こそは屈伏させる益荒男の中の益荒男、猛々しき勇者の中の勇者である!」
その物言いに、マイカールは失笑でもって応えた。
ただ仰々しい言動を鼻で笑っただけではない。
言葉の内容そのものに皮肉げな感情を向けて、イアテムを嘲笑したのだ。
「何がおかしい!」
「いいや? だが、なあおいイアテムよ。お前、今は『男根』のイアテムなどと名乗っているのか? そうかそうか。なるほど?」
イアテムはそれを聞いてさっと青ざめる。
マイカールはイアテムの足を掴むと強引に持ち上げた。
凄まじい怪力に抵抗できず、吊り下げられるイアテム。
帯から繋がった前垂れがめくれ上がり、足の付け根が露わとなった。
周囲でそれを見ていたイアテムの配下たちがはっと息を呑んだ。
マイカールはその部分に視線を向け、そして視た。
いや。
厳密に言うならば。
マイカール・チャーラムは、その目で何も見てはいなかった。
何も。
「『男根』のイアテム。そうか、立派な二つ名だ! 『男根』!」
「やめろ――」
恥辱に満ちたイアテムの声は、どこか悲鳴のようにも聞こえた。
マイカールはイアテムを高々と掲げ、彼の股間を周囲に見せびらかすように振り回す。そして繰り返し繰り返しイアテムの名を呼ぶのだ。二つ名を添えて。
「『男根』のイアテム! 男の中の男、雄々しき勇者、その名は『男根』のイアテム! ははは、立派な名だ。名は立派だ! 立派、立派だよ本当に!」
「やめろ、やめろ――見るな、見るな、見るんじゃない――」
怒りを底に湛えた声がイアテムから漏れる。
自分たちの英雄がいいように晒し者にされているのを見せつけられた海の民たちは絶望に満ちた表情で膝を着いていく。心の傷が連鎖するように広がっていった。
「我を見るな、我を蔑むな、我を憐れむな――」
ぶつぶつと、力無く呟くイアテム。
「我を恐れよ。我が男根は剥き出しの暴力。悪しき敵を討ち滅ぼす抜き身の刃――内面を忖度するな事情を斟酌するな過去の体験を慮って言動に理解を示そうとするなこのイアテムの存在と行動に理由など無い、ただ我こそは絶対なる勇者であり男の中の男なのだそこに異論を挟むことは許されん――」
その瞳から光が消える。
周囲の部下たちの中には屈辱と悲しみのあまり涙を流す者さえいた。
イアテムの敗北によって海の民の心もまた敗北する。
それは実のところ、過去の再演でもあった。
「見えるぞ、イアテム。己を誇示するのは、見られる事に対する恐怖の裏返しだ。恐怖に打ち震える、その卑小な魂がよく見える。去勢された獣の遠吠え、雌に見向きもされない腑抜けの負け惜しみ、そのようなものは弱さでしかない!」
言いながらマイカールは炎で槍を形作り、その熱をイアテムの股間に近付けていった。するとイアテムは何か恐ろしい記憶を呼び覚まされたかのように絶叫し、身を捩らせて逃れようとする。勇者の狂乱する姿に、部下たちもまた悲痛な表情で項垂れた。
「しかし頂点が折れれば簡単なものだな、心に信仰無き有象無象どもなど。所詮は蛮族の戦士か。それとも玉無しとは感染するものなのか?」
イアテムの絶叫は悲鳴なのか怒号なのか判然とせず、マイカールの口調は更に愉悦を帯びて嗜虐の快楽に酔いしれていた。勿論、彼はイアテムに償おうという考えを捨ててはいない。二つの思考は彼の中で違和感無く同居していた。
「そういえば、焼き切ったアレはどうしたのだったか――ああそうだ! 奪うばかりでは哀れと思い、返してやったのだったな? 憐れみと施しもまた信仰の道。いかに戦とはいえ、慈悲の心が必要になることもある。それでイアテム、お前に感想を聞くのを忘れていた。自分のものの味はどうだった?」
イアテムの叫びは、もはや言語であることを放棄していた。
マイカールは思い出す。
楽しさの中で、本当の自分を確信する。
楽しかったあの頃、愉快だったあの黄金時代。
相手が人でなく獣であるからどこまでも残酷に振る舞える地上の論理があるように、相手が獣でなく人であるからこそ残酷さが最高の娯楽になる外道の愉悦が存在する。それこそが
横目でマイカールの狂態を見つつ、ヴァージルは呟く。
「滑稽な
青い呪いによって存在を侵されていくパーンを見下ろして、太陰の王子は使い魔たちの頭を撫でた。
「完成された僕たちのような超越者こそが彼らを正しく統御して導いてあげるべきだとは思わない? そうした方が美しくなるのなら、醜さは消してしまうべきじゃないかな――僕はいい加減、下界の無秩序ぶりにうんざりしているんだ。愛しているからこそ憎らしい。好きだからこそもっと素敵になって欲しい」
幻滅、失望、落胆。
『人間』に期待することを止めてしまった、少年の達観がそこにあった。
それを幼いと言うにはこの場所は醜すぎて、ますますヴァージルは倦んでいく。
「敗れていった人形の国に敬意を表して、これを恋と呼ぼうかな。僕らはいつだって恋い焦がれている。命の煌めきに、死せる世界の美しさに」
浮遊してパーンの傍を離れるヴァージル。
彼は壁際に鎖で繋がれている囚人の所に移動した。
そうして、少年は力なく首を垂れるクレイの拘束を解いた。
右腕を強引に掴み、赤い眼に呪力を込めて視座を押し付ける。
命じた。
「これは剣。王国の剣」
途端、ヴァージルの手に握られているものが剣になった。
腕の尺骨を強引に刃に仕立て上げたような、歪な骨の剣だ。
クレイという男は最初からいなかったかのように――否、奇妙な骨の剣こそ彼の真の姿であったかのように、刃はヴァージルの手に収まっていた。
死人の森の女王ルウテトが生み出した再生者の王子――その本質の一端を引き出して、骨剣そのものとして振るう。切っ先が呪力を帯びて『死人の森』の権威を示した。天に揺れる幻影の巨剣と呼応するかのように骨剣が震えた。
ダモクレスの剣は、王に相応しからぬ者がどちらであるのかを見定めるかのように揺れる。振り子の刃が次第にパーンの方を向き始めていた。
幼くなったパーンは、青い髪に絡め取られながらも必死に足掻いていた。
幻影の腕を伸ばす。
囚われの姫君、閉ざされた氷の檻の向こうへ。
求めるものはひとつ。
「俺は、俺だ――! この俺の存在を、誰かの好きにはさせん!」
侵食するラクルラールの融血呪。
青い猛毒に飲み込まれつつある幼い掌が伸びて、やがて呪いに飲み込まれた。
氷には届かず、叫びは消えていく。
その光景を見届けて、ヴァージルは満足げに微笑んだ。
――氷塊に、僅かな亀裂が入ったことにも気付かずに。
夜の民の氏族が一、
遙けき神々の天空『エルネ=クローザンド』より分かたれた始まりの眷族種と、原初の深淵『スキリシア=エフェク』から生み出された夜の民とが混ざり合って生まれたと言い伝えられている幻姿霊は、スキリシアの四氏族の中にあってとりわけ掴み所が無い。
森の深きに潜む
『大いなる自然への恐れ』、病や災い、不吉や黒い噂といった『悪い空気』、そして夜という『未知なるものへの畏敬』。
夜の民たちが『人の幻想から掬い取った像』はありふれたものだが、それゆえに分かりやすい。
だが、幻姿霊は曖昧な光の像だ。
大気中に一定の濃度で散布された微粒子によって摸倣を行う点はいかにもな夜の民だが、その幻想の来歴は複数の伝承が混ざり合い、この種族がどのような性質を持っているのかを分かりづらくしている。
時に、彼らは山を見下ろすほどの身の丈を持った巨人であるとされた。
時に、彼らは海の彼方に見える妖しき炎であるとされた。
時に、彼らは稲妻を撒き散らす恐るべき球体であるとされた。
時に、彼らは誰かとそっくりなもう一人の自分であるとされた。
そして最も古い伝承では、彼らは水面や磨かれた鏡面に映る『人真似をする異界の住人たち』であるとされた。
『社会不安を招く』として地上で排斥される最も大きな原因となったこの伝承ゆえに、幻姿霊たちは古くから鏡から出現する暗殺者として時の権力者たちに恐れられてきた。『鏡を遠ざける』という古代ジャッフハリムの言い回しは、暗殺の危険を回避しようとする貴人たちの行動から生まれた。
最古の鏡は水面だ。
ゆえに、水に満ちた城砦の呪的警備を潜り抜けるのは彼――あるいは彼女――にとって容易いことであった。
男根城ファルスの一室。何かの儀式場なのか、幾つもの窪みに水が満たされた用途不明の空間。風もないのに水面が揺らぎ、その中からするりと黒衣が抜け出してきた。衣が水に濡れた様子は無い。当然だろう、その影は水の中ではなく水面という鏡面から出てきたのだ。
鏡の世界を行き来する光の種族。
幻姿霊ミシャルヒは、そうして第五階層の中心に辿り着いた。
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