4-152 オルヴァ王と十二人のシナモリアキラ⑱




 滅びの先に、違う未来があることに気付く。

 回帰を繰り返す中、オルヴァは色違いの賢者たちと様々な知恵を交換し合った。

 そうして得たのは異なる未来を手繰り寄せる術。

 オルヴァは好奇心に負け、罪深い行いと知りつつ予見をねじ曲げてしまう。

 それはブレイスヴァの大顎から逃れる未来。

 キシャルと生きるという、もう一つの結末だ。

 死せる者たちの王国、再生者の楽園、その名は死人の森。

 生の躍動と死の儚さ、誕生の喜びと末期の悲しみ。

 そこには彼の愛する全てがあった。

 

「だがこれは冒涜ではないのか。再生者とは、ただの怠惰な繰り返しなのでは?」


 終わるからこそ美しいものもある。滅びが常に傍にあるだけでは、生と死はつまらないものに堕してしまうのではないか。

 オルヴァは危惧を抱きつつも、暖かな慈母の抱擁から逃れられずにいた。

 大いなる女王は母のようであり妻のようでもあり、オルヴァに原初の安寧を思い起こさせた。幼い頃に飲み込んでしまった乳首――失われたあの優しさが、女王には備わっている。しかもそれは、貪ったあとでもそこに残り続けるのだ。

 生きている死として、死に寄りそう生として。

 オルヴァは求めた。矛盾の中で、彼女を愛し続けた。


 いつだったか、ルバーブと滅びについて話したことがある。

 正確には、破壊と創造について。

 彼は友であり、弟子でもあった。ルバーブは自らの主の創造がいかに美しいかを説き、オルヴァはそれらがいかに美しく終焉を迎えるかを力説した。美しきマラードの求める煌めきも、やがて失われていく。

 燃え尽きる流星が見せる最後の輝き。

 オルヴァは転倒した主従にそんな儚さを感じていた。

 ラフディの王とは共感することもあれば反発することもあった。

 思えば六王たちとはずっとそんな関係性であったように思う。

 オルヴァは、そんな時間がさほど嫌いではなかった。


 永遠の王国。

 その夢の中で、オルヴァは生前のように民に役目を与えていた。

 起き上がったカシュラム人たちは自分が未だブレイスヴァの口の中にはいないことを理解して、やがて訪れるブレイスヴァを恐怖した。そんな彼らの絶望と恐怖を紛らわせるために、様々な役目や職業を割り振っていく。それらは全てブレイスヴァへの恐れを紛らわせるための麻薬なのだった。


 オルヴァはその権能によって『死人の森』における地位を定めた。

 頂点に『上王』たる冥府の母。

 その下に六人の王。

 それは秩序を定め、権威を生み出し、『王国』の礎となった。

 オルヴァは自らの強大な力と叡智を『王国』という枠組みに浸透させていく。

 上から下へ、滴り落ちる聖なる油。

 聖油の王と『王国』はふたつでひとつ。

 彼は人を超え、時空を超え、歴史と同化していった。

 死せる制度、腐乱した地位、頽廃の秩序、内破されるべき権威。

 生と死を繰り返す、永遠の王国。

 それがオルヴァという存在だった。

 オルヴァ王の生み出す腐敗は破滅を招く。

 ゆえに他の王たちは彼を幾度となく殺害した。


 カーティスが無視できないほどの病巣を複製。

 パーンが自由と解放を謳って現行秩序の全てを破壊。

 ヴァージルが暴走した再生者たちの粛清と洗脳を実行。

 アルトが正義と悪とを切り分け、順守すべき道徳を再定義。

 マラードは焼跡に新たな都を創造、ルバーブがそれを固定。

 大いなる母はそれを見守り、優しく赦しを与えた。

 オルヴァはそのたびに死に、生まれ、滅び、復活した。

 そのようにして『王国』の季節は巡っていく。


 王国における地位を定め民草の天命を示していく中で、オルヴァはあることに否応なく気付かされた。彼さえその気になれば六王における最上位をオルヴァ自身に定め、他の王たちを下位に置くことすら可能。だが『母』だけは違う。

 『母と子』であることはあらかじめ定められている。

 それを変えることはできない。それは時のことわり、因果のさだめだ。

 永遠不滅、滅びも循環も無い運命そのもの。

 

「本当に?」


 オルヴァはそれが知りたくなった。

 ブレイスヴァでも滅ぼせないものがあるなどと考えたことは無い。

 だから自分の本心がどちらなのか、考えるまでもないと思っていた。

 『母子』という関係性の終焉か。

 それとも、永遠の『母子』で居続けたいのか。


 愛か、恋か。

 母は妻のようで、妻は子宮のぬくもりのよう。

 その『地位』は――『家族』とは、果たして。

 全てのものはブレイスヴァの前に滅び去る。

 ならば、自分たちは何であるのか。

 問いを虚空に投げかけて、オルヴァは静かに思惟の中に沈む。




 『上』――というのは物理的な上方でも二大勢力の一方のことでもなく、観念的な『上位』のことだが――から巨大な気配が降下しつつあった。第五階層で様々な思惑を巡らせる者たち全てを押し潰さんばかりの呪的なエネルギーが、流体のように滑らかに、しかし階層中央の『海』とはけして混ざり合わずに世界を外側から覆い尽くしていった。


 聖なる名はしだいに鮮明となり、厳かな宣名が世界に浸透する。

 そして、聖油オルヴァが滴り落ちた。

 まずはアストラル界。不滅にして永劫の賢者、その魂が構築されていく。

 しかるのちにマテリアル界の依り代に降霊し、転生者あるいは再生者として再臨を果たす。魂、アストラル体、精神、意思、そうした心的現象が形を成していき、『器』である『くだん』の神経細胞を組み替えようとする。だがその寸前、少年の声が柔らかく響いた。


「駄目だよオルヴァ。不変の秩序、永遠の安寧こそがあるべき『死人の森』なんだから。その理想は僕たちの姫君ペルセフォネの否定でしかない。二者択一なんてばかばかしいよ」


 アストラル界にふわりと降り立ったのは狂王子ヴァージル。

 彼はオルヴァの魂へ誘うように幻影の手を伸ばすと、甘い睦言を囁くように呪文を吐き出した。シナモリアキラと同化するなど馬鹿馬鹿しいと嘲笑う。


「お母さんに恋して、お母さんを愛してあげればいいんだよ。僕たちはもう、永遠ママのお腹の中にいるんだから」


 血のような瞳が妖しく揺れる。

 ヴァージルは織り上げた呪文を束ねて幾つもの六角柱を作ると、それらをまとめて肩の上に持ち上げた。ジェスチャーに連動して浮遊する呪文柱。振りかぶり、全身を使って投げる。投槍となった呪文は鋭くアストラル界を飛翔して、完成しつつあったオルヴァという巨大な構造物の中に食い込んだ。

 シナモリアキラの一人、『件』を器として降臨し、かの紀人と同化しようとするオルヴァ。高次から低次へと降りるまさにその一瞬に生じた隙をヴァージルは見逃さなかった。呪文の楔はそのまま予言王への攻撃を開始する。


 同時に狂王子の呪文が第五階層に広がっていく。

 十二人のシナモリアキラとカシュラムの伝承にある我神十二限界――その果てにさまざまなヴィジョンとして立ち上がってくる十三人目。四方に配置された聖なる三が十字の中央に集める巨大な呪力が結晶化し、アストラル界に激震が走る。

 カシュラム王降臨の儀式はヴァージルの画策によって歪められ、逆にオルヴァの方が紀人特有の脆さを突かれて存在が揺らいでいった。


 少し前からサイバーカラテ道場には新たな戦術プログラムがアップロードされていた。それは巧妙に偽装された『ヴァージルの呪文』であり、利用することで知らず知らずのうちに紀人シナモリアキラだけでなくヴァージルの承認につながってしまうというものだ。

 『サイバーカラテ道場』というアプリケーションにただ乗りして少しずつ呪力を掠め取る。通常の意味での命を持たない紀人に対する効果的な戦略のひとつ、『寄生』だ。ヴァージルはグレンデルヒのような乗っ取りは企てない。ただ密かに干渉し、自分の都合のいいように利用するだけだ。

 オルヴァに対しても、シナモリアキラに対しても同じこと。この少年の紀人に対する意識は、『いつでも利用できる便利なツール』という程度のものでしかない。実際、紀人はパブリックドメイン的性質を持つ。


「オルヴァ。君はけっして僕に勝てない」


 ヴァージルの背に水晶の板が出現し、放射状に広がった。

 透明な石版、あるいは六枚の羽。その内側に閉じ込められているのは月明かり。アストラル界を照らし、狂気の呪力が溢れ出す。眩惑的な光が物質世界に漏れ出していくと、翼の内側に『下界』の様子が映し出された。


 何らかの呪術を実行しようとしているヴァージルの動きを阻止すべく、オルヴァがついに動き始めた。その姿を曖昧に揺らがせながらも少年に向かって手を伸ばす。しかしそんなオルヴァのアストラル体に突如として裂傷が走った。

 ヴァ―ジルの背後で、水晶の翼が一人の男の顔を映し出す。

 複数のピアスに派手な染髪、愉快犯の殺人鬼『鎌鼬』は『大蛇』と交戦している最中に、何故か唐突に虚空に向けてナイフを振るっていた。


「お? なんか当たったんじゃね?」


 何が起きているのか、殺人鬼は把握できていない。

 しかし、確かに『鎌鼬』のめくらめっぽうなナイフ捌きは偶然にもオルヴァのアストラル体を切断していた。架空の痛みに呻くオルヴァ。ヴァージルに向いていた攻撃の意思が『鎌鼬』に向かう。不可視の『何か』が殺人鬼の真上でがばりと口を開けた。圧倒的な呪力を前にして、『鎌鼬』は真上を見上げてぽつりと呟く。


「あ、これやべーわ。マジ死ねる」


 『鎌鼬』の行動は迅速だった。

 ナイフが閃く。左腕を自ら切断し、禍々しい刃が切り離した腕に呪詛を刻み込む。左腕は感染呪術の法則に従って『鎌鼬』の使い魔として飛翔、呪波汚染を撒き散らしながら周囲の全てを手当たり次第に呪い殺そうとする。

 直後、オルヴァの大顎が閉じて空間が圧縮された。

 閃光が迸り、凄まじい爆発が一帯を吹き飛ばしていく。


 跡形も無く消し飛んだかと思われた殺人鬼だったが、彼は生きていた。

 切断した腕に刻んだのは自らの名。自分の一部を囮とすることで大顎の狙いを逸らし、その隙に手近なマンホールから下水道へ逃げて行ったのだ。オルヴァは追撃の手を緩めなかったが、『鎌鼬』のナイフが妖しげな光を放つとなかば自動的に使い手の腕を操って下水道に呪詛の刃を放っていく。殺人鬼が円形に切り裂かれた床から闇の中へと降下。左手の断端から大量の血を迸らせて第五階層地下に広がる『白骨迷宮』へ向かう。


 自殺も同然の行動だったが、殺人鬼の目はまだ死んではいなかった。なにより、あの異様なナイフを手にしたままだ。飲み込んだ者を喰い殺す恐るべき迷宮を逃げ場に選んで生き延びる自信があるのだろう。

 オルヴァの追撃はそこで一度停止した。不可視の大顎が、黒々とした闇によって阻まれたのだ。それを見ながら、ヴァージルは小さく笑った。


「あの人もなかなかしぶといよね。もう、人の形をとどめているのか怪しいけど」


 少年は両手を広げ、変転する下界の光景をオルヴァに見せつけていく。

 上位世界の存在は、下位世界の存在に縛られる。ヴァージルが下界の動きを制御している以上、それはオルヴァを支配しているのにも等しいのだ。

 

「人の可能性って素敵だよね。だからさ、僕たち王は彼らを上から押さえつけるんじゃなくて、上手に手綱を握って方向付けしてあげなくちゃいけないんだ。地位と権力が肥大化すれば制度の腐敗と反逆を招く。それってすごく無駄じゃない? 健全で緩やかな管理と統制で平和的に前に進んでいくのが一番なんだよ」


 持論を展開しつつ、王としてオルヴァと対峙するヴァージル。

 彼らは高みに立って相対してはいるが、実際に激突しているのは下界のシナモリアキラたちだった。彼らの戦いとは、そういう性質のものなのだ。

 ヴァージルの背の水晶板が新たな光景を映し出す。




 横たわる屍と血の赤を、降りしきる白が覆い尽くしていく。

 空気はどこまでも冷えていくというのに、戦場は際限なく加熱し続ける。

 狂怖の軍勢とトリシューラ勢力の死闘は佳境を迎えつつあった。


 『鵺』の跳び蹴りがイェレイドの顔面を打ち据え、炎天使の右拳が『火車』を殴り飛ばす。アストラル体のアキラは氷の義肢の呪力を浴びて、小さく「く、コルセスカ――」と呻いた。遠く、第五階層の中央に聳え立つ塔を憎々しげに睨み付けたが、不意に冷静になったように息を整える。無論のこと彼は呼吸などしていないのだが、振る舞いは精神を規定する。『火車』は透徹たる表情で上空から戦場を俯瞰。イェレイドらの劣勢を見て取ると、決然と宣言した。


「イェレイド、俺は第六階層に撤退する。いま、流れはあちらにあるようだ」


「あらあら、意外に冷静ですのね。いえ、そちらが本来のあなたなのかしら」


 『マレブランケ』や『鵺』から度重なる攻撃を受けてなお平然としているイェレイドは、欲望のままに動いていたはずの『火車』の変化を受けて瞳に興味深そうな色を浮かべる。砕けた頭蓋から脳漿を零しつつ、穴だらけの巨体を引き摺ってゆっくりと『火車』の前に出るイェレイド。彼女は第六階層にいる本体の『分け身』である。自分の命を使い捨てにできる駒として考えているイェレイドは、『火車』を逃がすためにその身を盾にしようとしていた。

 

 炎天使が追撃しようとするが『件』の鉄球がそれを阻む。

 『マレブランケ』たちの攻撃がイェレイドに集中する中、『火車』はまんまとその場から逃走を果たそうとしていた。そんな彼を追う姿が二つ。


「わたしにーさま!」


「逃がすか、悪は破壊する!」


 『大蛇』の晶と『鵺』のアキラが『火車』に肉薄する。

 『火車』は『鵺』がイェレイドよりも自分を優先して追いかけたことが意外だったのか、飛翔の速度を僅かに緩めて声をかけた。

 

「焦るなよ。お前の相手はまたいずれしてやる」


「悪に魂を売ったクズめ!」


 アストラル体の男はピントのずれた非難を鼻で笑った。


「それが『俺』であるということだ。トリシューラやコルセスカの物語に巻き込まれるんじゃない。俺が俺としてシナモリアキラの物語を始めるためには、俺はこうあるのが正しいんだ。お前らだって、自分の物語を生きてるじゃないか?」


 『鵺』は言葉に詰まった。それは反論不可能な事実であり、彼らシナモリアキラたちの『非シナモリアキラ性』であったからだ。

 『何者か』であろうとすればするほど、彼らはシナモリアキラから遠ざかる。

 だがしかし、彼らの戦いとは『何者かシナモリアキラ』になろうとする運動でもある。

 ジレンマの中で懊悩する『鵺』を、『火車』は嘲笑する。


「欲望を肯定しろ、シナモリアキラ! 人は悪しきふるまいにこそ本性が宿る!」


 堕落に誘う悪魔のように、シナモリアキラは言い放った。

 そこには迷いも不安定さも一切が無い。

 抑圧されていた感情を弾けさせながら激しく己の欲望を語り続ける。

 

「敵は殺す! 女を手に入れる! そして全て終わったら地上も地獄も叩き潰す! 俺とイェレイドの目的は完全に合致している。すなわち醜悪さの全肯定だ! お前も来いよ、こっちは最高に楽しいぞ!」


 『火車』にとっては、ジャッフハリムに付くのが唯一の正解なのだった。

 トリシューラを自分のものにするため『王国』を破壊する。

 コルセスカを自分のものにするため、六王を破壊する。

 そして最大の敵である松明の騎士を殺すためにはジャッフハリムの力が必要だ。

 最終的にコルセスカの願いを叶えるのなら、ジャッフハリムを打倒するだけの力と悪意を併せ持つイェレイドと組むのが最適となる。

 少なくとも、『火車』はその時点で自分に取り得る最善を選んでいた。


「第五階層は至る所に爆弾を抱えている。俺たちはそれが爆発する勢いを利用すればいい。まだまだ本番はこれからなんだからな」


 『鵺』の拳を打ち払い、遠ざかっていく『火車』。

 そこに、横合いから水流が襲いかかる。

 呪力を伴った激流を片手で防ぎつつ、『火車』は長い黒髪の晶を見た。

 訝しげな表情。明らかに相手の存在に戸惑いを覚えている。

 対照的に女性の晶のほうは薄い微笑みを浮かべてやけに上機嫌だった。


「見つけた。わたしのアニムス。ねえわたしにーさま。わたしを殺して?」


「は?」


 今度は『火車』が絶句する。

 『大蛇』の女はそんな相手をじっと見つめて続ける。 


「殺してくれないの? 殺意も覚悟も足りない。失格だからお前が死ね」


「なんなんだこいつ!」


 意味不明な論理を自分の中だけで展開し勝手に完結する。

 戸惑う『火車』に水でできた蛇が次々と襲いかかる。


「もうわたしにーさま以外のわたしにーさまじゃ満足できない。わたしを殺すかわたしにーさまが死ぬか、ふたつにひとつよ。わたしたちは互いを超克することでアダム・カドモンとして成長する!」


「くっそ意味がわからん! 魔女連中みたいなことを言いやがって!」


 隣の『鵺』には目もくれず、恋する乙女のようなまなざしで『火車』を見据えながら、他の女に目を向ける憎い恋人に対するような殺意で拳を振るう晶。

 対話不可能な相手の性質を理解した『火車』は言葉を交わすことを諦めて全力で撤退していった。遠ざかり、そのまま階層境界部の『門』へと向かう。

 グレンデルヒらがイェレイドを倒したのはそれとほぼ同時だった。

 



 また別の光景が水晶の内側に広がる。

 カーインが気絶した自警団員たちを拘束して地面に横たえていた。


「殺さないんですか」


 虹犬の若者がカーインを睨み付けていた。敗北して気を失っていたレミルスはつい先ほど意識を取り戻したばかりだ。カーインは飄々とした態度で肩を竦めた。


「その必要はない。君はもうシナモリアキラではないのだろう」


「腹の立つ人だ。後悔しないで下さいよ」


 そう言ってレミルスはその場から姿を消した。主のもとに戻ったのだろう。

 カーインは、暗雲立ちこめる空とはらはらと風に舞う白い雪片を眺めながらほう、と溜息を吐いた。


「さて。最後に残った君は賢王となるのか、狂王子となるのか、はたまた機械女王の使い魔として復活を遂げるのか」


 いずれにせよ、カーインがすることはひとつだけだ。

 人差し指と中指を伸ばした手を引いて、天を睨みつける。

 まるで上空の何かを貫こうとしているかのような構え。

 口の中で小さく呟く。それはカーインが隠し続けているとある秘密だ。

 いつか悪鬼の泥の中で差し伸べた手を、もう一度伸ばす。

 

「制約抜きで戦えるまたとない機会だ。君がどんな姿であっても構いはしないが、愉しませてくれることを期待する」


 一陣の風が吹いた。男の四肢は跳ねるように宙を裂いていく。

 その神秘は形無きものを捉えることができる。

 その秘密は存在しないものを形として象る。

 光輝く左手が、誰も居ないはずの空間に触れた。

 無人の屋上でカーインは独り舞い踊る。

 演武は凄まじい速度で行われ、あたかも仮想の敵手と激しく攻防の応酬を重ねているかの如きありさまだった。カーインの額に汗が浮かび、防御や受け流しの際にはまるで重い一撃を受けたかのように息を乱れさせる。

 苦しげな表情は、しかし同時にどこか愉快そうでもあった。



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