4-144 オルヴァ王と十二人のシナモリアキラ⑩




 レオの靴が踏みしだいた床面が揺れて、発生した波が空間を伝播していく。

 異様な沈黙に満ちた世界が歪み、何もない通路に駆けつけたのは警備用のドローンたち。電気系統が回復したのか、照明が灯る。更にレオの端末にトリシューラからの通信が入った。


「伏せて! 『絡新婦じょろうぐも』を排除するよ!」


 院内の警備システムが作動して、天井から機銃が迫り出した。

 『絡新婦』に銃撃が浴びせられる。

 全身を撃ち抜かれて倒れる男。しかしその直後には何事も無かったかのように立ち上がり、跳躍して機銃を破壊、ドローンを破壊、所構わず踊り狂う。

 怪人が動き回るたびにトリシューラからの通信が途切れがちになり、照明が次々と消えていく。


「と――逃――! いま、道化アルレッキーノを向――!!」


 断片的な情報を頼りにしてレオは必死に走り抜ける。

 それと同時に、非常用にトリシューラから教えられていた呪文を紡いだ。

 追いかける『絡新婦』の目の前に分厚い隔壁が降りる。

 レオは追跡者が追って来られないことを確認し、胸を撫で下ろした。

 直後、甲高い音と共に少年の顔のすぐ横をチェーンソーの刃が通り抜ける。

 泡を食ってへたりこむレオ。

 引っ込んだチェーンソー、隔壁に空いた穴からぎょろりと目が覗き、


「み、つ、け、た」


 どろりとした執着を感じさせる声が響き、再びチェーンソーが突きこまれる。

 チェーンソーはゆっくりと、だが着実に隔壁を切断し、追跡者のための道を切り開こうとしていた。

 レオは安息の地などどこにもないと理解し、再び逃走を開始する。

 少年の行く先に次から次へと脅威が襲い来る。

 だが、そのたびに横槍が入り、『絡新婦』の殺意を妨害していった。

 それは偶然であったり、彼の人徳によるものであったりした。


「大丈夫ですか、レオさん! ここは私に任せて、あなたは先へ!」


「へ、へへ。あれだけ鉛玉ぶちこんでやったんだ。もう起き上がってこねえだろ。このランキング十五位、カルカブリーナ師匠の薫陶を受けた俺様の銃技にかかればざっとこんなもんよ」


「閉鎖空間にこれだけの粉砂糖が均等に散っていれば――ちょっとの火花でも爆発が起きるんだよ!」


「逃げな、レオ! 借りはこいつでチャラだ!」


「も、もう嫌だ! 殺人鬼が徘徊しているような場所にいられるか! 俺はここから出ていくぞ!」


「畜生、畜生、セージのクソババアに呪われてさえなけりゃあ、こんなガキのために命張るなんて馬鹿な事――くそったれやってやらあぁぁ!!!」


 次々とレオの目の前を頼もしく通り過ぎて、背後で苦痛と恐怖に彩られた絶叫を上げて消えていく人々。

 そのたびにレオは目を潤ませ、しかし犠牲になっていった人々の行動を無駄にしないためにも力強く脚を進ませるのだった。


 レオは幾度となく病院を脱出しようと駆け回った。

 しかし、敷地の外に出てしばらくすると深い霧が立ちこめ、気付くとエントランスホールに立っているという不思議な現象に見舞われる。

 あるいは通路と通路の繋がりがおかしくなっていたり、階段から二階に移動しようとしたら五階にいたり、窓や扉が開かなかったり、開いても見当外れの場所に辿り着いたり――世界の歪みは着実に進行していた。


 追跡に終わりはない。

 走り続けたレオは、疲弊の極みに達していた。

 このままではいずれ限界が来るだろう。レオは隠れながら休める場所を探す。

 目についた部屋に入って端末で電子錠をかける。薄暗いそこは、様々なぬいぐるみや積み木、絵本やクッションといった子供用のスペースだった。難民の子供たちをあずかるための部屋である。

 第五階層には子供が少ない。進んでこのような場所に子供を連れて来る親はいないからだ。しかし行き場の無い難民たちには選択肢が無く、彼ら彼女らのために院内にはこういった施設が設けられている。


 がらんとした部屋。

 投げ出されたぬいぐるみたちはどこか不気味だ。

 しかし過剰な量と圧倒的な大きさが隠れるのにはちょうど良かった。

 ぬいぐるみの山に埋もれながら、三角耳がぴくぴくと動く。

 レオは頭頂部の耳を澄ませながらじっと部屋の外に意識を集中させる。

 物理的な大気の振動ではなく――聴こえないはずの何かを聴いているのだ。


 かつん、かつん、かつん。

 分厚い壁の向こうから、小さく足音が聴こえてくる。

 だんだんと音が近づいてきて、やがて扉の前で音が途切れた。

 張り詰めた空気。レオは口を両手で押さえて息を潜める。

 しばらくして、耳がかすかに外側を向いた。


 足音が再び響き、だんだんと遠ざかっていく。

 レオは深く息を吐き出す。

 部屋に照明が点灯し、子供用の部屋に華やかな雰囲気が戻った。

 そのときだった。レオの足下で小さな鳴き声がした。

 ぬいぐるみを押しのけながら声の発生源を探す。すると、


「にあー。りーにゃ、みるーにゃ、どこー?」


 手の平サイズのお姫様が迷子になっているのを見つけた。

 レオは小さなお姫様の頭頂部に自分と同じ特徴があるのを見て取って、目を丸くした。心底からの驚きにしばし言葉を失う。彼は同類を初めて見たのだ。


「にあー、まいご。ぼうけんしすぎた」


 しゅんとなって項垂れる少女に、レオはそっと声をかける。


「大丈夫? 大人のひととはぐれちゃった?」


「にあ?」


 そのときになってようやく気付いたのか、三角耳の少女が上を見上げた。

 自分よりも遙かに大きい、しかしとてもよく似ている相手。

 警戒、恐怖、そうした反応は一切無かった。

 両者はごく自然に見つめ合い、そして。


「にあー、にあにあにあ。にーあ?」


「にぁ、うなーお、にあーおう、みゃーう」


 と、謎の言語で会話を始める。

 厳密には音声だけでなく、身振りや手振り、耳の動かしかたや目線、表情、アストラル尻尾の振り方などを組み合わせた『動物語』である。鸚鵡パロット種の言語学者が体系化したことで有名だが、二人は学習ではなく身の内から溢れ出る感情をそのまま形にすることで意思疎通を成立させているだけだった。


「にあ」


「にあにあ」


「おいこらそこの子供たち。こんな時にそんな下らん話をしている場合か」


 ほのぼのとした空気を打ち破って登場したのは、逆さまに浮遊するグレンデルヒだった。道化メイクのまま唐突に出現した不審者に、少女が「ふーっ!!」と警戒を露わにする。一方レオはすっかり安心して朗らかに声をかけた。


「グレンデルヒさん。良かった、来てくれたんですね」


 するとグレンデルヒはふんと鼻を鳴らしてよくわからないことを言った。


「どうせ死ぬ展開にはならんだろうとしばらく見物していたが、面白い流れを引き寄せていたのでな。混ぜろ、鍵の少年」


「はい?」


「とはいえそのままではいかに宝石の獣と言えど役には立たんだろう。おい、さっさと出ろ。それとも出られんのか?」


 グレンデルヒが逆さまのまま少女に手を伸ばす。

 鋭い爪で反撃しようとするが、手袋を軽く引き裂いただけで終わる。

 巨大な手が少女に覆い被さり、


「にあー! にあー! ねーさまー! へんしつしゃー!」


「ええい、人聞きが悪いわ! これでも子供たちには大人気、カードゲームコンテンツではお馴染みの博士キャラだぞ私は!」


 間の抜けたやりとりをしつつ、グレンデルヒは少女の小さな影に触れた。

 直後、床を透過して奇妙な物体が出現する。

 無数の球体が連結した巨大な人形模型――黄色い玉石によって構成され、長い手の先にはやや大きめの丸い拳、これもまた大きめの頭部の上には丸みを帯びた三角の耳。両足は短く、尻尾の球は小さく細い。胸の中央にある最も大きな球体だけは琥珀のように透けており、中に丸くなった人影がうっすらと見えていた。


 黄色い異形はグレンデルヒを無造作に十発ほど殴るとそのままレオの前で跪き、音もなくアストラル界を振るわせて鳴いた。

 レオは壁にめり込んでいるグレンデルヒを気にしつつ、


「なーぐすとーるさん? っていうの?」


 と不思議そうに言った。

 小さな姫君はちょこんと床に座って、


「にあ! なーぐすとーるは、せりあ! せりあは、なーぐすとーる!」


 と言った。『ナーグストール』が小さな『セリア』を丸い頭の上に乗せる。

 セリアは不思議そうにレオと『自分ナーグストール』を見比べている。 

 ナーグストールが再び振動した。


「助けてくれるの?」


 肯定の振動。

 レオは唐突に現れた奇怪な存在に困惑を隠せない。

 少女もまた、自分のことだというのに事情がよく分かっていないようだった。

 ナーグストールの音無き語りが続く。


「『あの時は間に合わなかった』――? ええと、よくわからないですけど、ナーグストールさんはいま、誰か守るべき人がいるんですよね?」


 レオがセリアに視線を向けると、力強い答えが返ってくる。


「せりあはねーさま守る! ナーグストールもねーさま守る! あとみんなも!」


 それを聞いて、レオは微笑み、ナーグストールは戸惑うように震えた。

 頭部を明滅させながら、レオとセリアを交互に『見て』、そのまま頭を抱えてしまった。耳の間でセリアが不思議そうに鳴いた。

 レオは言葉を続ける。


「今のご主人様を大事にしてあげて下さい。僕は大丈夫。だって、あなたはとても傷付いて弱っているように見えます。その子の中でひとつになっていないと存在できないくらいに」


「にあー! あいつら、ねえさまとなーぐすとーるいじめた! ふしゃー!」


 レオの言葉にセリアが同意し、壁にめり込んだままのグレンデルヒが続けた。


「やはり『黄色いの』は不完全か。まあいいだろう。直接前に出るのは私がやってやる。お前に期待しているのは宝石だ。そら出せすぐ出せ異界を封じた呪宝石だ。貴様の取り柄はそれだけだろうこの獣めが」


 耳を引っ張りつつ嫌らしい口調で言い立てるグレンデルヒ。

 怒ったナーグストールが殴りかかるが、今度は当たらない。

 相手をおちょくりながら回避を続けていた道化男だが、


「もう、喧嘩はやめて下さい!」


 というレオの一喝でナーグストールがぴたりと動きを止め、グレンデルヒも真面目な顔になった。


「一応、この空間は隔離しておいたが――そう長くは保たんぞ。なにせ『奴ら』は神話を殺す。下手を打てばこの私と言えど滅びは避けられん」


 深刻に、神妙に――神話の中に生きる不死の英雄は、そんなことを言った。

 レオは意味が分からずに訊ねた。


「どういうことですか?」


「『絡新婦』は歩く異世界とでも呼ぶべき――まずいな、勘付かれた」


 突然険しい表情を作って扉の前に移動するグレンデルヒ。

 指先が呪文を描くと、それは『扉』となって別の空間へと繋がる道を作る。


「黄色いの、少年に出来る限り質のいい宝石を渡せ。世界の汚染を多少は防げるはずだ。それから『絡新婦』は転生者の攻撃が一番有効だ。それらしい人材を捜して連れてこい。多ければ多いほどいい」


 突然、扉に突き入れられるチェーンソー。

 狂気に満ちた「伐採」の声が響く中、グレンデルヒが鋭く言った。


「時間を稼いでやるからさっさと行け。言っておくが長くは保たん。このまま奴を放置すれば、恐らくあと数千秒で――」


 異音によって言葉が切り裂かれる。

 壁を次元ごと引き裂いて、異形の両手を持つ男がやってくる。

 レオは背後で『扉』が閉じていくのを感じながら、グレンデルヒの最後の言葉を小さく繰り返した。


「第五階層が、滅びる――?」


 三十分程度から二時間半程度まで幅のある猶予を告げられて、途方に暮れるレオだった。ナーグストールとセリアが不服そうに鳴いた。





 壁を次々と破壊しながら院内を駆け巡る二つの影は、観葉植物が人工的に配された緑豊かな中庭に到達した。グレンデルヒは逆さに浮遊しながら無数の呪符カードを展開。さらに同じ数の呪符を相手に送り、


「さあ、呪符カード準備セットしろ! 決――」


 言い終わらぬうちにチェーンソーが呪符の束デッキを両断。

 回転する小片がグレンデルヒの呪符を引き裂いて、漏出した呪力が道化を吹き飛ばした。巨樹が振動し、砕けていく。自己修復が始まった樹木に取り込まれそうになりながら再び浮き上がって態勢を立て直すグレンデルヒ。


「決闘の流儀を解さんとは、所詮は屑狗か。私は自腹でパックを購入したのだぞ! ドラフト戦が気に入らんのなら要望を言え――ぐふっ」


 横殴りのチェーンソーがグレンデルヒを殴打。続けざまの斬撃が顔面を襲い、縦に割られたグレンデルヒの顔から噴水のように血がどばどばと流れ出る。冗談のような光景だった。壮年の道化が滑稽に空中で転げまわる。


「ぐおおお!! おのれ、にわかシナモリアキラごときが! 私か? 私も新参だがヘッドハンティングされた即戦力だからな。アマチュアとは違うのだよ。私の年俸を聞きたいかね? 並みのシナモリアキラが一生かかってようやく稼げるかどうかという金額だぞ!」


 わけのわからぬ戯言が、「伐採」という更なる戯言で両断された。

 追い回され、居丈高に復活しては攻撃されて派手にのた打ち回る。

 与えられた道化の役割をこなしつつ、グレンデルヒは時間を稼ぐ。

 戯言を半ば自動的に紡ぎながら、冷静に思考をしていた。


(『あれ』を殺す手は二つ。今の弱体化した私ではどちらも適うまい。数が必要だ。あの少年が渦の基点となって引き寄せるあらゆる主役と脇役どもの運命が)

 

 無駄と知りつつ、『空圧』で動きを止めてから並行して待機させておいたオルガンローデを解放。更に夥しい回数の呪的侵入を試行して存在乗っ取りを企てる。しかし『絡新婦』はあらゆる呪文を無意味と断じ、邪視による世界改変すら強引に上書きしていく。汚染された世界が不気味な気配に押しつぶされていった。


 攻撃が無効化された事実に驚愕し、鼻水を垂らして情けなく逃げ惑う。

 滑稽な振る舞いがグレンデルヒを取り巻く文脈を改竄。

 衝撃によって押しつぶされ、薄い平面存在となるグレンデルヒ。

 倒れてきた巨木の下敷きになり、背が縮んでしまうグレンデルヒ。

 呪力の激突で吹き飛ばされ、さかさまに地面にめり込むグレンデルヒ。

 振り下ろされたチェーンソーが股間にめり込んで抜けなくなり、血が噴き出してグレンデルヒが絶叫。何故か男性ホルモンが豊富そうな女性に変身してしまうグレンデルヒ。髭面の女性はウィンクしつつ投げキッスを送った。


「伐採――?」


 『絡新婦』は不思議そうに首を傾げた。

 グレンデルヒは逆さに浮遊しながら文脈の改変を続行。

 全力でふざけることで、『誰もいない廃病院の中をどこまでも追跡してくる怪人』という文脈を断ち切ろうとしているのだ。今のところそれには成功している。

 ホラーをコメディで茶化して台無しにする外道の所業。おどろおどろしいメイクや演出を明るい照明の下に晒して笑いものにするような無粋。グレンデルヒ的な悪魔の発想が『絡新婦』の圧倒的な力を減衰させていった――しかし。


(いずれは押し切られる。奴は滑稽な笑いを理解しないだろう。私の作り出した文脈はじきに否認され、独りだけの現実に閉じこもる)


 推測通り、『絡新婦』の周囲にふたたび不気味な雰囲気が立ち込めていく。

 さかさまになった最強の英雄は最弱の振る舞いによって敵の強さそのものを『ひとつのジャンル』として相対化する。だがそれは文脈と言葉が通じる相手だけに通用する方法論だ。世界が違えば、そんなものは意味不明と切って捨てられる。グレンデルヒにとって『絡新婦』の伐採を基準にした世界観が理解不能なように、あちらからもこちらの世界観は理解不能なのだった。


(あれに大層な目的意識があるようには見えん。執拗にあの少年を狙うのは――背後にいる存在の意思だな。穴倉で寝ていればいいものを)


 今までトリシューラは『絡新婦』を処分してこなかった。

 できなかったのか、何らかの理由で利用価値があると判断したのか。

 いずれにせよ、不始末の尻拭いはグレンデルヒに押し付けられている。

 

(あるいは、鍵の少年に『絡新婦』をけしかけて反応を見ようとしている――そんなところか。本当に彼を害した時、何が起きるのか興味深くはあるが――)


 博打が過ぎる。

 寝ている獅子を起こすこともあるまい。

 そう思う一方で、あの少年を見極めたい気持ちは彼にも理解できる。

 グレンデルヒがそんなことを考えていると、轟音と共に壁が破壊された。

 数人の男たちが中庭に乱入してくる。


 特撮ヒーローが怪人たちと戦っていた。『ぬえ』と『火車かしゃ』――二人のシナモリアキラが激突しているのだった。グレンデルヒは一瞬だけ考え込んだが、トリシューラが院内に配置している監視使い魔たちからの情報を読み取ってこれまでの経緯を把握すると、すぐに方針を定めた。

 巻き込むことにしたのだ。

 『鵺』が複数の怪人たちに拳を浴びせながら叫んでいる。


「英雄性とは価値の破壊! そして未知の創造だ! 俺はシナモリアキラとなって邪悪を討ち、この第五階層で生まれる新たな『何か』を見届けて死ぬ!」


「――奇遇だな。私も似たようなことを考えていた。英雄とはかくあるべきだ。貴様の踊り方、無様ではあるが悪くは無い」


 唐突に現れたグレンデルヒに戦場の動きが一瞬停止する。

 戸惑うような『鵺』。

 容赦のない『火車』の下僕、異形化して動く『マレブランケ』たちの猛攻を片手だけで捌きながら、英雄と呼ばれた男は英雄を目指す男に語りかける。


「だが『鵺』のシナモリアキラ。貴様が打倒すべき敵は果たして異獣どもの太母だけか? それで本当にシナモリアキラと言えるのか」


「どういう意味だ」


 英雄と呼ばれた紀人――その言葉を無視できずに反応する『鵺』。

 グレンデルヒは食いついた魚に少しずつ思わせぶりなエサを与える。


「見るがいい英雄よ。あれは別の敵幹部が送り込んできた新しいタイプの怪人――お前が倒すべきシナモリアキラの紛い物、『絡新婦』だ」


 さりげなくチェーンソー男の攻撃を誘導し、『鵺』と激突させる。ベルトから迸る呪力を拳に纏わせた『鵺』はチェーンソーを回避しつつ敵に強烈な打撃を浴びせていった。グレンデルヒの狙い通り、『鵺』は流れの中に巻き込まれていく。

 芝居がかった仕草で(もっとも、グレンデルヒは常に芝居がかった振る舞いをしているが)『鵺』に判断材料を与えていく。断片的で、それらしく、恣意的に取捨選択した情報の罠を。


「ついに『奴』が動き出したぞ。英雄にとってふさわしい敵、魔将との戦いが始まったのだ。すなわち絶対悪の化身、虚ろいの魔王、異種族の英雄、そして終わりをもたらすものたちとの闘争が」


 その言葉を『鵺』は鼻で笑った。


「魔将討伐など下らん。功績の奪い合いと譲り合いの出来レースだろう」


 終末の獣たちを総べるセレクティは、予言王オルヴァの言葉通りに十九の獣たちを従えて火竜の覚醒を待ち続けている。残る獣は四体。いずれも地上の英雄がその存在を懸けて対峙するのに相応しい『敵』である。それだけに、そこには地上の覇権争いや利権が絡む。『鵺』は険しい声で言った。


「俺の敵は赤子の『人類ロマンカインド』が見る怪物の悪夢――イェレイドだ。ママのおっぱいを咥えたがるのも自分とは違う相手を『ママじゃない』って駄々こねるのもガキのすることだろ。寝ぼけた人類を叩き起こして悪夢から醒ましてやる」


 年長者として、気炎を吐く若者を「まあ落ち着け」と宥めすかす。

 

「イェレイドを倒しても悪夢は終わらんよ。現状を維持しようとする者たちがいる限り、あれは再び生み出される。せいぜい時間稼ぎにしかならん」


「何だと」


 目的の意義を根本から覆されて、『鵺』は愕然と問い返した。

 グレンデルヒは『マレブランケ』をまとめて捕獲すると宙に吊り上げる。

 呪文の檻に捕えて隔離すると、自分ごと安全圏に逃れた。

 『鵺』と『絡新婦』が戦う様子を見下ろしながら朗々とした声を響かせる。


「そいつを倒せ、英雄志願。奴もまた絶対悪、理性ある者たちとは決して相容れぬ最悪の異獣。奴を倒さねばお前の望む破壊は道半ばで終わるだろう」


 『鵺』は最初、グレンデルヒの言葉を鼻で笑おうとした。

 しかし相対する怪人の異様さ、その周囲に広がる言い知れないおぞましさに触れるにつれ、次第にその意見を受け入れざるを得ないと感じ始めているようだった。


「道化男、こいつは何だ、何者だ?!」


 グレンデルヒは、敵の正体を厳かに告げる。

 その言葉を聞いて、『鵺』だけでなく『火車』と『マレブランケ』たちまでもが嫌悪と恐怖に身を捩じらせそうになった。その名称そのものが万人の耳を穢し、響きを震わせた者の喉を呪う。


「あれは小鬼ゴブリンだ」


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