4-154 オルヴァ王と十二人のシナモリアキラ⑳




 それは遠い昔のこと。

 まだこの大地の上に死人たちの王国が栄えていた頃。

 大いなる女神と六人の王たちによる統治が完全であった頃の話。


「もし『死人の森』すべてを支配下に置くことができたらどうする?」


 透き通るような少年の声が森の奥で響く。

 ヴァージルはオルヴァにいたずらっぽく笑いかけた。

 二人は『森』の中を流れる川の岸辺に並んで立ち、揃って複雑な呪文を紡いでいた。ヴァージルが水晶の石版を土中から出現させて、オルヴァがそこに文字を刻んでいく。力ある言葉を刻まれた|古代の魔導書〈せきばん〉が水面に沈み、死者の王国を守護する結界が強化されていく。


 『死人の森』には敵が多い。再生者を忌むべき悪霊とみなして討伐しようとする勢力との戦いによって『森』は少しずつ綻び、損耗していく。高位呪術師であるオルヴァとヴァージルは女王に請われて世界の修繕を行う役目を担っており、行動を共にする機会が多かった。


 その日も二人は『王国』の境界である川を訪れていた。作業工程も終わりに近付いたとき、ふと少年が零した野心とも妄想ともつかぬ戯れ言。それは軽く笑い飛ばすには不穏に過ぎた。オルヴァは沈黙したまま答えを返さない。


 ヴァージルはしゃがみこむと細い指先を水中に沈めた。時刻は夜、鏡となった水面には皓々と世界を照らす月が四つ浮かび上がっている。少年は自らの故郷である黄色い宝玉をそっと掬おうとするが、光は雫となって掌から溢れてしまう。少年はオルヴァに答えを催促するでもなく、一方的に言葉を重ねていった。


「みんなに聞いてるんです。カーティスさんは『大いなる死と夜の神々が導くままに』って言ってたし、パーンさんは『俺は好きなようにやる。自力で歩める者は好きにやれ。できないものは俺に平伏すか、後ろをついてくるかだ』とかいつも通り。二人とも、呪術とか鉄とかの時代に生きてた王って感じだったなあ」


 つまらなさそうに言うヴァージル。とはいえ、二人が生きた時代を考えれば当然の発言だった。彼らは王であると同時に呪術師であり戦士。パーンなどは物語や伝説で王として扱われているものの、史書などでは武将や軍事指揮官として記されることのほうが多い。


「アルトおじさんは『先人の歩んだ道を敬い、正しき美徳を重んじるのみ。さすれば王国は善き方向へと進み、悪しき障害は打ち払われるであろう』とか言ってさらっと軍拡とか侵略したいオーラ出してるし、ルバーブさんとお人形は『美しく完璧な王が全てを愛し、全てに愛される王国こそ至高』とか多分二人とも頭茹だってるし――これ大丈夫なのかなあ? 六王、原始人とアホばっかりですよ?」


 そして残る二人は狂人だった。

 オルヴァが望む王国の果てにはブレイスヴァの口があり、ヴァージルの望む政体はそもそも王国ですらない。少年もまた王では無いのだ。


「私には既に滅びが見えている。ヴァージルよ、お前は何を見ている?」


 オルヴァの問いかけを受けて、少年はあどけない笑みで答えた。

 爛々と光る兎の瞳が水面の月を血の色に染め上げていく。


「そうだね。僕は異界が見たいかな。今よりもっと美しい、異形の世界を」


「母の愛はいらぬか」


 夢見る少年を諭すように、オルヴァは静かに問いかけた。

 この幼い王子は時折こうした危うい面を見せる。

 今はまだ、オルヴァの前でちらりと野心を覗かせるだけに留めてはいるが。

 感情をたっぷりと込めて、ヴァージルが緋色の月を撫でさすった。


「与えられるだけじゃなくて、僕からも愛したいんだ。ねえオルヴァさん。異界の形って色々あると思わない? 死後の世界、森、あるいは洞窟。河なんかもあちらとこちらを隔てる境界線だ。あとは、夜、天、末世、月、他者、あるいは遠い星々――夢や眠りなんていうのもあるよね。あとは、海とか」


「夢に眠りに海。いずれも紀神ハザーリャが司る異界か。確かに『死人の森』にはそれらが欠けている。我らが女神はかの神を取り込んでいるにも関わらず」


 水面を見つめながら、オルヴァもまたこの漠然とした問答にのめり込みつつあった。揺らぐ月、歪む表情。水面は鏡のように二人の顔を映している。

 ヴァージルは川の流れる先に思いを馳せるように目を細めて、無造作に手を横に払った。月の形が乱れ、波が水鏡に映った像の全てを掻き消した。


「だからね、『それ』はきっとこれから生まれるよ――ううん。僕はもう『彼』が生まれる瞬間を見ている。オルヴァさんも、彼の事は知っているんじゃない?」


 刹那、オルヴァの脳裏に甦る捩れた記憶。

 幾通りもの時間軸、無数の可能性を織り込んだ過去現在未来すべての光景が早回しで想起され、その中でもとびきり奇妙な破綻した可能性を幻視したのだ。

 炎上する都、襲来する異形の怪物、未来からの闖入者、再演の旅路――。

 そして女王に従う、剣のような白い腕。オルヴァの瞳に理解の色が浮かんだのを確認すると、ヴァージルの表情が嬉しそうに華やいだ。


「六王が持つ巨大な生の欲動リビドーをも超える、最強の死の欲動デストルドーの担い手――回帰の剣を宿す亡者たちの王子」


 少年の瞳が危険なほどに輝く。

 オルヴァは憂慮した。少年はいずれ『死人の森』に破滅を招く可能性がある。

 決して看過できない。女王を守護する賢者として、危険の芽は未然に摘み取らねばならないのだ。オルヴァは少年に手を伸ばし、小さく名を呼ぶ。


「――ヴァージル」


 そして、小さな頭の上にそっと置いた。

 滅びの可能性。賢者はそこにブレイスヴァの影を見出した。

 畏れと共に瞑目し、祈りを捧げる。

 そして、少年の危険な野心を看過することに決めたのだった。

 ヴァージルの頭を優しく撫でる。くすぐったそうに笑う少年は年相応に愛らしく、オルヴァは彼がいつか見せてくれるであろう破滅の光景に胸躍らせた。

 信頼する賢者が期待通りの人物であったことに気を良くしたヴァージルは得意げに捲し立てる。


「ねえ、今の『王国』は権威によって一方的に支配あいされるだけのものだよ。もっと双方向的で、上からも下からも、隣人どうしでも支配あいし合うことができたら素敵だって思わない?」


 少年の理想を聞き流しながら、オルヴァは終末の夢想に酔いしれた。

 自らの支離滅裂な行動を振り返って後悔することなどない。

 彼の欲求は全てたった一つの結末に帰する。その過程で何が起きようと、終端は必ず貪られることだろう。


「おお、ブレイスヴァ!」


「――でもさ」


 ヴァージルは、オルヴァに聞こえないほどの声量で呟いた。


「未来を知っているからといって、それが正しさに繋がるとは限らないよね」


 破滅の未来を知り、それを望むオルヴァは絶対的な権威として民の上に君臨する。それがカシュラムの秩序であり滅びを礼賛する人々の最後の救済だ。

 ならばオルヴァの否定は何を意味するのか。

 少年は笑う。その赤い瞳は彼方を見据えていた。

 未来ではなく、遙かなる過去を。


 時間と空間はもはや意味をなさない。

 気づけば、オルヴァとヴァージルは何処とも知れぬ空間で向かい合っていた。

 浮遊する水晶の欠片、万華鏡のように煌めく様々な時空の光景、両者の間に置かれた背の高い卓。その上には巨大な遊戯盤が置かれており、二人は交互に戦局を動かしていた。


 様々な地形の描かれた六角形のマス目が緻密に並び、無限に拡張可能な遊戯盤は際限なく広がっていく。リアルタイムで動く戦場、高速で構築されていく城砦、呪力を生み出す生産拠点。オルヴァが過去に仕掛けた『墓標船』の布石が新たに十二のユニットを吐き出して盤面をかき乱し、二人の思惑とは関係無く動く意思を持った駒たちが縦横無尽に駆け巡る。


 ここは高位の言語魔術師だけが知覚できる空間。

 二人は初めて出会った瞬間から今の今まで、ずっとこの場所で遊戯を続けてきた。長い眠りについた後も、自動化された仮想使い魔に宿した疑似人格同士が対局を続けてきたのだ。コルセスカの浄界に飲み込まれ、遊戯の性質がヘクス制戦略シミュレーションとリアルタイムストラテジーを混ぜ合わせたようなものに変質してしまっても戦いは続く。

 二人にとって、世界は、あらゆる闘争は現実であると同時に遊戯でもあった。

 そしてそれがあらゆる言語魔術師に共通する世界認識である。


 ヴァージルの指した一手を受けて、オルヴァの瞳が未来を映す。

 『詰み』の結末を既に知る予言王にとって、あらゆる盤上遊戯は決まりきった作業に過ぎない。こうしてオルヴァと知恵比べに興じようとする物好きはヴァージルくらいのもので、彼に勝とうとする恐れ知らずもまた少年ただひとり。


「拡散したシナモリアキラも、不完全な滅びを繰り返すあなたも、共に綺麗な終わりを迎えられないまま僕のものになる。『今はまだ』という留保が物語をどこまでも遅延させていく。あなたたちは僕の掌の上で終わりのない物語になるんだ」


 少年の細い指先が駒を動かしていく。

 十二の兵隊、十字の冠を被った王、それら現実を象った水晶細工が盤上を動く度、万華鏡の世界に映し出された映像が切り替わる。第五階層と『死人の森』の王権を巡る六王たちの戦い、同時並行して行われていく異形の末妹選定――それら全てを制御下に置いて、超越者たちは現実を弄んでいた。


「パーンさんは盤外から飛んでくるから厄介だけど――じきに片付く。そうしたら今度こそ、オルヴァさんの番だよ。ううん、本当はもうほとんど終わってるんだ」

 

 言った途端、ヴァージルの姿が幻影であったかのように揺らいだ。青年期のオルヴァの姿が霞のようにぼやけ、曖昧なヴァージルの存在と同期して震える。

 少年の姿は一変していた。

 両目を布で覆ったその姿は兎の王子とは似ても似つかない。白を基調としたカシュラム風の衣装は少年の高い地位を示している。


「僕の名はオルヴァ。僕の名はシナモリアキラ。僕は君たちを統べる冥府の主」


 少年の変化に動じること無く、オルヴァは駒を進めた。


「私の過去を奪うか、簒奪の王子よ」


「幼い時代は僕の領分だからね。オルヴァさんだって時の全てを支配しているわけじゃないでしょう?」


 幼いオルヴァの姿、幼いオルヴァの声でヴァージルはそう言った。

 存在を巡る闘争は混沌として状況は刻一刻と変転する。

 互いが駒を動かし、呪いを紡ぎ、世界を幻視するたびに曖昧な現実は揺らぎ、たわみ、ひび割れていく。無数の時間軸が交錯する万華鏡の世界は脆く儚い世界のありようそのものだった。 


 盤上で戦いを演じているのはヴァージルとオルヴァだけではない。

 浮遊する『空の民』の駒は縦横無尽に動き回り、ルールなど知らぬとばかりに盤から飛び出しては好き勝手に乱入するということを繰り返している。盤面を無視して直接ヴァージルに飛びかかってくることすらあるほどだ。


 彼らの背後に映し出された無数の第五階層の光景、その中のひとつでパーン・ガレニス・クロウサーと兎耳のヴァージルが戦っている。戦場となっている男根城は崩壊しつつあった。盤上で王たちの干渉をはね除けながら抗戦を続ける機械女王トリシューラの策略はパーンをヴァージルの拠点に送り込み、更にはサイバーカラテランク一位という餌に釣られた者たちが殺到してきている。


 囚人らは逃げ出す機会を窺い、血に飢えた者らが拳や刃を掲げて走る。

 中傷者ファルファレロと魔将ベフォニスがアキラの座を巡って激突し、英雄イアテムと雲の巨人マイカールが死闘を繰り広げた。炎が塔を加熱させる。熱狂を冷たいまなざしで見下ろしながら、ヴァージルはオルヴァに語りかけた。


「ねえオルヴァさん。カシュラムはやはり古すぎると思うんだ。あなたたちのやり方では前には進めない。聖油の権能には限界があるんだ」


 ヴァージルは駒を進めながら対面の差し手をやんわりと否定する。

 カシュラムの王オルヴァが司る権力は『叙任』である。

 その権能は位階を授け、官職に任ずるのみに留まらず、カシュラムのありとあらゆるものの『地位』を定めることができる。

 職業、身分、民族、宗教――。

 民族の名付け、歴史という物語の付与、切り分けと分断。

 ブレイスヴァを正しく恐れる者をカシュラム人といい、そうでない者をマシュラム人と呼ぶ。少なくともカシュラムではそれが世界の在り方だ。

 統治が更なる権力を生み、世界に高低差を作り出す。


 カシュラム人の王には任命権が与えられ、カシュラムにおける重要な役職は自然と一方を優遇する方に偏る。それが作られた枠組みであればなおさらだった。

 権力の集中は分断と火種を内部に溜め込む。

 ヴァージルはそれを指して愚かと断じた。


「カシュラムが孕む虐殺の呪いがそれだ。九罪源がひとつ、『地位』の権力は世界そのものを引き裂く呪力。高低差が叛逆を招き、挑むべき敵は自動的に生産されて、ちょっとした一押しで上も下も崩れてしまう――脆いんだよ、あなたは」


 少年期のオルヴァに扮したヴァージルの背後で、邪悪に笑う小さなワルシューラ。アイシャドウに縁取られた目を眇めて、主と仰ぐヴァージルの意のままに悪意を振りまく。片方には『奪われたままでいいのか』と訴えかけ、もう片方には『ならず者どもから先制攻撃によって身を守れ』と煽る。強硬で予防的な治安維持の政策を推し進めるように政府に働きかけ、市井には結束と武器の密売を促す。


 ワルシューラの独り芝居には意味が無い。

 ゆえにそれはオルヴァとカシュラム、そしてこの戦いに対しての『お前たちは無価値である』という宣告に等しかった。

 シナモリアキラという地位、ガロアンディアンや『死人の森』の王という地位、未知なる末妹という地位――その枠組みそのものが邪悪で滑稽であると、少年はせせら笑う。現在行われている全ての競争は無価値。


 相手の存在の根幹を否定し、更には幼少期に扮することで『自分が最初からやり直す』ことを示唆するヴァージル。言語魔術師の戦いは精神的にマウントを取り、勝利の上に自らの世界観を築き上げることで決着する。ヴァージルの紡ぐ呪文は着々とオルヴァの世界を切り崩しつつあった。


 少年の猛攻に対し、オルヴァは無言。

 静かに駒を運んでいくが、構築していたはずの盤面は崩壊していくばかりで、未来が見えているとは思えない打ち筋だった。憎しみが憎しみを呼ぶ闘争の渦は、全てを見通す賢者であっても制御不能ということなのか。オルヴァの内心は窺い知れないままに戦況は揺れ動いていく。


「オルヴァさん、やっぱりまだ不完全だね。狩人との戦いで疲弊しているのかな? 悪いけど、そんなありさまじゃこのゲームは僕の勝ちだ」


 防戦一方の相手を見下すように言い放ち、ヴァージルは配下の手駒を敵陣深くに切り込ませた。二人の意思とは関係無しに動く下界の『駒』たちを強引に支配して、望む盤面を構築する。この場所でヴァージルは上位者だった。

 少年の背後に広がる光景が変容し、幾つかの決定的な瞬間が映し出される。


 ヴァージルがパーンに切り札となる呪いをかける。

 『大入道マイカール』のシナモリアキラがイアテムを責め苛む。

 拡散したシナモリアキラをヴァージルの呪文が掌握し、オルヴァの存在が徐々に乗っ取られて上書きされていく。ヴァージルという少年の姿とオルヴァの少年時代はもはや一つに融け合っていた。歴史はかくも容易く改竄される。


 もはやオルヴァにできるのは苦し紛れに価値の低い駒を動かすことくらいだった。ヴァージルの影響力が及んでいない盤面に干渉し、状況に一石を投じる。

 小さな波紋。

 ヴァージルの長い兎耳がかすかに動く。少年は訝しんだ。オルヴァが、何か聞き覚えのある言葉を口にしたような気がしたのだ。

 普段の陰鬱あるいは狂的なオルヴァとは少しだけ違う――『誰か』に似た声で。


「――発勁、用意」


 今度ははっきりと聞こえた。ヴァージルの身体が震える。

 オルヴァの瞳が十字に輝き、その網膜内を極めて小さな文字列が流れていく。

 『サイバーカラテ道場』の文字が。





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