4-137 オルヴァ王と十二人のシナモリアキラ③




 闘争の渦は同時多発的に発生中。『反政府勢力』の存在もあり、比較的平穏を保っている南ブロックでも悲鳴が上がっていた。


「ひぃぃっ、お助けぇっ」


 みすぼらしい服の老人が地面を這って逃げ出そうとする。

 禿げた頭、落ち窪んだ眼窩、皺だらけの容貌、そこに戦意は無くただ恐怖だけが刻まれている。

 その哀れな姿を愉悦に満ちた目で眺めているのは一人の男。義憤に駆られた者たちからの呪い、槍、矢といった攻撃をものともせずに悠然と歩む。


「この吸血帝王シナモリアキラこそ最強にして絶対。きさまら限られた命の家畜どもは私の餌に過ぎないと知れ。私の霧化による絶対回避はあらゆる――がっ」


 言い終わらぬうちに、自称シナモリアキラは一撃の下に灰と化す。

 妖しい光を纏う捻じれた魔槍を振るい、精悍な顔つきの男が不敵な笑みを浮かべた。片腕の丸盾にはニガヨモギの紋章。


「不死者って奴らはどいつもこいつも『自分だけは死なない』って信じてやがる。この俺、シナモリアキラの最大の楽しみは能力にあぐらかいて能力解説してるクソをぶち殺すことだ――無事かい、爺さん」


 襲わそうになっていた老人へと手を差し伸べる。

 粗野ながらも好漢といった振る舞いを見せる青年に、周囲から好意的な視線が向けられる。老人は安心したように男の手を取り、


「あ――?」


 そのまま軽く小指を捻るようにして動きを封じつつ、流れるように青年を抱きしめる。傍目には安堵のあまり縋り付いたようにも見えるだろう。老人の表情は見事に取り繕われていた。『七色表情筋トレーニング』は完璧に機能しており、密着しながら寸勁のみで青年の心臓を破裂させたなどとは誰も予想できまい。老人は遠隔操作で離れた家屋に設置した爆弾を起爆。周囲の注意が逸れた隙に誰にも気付かれずに逃げおおせる。


「レストロオセ派が第五階層に影響力を行使するのを妨害せよ、手段は問わない――ってよぉ、殺し屋に頼んどいてそいつぁお上品過ぎってもんだぜ。まぁ、ジャッフハリムの客らしいけどな」


 物乞いに扮していた老人は退避先の宿の中で独りごちた。

 『ビギ・スタンダール』ブランドの葉巻を咥えてうっとりと目を細める。

 その口から覗くのは鋭い牙。唇が震え、痛みに呻く。

 吸血鬼の中でも煙草を愛する血統に連なる老人は、ひどい偏頭痛持ちだった。彼の血統は例外なくそうだ。吐き出した煙は黒く染まり、黒衣の神へと捧げられていった。煙草は闇夜の神が通ったあとに生える聖なる植物だと信じられている。


「殺しのあとはこれに限る。ったく、頭痛が酷くていけねえや」


 ――情報の取得に失敗。『下』の認定種、吸血鬼と断定。備考:『頭痛メグリム』の血統に類似する特徴有り。呪力波形から第二世代から第三世代相当と思われる。脅威度は中。現在ランキング五位。対象識別コード『子泣き爺こなきじじい』の追跡調査を継続する。


 映像は次々と移り変わる。

 誰もいなくなった地下闘技場。簡素なリングは戦士たちの夢の跡、天井の照明が音を立てながら明滅している。がらんとした空間は隠れ潜むのにうってつけだ。

 その男は絶え間なく姿かたちを変容させ続けていた。

 潜入工作に特化した性質――変身者。どのような姿になるべきかを吟味しながら、幾つもの頭部を体表面から生やして並列思考、自分自身と対話する。


「アルト・イヴニルと接触する算段がついたぞ」「あちらが我々の援助を受け入れるかどうかだが」「この機を逃す手は無い。既に例の反レストロオセ派工作員も動いていると連絡があった」「第五階層に干渉し、停滞した戦況を変化させることができれば、本国での私たちの地位も――」


 いずれかの勢力の工作員らしき異形の男。

 彼は勢い良く振り下ろされた鉄球によって叩き潰されるが、流体として振る舞う男は打撃で死ぬ事は無い。どろどろに融けていく正体不明の工作員は襲撃者から距離を取って肉体を固定していく。その姿は『マレブランケ』に酷似していた。


「千変万化」「すなわちこれこそが」「シナモリアキラ性というものだよ」


 じゃらり、と襲撃者の腕から音がする。

 ぼろ布を纏った男の手首には手錠と鎖、巨大な鉄球。

 奴隷の如き姿の男は、痩けた頬と虚ろな目でのろのろと動く。


「俺は、何も考えたくない――おお、予言王よ――導きを――嗚呼――ヴァ」


「話にならないな」「最も駄目なシナモリアキラ性を摸倣してどうする」「いや、お前の性質が彼に合致していたのか?」「ならば更に救いようが無い」


 三面六臂の姿となったシナモリアキラが凄絶な呪力を発していく。

 溢れ出すエネルギーの総量は地上で暴れている怪人たちに勝るとも劣らず、しかしその性質は定まらずに常に変化して行く。

 対する奴隷男からは何の力も感じられず、気配、呪力、そして肉体への力みすらもが全くの無だった――そう、虚無そのもの。

 鎖の音がする。虚空から現出した幻の鎖が奴隷の全身を縛り、身動きを封じる。

 奴隷はそれを自慢げに見せびらかして、


「偉大なる予言王はこう仰っている。次に『鉄球は囮であったか』とお前は言うだろう、と」


 何、と警戒に身を固くする三面六臂の男。

 予言王と口にしたこの男は、まさかカシュラムの関係者か。

 未来を予測した? それともはったり? もし今の発言が事実なら、鉄球が囮とはどういう意味だ? あの鉄球とは別の攻撃手段があることを今明かすことに何の意味がある? こちらが未来を知った時点で未来は変わってしまっているのでは?


 一瞬のうちに様々な思考が三つの頭部を駆け巡る。

 その言葉に思考を割り振ってしまった時点で、『囮』に気を取られてしまっているとも気付かずに。

 並列思考によって強固な精神防壁を維持していた男にアストラル界からの強襲。

 僅かに生じた意識の緩み、そこに侵入した精神縛鎖が思考パターンそのものを規定する。致命的な事態に気付いた三面六臂は頭部の一つを分離して危機回避を図るが、そこに襲いかかる横薙ぎの鉄球。固体から流体へと変化して逃れる――いや、ブレイスヴァからは逃げられない!


 鉄球に体内を通過させてしまったのが彼の敗因だった。

 移動する最中、鉄球が開いて内側が露わになる。

 そこには『創造クラフト』された極めて精巧なミニチュアの舞台が。

 十二の地位を示す階段と、処刑される直前の王。

 それは祭壇にして贄。再演によって『現象』を呼び起こす呪術儀式。


「そうか、鉄球は――」


 矢すら届かぬほど高く飛ぶ鳥を捕獲することは難しい。

 ならば罠を仕掛け、ここは安全であると誘う為の同類の鳥を置くのが良い。

 すなわち置き鳥――媒鳥おとりである。

 それは似たものと似たものは引かれ合うという呪術の摂理。

 始まりに虚無があり、終わりに虚無がある。

 始端と終端は引かれ合い、閉じることで滅びをもたらす。

 鉄球の周囲、空間内の光が歪曲し、時空が捩れて狂う。

 流体の男は既に罠の中。巨大な破滅に呑まれて咀嚼を待つばかり。


「おお、ブレイスヴァの貪りあれ!」


 万物を無に帰す大顎が一切合切を消滅させた。揺らぐ時空がむしゃむしゃと咀嚼を行い、やがて鉄球が吐き出される。生贄となった男は死の直前、確かに「鉄球は囮であったか」と口にしていたのだった。


 ――対象にカシュラム王オルヴァの霊媒適性を確認。本体脅威度は小ながらオルヴァ王が降臨した場合は極めて大。現在ランキング十位。対象識別コード『くだん』の追跡調査を継続する。


 スポットライトが舞台を照らす。

 蹲って頭を抱える一人の男。

 嫌々をするように頭を振っている。


「誰も傷つけたくない。傷付きたくもない。生きているのがもう辛いんだ。誰か、お願いだから俺を代わりにやってくれ」


 男は心を痛めていた。

 自分が愛されすぎていることに。

 なんだってできた。あらゆる異性を魅了し、国を傾けてしまうほどに圧倒的に美しかった。恵まれた生まれにより至上の幸福を享受し続けてきた。

 だからこそ苦しい。

 この幸福は誰かの犠牲の上に存在している。

 大量の消費が自らの存在を成立させている。

 だが自分はこの幸福を愛している。

 手放すことなどできない。

 苦しい。幸せだ。苦しくない。辛い。誰か、誰か。 


「いいわよ。やってあげても」


 蹲る男の後ろから身を寄せる女。

 砂茶の髪に侍女の服、頭の髪飾りは人形を動かすぜんまいだった。球体関節の女は可動部の多い指を男の顔に這わせながら、蕩けるような声で語りかける。


「アダム・カドモンは一人でいい。私の『再演リプレゼント』がお前の願いを叶え、私はお前の『E-E』となる。それでいいわね。無価値なシナモリアキラ」


「ああ、お願いだ。もう苦しいのは嫌だ。シナモリアキラを、どうか」


 人形は――ミヒトネッセは艶然と笑うと、踵から複数の球体を射出した。

 四つの宝珠――王権を示すレガリア。

 それに衛星の名を付けることは、王に侍る従者として自らを規定することに繋がる。

 誰かに尽くすこと。それが彼女の行動原理。

 『使い魔』の呪いが両者を繋ぎ、包摂と融合、変容が開始された。

 そして。


「さて、と」


 全裸で生まれた男は、しなやかな肢体の調子を確かめながら立ち上がった。

 男性型の球体関節人形。髪色はイエローオーカーで、顔立ちはどことなく女性的な雰囲気がある。周囲を巡る四つの衛星が輝くと光の中から布が現れ、人形を覆っていく。黄色系でまとめた砂漠迷彩の忍装束。マフラーを棚引かせるニンジャとなって、人形は覆面の中で不敵に笑う。


「――どのような流れを経ても、最後に勝つのはシナモリアキラだ」


 ミヒトネッセ=シナモリアキラはそう言ったあとで遠くを見つめるようにうっとりとし始めた。そして早口で非シナモリアキラ的な妄想を捲し立てる。


「そして、最後の一人となった私をトリシューラは『やっぱり私の使い魔はあなただけだよアキラくん――ううん、ミヒトネッセ! 大好き!』って感じで抱きしめてくれるの! そしたら毎日トリシューラのお世話してあげて、たまにお姫様抱っことかされて『可愛いよ』『トリシューラのほうが』とかね――ふふ、この無価値な屑にも一つだけいいところがあるわ。クソザコだから圧倒的に受けな所よ! 安心しなさい、お前の立ち位置は全て私が代わりにこなしてあげるから!」


 ――ミヒトネッセの活動を確認。脅威度、不快度、有害度、死ね度全てにおいて極めて大。現在ランキング十一位。捕捉機会が限られていることから、対象識別コード『九尾きゅうび』の追跡調査を不本意ながら継続せざるを得ない。



 かくして無数のシナモリアキラたちの宣名が第五階層に響き渡った。

 英雄性の暴力、信仰の暴力、快感の暴力、制度化された暴力、作業化された暴力、求道としての暴力、道具としての暴力、依存対象としての暴力、性淘汰としての暴力、様々な暴力が序列を巡って競争を生んでいく。

 ランキング十二位として新たに参戦したアストラル体の『火車』が更なる混沌を呼び、第五階層の至る所で戦いが勃発。

 そして、遂にランキングの頂点に立つ男が表舞台に姿を現した。

 外部から第五階層に侵入するや否や、大量のランカーを次々と打倒してランキングを駆け上がった超人。刈り上げられた頭、ごつごつとした肉体、肥大化した筋肉。服がはち切れそうなほどの長身巨躯であり、腕は常人の胴体ほど太い。

 足下に散らばるのは注射針と吸引器とカプセルと粉、その他薬物。


「あー」


 よだれが垂れる。

 男根城ほどの高さはないが、中央市街のビルディングの屋上で、男は己が制覇した大地を眺めていた。自らの足場を確かめているのだ。『俺は確かにこの最強という舞台に立っている』という事実を確認。強く自我を保とうとして――失敗した。


「うー、あう?」


 男の目は虚ろで、焦点が定まっていない。

 とてもではないが、ロウ・カーインに襲撃をかけて勝利したとは思えぬ有様であった。カーインは背後にレオを庇っており、尋常では無い襲撃者の暴れぶりを見てこのままでは主を守れぬと判断、一度挑戦を受けていながら敗走を選んだ。

 そうした事情を鑑みても、カーインに撤退を選ばせるというのはこの第五階層において一つの強さの指標となるのだった。男の強さは見かけ倒しではなく、本物に他ならない。


 だが男の力はサイバーカラテに由来するものではなかった。

 むしろ『制御』に重きを置くサイバーカラテの対極――過負荷によって肉体の力を過度に引き出すバイオカラテに近い。

 遺伝子と生体を強化し、薬物で限界の壁を破壊する。

 その爆発力は凄まじいが、反動もまた大きい。大量の呪詛成分を含んだ薬物の常用で全身の運動機能に支障をきたしているのだろう、男は既に死に体だった。


 と、その時。

 サイバーカラテユーザー最強の座に立つ猛者としての直感か――男は何かに気付いたように振り返った。

 給水塔の上に、何者かがいる。

 男の瞳に理性が、そして闘志が戻っていく。

 戦闘者としての本質が、暴力の気配を肌で感じたことで甦ったのだ。

 果たして、給水塔に立つ者は男に我を取り戻させる程の強者なのか。

 その答えは、すぐに明らかになった。

 男は一瞬だけ驚きに目を見開いたが、


「俺がシナモリアキラだ」


 即座に切り替えて名乗り、さらに続けてこう言った。


「名乗れ、女」


 暴力の化身とでも呼ぶべき男と対照的に、挑戦者は象牙細工のように華奢だった。ほっそりとした腰、折れそうな手足、色の白い肌。闇のような瞳。そして古めかしい人形を連想させる顔立ち。

 形の良い唇が動いて、琴を弾くような豊かな音が響く。


「品森、晶」


 少女だった。

 艶やかな長い黒髪を靡かせ、小柄な体躯を肌に密着した黒いインナーで覆い、その上に花魁のように着崩した着物風のジャケットとショートパンツを着込んでいる。ごつごつとしたブーツは蹴ることを想定して要所を金属で加工した格闘用。

 髪には歯の多い櫛を飾りとして挿しており、着物や帯と揃いの『竜停太夫ルーティエッタ』ブランドが古代と異界のミームを混淆、一つの呪力として統合していく。ミスマッチこそ力と叫ぶ、力強い信仰ファッション。服装だけでわかる。呪的に安定した立ち姿、それ自体が既に達人の証。


 加えてその両腕。

 黒銀の左腕は『映像で見た本物より僅かに劣る出来』というむしろシナモリアキラらしい義肢であり、右腕が氷ではなく透き通った流水によって構成されているのもどこかずれていてかえってそれらしい。

 そもそも、男装すらせずに堂々とシナモリアキラを名乗ってみせるその精神性が驚嘆に値する。性別などものともしない『何か』が目の前の相手にはある――。

 面白い、と男が笑う。


「往くぞ」


 男に油断は微塵も無い。

 霊薬のカプセルを口に放り込み、全身に活力を付与する。

 激烈な踏み込みから唸りを上げる剛腕、圧倒的な質量と筋力が生み出すエネルギー、そして足裏から伝達されていく練り上げられた勁力の全て。会心の一打は少女の顔面へ向かい、そして清らかなせせらぎを思わせる流麗な動きによって受け流された。神速の反射速度で化かされようとしている勁道を断ち切ると体重に任せて強引に靠――仕掛ける寸前で罠の匂いを嗅ぎ取って素早く身を躱す。


 遅かった。

 せせらぎはいつしか激流と化し、八又に分かれた右腕が大蛇となって襲いかかる。男は歯の奥に仕込んだ霊薬を潰して嚥下、増大する呪力を全て腕に集約させて四方八方から襲い来る死の流れをことごとく弾いていった。攻防が入れ替わり、『攻める側に回らねば死ぬ』という極限状態が男を更なる限界の果てへと導く。


蛟竜オルガン――」


 激戦の最中、少女の唇が囁きを巨大な呪力へと変換しようと開かれる。

 それを、


「喝ッ!!!!」


 という気合い一つで解呪ディスペル、発生した衝撃破と震脚が屋上に亀裂を走らせて給水塔を粉砕。大量の水が雨となって降り注ぎ、その全てを束ねて手足と操る黒髪の乙女。巨漢の全身から発せられた莫大な量の闘気が迫り来る水流を押しのけていった。


 互いに一歩も退かず、空間を支配する女に対して一瞬を制する男という状況が作り上げられる。膠着した戦況を覆す材料、あと一つが必要だった。

 男が先に仕掛けた。親指に仕込んだ最後の猛毒――命を削って力と変える悪魔の呪薬を首筋から撃ち込む。全身の血管が浮き上がり、男の眼球が真紅に染まる。

 もはや形容不可能な獣の雄叫びを上げ、悪魔と化した戦闘者が駆ける。

 対する女はここにきて左腕を前にして構えた。


「認証コード『アニマ』。起動――ウィッチオーダー・プロト/アゴニスト」


 穏やかな清流の声。だが、秘められた感情は氾濫する河川のように激しい。

 少女もまた、闘争の理を心身に刻み込まれた異形なのだ。

 黒銀の拳と連動して回転する水車、背後に展開された機巧曼荼羅、輪廻の呪力が全ての運動エネルギーを流転させ、迫り来る悪魔の一撃を受け止める。

 ぐるり、と巨大な質量が宙を舞い、翻る黒髪と共に地面に叩きつけられた。

 完璧に受け、十全に投げ飛ばす。言うだけなら容易いが、それがどれほどの難事であることか。女の技量は神懸かっていた。

 頭部から叩き落とされた男は首の骨を折られて絶命している。

 ここに激闘は決着した。

 競い合う暴力は一つの結果を示したのだ。

 未来を勝ち取ろうとする前進、栄光、蹉跌、喜びと残酷。

 その全てを肯定するために、少女は勝利者として立っている。

 アゴニスト――始まりの競技者、原初の闘争者として。

 闘争の爪痕が残る屋上にひとりきりで佇む少女。

 やがて、ここにはもう用はないとばかりに立ち去ろうとする。

 そんな彼女に声がかけられる。


「待って、お姉様!」


 屋上の入り口、壊れかけの扉を必死になって開いたのは、年端もいかない少女だった。黒髪の乙女よりもさらに小さく、切なげな視線を戦場の花に向けている。

 

「行っちゃうの――?」


 二人が出会ったのはつい一昨日のことだ。

 少女は回想する。暴漢に襲われかけていた所を助けられ、成り行きで行動を共にすることになった。恐るべき強さの中に危うげな不安定さを同居させている庇護者のことが、なんだか放っておけなくて。

 けれど別離は出会いと同じくらいに唐突で、必然だった。


「わたし、人殺しよ」


 初めて会ったときと同じような口調。平坦なようで、少しだけ自嘲するような。

 人殺し――その恐ろしさを、ちゃんと理解できていたとは思わない。

 それを口にする彼女は、きっと戦いを好みながらも忌避しているのだと思った。

 微かな罪悪感を纏った彼女はどうしようもなく美しくて――育ちの良い手も、内省的な言葉も、苦しげな独白も、自嘲と厭世に満ちた露悪も、まとめて包み込んであげたいと、そう思うのだ。


「一緒に行かせて下さい。あなたの力になりたい」


 それを聞くと、彼女は少しだけおかしそうに笑った。

 長い睫毛の下で優しい瞳が潤んでいる。せせらぎの右手が頬を撫でた。不思議と濡れることは一度も無かった。気持ちの良い冷たさだけが思い出として残る。


「ありがとう。でもやっぱり駄目。わたしといるなら、泳ぎが上手くないと」


 行き場の無かった難民の少女に道を示すと、義肢の女は黒髪を靡かせて屋上から飛び降りる。長い髪は翼のように広がり、足下に広がった水の大蛇が少女を次の戦場へと運んで行く。その目には既に感傷など無く、闘争の熱で満たされている。

 そうしなければならない運命に、少女は静かに激昂していた。

 制御された感情を水面下に押し込めて、少女は優雅に空を泳ぐ。

 そして、ぽつりとひとりごちた。


「わたしにーさま、探さないと」


 ――対象の到着を確認。起源相似率99.9999%まで一致。脅威度は皆無。現在ランキング一位。対象識別コード『大蛇おろち』の来訪を歓迎する。待ってたよ、私のプロトタイプ・アキラ姫。


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