4-143 オルヴァ王と十二人のシナモリアキラ⑨




 遡る、遡る。老人は少年期を過ぎ去り、母親の胎内へと回帰する。

 世界を巡り、時空を幾度となく渡っていく。

 生と死の輪廻の果て、賢者は求めの声を耳にした。


 世界を愛する歌が聞こえる。輝く黄金のような美しい魂の歌が。

 世界を憎む怨嗟が聞こえる。割れた鏡のような醜い心の呪いが。

 それはこの世界には在らざる異物の呼び声だ。

 墓標船、猫、あるいは異界。

 それらが生み出した、巨大な『王国』。


 紫の王は偏在する。

 気まぐれにその場所に辿り着いても不思議は無かった。

 降り立った場所は古い国。

 中原を支配し、周辺の諸部族を平定し、大陸にその名を轟かせる年若い国。その統治者と同じように、生まれたばかりで歴史の無い国だ。

 治めていたのは、三角耳の獣に影響を受けた人にして人を超えた存在。

 獅子王と呼ばれた少年と、その兄たる大公。

 そして王に従う十二の賢者たち。

 紫は賢者として招かれた。

 不在の席を埋めるため、必要とされたのは紫という色彩。彼は純粋な機能としてその力を振るった。時に適切な助言を、時に必要な予言を。そうすることで未来は刻々と変容し、書き換えられていった。

 

 対等の存在と友誼を結ぶことなど久しくなかった。己が半身であった庭の隠者は王自身でもあり、既に友とは言えなかったのだ。王は恋を知っていたが、友情に飢えていた。彼はありきたりな生の楽しみを好んだ。

 獅子の王は真理を見通す知性とあらゆる存在を受け入れる度量を併せ持つ、偉大なる存在だった。予言王をして『器が違う』と確信させてしまうほどの圧倒的な覇気。それでいて少年王には臣下たちを友として扱う親しみ易さもあった。

 大公は偉大な弟に対して複雑な感情を抱いており、微妙な立場に置かれていた。それでいて弟に勝るとも劣らぬ圧倒的な知恵と呪力を有していたため、王宮の中で孤立していた。二人の差は人徳、そして器の大きさであると誰もが噂していた。その噂に引きずられたか、それとも元からの気質か、大公は気難しい性格ゆえに自ら孤高を貫いていた。しかし紫とは共通する感性を有しており、


「ああ、全てはむなしい」


「おお、ブレイスヴァよ」


 と二人して草の煙を燻らせながら、厭世的な気分に浸ることもあった。

 ある時、予言王が飼い虎に生贄を与えていると、大公が通りかかった。はぐれ者の王子は老人を見ると非難がましい口調で、


「残酷なことをする」


 と言った。

 カシュラム人は生贄と神への信仰との関係について説いたが、大公は逆にその生贄がふさわしいのかという問いを立てた。二人の議論は朝まで続き、互いに妥協点は得られなかったものの、相手への敬意と尊重を忘れることは無く、その後も交友は途切れることが無かった。友というには少しだけ奇妙な関係ではあったが。

 予言王は知っていた。

 王の兄が、いずれ彼にとって最も重要な物語を完成させてくれることを。

 

 古い時代、号を冠された色は十二まで存在するとされていた。

 しかし最後の一色に至った者はひとりとしていない。

 獅子王は未知を求めて賢者たちと共に研究を重ねた。

 創造の果て、完成品は出来上がった。しかしそれは出来損ない。

 『なでしこ』のストラタイは蛙たちの住む異界を手繰り寄せて次元の彼方へと消えた。代わりとして選ばれたのが『紫』の予言王だった。


 そして彼らは永劫とも思える時を過ごした。

 永命の王は少年の姿のまま完成されていた。

 輝かしい時代のまま、美しい統治で国を富ませた。

 定められた命であれば幾つもの代を重ね、支配の在り方は変容していかざるをえない。しかし永遠の王はずっと少年の心を宿したまま、夢の理想郷を保ち続けていた。

 『王国』は完全だった。

 のちのあらゆる『王国』の雛形、完全なる物質世界の光。

 槍の頂点から流出する叡智をあますところ無く受け止める器。

 そこに老人の美しき『過去』があった。

 彼は少年の姿で『王国』を駆け抜ける。


 黄金の獅子王に跪き、鏡の大公と銀の恋について語らった。

 最初の席を与えられた紫は呪いに彩られた歴史を記憶し、夢に見た。

 群青の影と世界を語り、気ままに物語を歌った。

 黄は王に忠誠を誓う限り気の良い相手だった。

 緑の在り方は興味深く、誰もがこの女神を敬った。

 偏屈な橙と再演の旅路で再会し、時の遊戯に興じたのは良い思い出だ。

 藍の魔女はオルヴァに最も礼を尽くし、彼を尊重した。

 朱の少年は逆にオルヴァをひどく疎ましがって夢の城に姿を隠した。

 先任の紫であった大いなる明藍からは多くを学んだ。

 灼かれた砂漠とは争いの無情を嘆きながら殺し合った。

 灰の旅人は良き道連れで、時の果てを共に彷徨い戯れた。

 白き広漠の漂いには果てが無く、黒き深淵はあまりに遠い。

 色とりどりの賢者たちが少年となった予言王の前を通り過ぎていく。


 藍の転生者が大いなるブレイスヴァのことを少しばかり誤解していることは気にかかったが、それは些細なことであった。マシュラム人の中で、藍の賢者はもっともよく滅びの美しさを理解している。いずれ火竜の舌の上で会いましょう。いつもそう言って別離を惜しむ彼女の為に、紫は未来を力強く見通し、滅びに向かう助けとなる終末の獣たちを予言した。

 王と賢者たちはそれぞれ異なる手段で、一つの大業を成そうとしていた。

 紫は親しき仲間たちが好きだった。

 そこに、確かな絆があった。

 優しき少年王は、麗しい笑みを浮かべて言った。


「世界が、優しく完成しますように――」


 少年王の願いが光の中の闇、闇の中の光となって宇宙を包む。

 紫は主の為にも、終端がブレイスヴァに貪り尽くされる未来を願った。

 少年の尊い願いも友との大切な時間も、全て無為に喰い尽くされればいいと。

 始まりの願いに、大いなる災いあれ。

 優しい気持ちに包まれながら、純粋にただ祈る。

 この煌めく黄金時代が、忌まわしい破滅に砕かれる事を。

 果たして、予言王の見た光景は現実となった。


 炎上する王宮。

 破滅の大顎によって砕かれる『王国』。

 赤子へ回帰して子宮の奥に戻り、冥道から逆流して死へと追放される生命。光のごとき加速によって老いて朽ち果てる繁栄。全てが停止して未完成のまま放置された文明。紫色の破滅が輝きを無に返す。

 怨嗟と憎悪の絶叫を迸らせ、来世での復讐を誓いながら絶命する藍。

 夢を砕かれて集合無意識の底に封じられた朱。

 最も忠実に王に仕えていた黄は罠にかけられて敗北し、ばらばらに砕かれて各地の地中に埋められ、その上に山で蓋をされてしまう。

 互いに対等ではあったが、未来を見通し、慎重に行動を重ねれば賢者たちの動きを封じることは不可能ではない。それに彼はひとりではなかった。


「どうして――? どうして、こんなことをするの?」


 涙と苦痛に彩られた少年の顔。

 優しく微笑みを浮かべていた王のかんばせを、そっと撫でる。

 牙の五指で腹腔を食い破り、しつこく抉った。

 指先で臓腑を掻き分け、最大の苦痛を与えることで悲鳴の音楽を奏でる。


「あぁっ――やめて、痛い、いたいよ――」


 何故かなどと、決まっている。

 この世で最も美しく偉大なる王と王国。

 その破滅が見たくないものがいるだろうか?


「あなたの、その顔が見たかった――おお、ブレイスヴァの呪いあれ!!」


 はらはらと溢れる涙は宝石のよう。

 しかし、それにも勝る美しさは少年のまなざしだった。

 そこに絶望は無い。恨みは無い。嘆きは無い。

 彼は裏切り者の紫を憎んでいないのだ。

 ただ悲しんでいるだけだった。

 こうあるしかない破滅の申し子を、死に際にあって慈しんでいるのだ。

 繊細な指先が、そっと予言王の頬を一撫でした。

 色の薄い頬を涙が伝う。

 口を開く。だが言葉は出ない。

 別れを告げようとしたのか、それとも他の言葉を紡ごうとしたのか。

 逡巡は永遠にも感じられた。


「いたずらに命を引き延ばすのは残酷じゃないかと思うけどね。破滅を堪能したがるのはきみの悪い癖だ」


 長い躊躇いを断ち切るように、空から巨大な鏡が落ちてくる。

 断頭の刃。自由落下の死。王は機械的に命を落とした。

 偉大なる王の首が落とされ、血に染まった鏡面に血まみれの誰かが映った。それは少年であり、青年であり、老人でもある、十字の瞳の愚かな賢者。

 獅子王の血に染まった鏡の刃は輝く血に染まり、処刑のための刃から黄金の盾へと変化した。

 

 細い手が力を失い、黄金の少年王はそれきり沈黙する。

 深い喪失感。遅れてやってくる悲しみ。

 振り向くと、そこには斬首刑を執行した少年が立っている。

 前髪が片側だけ長く、右目を覆い隠していた。端正な顔立ちは麗しく、獅子王に似ていながらも、口の端を歪める笑みは似ても似つかない。

 漆黒の長衣は聖職者にも呪術師にも見え、指に嵌められた真鍮と鉄の指輪が黄金の光を宿してごうごうと唸りを上げている。その指輪は世界と会話をしていた。

 大公――王殺しを成し遂げて新たな王となった獅子王の兄が言った。


「ご覧、全てが滅びていく。これは残酷な生贄かな?」


「あるいは、残酷こそが美しい」


 端的に答えると、新たな王は苦笑した。


「相変わらずだね、きみは。それと趣味とはいえセレクティから恨みを買うのは程々に。あとが恐い。あれとは長い付き合いになるんだから考えなよ」


 文字と数字が刻まれた円形の石版型祭具を担ぎながら、王の命を刈り取った少年が愉快そうに笑う。弟の屍を踏みつけて、上機嫌に言った。


「手伝ってくれてありがと。ま、きみは趣味でやってくれたんだろうけど。それじゃあまた。今度は俺たちの『銀』と一緒に、楽しくやろう」


 そう言って、もうひとりの少年王は石版を天に掲げた。

 地上の炎が照らす大きな満月。ゆっくりと影に蝕まれ、三日月となっていく。

 暦を叫ぶ円形石版もまた黒々とした闇に喰われて鋭利な姿に変貌を遂げる。

 闇の彼方より聞こえるのはおどろおどろしい咆哮。

 それは見知らぬ恐怖か、竜の怒りか。

 生と死を司る暦の刃は淡い紫と黒の光を放っていた。

 闇を長柄に、月の輪廻を刃に変えて、暦は酷薄に死を示す。


「見ろよ、収穫にぴったりだ。稲穂を刈り取る形をしてるだろ?」


 そう言って、王は黒紫の大鎌を横薙ぎに振るった。

 紫の賢者という役目はその時空での意義を終えて、彼方へと再び旅立っていく。

 滅びていく世界を食い荒らそうと、忌まわしい小鬼ゴブリンたちが知性無き眼差しで美しかった全てを穢していく。精強なる獅子王の兵団が奮戦むなしくひとり、またひとりと斃れていった。悪夢の具現たる禍つ妖精は総勢七十二柱。ひとつの柱がひとつの世界に匹敵するだけの狂気と呪いを解き放ち、白痴にして幼稚なる神々が破壊の玩具で戯れる。不可避の破滅が押し寄せ、全てが圧殺された。

 最悪の滅びを迎える光景の中、矮小な狂神たちに囲まれた王は、どこかで聞いているであろう共犯者に向けて歌うように語りかけた。


「名前をあげる。父の呪縛ではなく、獅子王の贈り物でもない。俺があの墓標船から拾ってきた虚構の名だ。きっときみにはぴったりだよ」



 思いつきのように無造作に。

 その呪いは彼の存在を歪め、新たに定義し直した。

 名前は上書きされて、歴史はまたしても書き換えられる。


「『かつてあったことは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつ無い』――せいぜいこのむなしさをめいっぱい堪能してやろうぜ、『オルヴァ』」


 収穫されたのは『王国』の稲穂めぐみオリーブしんぴ

 それは財たる糧となり聖なる油となり、新たな『王国』の礎となるだろう。

 時空のどこかでそれを聞きながら、オルヴァは頷いた。


「お前が欲するというのなら、私という油で凍てついた燭台に火を灯そう。太陽が九度生まれて死んでいく間だけ燃え続け、お前のための時を作ろう。終末の日々を、望むままに過ごすがいい」


 喉を鳴らすように笑いながら、少年たちは時の彼方へと想いを馳せる。

 真なるはじまりの賢者は遠い。

 青き羊水に沈む宝石の心臓さんごは、鼓動すら始めていないのだから。

 今は、まだ。




 薄暗い病院の廊下を、三角耳の少年が走っている。

 服の至る所が裂けて血が滲み、膝は転倒のためか擦り剥け、苦痛と恐怖によって端整な顔が歪んでいた。零れ落ちる涙が血と混じって床に落ちていく。

 レオは一瞬だけ背後を振り向いた。

 廊下の向こう側に人影。かつかつと足音を反響させながらゆっくりと、だが着実に距離を縮めてくる。立ちはだかる警備ドローンたちはことごとく破壊された。銃撃も電気ショックも投網も爆発も、全てを意に介さず追ってくる。


 伐採者がチェーンソーを振るう。

 すると血に呪われたその機械から人々の断末魔が聴こえてくる。

 レオは犠牲になったティリビナ人たちの痛みと苦しみを、そのアストラルの音を聴く異形の耳で受け取ってしまっていた。感受性の強い少年の目に涙が浮かぶ。

 彼がずっと親しく付き合ってきたティリビナ人たち。

 中には行方不明になった知り合いさえ含まれていた。

 深い悲しみと恐怖、喪失感に苛まれながら、レオは必死に逃げ続ける。


「樹ー木ーがひーとつ、血ーまーみーれふーたつ、伐採、伐採、逃ーげてーも、泣ーいてーも、みーなごーろしぃー!」


 チェーンソーの甲高い回転音が響く。

 かつん、かつん、かつん。

 ゆっくりとした足取りなのに、どうしてか振り切れない。

 何度も角を曲がり、階段を上り、かと思えば下ったりしてあちらの視界から姿を消しているはずなのに、足音はレオから遠ざかることなく追いかけてくる。


 加えて、病院の様子が何かおかしい。

 これだけ走っても走っても、人らしい人に出会わない。

 沢山の患者や避難民で溢れかえっていたはずなのに、いったいどこにいってしまったのだろうか。まるで誰もいない別な病院にレオだけが連れてこられてしまったかのようだった。異常事態が少年の心を責め苛み、憔悴させていく。


 かつん、と足音が止まる。

 突如として病院の窓が割れて、外部から長い黒髪を靡かせて一人の女が飛び込んで来る。黒銀の左手を拳の形にして、歓喜の表情で叫ぶ。


「こんにちは、わたしにーさま! 死ね!」


 挨拶と同時に殺意を込めた鉄拳がチェーンソー男の顔面に叩き込まれた。

 廊下から病室へと吹き飛ばされる男。

 黒髪の女は水によって構成された右腕を呪術的な力で操り、無数の蛇にして鋭く伸ばしていった。容赦のない追撃。室内で破砕音が響く。


「――? わたしにーさま、じゃない?」


 首を傾げる女性は『大蛇おろち』――品森晶。

 その背後で窓が割れる音。

 新たに現れたのはマフラーに侍女服という格好の砂茶色の髪の女性で、手指などのつくりや頭部のぜんまいで人形だと知れた。


「やっと追いついた! 悪いけど、これ以上好き勝手は――」


「待ってミヒトネッセ。あれ、まずいかも知れない」


「はぁ?」


 言いながら、晶が軽く身を躱した。

 病室の中から投擲されたチェーンソーの残骸は当然のように彼女の後ろに立っていたミヒトネッセの方へと向かう。


「え、ちょっ」


 払いのけた所に、血や破片で顔面をぐちゃぐちゃにした男が飛びかかる。


「伐採、伐採、伐採!」


 『創造クラフト』によって水流の蛇に破壊された両腕を高速再生。

 腰に下げた手斧が揺れ、更にその周囲に吊り下げている幾つもの呪宝石が発光しながら消えていく。何らかの『杖』の呪術によってチェーンソーを幾本も再構築することができるようだった。


 高速回転する無数の小片がミヒトネッセを袈裟懸けに引き裂いて、その姿が一枚の呪符に変化する。チェーンソー男の影から出現したミヒトネッセが背後から上段蹴りを叩きつけ、吹き飛んだ所に二枚の手裏剣を投擲。胸と眼球に命中すると、男は痙攣しながら動かなくなる。


「これもシナモリアキラ? 大した身のこなしじゃなかったけど」


 眉根を寄せるミヒトネッセ。晶は警戒を解かずに構えたままだ。

 離れた場所でその光景を見ていたレオは、二人に向かって叫んだ。


「そこにいると危ないです! 避けて、アキラさん!」


 その言葉に即座に反応して飛び退ったのは晶だけ。

 ミヒトネッセは「はぁ?」と怪訝そうに訊き返す。

 それが明暗を分けた。

 斬撃がミヒトネッセの胴を横に薙ぎ、片腕を切断した。

 愕然とした呻き。


「なっ」


 即死したかに思われたチェーンソー男が起き上がっていた。いや、跳ね起きたと形容する方が正確かもしれない。手裏剣がひとりでに抜けて床に落ちる。チェーンソー型の義肢が自動で回転。そしてどこからともなく出現する二本の浮遊腕。


「こいつ――死を否認した?!」


「やはり――」


 瞠目するミヒトネッセ。険しい表情になる晶。

 二人は即座に思考を切り替えて反撃を行った。

 水蛇がチェーンソーの男に襲いかかる。衝撃によって倒れたところにミヒトネッセが追い打ちをかけた。空中で一回転してからの踵落とし。収束した呪力が質量を改変、巨象が落下したのと同等の衝撃が男の頭部を襲う。陥没する床、飛び散る血と骨と脳漿。

 ――即座に起き上がってミヒトネッセをバラバラに切断していくチェーンソー。手足を切断された侍女人形は瞬時に呪符と入れ替わって逃走、身を隠す。浮遊する両腕が更なるチェーンソーを『創造クラフト』。


 激流で構成された無数の蛇が牙を剥いて襲いかかるが、男は解体したミヒトネッセの四肢を次々と蹴ったりチェーンソーで弾いたりして水流に叩き込む。

 すると蛇たちはそれらを優先して噛み砕き、男は攻撃を見事に回避してのけた。それから一瞬で晶に肉薄、奇声を上げながら襲い掛かる。


「ばっさいぃぃぃぃ!!」


 チェーンソーが黒銀の義肢と接触、凄まじい異音を立てながら拮抗する。

 何らかの呪術的な力が働き、奇怪な物理法則下に置かれた戦場で晶が一方的に吹き飛ばされる。チェーンソーのキックバック事故など恐れもせずに刃を振り回す男。その目には異様な世界が映し出されていた。


 瞳の中の全てが樹木。

 手強い黒髪の樹木、理想的な森を整えるために邪魔な猫耳の樹木、そして伐採したばかりの人形の材木。

 手強い樹木が左右の腕でチェーンソーを破壊し、その肉体を滅多打ちにしていく。塵も残さない圧倒的な破壊の嵐。水流が乱舞して、回転する水車がエネルギーを流転、高速で循環させていく。

 やがて、巻き込んだもの全てを粉砕する呪力の渦が完成する。 

 原形すら残さずに消し飛んだチェーンソー男。

 二本の浮遊腕まで完全に消滅し、もはや再生の目は無いかに思われた。

 だが、


「伐採」


 跡形も無く消し飛んだはずの男が、次の瞬間には前触れも無くそこに立っている。出現したというより、最初からそこにいたというような佇まい。

 不利を悟った晶が窓から飛び降りて逃走する。

 去り際、一瞬だけレオに視線をやった晶。右手から水流の蛇を解き放ち、そのまま階下に消えていく。宙を泳ぐ蛇はレオとチェーンソー男の間で薄く引き伸ばされて水の膜となった。

 チェーンソーが水の膜を引き裂くと、既に目の前からレオが消えていた。


「ばっさい」


 呟くと、迷いのない足取りでまた追跡を再開する。

 調子の外れた木挽き歌が照明の消えた廊下に響く。

 男の身体には、傷一つ付いていなかった。最初から何も無かったかのように。

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